徳川埋蔵金はあるのか?「かごめかごめ」に隠された日光東照宮の秘密

童謡「かごめかごめ」には徳川埋蔵金の場所を示したという都市伝説があります。その場所は代表的な赤城山ではなく、徳川家康が祀られた日光東照宮です。今回は童謡「かごめかごめ」から実は徳川埋蔵金が日光東照宮に存在するのではないかという都市伝説について考えてみます。

徳川埋蔵金はあるのか?「かごめかごめ」に隠された日光東照宮の秘密のイメージ

目次

  1. 1徳川埋蔵金の都市伝説について
  2. 2徳川埋蔵金の金額
  3. 3徳川埋蔵金の都市伝説がある場所
  4. 4都市伝説・童謡「かごめかごめ」と徳川埋蔵金、日光東照宮の関係
  5. 5都市伝説・日光東照宮のどこに徳川埋蔵金はあるのか
  6. 6都市伝説・江戸幕府の御用金はいつ日光東照宮に隠されたのか
  7. 7都市伝説・江戸幕府の御用金が日光東照宮に隠された理由はあるのか
  8. 8都市伝説・徳川埋蔵金のありかを示した「かごめかごめ」を広めた人物ー松尾芭蕉ー
  9. 9都市伝説・日光東照宮の祠の地下に隠された徳川埋蔵金の金額
  10. 10都市伝説・徳川埋蔵金に関わる日光東照宮、五行、かごめかごめのヒント
  11. 11都市伝説・徳川家康と徳川埋蔵金
  12. 12日光東照宮にある徳川埋蔵金の所有権は誰にあるのか
  13. 13日光東照宮に徳川埋蔵金があるのかどうかの調査は可能か?埋蔵金のその後は?
  14. 14「かごめかごめ」は日光東照宮と徳川埋蔵金都市伝説の関係をにおわせるロマン
  15. 15まとめ「かごめかごめ」が導く日光東照宮の徳川埋蔵金都市伝説

徳川埋蔵金の都市伝説について

まず、徳川埋蔵金の都市伝説について説明します。

徳川埋蔵金とは江戸幕府が密かに隠したとされる金や貨幣のことを言います。

1868年に江戸城が無血開城してから、薩長を中心とした新政府は財政難から幕府の御用金を資金源にしようと考えていました。しかし、城内の蔵には金や貨幣といったものはなく空でした。

新政府は江戸幕府が意図的に隠したとして、御用金を探索するようになりました。

その後、いくつかの噂や証言などによって徳川埋蔵金の存在が信じられるようになりました。赤城山が有名です。

しかし、これまで徳川埋蔵金の探索が現在まで何度か続けられていましたが、発見には至っていません。

 

徳川埋蔵金の金額

徳川埋蔵金の金額は一説には360万両から400万両くらいといわれています。

1両は7万5千円に相当するので、換算して計算してみます。

そうすると、徳川埋蔵金は現在のお金に換算して、だいたい2700億円から3000億円くらいの膨大な金額ということが分かります。

ただし、徳川埋蔵金はこれ以上の金額の可能性もあります。 

徳川埋蔵金の都市伝説がある場所

このように、徳川埋蔵金は膨大な金額ということが分かりましたが、その埋蔵金の隠し場所とされるところはいくつか存在しています。そこには埋蔵金の都市伝説が残っています。

ここでは、その内赤城山を含めた3カ所を紹介したいと思います。

1.赤城山

赤城山は群馬県前橋市の北にある山々の総称です。

江戸幕府の勘定奉行で、上野国(今の群馬県)に隠棲した小栗忠順が幕府の御用金を持って逃げたのではないか、また、赤城山に何かが運び込まれているのではないかという噂がありました。


その後、この赤城山の地下に徳川埋蔵金があるのではないかとこれまで探されてきました。
 

1990年代、コピーライターの糸井重里氏を中心に発掘チームが結成され、TBSのテレビ番組では徳川埋蔵金の捜索の様子が放送されました。この赤城山に重機を入れて大規模な捜索が行われましたが、結局埋蔵金は見つかりませんでした。

