2021年08月19日公開
2021年08月19日更新
山岳ベース事件→あさま山荘事件…連合赤軍が日本で大量リンチ殺人【総括】
山岳ベース事件は連合赤軍内部のリンチによる殺人事件です。妊婦も関係なく非道なリンチは続き、逃亡の末あさま山荘事件を起こします。山岳ベースやあさま山荘事件を経て連合赤軍は逮捕されます。海外で日本赤軍が誕生しますが、日本赤軍が生まれるきっかけを調べました
目次
- 1悲惨なリンチ、山岳ベース事件とは?あさま山荘事件とは?
- 2山岳ベース事件を起こした連合赤軍て何?日本赤軍との関係は?
- 3連合赤軍が生まれた背景は?山岳ベースで何をしていた?
- 4連合赤軍の山岳ベース事件で行われていたリンチ
- 5山岳ベース事件でリンチによる犠牲者
- 6山岳ベース事件でわかる連合赤軍がリンチを続けた理由
- 7連合赤軍の起こしたあさま山荘事件のテレビ生中継
- 8あさま山荘事件の犠牲者
- 9あさま山荘事件後の連合赤軍
- 10連合赤軍のリンチで12名が殺されたことが判明
- 11山岳ベース事件やあさま山荘事件後の連合赤軍への論調
- 12結局山岳ベース事件やあさま山荘事件とはなんだったのか?
- 13あさま山荘事件後に日本赤軍が生まれる?
- 14日本赤軍の活動拠点や、日本赤軍の支援者
- 15逮捕された日本赤軍の証言からわかったこと
- 16日本赤軍の要求や、日本赤軍の主なメンバー
- 17逮捕、起訴された日本赤軍のメンバー
- 18日本赤軍の現在や、指名手配中の日本赤軍メンバー
- 19連合赤軍の山岳ベースリンチ事件や、あさま山荘事件のまとめ
悲惨なリンチ、山岳ベース事件とは?あさま山荘事件とは?
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連合赤軍による山岳ベースでのリンチ事件の概要
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山岳ベースとは連合赤軍が潜伏していた、山に作ったいくつかの隠れのことです。ここで軍事訓練やテロ計画を考えることをしていました。中心メンバーは森恒夫と永田洋子で、当時連合赤軍は過激な事件を起こしていたので警察から追われていました。各山岳ベースを転々とする生活を送っていましたが、その途中で内部分裂を起こし仲間を殺してしまう事態にまで発展します。29名の内12名が何らかのリンチや虐待をうけ殺害されました。その後印旛沼事件といわれる殺人事件との関わりも明らかになります。
革命のため、総括という名のリンチ
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総括というのは本来、まとめを意味する言葉ですが他者批判、自己批判、反省の意味として極左派ではよく使われていました。連合赤軍では「総括」は反省をさせるため長時間の正座、食事をさせない、殴る蹴るなどの虐待を意味する言葉になってきました。殴る蹴るといった暴行は人格を改めさせる助けになるという勝手な理論で、総括はどんどんエスカレートしていくことになります。
犠牲者の主な死因は食事を与えられなかったことによる衰弱死、暴行による内臓破裂、寒さによる凍死などです。犠牲者には妊婦も含まれていました。
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その後、連合赤軍はあさま山荘事件を起こすことに
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警察の山狩りや検問などによって、連合赤軍の山岳ベースが取り囲まれ逮捕者が出てきました。警察の目を逃れ逮捕をされなかったメンバーは長野県軽井沢にたどり着きます。そこでも数人の逮捕者が出ました。ここで追い詰められた残りのメンバーは河合楽器の保養所であった、あさま山荘に管理人を人質に取って立てこもることにしました。これが歴史に残るあさま山荘事件です。
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山岳ベース事件を起こした連合赤軍て何?日本赤軍との関係は?
