2021年07月21日公開
2021年07月21日更新
サティアンとは?10のオウム真理教施設の跡地~上九一色村のその後~
オウム真理教を覚えていますか?当時あれほど話題になったサティアン。そして上九一色村は今どのようになっているのでしょうか。サティアンを知らない人も増えている今。今回は気になるサティアンについてと、上九一色村のその後についてご紹介していきます。
目次
サティアンって?オウム真理教とは
オウム真理教
30歳より上の年齢の人には、「あぁ!」と反応が返ってくることが多い宗教団体の名前。
それがオウム真理教。
カルト宗教として一躍日本中の注目を浴びました。
このオウム真理教。
仏教の教えをもとに宗教活動していたはずですが、いつのころからか、その方向性は違ったものになっていました。いや、もともと教祖の麻原彰晃は最初からそのつもりだったのでしょうか。
このオウム真理教は、日本で初めて化学兵器であるサリンを使用して無差別テロを行ったのです。
平成7年の出来事でした。
このとき、日本はまだ阪神淡路大震災の痛手から回復し切れておらず、まだまだ復興のために皆が頑張っているときだったのです。
そんな大震災のおよそ二か月後に、地下鉄サリン事件は起きました。
犯行を行ったのは、オウム真理教。
宗教団体がテロを行った。
日本が恐怖におののいた年でした。
サティアンを建築させた麻原彰晃という人物
麻原彰晃
麻原彰晃は、本名松本智津夫と言います。
オウム真理教の開祖で教祖。
地下鉄サリン事件のほかにも多くの事件を指示したと言われている人物です。
しかし、地下鉄サリン事件の二日後には、上九一色村にある教団内部への強制捜査が行われました。
このときの捜査では、信者たちは慌てふためかなかった、と言われています。
捜査の様子をビデオ撮影したり、写真に収めたりと、冷静な対応をしていたそうです。
写真を撮るなどの指示をしたのは、信者でもあった弁護士の男。
あらかじめ、訓練をしていたといいます。
捜査されるとわかっていての対応。
いったい、教団の内部ではどのようなことが教えられていたのでしょうか。
サティアンとは?
オウム真理教のニュースが流れるときに、よく「サティアン」という言葉が出てきます。
では、そのサティアンというのは何なのでしょうか。
実は、このサティアンとはGoogle Mapでも話題になったのです。
地図を調べるのに便利なGoogle Map。
そんなGoogle Mapとサティアンとはどのような関係があったのか。
実は、Google Mapを利用した人のイタズラだったようです。
なんとGoogle Mapで地図検索すると、皇居や警視庁に「サティアン」という表記がされているというイタズラが起きました。
Google Mapの地図にイタズラされたのは、ほかにもあります。
出雲大社、大阪城、姫路城の地図上に、Google Map機能を使って「サティアン」と書かれていました。
このGoogle Map機能を使った地図のイタズラはNHKニュースにもなったほど。
Google Mapのイタズラは2015年のことですので、まだ最近ですね。
しかし、Google Mapで地図上にサティアンとは。
オウム真理教の影響が強いことがわかります。
上九一色村にあったサティアン
サティアンとは
そもそもサティアンとは何なのでしょうか。
サティアンとは上九一色村に建築されていた、オウム真理教の宗教施設です。
この上九一色村にあるサティアンで多くの犯罪計画が考えられていたのです。
富士宮市にあったサティアン
第1サティアン
富士山総本部道場と呼ばれる施設のことです。
この富士山総本部道場は1988年に建築されたのだとか。
道場開きのときには、日本全国だけでなくなんと海外からも信者が訪れたのだとか。
道場内部は多くの人であふれかえり、すごい熱気だったのだとか。
まさか、この宗教内部で恐ろしい犯罪が立てられることになるとは、この道場開きに参加していた内部の人間ですら考えなかったかもしれませんね。
第4サティアン
内部には、オウム真理教で郵政省と呼ばれる施設と、漫画やアニメを制作する施設があったようです。
教団内部のアニメーションを作成していたようですが、そんなアニメをどこで流していたのでしょうか。
内部にいる子供たち用でしょうか。
第一上九のサティアン
第2サティアン
写真の女性。
この人は、ダーキニーと呼ばれていた女性の写真です。
この写真の女性は、教祖麻原の愛人だった女性。
この第2サティアンには、愛人や麻原の家族などが住んでいたようです。
さらに、遺体を焼却するための装置なども置かれていたのだとか。
自分たちが住む場所に、殺害した遺体を焼却する装置を置くなんて。
恐ろしいですね。