その後も何度かこの場所の地下を捜索していますが、発見されていません。

赤城山は埋蔵金を隠す囮なのでは、という話があります。

2.長者久保

群馬県利根郡昭和村の長者久保というところに埋蔵金があるのではないかと、2016年10月にフジテレビの番組内で紹介されました。長者久保は赤城山の北西に位置しています。

出典: http://najira-earth.blog.so-net.ne.jp

この場所には天保の改革を進めていた老中水野忠邦が物資を運び入れていたという言い伝えがあります。

番組では捜索に協力し、徳川埋蔵金を求めて山林を掘り進めていきました。
捜索の中では、地下に続く階段や空洞が発見され、金属探知機の反応もありましたが、その後徳川埋蔵金は発見されませんでした。
 

3.日光東照宮

2.長者久保で説明した日光社参というのは、一般的に将軍家が日光東照宮へ参拝することを言います。

徳川家康が、亡くなった1年後にこの場所に改葬され、東照大権現という国家鎮護の神様として祀られることになりました。その時社殿が造られ、これが日光東照宮の起こりになります。

江戸時代には各大名が参詣し、将軍家も日光社参を19回行っています。

この日光東照宮に、実は徳川埋蔵金が存在するのではないかという説があります。

それを裏付けるのに、皆さんご存知のある童謡の歌詞がその存在を示しているといわれています。

それは童謡は「かごめかごめ」です。

都市伝説・童謡「かごめかごめ」と徳川埋蔵金、日光東照宮の関係

かごめかごめの概要

誰もが一度は聞いたことがある童謡「かごめかごめ」


「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、うしろの正面だあれ」

この童謡「かごめかごめ」には謎があって、さまざまな解釈があるといわれていますが、この「かごめかごめ」の歌詞には日光東照宮にどう結びつくのでしょうか。
 

かごめかごめの謎「籠の中の鳥」

歌詞は「かごめかごめ」の後に「籠の中の鳥は」と続きます。

籠の中の鳥は、遊びでは文字通り真ん中にいる人が籠の中の鳥に模している状態です。

しかし、「籠の中の鳥」を「籠目の中の鳥居」と考えることもできます。

かごめかごめの謎「鶴と亀がすべった」

そして、「いついつ出やる、夜明けの晩に」の後に「鶴と亀がすべった」と続きます。

夜明けの晩には様々な解釈がありますが、これは朝日のことを指すそうです。

鶴と亀は「鶴は千年、亀は万年」と言うように、一般的には縁起物として知られています。

また、すべったは「滑った」の他に「統べた」とも考えることができます。

かごめかごめの謎「うしろの正面だあれ」

最後に、「うしろの正面だあれ」で終わります。

このうしろの正面というのは、中にいる人の後ろの人のことを指します。

でも、うしろの正面にいるのは人と限るでしょうか。

どうして「かごめかごめ」の唄は徳川埋蔵金の場所が日光東照宮なのを示すのか

どうしてかごめかごめが日光東照宮に結びつくのか考えてみます。

「籠の中の鳥」は「籠目の中の鳥居」と見ることができます。

籠目は竹籠の編み目のことを言います。この編み目の形、どこかで見覚えがありませんか。

そう、六芒星です。六芒星は六本の線分が交差する図形で、魔除けとして知られています。

日本ではこの図形を「籠目」という文様で呼ぶこともあって、家紋にも用いられています。

かごめかごめは「籠目」の文様を意味しています。

この籠目と似た文様がある場所が、日光東照宮なのです。

そして、日光東照宮の奥院には鶴と亀の像があります。
 

出典: https://buzz-press.jp

そして、それらの像が朝日に照らされて指す方向に徳川家康のお墓があります。

天下を統一して、死後東照大権現となった家康の後ろには何があるのでしょうか。

