2021年08月19日公開
2021年08月19日更新
あめぞう〜2chのひろゆき氏が継いだ巨大リンク集掲示板の歴史〜
インターネット上の匿名掲示板といえば2ちゃんねるですが、実は2ちゃんねるには「あめぞう」というリンク集兼掲示板の前身がありました。今回は、電子掲示板やリンク集の先達とも言えるあめぞうについてそしてそれを継いだ2ちゃんねるについて、その歴史を紹介します。
目次
- 1「あめぞう」とは
- 2あめぞうリンクはリンク集の先駆け
- 3あめぞう掲示板はスレッドフロート型掲示板の先達
- 4スレッドフロート型掲示板とは
- 5あめぞうの歴史:開設当初はワレズのリンク集
- 6あめぞうの最盛期は1999年
- 7あめぞうのセカンドチャンネル=2ちゃんねる開設
- 8現在まで続くあめぞうの後続:2ちゃんねるとは
- 9あめぞう、1999年8月「@広場」創設
- 101999年10月、あめぞう突然の機能停止
- 11「あめぞうりんく?」→「あめぞう(仮)」誕生
- 12あめぞう(仮)の復活、しかし少数での稼働に
- 132ちゃんねるに対抗して1ch創設!あめぞう氏が運営スタッフに
- 142ちゃんねるが5ちゃんねるに変更
- 15おわりに:あめぞうの文化は今も受け継がれていた!
「あめぞう」とは
あめぞうとは、昔「あめぞう」というHN(ハンドルネーム)の人物が開設した、リンク集と掲示板を内包するウェブサイト「あめぞうリンク」の略称です。またそのウェブサイトに設置されたスレッドフロート式掲示板「あめぞう掲示板」のことを指します。
あめぞう掲示板はスレッドフロート式掲示板(現在主流の電子掲示板と同じ形式)の先駆けとなった電子掲示板で、いまや匿名掲示板の代表となった「2ちゃんねる」(現在は5ちゃんねるに変更)はこのあめぞう掲示板から生まれたと言っても過言ではありません。
あめぞうリンクはリンク集の先駆け
あめぞうリンクははじめ、1997年8月5日にリンク集として開設されました。このリンク集はいわゆるアングラ系、今で言う「割れ物」を扱ったものであり、つまり違法コピーソフトウェアなど表沙汰にできないようなリンク集です。
当時は今のようにインターネットはまだまだ普及しておらず、Googleなどの検索サイトもありませんでした。すなわち特定のウェブサイトを見るにはURLを直接入力しなければならず、他の媒体に記載されたURLを入手することから始めなければなりません。
1997年当時のアングラサイトへのリンク集。これは歴史的資料ですね!/あめぞうリンク{インターネットの情報は、つまらないという人への無言の抗議 } http://t.co/bSGtvFcDD2
— 菊池良⚡『もしそば』11万部 (@kossetsu) October 16, 2013
そこで、リンク集というのは、そのリンク集というウェブサイトにさえたどり着ければ、そこからあちこちのサイトに飛べるという画期的なものでした。
ちなみに、「あめぞうりんく」という表記は後続の「あめぞうりんく?」(のちの「あめぞう(仮)」)のもので、本家は「あめぞうリンク」と表記するのが一般的です。
あめぞう掲示板はスレッドフロート型掲示板の先達
あめぞう掲示板は、現在のウェブ掲示板の主流であるスレッドフロート型掲示板の先達ですが、最初のあめぞう掲示板はこの形ではありませんでした。スレッドフロート型に変更されたのは1998年9月であり、それまでは当時の普通の掲示板のように、黒板のような背景に白地表記の、積み上げ式のものです。
今でこそウェブの掲示板といえば、新しいレスが一番下につき、最初の発言が上で下に繋がっていきますが、以前は古い発言が一番下、どんどん上に積み上がっていくもの。さらに古いスレッドはどんどん下に下がっていきますので、特定のスレッドを探すのも一苦労でした。
そこで大手のアングラ系掲示板あやしいわーるどが閉鎖になった頃、現在の形となるスレッドフロート型に改良したところ、操作性が高く非常に便利なことからユーザーから高い指示を得て一気に人気になります。
出典: https://www.amazon.co.jp
スレッドフロート型掲示板とは
2ちゃんねるなどで使われている、現在主流の電子掲示板の形式の1つ。フローティングスレッド型掲示板、マルチスレッドフロード型掲示板とも。
