2021年08月02日公開
2021年08月02日更新
自民党二大派閥「清和会」と「経世会」とは?
「清和会」と「経世会」は、戦後自民党を支えた2大派閥であり、「清和会」は親米を政策に掲げ、「経世会」は日本の独立やアジア諸国との融和がその政策です。 どちらも首相を多く輩出しまさに日本の政治を動かしてきた派閥です。 今回は、この2つの派閥に迫ります。
目次
- 1自民党二大派閥「清和会」と「経世会」とは?
- 2「清和会」の旗揚げは福田元首相!
- 3「清和会」の2代目、後継者!売国のイメージを払拭!
- 4「清和会」の4代目、後継者!
- 5「清和会」の5代目、後継者!
- 6現安倍首相も、「清和会」に所属!
- 7「清和会」と統一教会の関係とは!
- 8「清和会」の四天王とは?
- 9「清和会」は「清和政策研究会」に移行!
- 10ここからは「経世会」について!
- 11「経世会」をコンビで運営!
- 12「経世会」が推すも、短命内閣!
- 13「経世会」によるバックアップ内閣!
- 14「経世会」出身の、総理大臣!
- 15「経世会」から「平成研究会」へ!
- 16「経世会」から分裂!
- 17「経世会」議員の犯罪!
- 18「清和会」、「経世会」それぞれのメンバーの晩年!
- 19まとめ:「清和会」「経世会」
自民党二大派閥「清和会」と「経世会」とは?
出典: http://toyokeizai.net
「清和会」と「経世会」は、戦後の日本に於ける自由民主党の古くから続く大きな派閥の名前です。
戦後の自民党を構成する派閥の中心となり、昭和、平成という時代の日本の政治を牽引してきました。
今回は、この「清和会」と「経世会」と言う2つの派閥についてその歴史や、人脈などについて迫ります!
「清和会」の旗揚げは福田元首相!
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「清和会」結成パーティーでの福田元首相
自民党の一大派閥である「清和会」は、戦後の首相となった吉田茂氏に対して、その政策のベースは親アメリカの路線を強調し、自主憲法論や憲法改正論を唱えています。
元々、岸信介元首相や鳩山一郎元首相が「清和会」の源流を作ったと言われ、その流れを汲む派閥として、福田元首相の時代に正式に旗揚げされました。
その後自民党内での派閥の継承は、福田首相派→安倍外相派→三塚派→森首相派→町村派→細田派といった流れで引き継がれていきました。
ただ「清和会」が掲げる米国寄りの、政策は一部から売国の政策と揶揄されることもありました。
福田赳夫元首相は、2007年から首相となった福田康夫元首相の実父にあたります。
「清和会」に所属しているメンバーは、他に小泉元首相や安倍現首相らもメンバーとなっています。
「角福戦争」が勃発!
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田中角栄元首相
「清和会」発足当時、自民党内では福田首相と総裁・首相の座を争った、田中角栄元首相との間で起こった派閥の争い、いわゆる両者の名前を取った「角福戦争」が勃発しました。
これは戦後の日本の政治史上の激しい政争・権力闘争を戦争に例えて呼ばれ、この政争の間、各陣営はそれぞれの派閥に党員を引き込む激しい水面下での争いを繰り広げました。
この「角福戦争」の結果は、田中角栄氏が自民党総裁・首相に選ばれたことにより、一件落着の様子を呈しましたが、この福田派の「清和会」という派閥の流れは、その後の自民党内で残っていき営々と引き継がれていきました。
「清和会」の2代目、後継者!売国のイメージを払拭!