そう考えると、徳川埋蔵金が日光東照宮にあってもおかしくないような気がします。

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都市伝説・日光東照宮のどこに徳川埋蔵金はあるのか

日光東照宮に徳川埋蔵金があるとするならば、いったいどこにあるのでしょうか。

日光東照宮には、籠目の模様に似たものがあると言いましたが、

先ほど説明した、日光東照宮の奥院にある家康のお墓の後ろにある祠に、
 

出典: http://kininarun.com

このような籠目の上の部分が欠けたような模様があるのです。

上の部分がない籠目模様は三角形の部分が下のみに向いているように見えます。

とすると、この祠の地下に何かしらが隠されている、もしかして徳川埋蔵金なのではないかと考えられるのです。

もし祠の地下に人工的に掘られた空洞みたいなものがあれば、そこにある可能性があります。




 

都市伝説・江戸幕府の御用金はいつ日光東照宮に隠されたのか

では、徳川埋蔵金が日光東照宮にあるならば、幕府の御用金はいつ隠されたのでしょうか。

江戸時代、日光東照宮には数多くの参拝者が訪れましたが、一般の人たちは陽明門の前までしか許されていませんでした。東照宮へ拝礼が許されていたのは旗本以上でした。

将軍家も日光社参を19回行い、3代家光の時代には10回と歴代将軍の中では最多です。

日光東照宮には旗本以上の役職でなければ拝礼できず、江戸幕府の開祖徳川家康を祀っていることもあって、日光社参の折に将軍家が祠の地下に御用金を埋蔵したのかも知れません。

江戸幕府のどの時代に埋蔵されたかは謎です。


 

都市伝説・江戸幕府の御用金が日光東照宮に隠された理由はあるのか

幕府の御用金が日光東照宮に隠された理由については、やはりこの場所に江戸幕府を開いた徳川家康が祀られていることが大きいと思います。

そして、江戸時代の日光東照宮は遠国奉行の一つの日光奉行という行政、司法、警察機関の管轄でした。

出典: http://historicsite.tenjounoao.waterblue.ws

そのため、祠の地下から盗まれることはほとんどありえないと思います。


ですが、ここで謎が出てきました。もし、童謡「かごめかごめ」が徳川埋蔵金が日光東照宮にあることを示すものだとしたら、どうしてこの童謡は広まったのでしょうか。

これはある一人の人物が関わっているとされています。

それは松尾芭蕉です。

都市伝説・徳川埋蔵金のありかを示した「かごめかごめ」を広めた人物ー松尾芭蕉ー

松尾芭蕉の謎

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍した俳人で、弟子の曾良と奥州や北陸を旅した俳諧紀行文「奥の細道」で有名です。

そんな彼ですが、驚くほどの健脚だったといいます。

「奥の細道」の全行程距離は2400キロほどで、芭蕉は45歳でしたが、江戸時代の当時にこれだけの距離を歩くというのは珍しいことです。行程中、1日40キロ以上も歩いたこともありました。

驚くほどの健脚と出身地の伊賀上野から、彼が忍者ではないかという説があります。

江戸幕府に伊賀者は、警備や隠密などの役割を担っていました。

もしかすると芭蕉も密かに隠密の役割を受けていたかも知れません。

かごめかごめを広めるために旅に出たのか

出典: http://www.bashouan.com

松尾芭蕉は東国を中心に旅をして俳諧紀行文を記していますが、本当は「かごめかごめ」を広める目的で旅に出たといわれています。

「奥の細道」では日光を訪れた際に、「あらたふと青葉若葉の日の光」と詠んでいます。

芭蕉は徳川埋蔵金が日光東照宮の祠の地下にあることを知っていて、かごめかごめを広めて、そのことを庶民に伝えたのでしょう。私たちが知る童謡「かごめかごめ」はこのことが関係しているのかも知れません。
 