このスレッドフロート型掲示板のシステムでは、誰か(管理人でなくても可能)が最初の発言、話題を書き込み、それに対して不特定多数がレスをつけていく形で進行し、1つのコメント群が作られます。その一連のコメントを「スレッド」と呼び、原則レスがつくとスレッドは一番上に移動します。
このようにスレッドを主とし、レスがつくことで上に「浮上」していくことから、スレッドフロート型という名前がつけられました。
あめぞうの歴史:開設当初はワレズのリンク集
あめぞうリンクは、1997年8月5日にリンク集として開設。このリンク集は上記でも述べたように割れ物(ウェアーズ、割れ、ワレズなどとも。全て違法コピーソフトウェアの意味)などへのリンク集からはじまりました。
リンク集の副題は「インターネットの情報は、つまらないと言う人への無言の抗議」であり、文字通り開設者あめぞう氏は自身の同僚をはじめネットの情報を軽んじる人たちに向けて、有益な情報があることを示そうとする試みでした。
開設当初はリンク集のみでしたが、のちに電子掲示板「あめぞう掲示板」を設置し、あめぞう氏自らリンク先の掲示板などに積極的な宣伝を行った結果、知名度や人気を高めていくことになります。
開設の翌年1998年9月3日、当時最大規模だったアングラ系の匿名掲示板「あやしいわーるど」が閉鎖されたことにより、そこの利用者が難民と化しあめぞう掲示板に流れ込んできます。また彼らの要望により、一時あめぞうには「あめぞうわーるど」という「あやしいわーるど」を模した掲示板も設置されたそうです。
「あやしいわーるど」とは
「あやしいわーるど」とは、HNしば(芝雅之)が主催していた1990年代後半〜2000年代頭で日本最大規模の積み上げ型匿名掲示板です。濃い緑の背景に白文字という、黒板のような見た目が特徴。その歴史は非常に長く、現在のネットスラングや顔文字、AAなどの多くはこの「あやしいわーるど」発祥あるいは基礎となっています。
正統派「あやしいわーるど」は1998年9月3日に閉鎖し、これにより大量の難民が発生しました。その後その難民の多くはあめぞうに流入、あやしいわーるどの文化が伝えられ、その文化が現在の2ちゃんねるにまで受け継がれることになります。
パソコン通信が一般層に受け入れられてアングラさを失っていくっていうのは一足飛びでもないんだよな。本当にニフティとかで草の根BBSしてた世代からすれば俺らすらもニワカみたいに感じただろうし、あやしいわーるど→あめぞう→2ch→Twitterとかもそうだが段階的な変遷だったわけだよな
— ヌゥスピリット@ファイザー1回キメ済 (@stillsnash) September 27, 2017
また「あやしいわーるど」の閉鎖後、あちこちで元住民の有志による「あやしい」を名乗る掲示板が乱立します。この1998年に閉鎖されたしば氏管理の「あやしいわーるど」を正統や真などと呼び、その後有志によって開設された「あやしい」を継ぐ掲示板には議論が別れることになります。
あめぞうの最盛期は1999年
1998年9月6日にはそれまでの普通の掲示板を改良し、スレッドフロート型掲示板が完成しました。このスレッドフロード型掲示板が使いやすく、あめぞうは一気に人気掲示板に。
その後1998年の10月から12月にかけて、「ニュース」や「芸能」をはじめ「ゲーム」や「食べ物」など様々なジャンルの掲示板が新設され、1999年の5月には40を超える掲示板が設置、後述する8月にはメインとなる@広場が開設されます。
スマホが手に入ってネットやりはじめた層は、あめぞう掲示板とか、2ちゃん黎明期、フラッシュ黄金期、ニコニコ黎明期は知らないとおもう。
— まじら (@rz6iox) June 12, 2014
この1999年頃には他の大規模な掲示板がいくつも閉鎖し、それらの掲示板からあめぞう掲示板にユーザーが流入、1日のアクセス数が「Yahoo!掲示板」を超えたり流行雑誌に取り上げられたりと、社会的にも知名度が上がり、日本一の掲示板になりました。この頃があめぞうリンクの最盛期と言われています。
あめぞうのセカンドチャンネル=2ちゃんねる開設
今でこそ匿名掲示板といえば2ちゃんねるですが、2ちゃんねるはもともと、あめぞうの副次的・二次的な掲示板でした。
1999年5月30日、あめぞう掲示板の利用者であったHNひろゆき氏によって、2ちゃんねるが開設されました。ひろゆき氏自身、「あめぞうのセカンドチャンネル」であり「あめぞうのサブ的な位置づけ」とし、あめぞう掲示板でも開設を報告しています。