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福田元首相が結成した派閥「清和会」の福田氏の後を受けて、2代目会長となって引き継いだのが、安倍晋太郎元外相です。
安倍晋太郎氏は、元内閣総理大臣の岸信介氏の娘さんと結婚し、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作氏、現内閣総理大臣の安倍晋三氏の実父にあたります。
自民党時代には、農林大臣・内閣官房長官・自民党政調会長・外務大臣などを歴任しました。
当時自民党の竹下登氏、宮沢喜一氏と共に「ニューリーダー」とか、「安竹宮」と呼ばれ、自民党の党運営の一角を担う有力政治家の一人とされました。
また親米よりの姿勢が売国との批評をクリーンにすべく努力を惜しみませんでした。
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現安倍首相が秘書官時代に父、安倍晋太郎氏に同行した時の画像
1988年に、4代に渡って務めた外務大臣の激務が原因で膵臓癌にかかっているが判明し、8月に病状が悪化し入院しました。
9月に予定されていた訪ソを断念しましたが、病身を押してソビエト連邦初代のゴルバチョフ大統領の来日に尽力し、それまで親米寄りの売国政策という声を否定すべく行動しました。
そしてゴルバチョフ氏と会談を行いましたが、これが最後の政治活動となり、その後1991年亡くなりました。
次期総裁・総理大臣と本命視されていただけに、「悲劇のプリンス」とも呼ばれています。
「清和会」の4代目、後継者!
森喜朗「原発ゼロならオリンピック(東京開催)は返上だ!」
— 唯門居士 (@yuimonkoji) July 11, 2015
コレどうも国民に対する脅しらしいが、それじゃ、願ったり叶ったりじゃねぇかよ pic.twitter.com/jDxYL5QFy6
森 喜朗氏は、現在2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めているので、ご存知の方も多いと思います。
森 喜朗氏は2000年4月に脳梗塞で倒れた小渕恵三首相の後を継ぐ形で内閣総理大臣に就任し、「清和会」所属の総理総裁就任は福田赳夫元首相以来22年ぶりでした。
その後「清和会」からは小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏が総理大臣に選出され、安倍首相の就任直後まで派閥会長として多くのパーティーなどにも顔を出し、その影響力をアピールしました。
「清和会」の5代目、後継者!
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「清和会」の第5代目会長には小泉純一郎元総理大臣が就任しました。小泉氏は前述の福田元総理大臣の秘書を経て、1972年に衆議院議員となり、厚生大臣や郵政大臣を歴任しました。
政策としては「郵政の民営化」を前面に掲げ、また親米よりの売国政策との声に大きく反発しました。森元首相の退陣の後を受けた2001年4月の自民党総裁選には、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏、亀井静香氏と共に出馬しました。
自民党内には清新なイメージで人気があった小泉氏への待望論もあり、議員による本選挙でも圧勝して、自民党総裁に指名され、その後第87代の総理大臣に選出されました。
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小泉進次郎衆議院議員は、小泉元首相の二男!
小泉首相は組閣にあたり従来自民党内で慣例となっていた派閥順送り型の人事を排し、派閥の推薦を一切受け付けず、閣僚と党人事を全て自分で決め、組閣における「官邸主導」と呼ばれる流れを作りました。
現安倍首相も、「清和会」に所属!
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現在の安倍首相も、「清和会」に属しています。
2012年9月に、前の谷垣総裁の任期満了に伴って行われた自民党総裁選挙へ出馬を表明し、他候補の清和会の会長であった町村信孝氏や、当時党員に人気が高かった石破茂氏、党内重鎮からの支援を受けての出馬した石原伸晃氏らが候補に立ち、それぞれが「清和会」に属していたため、自民党内というよりも「清和会」での、分裂選挙の形となりました。
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石破茂氏
「清和会」内では、麻生派、高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、総裁選挙の1回目の投票で石破氏に次いで2位に食い込み、決戦投票では108票を得て、石破氏の89票に対し逆転し、総裁に選出されました。
安倍首相は以前に体の不調を理由に一度総裁を辞任しており、一度辞任した総裁が間を挟んで再選されたのは自民党史上初の出来事でした。
また安倍首相も親米よりの政策が売国と言われる批評に対して、毅然として否定しています。
「清和会」と統一教会の関係とは!