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山岳ベース事件、あさま山荘事件を起こした連合赤軍とは
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さて、連合赤軍とはどのような集団だったのでしょうか?1969年に大量の逮捕者が出た山梨県の大菩薩峠で起きた、大菩薩峠事件が連合赤軍誕生のきっかけといえます。この大菩薩峠事件で赤軍派は弱体化しました。彼らは日本共産党(革命左派)神奈川県委員会と手を組み、連合赤軍が生まれました。
連合赤軍は1970年代初頭に活動した極左集団で、色々なテロ行為を起こしていました。山岳ベース事件やあさま山荘事件を起こしたことで有名ですが、連合赤軍を名乗る前にも組織を脱走した人間を殺すなどの事件を起こしていたことがわかりました(印旛沼事件)。現在も超法規的処置で釈放された坂東國男が国外におり、指名手配されています。
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大菩薩峠事件
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大菩薩峠事件は共産主義者同盟赤軍派が、大菩薩峠事件は首相官邸や警視庁を襲撃してすでにつかまっている自分たちの仲間を解放させようという目的で計画した事件です。山梨県の大菩薩峠周辺の山中で武装訓練を行っていました。この情報は各方面に筒抜けになっていて大菩薩峠に警察が突入し多くの逮捕者が出ました。主要メンバーを多く含んでいたため大菩薩峠での一件以降赤軍派は大幅に勢力を縮小していきます。この大菩薩峠での騒動以降、赤軍派は日本共産党(革命左派)と京浜安保共闘を統合して連合赤軍を形作ることになります。大菩薩峠はいくつかの映画やドラマの舞台にもなっています。
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印旛沼事件
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印旛沼事件とは日本共産党(革命左派)が起こした内部対立による粛清事件です。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)は連合赤軍ができる前からアジトを作って軍事訓練をしていました。この中から脱走したニ名を連れ戻し女性一名を睡眠薬を飲ませて印旛沼近くで絞殺、もう一人の男性も絞殺し二人は印旛沼に捨てられました。この印旛沼事件で日本共産党(革命左派)は殺人という一線を越えてしまうことになります。主犯は森恒夫と永田洋子とされていて、彼らが逮捕後もしばらくは印旛沼の事件は知られていませんでした。のちの山岳ベース事件で犯行が明らかになるとともに印旛沼事件も解明されていくことになります。印旛沼事件の実行犯も山岳ベース事件で死んでいるものも多く、残ったメンバーの供述が重要な手掛かりとなりました。
日本赤軍とは
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日本赤軍とは連合赤軍とも関係の深い団体です。1970年の初頭から1980年代にかけて多くのテロ活動を起こしました。日本赤軍と連合赤軍は、もともと共産主義者同盟赤軍派や京浜安保共闘に属していた同じ仲間でした。ある時海外に拠点を置くことを考え、パレスチナなどに渡ったメンバーが作ったのが日本赤軍です。その後、あさま山荘事件で連合赤軍は壊滅状態になり、日本赤軍は海外で取り残された形になります。
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連合赤軍が生まれた背景は?山岳ベースで何をしていた?
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日本共産党が武装路線を解除したことに反発した若者が中心となり、武装闘争を継続する新左翼と呼ばれる過激派が存在していました。その中で赤軍派と日本共産党の革命左派と呼ばれる過激派は、指導的立場であったメンバーが逮捕されていたり国外逃亡したりと弱体化していました。
山梨県の大菩薩峠で起こった大菩薩峠事件以降、組織は弱体化していましたが、利害の一致した日本共産党(革命左派)と赤軍派は手を組むことになり連合赤軍が生まれました。連合赤軍のメンバーにはすでに騒ぎを起こし警察に追われているものもいました。人目につかない場所で軍事訓練を行ったりテロ活動の計画を立てることを考えます。その結果、関東周辺の山に隠れ家を作ることにしました。これが山岳ベースです。
連合赤軍内では、それからしばらくして合法部、非合法部という2つ別れて内部対立が起きることになります。
日本共産党との関係は
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連合赤軍の母体であった日本共産党(革命左派)ですが、いわゆる親中国派と呼ばれる人たちです。中国での文化大革命をめぐって対立が起こり日本共産党から大量の除名者が出ました。これが革命左派と呼ばれる人です。連合赤軍は現在の日本共産党とは関係がありません。
連合赤軍の山岳ベース事件で行われていたリンチ
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連合赤軍では先に書いた通り、合法派、非合法派の間で対立が起きていました。非合法部では「新党」という集団を作り合法派を異端視するようになります。新党では中央委員会という組織があり委員長が森恒夫、副委員長が永田洋子、書記長が坂口弘、その他委員は寺岡恒一、坂東國男、山田孝、吉野雅邦の4人がいました。合法派よりの態度を取ったメンバーには「総括」を求めました。総括は反省を表す言葉ですが、これがエスカレートしてリンチによる暴力につながることになります。
リンチは日常化?なぜ山岳ベースではリンチ事件が起きた?
