2021年05月10日公開
2021年05月10日更新
全日空機雫石衝突事故とは?生存者1名、遺体の雨が降った史上最悪の大惨事
皆さんは全日空最大の事故「全日空機雫(しずく)石衝突事故」をご存知ですか? 生存者が僅か1名という悲惨な事故ですが、時代の流れもあり、風化しつつあります。 今回はそのような風化させてはいけない事故、全日空機雫石衝突事故についてご紹介したいと思います。
目次
日本で最も大惨事とされた衝突事故
出典: http://blog.livedoor.jp
新聞やニュースでも大々的に報じられた
日本では、事故や事件が起きるとメディアがよくその内容について取り上げますが、1971年に多くの人を一度に無くした事故がありました。
その事故とされるのが今回ご紹介する「全日空機雫石衝突事故」です。
さらに悲劇と言えるこの事故ですが、多くの方を失った事故で大事故としても取り上げられることが多いのですが、時代とともにやや風化しつつあります。
今回はそのような大事故となった「全日空機雫石衝突事故」を風化させたないためにも事件の内容についてご紹介したいと思います。
検索「全日空機雫石衝突事故」
— jamsan(一応📷マン&固定ツイ)&ウマ娘トレーナー@Next→18日五等分イベ (@jamsan_t) October 10, 2017
鳥肌立ちます
全日空機雫石衝突事故とは?
出典: http://blog.goo.ne.jp
世界航空史にも載る史上最悪の大惨事
全日空機雫石衝突事故とは史上最悪の大惨事とも言われている事故です。
事故は「1971年(昭和46年)7月30日」に起きました。
被害者は100人以上にのぼり、多くの人の命が失われた事故ですが、上空で起きた事故なので逃げるすべもなく、空中で多くの死者を出した事故ともされています。
この事故は名前にもあるように、全日空機と自衛隊の訓練機、戦闘機が衝突した事故となっています。
事故現場は岩手郡雫石町上空
出典: http://myhome.nifty.com
普段はのどかな町
全日空機雫石衝突事故は岩手県の岩手郡雫石町の上空にて起きました。
雫石町は上記の写真を見てもわかるように普段はのどかな町なのですが、この事件が起きたときは多くのメディアが集まり、大きな事件として取り上げられました。
事故当時は雫石町はまさに言葉通りの地獄絵図で、事故当時は親族をはじめ、メディアなど多くの人が訪れました。
雫石空中衝突事故
— 航空宇宙図鑑 (@koukuki_bot) January 8, 2018
1971年7月に岩手県上空で全日空機と自衛隊訓練機が空中衝突した事故。原因は訓練機がコースを逸脱したこと、全日空機は7秒前には訓練機を確認したが回避行動が行われなかったことである。訓練生は脱出できたが全日空は昇降舵などを失い急降下、音速の壁を超え空中分解した。
全日空ジェット旅客機とは?
全日空機雫石衝突事故の全日空機のタイプ
出典: http://blog.goo.ne.jp
ボーイング727型のジェット旅客機
全日空機雫石衝突事故を起こしたとされる全日空の飛行機は「ボーイング727」というジェット旅行機で、空中衝突により大きな事故を招きました。
事故当時のボーイング727はB727-281型とされているのですが、千歳空港からPM12時45分発 羽田行の全日空58便が事故を起こしたのですが、この時は前の便でもある57便の到着が予定時刻よりも遅れており、本来の定時よりも45分遅れで出発しています。
この45分さえ遅れなければ事故が起きなかったのではないかという声も上がっています。
全日空機雫石衝突事故の自衛隊戦闘機とは?
出典: https://blogs.yahoo.co.jp
自衛隊の訓練機
一方、全日空機ボーインング727と衝突したとされている自衛隊の戦闘機は「F-86F戦闘機2機」でした。
操縦していた自衛隊のパイロットは訓練生で、もう一機の教官機と一緒に飛んでいました。この時の訓練区域は盛岡でした。
戦闘機の操縦者が訓練生であることから操縦が上手く出来ずに衝突したとされているのですが、この訓練生というだけで事故の原因として悪者扱いされ、かなり厳しい扱いを受けました。
事故による被害・影響
事故現場「雫石町」に積もる遺体
出典: http://d.hatena.ne.jp
162人もの命が失われた大事故
多くの命が奪われたこの事故ですが、事故による被害はすさまじく、死者は上記の新聞の写真を見てもわかるように、当時ボーイング727に乗っていた乗客と乗員を含め、162人全員が亡くなりました。
この事故はご紹介したように、岩手郡雫石町の上空で衝突したため逃げ場がなく、上空で人が空中に散るように投げ出され、多くの人が雨のように降ったとされています。
そのため、この時の岩手郡雫石町は多くの遺体が降り注いだとされ、のんびりした町が一変して悲惨な現場へと変わってしまいました。
簡単に言うとねー、雫石って場所で全日空の旅客機と自衛隊の機体が衝突して上空から落ちたんだよね。両方とも。
— UR 人権の無い社畜 ★7 (@Kikyou0x0_0216) December 9, 2017
自衛隊員は脱出したんだけど旅客機は空中分解して遥か上空から地面に叩きつけられて全乗員死亡。162名だったかな?