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岸元首相と統一教会の文鮮明氏
自民党の「清和会」のメンバーの中には、統一教会と親しい間柄にあるメンバーがいると言われています。
元々「清和会」の源流とされる岸首相と統一教会の教祖文鮮明師が親交があったことから、代々「清和会」のメンバーとも親交があり、統一教会支持者も多いようです。
福田元首相や元安倍外相、中曽根元首相も統一教会を支援していたとされています。
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統一教会、教祖一族!
「清和会」のメンバーの多くは、統一教会を支援しているとされ、統一教会側も「清和会」のメンバーをサポートしています。
例えば統一教会のメンバーが「清和会」議員の秘書となっているケースも多く、 「清和会」のある議員は、9人の統一教会のメンバーを秘書にしていたという事例もあったと言われています。
言わば、「清和会」と統一教会は持ちつもたれつの関係であると言えます。
「清和会」の四天王とは?
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四天王の一人、三塚博元大蔵大臣
かって安倍晋太郎氏が会長であった頃の「清和会」内部で四天王と呼ばれるメンバーがいました。
派閥内の三塚博氏、加藤六月氏、塩川正十郎氏(塩ジイ)そして森元首相の4人の実力者を称して安倍派四天王と呼んでいました。
四天王の一人、三塚博氏は「清和会」のメンバーで、通産大臣や外務大臣などを歴任し、異例のスピード言われましたが、蔵相時代に山一證券、北海道拓殖銀行という二大金融法人の経営破綻という事態の政策責任をとって辞任しました。
四天王の一人
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四天王の一人、加藤六月氏
また四天王の一人、加藤六月氏も「清和会」のメンバーで、安倍晋太郎氏の信頼が一番厚く、党内各派との調整役なども任されていましたが、当時世間を騒がせたリクルート事件や不正パーティー券などに関与したとして、その後党内で政策面でも力を充分発揮できなかったようです。
四天王の一人
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四天王の一人、塩川正十郎元財務大臣
四天王の一人、塩川正十郎氏も「清和会」のメンバーで、世間には「塩ジイ」の名前で良く知られ、法人税制など法人の経済政策に精通しており、地価税を導入しました。
また小泉内閣では、80歳になろうとする財務大臣に塩川氏が就いたことは、サプライズ人事の一つとされました。
四天王の一人!
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四天王の一人だった、森元総理大臣
森元総理大臣も、以前は「清和会」の四天王の一人に数えられた実力者でした。
「清和会」会長の時には、派閥のパーティーなどにもよく出席し、派閥の結束を推し進めました。
「清和会」は「清和政策研究会」に移行!
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「清和政策研究会」の結成パーティー!
「清和会」は「清和政策研究会」に移行し、その結成パーティーで、細田博之氏が会長に指名され、主だった法人のトップとの親交も深めていきました。
さらに親米政策による売国というイメージを払しょくする方向を強調しました。
ここからは「経世会」について!
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「経世会」を結成した竹下登元首相
「経世会」とは、1987年に竹下登元首相によって結成された派閥の会の名前です。現在は「平成研究会」として名前は変わりましたが、結成当初から「清和会」と並ぶ自民党の二大派閥と呼ばれていました。
「経世会」結成の発端は、1985年ロッキード事件で首相の座を退いた田中角栄元首相が、自民党を離党してもなお派閥の領袖として影響力をもち続けたことに反発した竹下登氏や、金丸信氏らが中心になって「経世会」を結成し、その発足パーティーで竹下氏が初代会長として挨拶をしました。
竹下政権は1年余りという短命だったにもかかわらず、結成した「経世会」は自民党第一のメンバー数を誇り、その派閥の力を充分に発揮し、その後「経世会」メンバーであった宇野・海部・宮沢氏らの元総理大臣を排出し、3政権に渡って自民党の大派閥としてその政策も引き継がれていきました。
「清和会」が親米寄りの政策を掲げ、売国政策などとされて事を考慮し、「経世会」では日本の独立や、アジア諸国との融和や友好を主な政策として掲げ、売国というイメージを遠ざけました。
「経世会」をコンビで運営!