総括を言い渡された人間は反省をするように言われるわけですが、暴力はその反省を助ける行為と認識され正当化していました。また政治的な考えからも、こうした暴力や自己反省を受け入れる考えの人間が多かったことも犠牲者が増えた原因と思われます。
この暴力や虐待による死は総括できなかったことにより絶望したための死であるとされ、「敗北死」と呼ばれました。また総括が期待できないとされたメンバーは、アイスピックで刺されたのち絞殺されています。
総括を求められる原因としては脱走を企てるなどもありますが、些細なことも多く「すいとんすいとん」とつぶやいたというだけで腹を蹴られて死亡した例もあります。
連合赤軍はリーダーの森恒夫による独裁体制になっており、要するに彼の気に入らないことがあれば誰でも総括というリンチを受けることになったようです。森恒夫は革命には「共産主義化」されることが必要と訴えていましたが、永田洋子を始め他のメンバーは森が何を言っているのかよくわかっていませんでした。
山岳ベース事件で逮捕、起訴された連合赤軍メンバー
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山岳ベース事件で逮捕されたのは連合赤軍29名中、死亡した12名を除く森恒夫をはじめ17名です。逮捕されたメンバーの中で4人はあさま山荘事件を起こして逮捕されたメンバーです。さらに別の4人は既に山岳ベースから脱走していましたが、あさま山荘事件以降に出頭、逮捕されています。
明らかになっている名前は森恒夫、永田洋子、坂口弘、坂東国男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久、植垣康博、伊藤和子、青砥幹夫、寺林真喜、奥沢修一、杉崎ミサ子、山本保子、前沢虎義、岩田半治、中村愛子です。生存していた17名すべてが逮捕されたことになります。
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山岳ベース事件でリンチによる犠牲者
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最初の被害者は尾崎充男です。その後進藤隆三郎、恋人同士だった小嶋和子と加藤能敬、遠山美枝子、行方正時、寺岡恒一、山崎順、山本順一、大槻節子、金子みちよ、山田孝が次々と総括の名のもとにリンチを受け殺されました。この中で加藤は弟と運動に参加しており、弟たちは涙ながらに兄を暴行したそうです。やらないと自分が殺されるとわかっていたんでしょう。金子みちよに関しては当時8か月の赤ちゃんがお腹にいる妊婦でした。たとえ妊婦であっても容赦なくリンチが行われていた様子がわかります。
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被害者は男性が多いのですが、小島和子や遠山美枝子といった女性も殺害されています。遠山美枝子も永田洋子に因縁をつけられて殺されました。遠山美枝子が髪が長いことに腹を立て、遠山美枝子の頭を丸坊主にして暴行を加えました。遠山美枝子に対する仕打ちは拷問そのものだったようで、逆エビに縛ったり薪で全身を殴ったりしたそうです。森恒夫と永田洋子がやはり中心となってリンチを行い、遠山美枝子は凍死してしまいます。異常に気付いたメンバーが遠山美枝子に蘇生を施しますが、結局遠山美枝子は目を覚まさずにそのままなくなります。お母さんを幸せにしたいというのが遠山美枝子が運動に参加した理由でした。
妊婦もリンチの被害に
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妊婦だった金子みちよは当時妊娠8か月でした。だいぶお腹も大きかったはずです。彼女は永田洋子から森との関係を疑われて総括を受けることになりました。完全な言いがかりでしたが、数日にわたって殴る蹴るなどの暴行を受けます。同時に暴行を受けていた人間はすぐに死んでしまいましたが彼らより4日間長く生きたそうです。最後はお腹をかばうようにして死んでいたそうです。男女の差がなく妊婦であっても非道なふるまいをしていたことに憤りを覚えた人も多かったでしょう。
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山岳ベース事件でわかる連合赤軍がリンチを続けた理由
