【悲惨】潜水艦の事故まとめ。ロシア・クルスク沈没~日本自衛隊まで【圧壊】

ロシアの潜水艦クルスクの沈没事故をはじめ、日本の海軍の潜水艦の沈没事故についてなどもまとめました。ロシアの潜水艦であるクルスクやドイツの潜水艦であるUボート、日本のなだしおなど、世界の様々な潜水艦事故について解説していきます。

【悲惨】潜水艦の事故まとめ。ロシア・クルスク沈没~日本自衛隊まで【圧壊】のイメージ

目次

  1. 1多発するロシア原子力潜水艦の沈没事故
  2. 2潜水艦の圧壊について
  3. 3ロシア(ソ連)潜水艦クルスク沈没事故
  4. 4ロシア(ソ連)の潜水艦事故 ウィスキー・オン・ザ・ロック
  5. 5ロシア(ソ連)の原子力潜水艦と米国原子力潜水艦の衝突事故
  6. 6ロシア(ソ連)の潜水艦K-129の事故、沈没
  7. 7ロシア(ソ連)の原子力潜水艦コムソモレツの火災事故、沈没
  8. 8ロシア(ソ連)のプリズ級深海救難艇
  9. 9海上自衛隊の衝突事故 なだしお事件
  10. 10トイレが原因で沈没した潜水艦U-1206
  11. 11ドイツの呪われた潜水艦U-65
  12. 12日本海軍第六潜水艇遭難事件
  13. 13世界が称賛した日本海軍第六潜水艇の乗組員たち
  14. 14日本海軍第六潜水艇艦長佐久間勉の残した手記
  15. 15歴史に残った日本海軍第六潜水艇の乗組員たちの雄姿
  16. 16悲惨な事故で沈んでいった潜水艦たち

多発するロシア原子力潜水艦の沈没事故

出典: http://rybachii.blog84.fc2.com

1961年から今日に至るまで、ソ連、及びロシアの原子力潜水艦の事故がいくつも発生しました。このロシア(ソ連)の潜水艦事故によって、少なくとも507人が死亡しています。
その中でもとりわけ重大なのが、船上の火災によって沈没してしまったという事故です。

そのような潜水艦の事故を、ロシア(ソ連)から日本に至るまで解説していきます。

潜水艦の圧壊について

潜水艦にはそれぞれ、圧壊深度というものがあります。この圧壊深度まで先行してしまうと、水圧に負けて潜水艦が圧壊してしまうというものです。
この圧壊の際には、潜水艦の継ぎ目部分から壊れていくといわれています。
圧壊までにかかる時間はわずか一秒ほどとも言われており、圧壊の際には乗組員全員が圧死してしまうなど、圧壊がどれほど恐ろしいものか表しています。

ロシア(ソ連)潜水艦クルスク沈没事故

沈没した潜水艦クルスクについて

原子力潜水艦クルスクは、ソ連の体制が崩壊した後初めて完成した潜水艦でした。
クルスクという名前は、史上最大の戦車戦「クルスクの戦い」の舞台となった都市クルスクにちなんでいます。

クルスクの爆発事故

出典: http://blog.goo.ne.jp

クルスクはセヴェロモルスク沖バレンツ海で潜航訓練をしている最中、魚雷発射室から爆発を起こして沈没しました。
発射準備中に起きた爆発で、艦体に大きな穴が開き、艦首の三つの区画が崩壊したそうです。

クルスク事故時の救助

アメリカ、イギリス、ノルウェーの各海軍が支援に名乗り出ましたが、ロシア側はこれをすべて拒否しました。
その結果、クルスクの乗組員118名は全員遺体となって発見される悲惨な事故となりました。

沈没したクルスクの回収

オランダ企業マムートとスミット・インターナショナーレが合同で潜水艦を引き上げる契約をロシアと結びました。
この試みは成功し、潜水艦の艦首を除く全部位を回収することができました。

クルスク沈没の原因

海軍はほかの潜水艦との衝突事故であったと主張していましたが、政府の公表した報告書によれば、高濃度の過酸化水素が魚雷から漏れ出てしまったために発生した魚雷爆発によって潜水艦は沈没したというものでした。

ロシア(ソ連)の潜水艦事故 ウィスキー・オン・ザ・ロック

出典: http://history365days.blog.fc2.com

バルト艦隊所属のウィスキー型潜水艦が、ソ連からはバルト海の対岸であるスウェーデンのブレーキンゲ県沿岸に座礁した事故です。
ソ連とスウェーデンの両国の間で大きな政治問題となりました。

ロシア(ソ連)の原子力潜水艦と米国原子力潜水艦の衝突事故

ロシア(ソ連)の潜水艦コストロマと米国の潜水艦バトンルージュがバレンツ海で水中衝突した事故です。
両潜水艦ともに損傷を負いましたが、沈没には至らず、一つの遺体も出しませんでした。
衝突事故というと悲惨な事故になるというイメージが強いですが、この衝突事故においては、ほぼ接触事故と言ってもいいくらいに被害が少なく、悲惨とはほど遠い事故となりました。