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金丸信元副総理
「経世会」は、発足後竹下元首相と金丸信元副総理のコンビで運営されていき、金丸氏という政治家がいて「経世会」は自民党支配をすることができたと言われています。
金丸氏は自民党の内外でも人脈が広く、交渉術にたけており金丸氏の力なくして、竹下政権は成立しなかったとされています。
しかし「経世会」運営の片腕とされていた金丸氏は、1992年8月東京佐川急便からの5億円の法人ヤミ献金や不正パーティー券などが発覚したことにより、自民党副総裁職の辞任しました。
その後衆議院議員も辞職し「経世会」会長も辞任することとなりました。
これにより「経世会」の派閥力にも翳りが見え始めました。
「経世会」が推すも、短命内閣!
出典: http://www.unoke.jp
宇野元総理大臣
竹下元首相の後継者には、「経世会」の宇野宗佑氏が首相に選出されました。
この宇野総理大臣の内閣は「経世会」の傀儡政権と言われ、この時の参議院選挙を自民党の勝利の為に無事に乗り切って行く予定でした。
しかし宇野首相に女性スキャンダルが発覚し、その結果、参院選での自民党は史上かってない程惨敗となり、与野党逆転を許してしまいました。
そして、宇野首相は責任をとり、宇野内閣は異例の3か月という短命な政権で、辞職に追い込まれました。
そして宇野氏を推した「経世会」の竹下氏にもその影響が出始めました。
「経世会」によるバックアップ内閣!
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「経世会」が強力に後押し、海部元総理大臣
海部俊樹氏が首相に就任した頃は、国内ではリクルート事件など法人絡みの収賄罪などが多く発生し、国民の間に政治不信が蔓延しており、当時清新なイメージで登場した海部氏に自民党内部の期待が集まる形となり自民党のパーティーなどでも人気となりました。
そしてその頃、党内基盤が脆弱であった海部氏を「経世会」が後押しする形で、76代目の海部総理大臣が誕生しました。
この時自民党の幹事長に小沢一郎氏が就任し、「経世会」の派閥をバックに政策面でも陰で海部内閣を動かしたと言われています。
「経世会」出身の、総理大臣!
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橋本龍太郎元総理大臣
橋本龍太郎氏は1996年1月、村山富市首相の辞任に伴い、当時「経世会」において中心人物の一人となっていており、第82代内閣総理大臣に指名され、第一次橋本内閣が発足しました。
政策運営面では改革の必要性を主張し、「日本経済の再建」や「長寿社会の建設」「自立的外交」「行財政改革」の4つを最重要政策として取り組みました。
「日本経済の再建」を推進するパーティーでは、法人のトップを集め、その熱い思いを語りました。
「経世会」から「平成研究会」へ!
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「平成おじさん」
小渕恵三元首相は、官房長官時代に元号が「昭和」から「平成」変更したことにより、官邸での記者会見で「新しい元号は『平成』であります」として、国民的な注目を集め「平成おじさん」として広く知られるようになりました。
派閥としては「経世会」の名称を変更し「平成研究会」に移行し、その発足パーティーで「平成研究会」の初代会長を指名され、その後第84代の内閣総理大臣となりました。
出典: http://kuwadong.blog34.fc2.com
TIMEの表紙を飾った、小渕元首相
「平成研究会」(旧経世会)の初代会長は竹下登氏、2代目は金丸信氏が就任していましたが、佐川急便事件で辞任した後を、受けて「平成研究会」の3代目会長に就任しました。
小渕氏は首相時代に、雑誌「TIME」の表紙を飾ったり、「平成研究会」の会長として活躍しました。
しかし小渕首相は、2000年4月に連立与党を組んでいた自由党との連立が決裂し、その心労からか脳梗塞を発症し昏睡状態に陥り、5月に亡くなられました。
その後「平成研究会」(旧経世会)の会長職の流れは小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派となっており、
現在は額賀福志郎氏が「平成研究会」(旧経世会)引き継いで、会長を努めています。
「経世会」から分裂!