そのため、2ちゃんねるは開設当初からあめぞうリンクからのユーザーも多く、開始当初から1万人以上のユーザーがいたとされます。
うわっw、もう15年も前のことになるのかw、当時、ネットのコミュニティーサイトに、あめぞうがあり、そこがうまくいかなくて、2ちゃんねるができました。2ちゃんねるとは、セカンドチャンネルの意味。つまり、あめぞうなどの掲示板のセカンドチャンネルの意味です。歴史は繰り返されるのかなーw
— land mark (@landmarkjp) April 2, 2014
現在まで続くあめぞうの後続:2ちゃんねるとは
出典: http://2ch.sc
2ちゃんねるは、言わずと知れた、現在の日本最大規模の匿名掲示板サイト。2ch、2ちゃんなどとも呼ばれています。1999年にひろゆきこと西村博之によって開設されました。開設当初から現在に到るまで、あらゆる分野の掲示板が乱立し日々様々な情報が行き交っています。"「ハッキング」から「夜のおかず」までを手広くカバーする巨大掲示板群"がキャッチコピー。
2ちゃんねるユーザーでなくとも存在は知っている、マスコミにも度々取り上げられる社会的認知度の高いインターネット上のコミュニティであり、「あやしいわーるど」や「あめぞう」から受け継いだ文化も含めここから発生したネットスラングや文化なども多数存在します。
元々は「あめぞう掲示板」を「一つ目のチャンネル」として、それの避難所掲示板だから「2ちゃんねる」だったんだよねそういえば
— Dark@基本情報技術者になりました (@darklie) October 2, 2017
アナログ放送時代は2chが無いところ結構あったんだっけ(地デジ化以降2chがある地域も結構多いような)
2ちゃんねる誕生前後には、「あめぞう掲示板」で開設者のひろゆき氏が新掲示板の相談や要望受付の書き込みをしており、その際に2ちゃんねるを「あめぞうの補完」「あめぞう2ch」と説明しました。
ただしひろゆき氏とあめぞう氏については非常に多くの推察や邪推もあり、本当のところはよく分かっていません。確実なのは2ちゃんねるが事実上あめぞうの後続にあたり現在まで続いているということです。
2ちゃん創立者のひろゆき氏について
出典: https://www.amazon.co.jp
2ちゃんねるの創設者として有名なひろゆき氏こと西村博之氏は、あめぞう時代から頻繁にHNひろゆきで書き込んでいたあめぞう住民であり、コテハン(固定HN)勢として有名な存在でした。
大学在籍中に2ちゃんねると設立した、留学中に設立したなどと諸説あり、実際のところは現在でもあやふやな状態だとされています。2ちゃんねるの創設者兼元管理者としてもかつてニコニコ動画を運営していた株式会社ニワンゴの元取締役員だったことから、特に2ちゃんねるやニコニコ動画ユーザーには非常に名前が知られている存在。
現在でも2ちゃんねるの元管理人として、多くの訴訟を抱えているとされています。
あめぞう、1999年8月「@広場」創設
1999年8月初旬、あめぞうには速報につぐメインの掲示板となる「@広場」が創設されました。@広場は他の「@ゲーム」「@速報」などと同様スレッドの一分野です。
その後@広場では非常に多くのスレッド、話題が取り上げられ、@広場では様々な話題が大流行し名実ともにメイン掲示板となります。このようにメイン掲示板となった@広場ですが、1999年8月(6月から報告はあったと言われています)バグを悪用したインターネットウイルスが蔓延し、さらにサーバー負荷増で何度となく落ち、管理者であるあめぞう氏が失踪。
サーバー側が管理者不在のあめぞう掲示板のパーミッション(アクセス権)を落としました。そして10月14日、とうとう@広場が停止。以後、あめぞうは旧サーバーの一部だけが残ることになります。
1999年10月、あめぞう突然の機能停止
上記の通り、1999年10月14日に「@広場」のパーミッション(アクセス権)が落とされ、大半の板が壊滅状態、ほぼ閉鎖に近い状態となりました。そんなあめぞう壊滅状態の際、あめぞう住民はそれぞれ避難所扱いとなっていた掲示板に移動・待機することになり、彼らの多くは2ちゃんねるに移動します。
ちなみにそういったあめぞう難民発生や難民救済中にも、@広場をはじめいくつか掲示板のオフ会が開催されていたようです。