総括と呼ばれるリンチは自分自身に反省を促すというものでした。暴行を受けて気を失うと人間が生まれ変わるような理屈に基づいて、気絶させるまで暴行をすることになったそうです。全く何を言っているの分かりません。お風呂に入りたいとか、ご飯が欲しいなどの欲望に勝つことが大切と考えていてそうした希望を口に出すと総括せよ、とリンチを受けることになります。言いがかりとしか思えない理由で人が死んでいます。中心となったのは森恒夫と永田洋子で遠山美枝子などはよくわからない理由でリンチを受け死んでいます。のちの永田洋子の手記では遠山美枝子に蘇生処置を行ったようなこともありますが、個人的な嫉妬がリンチの原因ではないかと思われます。
連合赤軍の起こしたあさま山荘事件のテレビ生中継
警察の山狩りで逃亡していた連合赤軍の5名が、軽井沢のあさま山荘に管理人の妻を人質に立てこもりました。立てこもりや約220時間つづき、銃撃戦では警察や民間人に犠牲者も出ました。結果的に犯人は生け捕りにされ、人質も保護されました。当時のテレビで負傷した隊員が搬送されたりする場面や、鉄球による山荘の破壊シーンが生中継されました。90%近い視聴率を記録しました。2018年現在、この記録は破られていません。
あさま山荘事件で逮捕された連合赤軍メンバー
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この時立てこもっていた犯人は坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久の5名です。当時加藤元久は16歳で名前は伏せられていました。この事件では犯人側からの要求が一切なく、人質の安否確認もできない状態でした。さらに犯人を生け捕りにする方針があったこと、あさま山荘の地形が籠城に適していたことなどから事件が長期化しました。
あさま山荘事件の犠牲者
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あさま山荘での人質救出作戦では警察側や民間人に被害が出ています。警察官2人と説得にあたろうとした民間人1名が死亡、機動隊員と報道関係者の19名が負傷しています。負傷者の中には失明したものもいました。犯人の一人、坂口弘の父親はテレビで逮捕の様子を見ており、坂口がつかまった後自殺をしているのが家族により発見されました。この父親もある意味被害者といえます。
あさま山荘事件後の連合赤軍
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あさま山荘事件のあと、逃亡指定メンバーも全員つかまりました。国内のメンバーは全部逮捕されたことで連合赤軍は事実上消滅したことになります。リーダーであった森恒夫は公判前に首をつって自殺、その他のメンバーには死刑判決が出たり、懲役刑になったりしました。坂東國男はその後日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件で、釈放・逃亡しています。現在も指名手配中です。
連合赤軍のリンチで12名が殺されたことが判明
その後、犯人たちの供述から連合赤軍内の総括と呼ばれるリンチで12名ものメンバーが殺され埋められたことが明らかになりました。女性や妊婦まで巻き込んだ残忍な手口に当時の共産党を始め新左翼といわれる人たちも一斉に非難しました。それにさかのぼって印旛沼事件での粛清も明らかになり14名が殺されていたことが判明しました。印旛沼事件と共に山岳ベース事件、あさま山荘事件の裁判が行われました。
山岳ベース事件やあさま山荘事件後の連合赤軍への論調
あさま山荘事件後に残忍なリンチの実態が報道される
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妊婦を含めた多くの犠牲者が明らかになり、残忍なリンチ事件が報道されました。若者の政治運動としてとらえある程度理解を示していた層も新左翼運動に嫌悪感を抱くようになります。新聞や雑誌などそれまで彼らを擁護をしていた会社の面目は丸つぶれになったと言えます。日本共産党や革マル派を始めほとんどの左翼団体が彼らを非難しています。
結局山岳ベース事件やあさま山荘事件とはなんだったのか?
連合赤軍や日本赤軍にとってどのような意味があったのか
山岳ベース事件やあさま山荘事件は、連合赤軍にとってどんな意味があったのでしょうか。あさま山荘でアメリカのニクソン大統領が中国に行ったニュースが流れ、自分たちの運動が果たして正しいものであったのかを考えさせられた事件だったと語っています。外部と遮断された異常な環境では正常な思考ができなくなるものなのかもしれません。連合赤軍にとっては消滅のきっかけとなる事件で、日本赤軍にとっては日本での活動拠点が失われた事件になりました。はたして妊婦を殺してまで得られたものはあったのでしょうか?