出典: http://iwj.co.jp
小沢一郎氏
「平成研究会」(旧経世会)の初代会長人事を巡り、小渕氏と小沢一郎氏が対立し、小沢氏は小渕氏の「平成研究会」会長への就任を不服として、羽田孜元首相らを引き連れて「平成研究会」(旧経世会)から出て、新しい政策研究会として「フォーラム21」という派閥を立ち上げました。
政策としては「日本経済の復興」など法人よりの政策をベースにしており、法人のトップと親交を深め、法人主催に講演会などにも出席しています。
小沢氏は現在、自由党共同代表となっています。
「経世会」議員の犯罪!
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派閥パーティーで挨拶する鈴木宗男氏
無派閥時代が長かった自民党の鈴木宗男氏は、1993年に「経世会」の所属しましたが、2002年に受託収賄罪や政治資金規正法違反の容疑により罪に問われる、いわゆる「鈴木宗男事件」において最高裁に上告しましたが、2010年9月に上告が棄却され、異議申し立ても退けられ実刑が確定し、議員資格を剥奪され、1年間収監されました。
「清和会」、「経世会」それぞれのメンバーの晩年!
出典: https://monotabi.net
「清和会」、「経世会」それぞれのメンバーの議員としての晩年の境遇を比べて見ますと、偶然か謀略か、その境遇に大きな違いが見てとれます。
「清和会」メンバーの晩年!
出典: http://www.kantei.go.jp
親米路線を貫いた「清和会」のメンバーは、一部からは陰で売国政策を推進したと言われていますが、しかしそう言った売国というにイメージに大きく反発するメンバーもいてその払拭に努力してきました。 そして、メンバーの方々の晩年は、ほとんどの方が「安泰」と言って良い境遇で過ごされています。
「清和会」メンバー(敬称略)
「清和会」岸信介: 安泰
「清和会」福田赳夫: 安泰
「清和会」安倍晋太郎: 安泰
「清和会」森 喜朗: 安泰
「清和会」三塚 博: 安泰
「清和会」塩川正十郎: 安泰
「清和会」小泉純一郎: 安泰
「経世会」メンバーの晩年!
出典: http://f-matsumoto.net
一方、「経世会」には日本独立やアジア外交重視のメンバーが多く、必ずしも米国寄りの姿勢を示していない人達でした。
そして、それぞれの晩年が以下の様に、皆似たような不遇な境遇になっているのは、単なる偶然でしょうか?
「経世会」メンバー(敬称略)
「田中派」田中角栄: 逮捕 ロッキード事件
「経世会」竹下登: 辞任 リクルート事件
「経世会」金丸信: 辞任/逮捕 佐川急便法人不正献金
「経世会」小渕恵三:「脳梗塞で急死」
「経世会」鈴木宗男: 逮捕 斡旋収賄
「経世会」橋本龍太郎: 議員辞任 日歯連贈賄事件
「経世会」小沢一郎: 西松建設法人不正献金事件
出典: http://fumoutitai2.seesaa.net
ロッキード事件
「経世会」のメンバーには、東京地検特捜部や国税庁などから、多くの捜査や査察が入りました。
まとめ:「清和会」「経世会」
いかがでしたか?
「清和会」と「経世会」は、戦後の自由民主党を支えてきた2大派閥であり、「清和会」は親米路線を政策として掲げ、その政策は、一部からは売国政策など揶揄されてきました。
一方「経世会」は日本の独立やアジア諸国との融和や友好を主な政策として掲げてきました。
どちらの派閥も、多くの首相を輩出し、戦後の日本の政治を動かしてきた実力派の派閥と言えます。
ただそれぞれの派閥のメンバーの晩年の境遇が大きく違っているのは、単なる偶然でしょうか?
興味が持たれるところです!