都市伝説・日光東照宮の祠の地下に隠された徳川埋蔵金の金額

日光東照宮に隠された徳川埋蔵金の金額はいくらぐらいになるのでしょうか。

初めに説明した通り、徳川埋蔵金の金額は、2700億円から3000億円くらいと推定されます。

日光東照宮の祠の地下にもそれと同じくらいの膨大な金額が埋蔵されていると考えられます。

もしくはそれ以上の金額かも知れません。
 

都市伝説・徳川埋蔵金に関わる日光東照宮、五行、かごめかごめのヒント

徳川埋蔵金が日光東照宮にあるのは、幕府を作った徳川家康が祀られているのが大きいと説明しました。膨大な金額の埋蔵金を守っていると考えられます。

しかし、それだけではいくら幕府を開いた人物とはいえ、守ってもらっているばかりでは釣り合いが取れないような気がします。

もしかすると、徳川埋蔵金が東照大権現となった家康に何らかの働きかけをしているのではないかと考えられます。

このヒントになるのが、日光東照宮の位置と中国から伝わった五行、そして「かごめかごめ」の歌詞です。

日光東照宮の場所

日光東照宮は江戸から北の方角にあり、陰陽道の影響で、陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星が来るようになっています。

徳川家康はこの場所から江戸を守っていたのです。

五行

中国の古代思想で、万物を構成する5つの元素のことを指し、木・火・土・金・水で構成されています。

これらは天文や暦、医学などに影響を与えました。

5つの元素は、元素を生み出す関係にある「相生」と元素を打ち消してしまう関係にある「相克」の両方があります。

これらで世の中のことを説明しようとしたわけです。

この五行は東西南北の方角に対応し、木が東、火が南、土が中央、金が西、北が水となっています。

日光東照宮は江戸から北にあるので、「水」となります。

相生では、金の表面に水が出るので「水」は「金」から力を与えられる関係にあります。


そうすると、「水」である日光東照宮に力を与えられるのは、他ならぬ徳川埋蔵金の「金」しかありません。

こうして東照大権現である家康に力を与えていると考えられます。

 

かごめかごめの鶴と亀

「鶴と亀がすべった」という歌詞がありますが、この鶴と亀も五行に当てはまります。

五行には青龍、朱雀、黄龍(麒麟)、白虎、玄武という想像上の動物が、それぞれ、東、南、中央、西、北に対応します。

玄武は水神で、亀に蛇が巻き付いたような姿をしています。

そして、朱雀は鳥の形をした神様です。

この二神が守る南と北を結ぶ線は物事の永遠性を象徴しています。生き物にたとえるならば長寿と言ったところでしょうか。長寿とされた鶴と亀もその後、五行の南と北にそれぞれ対応したといわれています。


 

とてつもないパワーに守られた徳川埋蔵金

日光東照宮には鶴と亀の像、そして天下を統べた(統一した)家康がいます。

かごめかごめの歌詞を解釈すれば、江戸幕府が永遠に続くように、鶴と亀を社内に置いたようにも思えます。

そのように物事が永遠に続くような力と江戸や関東を守る東照大権現の力に守られた徳川埋蔵金。しかも、その埋蔵金は神様に力を与えている。あるのかどうかは分かりませんが、祠の地下はとてつもないパワーになっていると言っていいでしょう。

都市伝説・徳川家康と徳川埋蔵金

ここで、徳川家康と徳川埋蔵金の関係を見ていきましょう。

徳川家康の人生はひたすら忍耐に忍耐を重ねて、江戸幕府を開き、天下人となりました。

彼は若い頃は血気盛んだったそうですが、年を重ねてから慎重になり、深謀遠慮を巡らしました。

そんな家康のことですから、自分が亡くなってからの先々について不安があったに違いありません。

いつの世も先立つものはお金です。お金がなくては安定した政権運営ができません。彼は倹約家だったといわれています。

家康が生前から将来に備えて貯めたお金が、時代を経て埋蔵金となったのかもしれません。

日光東照宮にある徳川埋蔵金の所有権は誰にあるのか

これまで、徳川埋蔵金が日光東照宮にあるという説について述べてきました。

日光東照宮は1999年に世界文化遺産に指定され、多くの参拝客が訪れています。

この日光東照宮にもし、徳川埋蔵金が発見されたとするならば、いったい誰のものになるのでしょうか。


 