そんな時、このままではあめぞうが本当に消滅してしまうと考えたinfohands氏により、各所の避難掲示板を1つにまとめ、本家あめぞうが復活するまでの避難所リンク集として「あめぞう2000」を設置します。これを「あめぞう2000計画」とし、1999年12月1日に打ち出されました。
あめぞうは2chより前にあった掲示板です。そこで2ちゃんねるなる新しい掲示板が開設されたという情報を知って移行しました。あめぞうは管理人さんの一身上の都合で閉鎖されたと記憶しています。
— hamusuke㌠ (@tomonasisan) October 16, 2016
「あめぞうりんく?」→「あめぞう(仮)」誕生
1999年12月31日。ほそぼそと動いていた本家あめぞうや、避難掲示板に1つのURLが貼り付けられました。「http://www17.big.or.jp/~amezo_/」と、amezoという名前が入ったURLです。半信半疑で恐る恐るクリックした人は多いでしょう。リンクの先には、それまで見た本家あめぞうにそっくりな掲示板が。
しかし、あめぞう本家の復活かと思いきや、名前は「あめぞうりんく?」と「りんく」の文字がひらなが且つ「?」があり、どこか様子がおかしかったのです。HNを「あめぞう」にして書き込むと、本家ならば「偽あめぞう」と表示されるにも関わらず、そこではそのまま表示されてしまいます。
実はこの「あめぞうりんく?」は、サポート氏が用意した掲示板であることが発覚しました。
確か、あやしいワールド→あめぞう→(公式に後継指名)あめぞう(仮)/(勝手に避難所設立)2ちゃんねる
— ひいろ@聖地巡礼者via乗り鉄 (@BlueBreadTrain) May 17, 2017
たったよな。昔は
2000年代後半まではあめぞう(仮)も残ってたけど、今じゃサーバごと陥落してるしな
サポート氏は、自分の正体を明かす気はなく、この「あめぞうりんく?」開設時点では「まだ」あめぞう氏と関係がないこと、本家あめぞうが復活するまでの避難所としてその場を用意したこと、本家あめぞうが復活した際にはすぐに閉鎖すること、などを説明しました。
この時掲示板の名前は「あめぞうりんく?」でしたが、まぎらわしく(検索ではリンクとりんくという区別はつけられない)、また元住民の反対などもあり、結果「あめぞう(仮)」に落ち着きます。以降、ほとんどの場面では「あめぞう(仮)」と表記されますが、インターネット史の本などでは「あめぞうりんく?」と表記されているものも。
「あめぞう(仮)」(あめぞうりんく?)、正式にあめぞう後継に
その後、あめぞう氏本人が「あめぞうの避難場所」として、amezo.comのドメインから「あめぞう(仮)」を表示させ、本家公認で「あめぞう(仮)」が正式なあめぞうの避難所となったのです。
しかし正式な避難所として落ち着いたのもつかの間、2000年6月14日夜、なんの前触れもなく、突然「あめぞう(仮)」が閉鎖しました。
あめぞう(仮)の復活、しかし少数での稼働に
「あめぞう(仮)」閉鎖前にinfohands氏がサーバーを確保し「あめざーねっと」を避難所として提供しており、閉鎖によってここにも多くの人が流入。「あめぞう(仮)」のさらに仮の代替掲示板として運営されることに。して@広場は水谷わひょみ氏が管理人になります。
同8月、infohands氏は「あめざーねっと」の閉鎖を決意し、それを次いで@広場の管理人をしていた水谷わひょみ氏が「あめざーねっとⅡ」を設立させます。以降「あめざーねっと」は「あめざーねっとⅢ」「あめざーねっとⅣ」と続いていくことになります。
また「あめざーねっとⅡ」が設立された頃、サポート氏による「あめぞう(仮)」が復活しましたが、以前なんの前触れもなく閉鎖されたことに不信感を抱いたユーザーは多く、復活した「あめぞう(仮)」に戻ってきたのは少数でした。
2ちゃんねるに対抗して1ch創設!あめぞう氏が運営スタッフに
1chこと1ch.tvは、簡単に言えば2ちゃんねるに対抗して作られた掲示板です。株式会社アスキーの西和彦氏が設立し、あめぞう氏もスタッフの1人として運営に参加していました。
1ch.tvの発端は、西和彦氏が2ちゃんねるで自身の悪口やネタが書き込まれていることに怒ったことです。西和彦氏は2ちゃんねるの匿名性や自作自演、存在そのものを強く非難し、2001年9月29日に「1ch.tv」という「人にやさしい掲示板」サービスを創設することを発表します。