遺体は酷い有様だったて。全日空機雫石衝突事故でウィキると詳細がある
生存者は自衛隊の訓練生わずか1名
出典: http://d.hatena.ne.jp
自衛隊機のパイロット・訓練生は脱出していた
死者162人も出してしまったこの大きな事故ですが、生存者は自衛隊の訓練機を操縦していたパイロットだけとされています。
そのため、この全日空機雫石衝突事故は僅か生存者が1名とされ、日本の航空史において最悪の事故として永遠に残り続けるだろうとされています。
生存者がいたこと自体は喜ばしいことなのですが、ボーイング727と衝突した自衛隊のパイロットが事故の際に脱出して生存していることから、全日空側の被害者の親族の人たちはかなりパイロットを恨んだとされています。
なぜ事故は起きたのか?
衝突事故の原因
出典: http://d.hatena.ne.jp
原因は判断の遅さが招いた
全日空機雫石衝突事故はなぜ起きたのかという事ですが、一番の原因とされているのが判断の遅さとされています。
というのも、この事故では戦闘機やボーイング727の操縦者たちは事故の前にお互いの機体に気づいているのですが、その気づいた時間は衝突から10秒もなかったとされています。
車と違ってボーイング727や戦闘機は大きく、すごい速さで飛んでいることから衝突は避ける事ができず、悲しい結果の事故となってしまったのですが、気づくのがもう少し早ければこのような大惨事にならなかったのでは、とされています。
さらに、上記の写真の新聞にも書かれていますが、自衛隊の戦闘機に乗っていた教官が訓練空域を逸脱していることに気づかず、ボーイング727のジェットルートJ11Lの中に入ったことも大きな原因とされています。
危険認識の薄さが大きな原因でもある?
出典: http://www.yani-affili.com
過信がなければ事前に気づいた可能性も
事故の原因は先ほどご紹介した通りなのですが、この事故の最も原因と考えられるのが「過信」です。
危険認識の薄さがこのような事故を招いたと考えることができ、本来ならば危険への認識がお互いもっと高ければ早い段階で気づくことができたのでないかと考えられます。
日常の普段通りのことをしていると何かと慣れてしまいがちで、油断してしまうことが多いのですが、このような事故を防ぐためには常日頃過信せずに危険への認識を高める必要があると言えます。
全日空機雫石衝突事故の裏側
実は戦闘機ではなく全日空機が悪い?
出典: https://www.ana.co.jp
実際は全日空機が戦闘機の後ろにぶつかった?