ロシア(ソ連)の潜水艦K-129の事故、沈没

ソ連の629型潜水艦K-129はハワイ諸島北西の推進4,900メートルに沈没しました。その原因は不明ですが、乗組員は全員遺体となって発見されました。
ソ連のこの潜水艦をサルベージするために、アメリカ軍は極秘の作戦「プロジェクト・ジェニファー」を打ち立て、船体の一部を回収しました。

ロシア(ソ連)の原子力潜水艦コムソモレツの火災事故、沈没

出典: http://blog.goo.ne.jp

ノルウェー海で、船体の一部からの火災によって全電力停止、原子炉緊急停止ほか、連鎖的な火災、一酸化炭素汚染などが発生しました。事故発生後浸水し、最終的に沈没します。
原子力潜水艦であった当艦ですが、原子力による事故などはなかったようです。
1989年4月7日ノルウェー沖で演習中の原子力潜水艦 K-278「コムソモレツ」で火災が発生、艦は一時的に急浮上したが火災は止まらず船体から浸水し、核兵器と原子炉を積んだまま沈んだ。乗組員64人中42人が殉職した。#ソ連pic.twitter.com/7WXK2PepJI
— それでもソ連bot+ (@sovietsoreyuke) 2017年4月28日

ロシア(ソ連)のプリズ級深海救難艇

出典: https://ja.wikipedia.org

ロシアにはプリズ級深海救難艇という船がありました。
プリズとはロシア語で賞品を意味する言葉です。
プリズ級深海救難艇は1986年から1991年にかけて4機作られ、プリズ級深海救難艇以外の深海救難艇とは全く違った外見をしていました。

プリズ級深海救難艇の浮上不能事故

プリズ級深海救難艇の一機、AS-28のカムチャッカ沿岸での訓練中、深度180メートルで古い漁網に絡まってしまい身動きが取れなくなりました。
このプリズ級深海救難艇の事故は、クルスクの時とは異なり、ロシア側から各国に救助を要請しました。

最初に到着したイギリス海軍の無人探査機スコーピオが網線を切断し、プリズ級深海救難艇AS-28は自力で浮上し、乗組員は全員事なきを得ました。

海上自衛隊の衝突事故 なだしお事件

出典: http://gendai.ismedia.jp

海上自衛隊の潜水艦なだしおと、一般の遊漁船が衝突し、遊漁船が沈没してしまった悲惨な事件です。
この悲惨な事件は遊漁船に乗っていた48名のうち30名が死亡、17人が重軽傷を負ったという結末になりました。

自衛隊が起こしてしまった事故

出典: http://d.hatena.ne.jp

本来は国民を守るはずの自衛隊が起こしてしまったという事故で、当時のあたりは非常に強かったようです。
海上自衛隊の救助や、自衛隊員の通報が遅かったこと、海上自衛隊艦長のつけていた衝突事故当時の航海日誌が改ざんと報じられたことが大きくバッシングを受ける原因となりました。

トイレが原因で沈没した潜水艦U-1206

ドイツの潜水艦であるU-1206は、なんとトイレが原因事故で沈没しました。
U-1206のトイレの構造は非常に難解で、その操作には訓練が必要だったといいます。

U-1206の沈没

雷箱と呼ばれたU-1206のトイレは非常に難解でした。
戦闘中、トイレのレバーの操作の不手際によって、U-1206内部の蓄電池が浸水、それによって発生した塩素ガスを換気するために浮上した結果、U-1206は連合軍の爆撃を受けました。
その結果、U-1206は自沈を選ぶしかなくなり、最後は自沈しました。

ドイツの呪われた潜水艦U-65

建造中の事故

ドイツ軍には呪われているといわれた潜水艦が存在しました。
建造中に鉄骨の下敷きになり一人が即死、一人が両足を潰されて死亡。
その後点検の際に機関室に入っていった三人がいました。その三人は、原因不明の有毒ガス漏出によって遺体となって見つかったそうです。
悲惨な事故の続くこの潜水艦ですが、まだまだ悲惨な出来事が続きます。

テスト中の事故

潜水テストの際、ある水夫がハッチの点検を命じられました。
点検を命じられた水夫は、甲板を歩き、なぜかそのまま海上にまで歩みを進め転落死しました。
その水夫の遺体は捜索の甲斐なく見つからないままです。