出典: https://www.amazon.co.jp
2001年10月5日、1ch.tvが稼働開始。1ch.tvに書き込んだのは2ちゃんねるの住民が大半であり、初日から荒れに荒れることに。しかしその荒れた書き込みは削除されることなく、逆に「匿名性を悪用し、表現の自由と言葉の暴力とを履き違えた、 書き込み内容を開示」、つまり荒れた状態の掲示板を敢えて晒し続ける見解を示しました。
1chに対しての運営批判はすぐに削除されるにも関わらず、2ちゃんねるに対しての誹謗中傷などは何時間経過しても削除されず、さらに恋愛版ではキス表現すら反社会的・非常識として削除対象になるという驚きの対応の連続。
2ちゃん騒動を受けて、そういえば元あめぞうの人たち?が作った「1ちゃん」はどうなったかなと思ったら>2010年5月に、掲示板サイト自体がドメインとともに完全に消滅した模様。 http://t.co/AUG2xJYzQw
— れさく(Daisuke Sumitan) (@resaku) August 26, 2013
開始数ヶ月で過疎化し、アクセスできなくなったり復旧したりを繰り返し、時にはスタッフの打ち合わせ版が発覚したりなどしました。あめぞう氏もいつしか姿を消しました。
そして2010年5月、ドメインごと完全に消滅したことが確認されています。
2ちゃんねるが5ちゃんねるに変更
出典: https://5ch.net
さて、ネット上ではかなり騒がれましたが、つい最近「2ちゃんねる」が「5ちゃんねる」になったことをご存知ですか?名前が変わりました。2017年10月1日から突如変更され、いつも通りアクセスしたユーザーを驚かせました。トップページには、キャラクターが2を蹴飛ばして5に変えるアニメーションが。
2chの象徴だった「壺」は姿を消しています。
— J-CASTニュース (@jcast_news) October 1, 2017
「2ちゃんねるが5chになっててビビった」 動物キャラが「2」を蹴って「5」にする動画も https://t.co/ZYYIcsBdRE pic.twitter.com/I6njQZpwoc
変更の理由は、「元2ch.net管理人・西村博之(ひろゆき)氏とのトラブルに対処するため」と説明がなされています。というのも、2014年以降、創設者兼元管理者のひろゆき氏と管理者を引き継いだジム・ワトキンス氏がドメインの所有権をめぐり対立しました。
結果ジム氏が所有することになりますが、ひろゆき氏は2ch.scという2ch.netのコピーサイトを立ち上げます。しかしジム氏によれば以後もひろゆき氏による妨害行為があり、それらを解決するために運営権をLoki Technology, Inc.に譲渡したと発表されました。それに伴い、2ちゃんねるのドメインが2ch.netから5ch.netに変更されたのです。
#2ch pic.twitter.com/l5rSiI0dt7
— Jim (@xerxeswatkins) October 1, 2017
おわりに:あめぞうの文化は今も受け継がれていた!
出典: https://www.amazon.co.jp
存在するのが当たり前になっているネット掲示板ですが、これまで様々な歴史がありました。あやしいわーるどやあめぞうから、あめぞうりんく?やあめぞう(仮)などの数多く乱立したあめぞう系掲示板、2ちゃんねるから5ちゃんねると、実は多くの過程を踏んできています。
インターネットは今や誰もが普通に使っているものですが、あめぞうがあった当時はまだまだ一部の人しか使っていませんでした。現在20代以下の人はあめぞうを知らない人も多いでしょう。
2ちゃんねるがなくなれば、今の日本のインターネットの言論環境も良くなると思う人もいるかもしれないが私はそうはならないと思う。2chが今の環境を生み出したというより、あやしいわーるどやあめぞうから続く匿名掲示板の文化が2chに反映されたと見るべきで2chは原因ではない
— 木村屋 (@kimuraya) September 2, 2015
しかしインターネット初期から現在に到るまで、ネット上の文化からネットスラングや顔文字まで、あめぞうの文化は現在の日本最大の匿名掲示板へと確実に引き継がれています。
また、2ちゃんねるから5ちゃんねるへと変遷した今でも、当然ながらあめぞうが原点となっていることには変わりなく、今後もあめぞうから続く歴史は続いていくことでしょう。