あさま山荘事件後に日本赤軍が生まれる?
1972年のあさま山荘事件後に連合赤軍は消滅します。事件の前にすでに日本赤軍の母体のようなものはありましたが、日本赤軍を名乗ったのは1974年といわれています。しかし連合赤軍が無くなったことで国外にいたメンバーを中心に再構成されたことは間違いないようです。重信房子と丸岡修を中心に独自の戦いを続けていきますが、1990年以降勢いはなくなっていきます。
日本赤軍の活動拠点や、日本赤軍の支援者
始めはレバノンのベッカー高原を主な根拠地に活動していて、その後パレスチナの極左過激派と歩調を合わせます。シリアのハーフィズ・アル=アサドや、リビアのムアンマル・アル=カッザーフィーなどからも支援を受けてテロ活動を行っていたとされています。イスラエルのへの反感が強いアラブ諸国ではイスラエルで日本赤軍が起こした「テルアビブ空港乱射事件」をきっかけに彼らを英雄視する人間も多くいたそうです。
逮捕された日本赤軍の証言からわかったこと
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中心人物である重信房子はインタビューでこう語っています。世界を変えるつもりでいたこと、迷惑をかけていると思っていなかったことを語っていて、大義のためなら何をしても良いという感覚に陥っていたそうです。きっと多くのメンバーが同じように考えていたのでしょう。また2005年には元メンバーの山本万里子が万引きして逮捕されたニュースがありました。これを受けてメンバーだった和光晴生は、日本赤軍のメンバーには反社会的・反人民的性格があったと述べていて、自分も含め批判的な供述をしています。
日本赤軍の要求や、日本赤軍の主なメンバー
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日本赤軍の最高指導者 重信房子
日本赤軍の要求や目的はどんなものでしょうか?世の中を平等にするのが左派の目的なので日本赤軍も究極は全員が平等になることだと思われます。手段としてテロや暴力を用いるのが極左派と呼ばれる団体の特徴です。中心人物は重信房子、奥平剛士、丸岡修、奥平純三、岡本公三、西川純、和光晴生などです。奥平剛士はテルアビブの無差別乱射事件で死亡しています。自殺なのか抗戦の末死んだのかはわかっていません。
逮捕、起訴された日本赤軍のメンバー
重信房子は懲役20年で服役中です。丸岡修は無期懲役でしたが死亡、奥平剛士、岡本公三は国外逃亡中、西川純、和光晴生は無期懲役で服役中です。その他にも刑を終えて社会に出ているメンバーや捕まった後で自殺したもの、国外逃亡先で逮捕され日本に強制送還され捜査中のものなど様々です。足立正生は映画監督として活躍しており、若いころはパレスチナに行きました。国際指名手配され、レバノンで逮捕、禁固3年ののち日本へ強制送還されています。
日本赤軍の現在や、指名手配中の日本赤軍メンバー
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1980年代には様々なテロ活動を続けていましたが1990年代になると、支持者や支援が途絶えがちになり段々活動は鈍っていきます。1980年代の後半から主要メンバーが逮捕され始め、壊滅的な状況になっていました。2000年には最高指導者の重信房子も逮捕されています。一方、国外逃亡を続けているメンバーもいて、奥平純三、佐々木規夫、大道寺あや子、仁平映などはまだ捕まっていません。超法規的措置で釈放された連合赤軍の坂東國男も逃亡中です。
連合赤軍の山岳ベースリンチ事件や、あさま山荘事件のまとめ
1.森恒夫と永田洋子が中心となって、妊婦を含めた14名がリンチにより殺された事件。
2.あさま山荘事件後にすべての連合赤軍メンバーが逮捕され、次第に妊婦を含めた凄惨なリンチの実態が明らかになった。
3.中心メンバーの森恒夫は公判前に自殺、永田洋子は死刑判決で獄中死。
4.これらの事件で連合赤軍が壊滅し、海外で日本赤軍の活動が活発になることにつながっていく。
リンチに至るまでの理屈がめちゃくちゃなのですが、どうにもできない雰囲気があったのでしょう。二度とこういう事件が起こらないことを祈ります。