その事故のあと、潜水テストが開始されました。
深度9メートルで停止命令が出ましたが、潜水艦は潜り続けます。海底にまで達しピクリとも動きません。
タンクに亀裂が入り、排水のために圧縮空気を送り続けても状況は変わりません。そのうちに艦内に蒸気が立ち込めて呼吸もままならなくなりました。
何もできすに12時間が経過し、全員が死を覚悟していたとき、突然潜水艦が浮上し始めました。
謎の不具合による事故にもかかわらず死者は一人も出ませんでしたが、呪われているとしか思えないこの事故は乗組員たちを震え上がらせました。

初任務での事故

初めての任務でも事故が起こりました。出港しようとしたその時、積載していた魚雷が爆発したのです。
この事故で艦内と甲板の乗組員合わせて5人が亡くなりました。

この中の一人は、この潜水艦の最期の瞬間まで幽霊として出現することとなります。

最期の航海 沈没まで

呪われた潜水艦最後の航海はイギリス海峡からビスケー湾に向かう任務でした。
この航海でも魚雷砲手が発狂し、海へと飛び込みました。高波にさらわれて乗組員が行方不明となった事件もありました。

その後の航海で、U65潜水艦は消息を絶ちます。
何の手がかりもないまま数日が経ったとある日のこと、潜水艦U65がアメリカで発見されます。
望遠鏡でその様子を見ていたアメリカ軍の兵士の証言では、海上の潜水艦は突如大爆発を起こしたそうです。
そして、潜水艦の甲板には一人の男の姿があったといいます。その一人が幽霊だったのか生きている人間だったのかはいまだに謎とされています。

日本海軍第六潜水艇遭難事件

出典: http://nezu621.blog7.fc2.com

日本海軍の第六潜水艇とは

第六潜水艇は、日本海軍の潜水艦で、1906年に竣工、1920年に除籍されました。この潜水艦が悲惨にも沈没したのは1910年4月15日のことで、乗組員14名が殉職しています。

日本海軍の第六潜水艇遭難事件

第六潜水艇は日本で初めての潜水艦で、ガソリンエンジンによって潜航するものでした。
原理としてはシュノーケルと同じで、ガソリンエンジンの通風筒の先を海面上に出し、ガソリンエンジンによって水上を走航するのと同じくらいの速度で潜航しようとするものです。

第六潜水艇の訓練開始から45分ほど経ったとき、通風筒の長さよりも深く潜航してしまい、艦内に海水が浸水してしまいました。
浸水を防ぐための閉鎖弁が故障しており、海水の浸水は止まらず、そのまま17メートルの海底に着底してしまいます。

付近の監視船は長時間経っても浮上してこない第六潜水艇異常に気付き、広島県の呉港に遭難の報告をしました。

これが、悲惨な第六潜水艇遭難事件の一部始終です。

世界が称賛した日本海軍第六潜水艇の乗組員たち

出典: https://ja.wikipedia.org

第六潜水艇遭難事件よりも前に、イタリア海軍で第六潜水艇遭難事件に似た悲惨な事故が起こっていました。
その時、イタリア海軍の乗組員たちは脱出用のハッチに折り重なり、遺体には我先にと出ようとして争いあった形跡が残っていました。

しかし、第六潜水艇遭難事件の遺体たちは、悲惨な事故に遭ったにもかかわらず、二人以外は自分の持ち場を離れることなく残っていました。例外だった二人も、ガソリンパイプの破損個所を修理しようとしていた状態で遺体が残っていました。

第六潜水艇遭難事件でのこの出来事は日本国内だけでなく海外からも大きく評価されています。

また、第六潜水艇の艦長だった佐久間勉は、死の直前まで沈みゆく潜水艦について手記を残していました。

以下はその一部です。

日本海軍第六潜水艇艦長佐久間勉の残した手記

小官の不注意により 陛下の艇を沈め 部下を殺す、 誠に申し訳なし、 されど艇員一同、 死に至るまで 皆よくその職を守り 沈着に事をしょせり 我れ等は国家のため 職に倒れ死といえども ただただ遺憾とする所は 天下の士は これの誤りもって 将来潜水艇の発展に 打撃をあたうるに至らざるやを 憂うるにあり、 願わくば諸君益々勉励もって この誤解なく 将来潜水艇の発展研究に 全力を尽くされん事を さすれば 我ら等一つも 遺憾とするところなし、

歴史に残った日本海軍第六潜水艇の乗組員たちの雄姿

これ以下は沈没の原因や乗組員への陳謝、第六潜水艇についてが克明に記されています。
悲惨な事故に遭い、死の直前になっても慌てることなく自身の義務を全うした彼の行動は、歴史に残り、第六潜水艇遭難事件をもとにした歌が作られるほどでした。

悲惨な事故で沈んでいった潜水艦たち

各国の潜水艦が悲惨な事故で沈んでいきました。その原因は衝突であったり火災であったり様々ですが、多くの命が失われたことには変わりありません。
私たちは失った命に敬意を払い、歴史を胸に刻むことを忘れないようにしなければなりません。

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