写真はボーイング727同型機
全日空機雫石衝突事故の事件の原因や概要についてご紹介しましたが、この段階ではやはり戦闘機を操縦していた自衛隊のパイロットが全面的に悪いのではないかと思う人も多いと思います。
しかし、実はこの事故の別の見方では違った見解が存在し、戦闘機が悪いのではなく、全日空機が悪いとされているのです。
厳密に言うと、どちらにも事故の責任はあるのですが、その見解では戦闘機の後ろに全日空機が衝突したとされ、戦闘機側は後ろから追突されたとされているのです。
そのため、この事が事実だとすると、ミスがあったのは全日空機の方だとも考えられ、戦闘機がルート圏内に入っていたというミスはありますが、全日空機がオートパイロットになっており、油断していたために避けきれず、戦闘機に後ろから追突してしまったのではないかと考えられています。
自然と自衛隊訓練生が悪い流れに
出典: http://blog.goo.ne.jp
無人の戦闘機も途中で空中分解
しかし、このような噂が真実だとは言われているのですが、全日空側の全員の命が散ることになったこの事故はやはり、原因は全日空機ではなく、自然と自衛隊のパイロットが悪いという流れになっていきました。
パイロットと、一緒に飛んで指示を出していた上官は裁判にかけられ、上官は失職してそのままパイロットを辞めてしまいました。
訓練生は最高裁判決では罪に問われず、この判決後自衛隊の戦闘機から救難機パイロットに転じ、2003年に定年退職するまで、人生全てを尽くして人命救助に当たったとされています。
事故を目撃した人も多い
雫石でも衝突事故以上の惨劇の場が
出典: http://blog.goo.ne.jp
降り注ぐ遺体の雨
墜落現場の写真
今回ご紹介している全日空機雫石衝突事故は本当に衝撃的なものだったとされ、当時の目撃者によると上空から遺体の雨が降り注ぎ、本当に地獄のようだったとのことです。
上空で散るように外に放り出された人たちはどうすることもできず、遺体の目撃者によると散る際に空中で服がはだけたのかほとんど衣服を身に纏っていない状態だったようです。
また遺体はおびただしい数で、散るようにしてばらばらになり雫石町各地に散るように落下していったと言われています。
被害にあった人たちは慰霊の森で眠る
出典: http://buzz-netnews.com
雫石町に建てられた「慰霊の森」
岩手県岩手郡雫石町西安庭第 47地割
上空でこのような悲惨な事故があったのですが、散るようにして落下した遺体は集められ、「慰霊の森」の中の慰霊碑のある場所に、静かに眠っています。
上記の写真がその慰霊碑なのですが、最近では不謹慎なことにこの慰霊の森が心霊スポットとしても扱われ、関係者・目撃者を始めとした多くの方に批判を浴びています。
また慰霊碑の所でYouTube動画を上げたりする人物も存在し、かなりの動画の目撃者から批判を浴びています。
死者を冒涜するような行動なので、決してこのような行動はとらないようにしましょう。
【慰霊の森(岩手県雫石町)】ランクSS
— 心霊スポットどうでしょう... (@sinrei_spot) January 8, 2018
日本最恐と評される。1971年7月30日、岩手県岩手郡雫石町上空にて、未曾有の航空事故が発生。全日空機の乗客155名と乗員7名の全員が死亡。機体主部が墜落した場所には碑が建立され、慰霊の森として管理されている。pic.twitter.com/ApYcsI8nhI
風化しつつある全日空機雫石衝突事故
日航ジャンボ機墜落事故の影響も
出典: http://hemitotsy.blog.fc2.com
日本では日航ジャンボ機墜落事故が、現在史上最悪の航空事故
日航ジャンボ機墜落事故を伝える新聞記事と写真
全日空機雫石衝突事故は最初にご紹介したように時代の流れと共に風化し続けているのですが、時代の流れだけでなく、上記の写真の新聞にもあるように1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が起こったことによって事件がその影となって忘れ去られつつ傾向にあります。
この日航ジャンボ機墜落事故もすさまじい数の死者を出した事故とされ、この事故が起きるまでは全日空機雫石衝突事故が最も悲惨な事故として挙げられていました。
ただ日航ジャンボ機墜落事故が起きたことにより、やや影が薄くなってしまったようです。
日航ジャンボ機墜落事故も被害者が非常に多い
出典: https://abematimes.com
乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者4名
上記の画像が実際に日航ジャンボ機がバラバラになった時の事故現場の様子とされていますが、まさに想像を絶するような衝突の跡となっています。
目撃者が語るには、ジャンボ機の残骸は散るようにして分散しただけでなく、遺体も分散したり、山のように積み重なっていたとされています。
全日空機雫石衝突事故でも162名の命が失われた悲劇でしたが、日航ジャンボ機墜落事故では524名もの命が失われたことから、目撃した人も当分その光景が目に焼き付き寝れなかったとされています。
「まとめ」二度と歴史は繰り返してはならない
出典: https://ameblo.jp
全日空機雫石衝突事故を報道する週刊誌
今回は全日空機雫石衝突事故についてご紹介しましたがいかがだったでしょうか。
まさにこのような惨劇が50年近くも前に起きていたことを今の若い人たちはあまり知らないようですが、本当に悲惨で恐ろしい事故とされています。
目撃者や関係者の嘆き悲しむ声が慰霊の森で長い間響いていたとされるほど悲しみに包まれた事故ですが、くれぐれも今後このような事故が起きないように祈るとともに、皆さんも普段から過信せずに常に危機意識を持って行動するようにしましょう。