埋蔵金発見してからに関する一連の流れ

次のようなことが予想されます。

埋蔵金が発見された場合、発見者は発見状況のままにして、その後文化庁に書面でそのことを伝える必要があります。

そして、文化庁や地方公共団体の教育委員会が発掘調査を行うことになります。その間、発見者は埋蔵金を自由に発掘したり、触れることもできません。

もし発掘調査の結果、徳川埋蔵金であることが分かったら、江戸幕府の資産はすべて明治新政府の資産ということが決められているため、現在の政府に所有権があると考えられます。その後埋蔵金は文化財保護法の規定により、国庫で管理されます。

発見者には遺失物法の規定によって、埋蔵金の5%から20%の報労金が支払われます。


発掘調査の結果、徳川埋蔵金ではなかった場合、その後遺失物として警察に届けられます。

もし誰も名乗り出なければ、発見者または発掘機関に埋蔵金の2分の1に相当する報労金が支払われます。その後埋蔵金は国庫または都道府県で管理されます。

発見者とその土地の地権者が異なる場合、それぞれ半分ずつ支払われます。

 

埋蔵金は誰のものか

あくまでも予想です。

以上のことから、もし発見された埋蔵金が徳川埋蔵金であることが分かったら、政府の所有になります。

徳川埋蔵金でなければ、政府または都道府県の所有になります。

発見した人は埋蔵金を所有することができませんが、報労金が支払われます。

日光東照宮に徳川埋蔵金があるのかどうかの調査は可能か?埋蔵金のその後は?

ただし徳川埋蔵金が日光東照宮にあるのかどうかを調査するのは、難しいと思います。

なぜなら、この場所は世界文化遺産にされています。登録要件の一つに、国が遺産の保護にできうる限り関わることになっています。

発掘調査は重機などを入れて地下を掘り返すため、社殿や祠といった、遺産の顕著な普遍性を失わせ、その保護を妨げる行為です。日光東照宮での徳川埋蔵金の調査は、今のところ誰も行っていませんし、その後も同じでしょう。

また歴史を覆す発見があっては困るために、発掘しないのだという話もあります。

埋蔵金は日光東照宮の祠の地下にあるのかどうかも謎のままなのです。
 

「かごめかごめ」は日光東照宮と徳川埋蔵金都市伝説の関係をにおわせるロマン

徳川埋蔵金は赤城山を始め、いろいろなところに都市伝説が存在します。

「かごめかごめ」の歌詞がそのうちの一つ、日光東照宮に徳川埋蔵金の存在を示していると考えてきました。

しかし残念ながら、発掘はされていないので、あるのかどうかの段階にも入っていません。

あるのは、「かごめかごめ」の不思議な歌詞が、日光東照宮と徳川埋蔵金の関係をにおわせるだけです。埋蔵金はあるのか、金額はいくらぐらいになるのか、それとも歴史を覆す何かがあるのか、それはロマンと言ってもいいでしょう。

その謎だらけのロマンが現実になるのか、分からずに謎は謎のままのほうが良いのか。

三猿を見て、考えてしまいます。

まとめ「かごめかごめ」が導く日光東照宮の徳川埋蔵金都市伝説

徳川埋蔵金について、筆者は赤城山に埋蔵金の都市伝説があることは知っていましたが、日光東照宮の埋蔵金についての都市伝説は初めて知りました。

記事作成にあたりいろいろ調べてみると、本当に日光東照宮の祠の地下に徳川埋蔵金があるのかと思うようになりました。

「かごめかごめ」と日光東照宮、そして徳川埋蔵金について考察してきましたが、謎は残ります。

徳川埋蔵金の都市伝説は昔から興味が尽きなかったからこそ、その後の時代の私たちにも残り続けているのでしょう。


なお、今回の考察は筆者独自のものなので、信じるかどうかはお任せします。

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