第3サティアン
作業を行ったり、物置として使われていた部屋です。
いったいどんな作業が行われていたのでしょうか。
第5サティアン
教団の印刷を担当していた場所だったようです。
教団内部に発行するための印刷物でしょうか。
わざわざ印刷のためだけに施設を建築するとは。
それだけの余裕があったのでしょうね。
第二上九のサティアン
第6サティアン
ここには隠し部屋が建築されていました。
この隠し部屋。教祖麻原が逮捕されたときに隠れていた隠し部屋です。
しかし、何を目的として隠し部屋まで建築していたのでしょうか。
逮捕のときを見据えた隠し部屋建築だったのか。
だとすれば、このサティアンを建築するときから、いつか逮捕されるときを覚悟し、隠し部屋を建築していたのかもしれません。
けれど、信者たちに捜査の様子を撮影させたり、写真を撮らせたりと訓練させていたのに、自分は建築させておいた隠し部屋に隠れているとは。
呆れた教祖ですね。
ヴィクトリー棟
地図上で見ると、隠し部屋のあったサティアン近くに建築された施設のようです。
この施設には警備担当の信者たちが多くいたのだとか。
隠し部屋のある施設を守るために建築されたのでしょうか。
地図でみてすぐの場所にあるということは、初めから隠し部屋を守るための建築施設なのかもしれませんね。
第三上九のサティアン
第7サティアン
このサティアだけは、ほかのサティアンが取り壊され、跡地となったあとでも残っていたサティアンです。
なぜなら、このサティアンで滝本サリン事件、松本サリン事件で使用したサリンを作っていたとされているから。
だからこそ、ほかの施設がみんな跡地になったとしても、残されていたのですね。
捜査上の証拠として、跡地にするわけにはいかなかったのかもしれません。
クシティガルバ棟
写真で見ても、なんだか物々しい施設。
この中では、さらに恐ろしいことが行われていました。
化学兵器の製造がおこなわれていたのです。
跡地にされたとしても、土壌汚染など大丈夫だったのでしょうか。
跡地の環境が心配です。
第四上九のサティアン
第8サティアン
パソコンを組み立てる施設だったようです。
当初、上九一色村ではオウム真理教は危険な宗教という感じでとらえられてはいなかったようです。
どんどん建築される教団施設も、パソコンを組み立てて収入を得ている施設というくらいの認識しかなかったのかもしれませんね。
第12サティアン
自動小銃を製造していた工場です。
自動小銃なんて製造して、いったい何をするつもりだったのでしょうか。
第五上九のサティアン
第9サティアン
ここでも、自動小銃が作られていました。
第11サティアン
自動小銃を製造していた工場は全部で3つ。
どれほど武器に重点をおいていたのかがわかります。
写真で見るだけでも、自動小銃というのは戦争で使われそうな武器というのがわかりますよね。
そんなものを、この日本でいったい何に利用しようとしていたのでしょうか。
第六上九のサティアン
第10サティアン
信者たちの生活の場だったようです。
とても生活できる環境には思えませんね。
ジーヴァカ棟
写真は地下鉄サリン事件が起きたときのものです。
このときに使用されたサリンを、この場所で作られていました。
第七上九のサティアン
倉庫群
倉庫群だったようです。
もしかしたらここに、密造した自動小銃などを運んでいたのでしょうか。
富沢町にあったサティアン
富士清流精舎
ここでも自動小銃の密造を行っていたようですが、テレビに違法なことをやっていないというアピールのため、テレビ局の人間をこの場所に案内したこともあったようです。
跡地は公園になっているそうです。
ネガティブなイメージがついた上九一色村
上九一色村にはネガティブなイメージがつきました。
決して上九一色村の人たちが教団に関与していたわけではありません。
しかし、上九一色村とオウムの名前はセットになって、何度も日本中に流れたのです。
施設跡地が残る今もまだ、そのイメージからは脱却されていないようです。
オウム真理教のせいで上九一色村には悪いイメージが
ネガティブなイメージ
一時期は警察関係者、報道陣、野次馬などでごったがえしていた上九一色村。
しかし、騒動が落ち着いたあとは、面白半分の観光客が来る程度だったようです。
どこに行っても上九一色村の名前を出すと、オウムの人間じゃないかという目で見られる。
そんな悪いイメージがついてしまいました。
上九一色村のイメージ回復
上九一色村を明るくするために
富士ガリバー王国
上九一色村は教団跡地近くにガリバー王国を建てました。
けれど、景気のせいでしょうか。
すぐに閉園しています。
上九一色村の今
上九一色村に残るサティアン跡地は?
跡地には
跡地には慰霊碑などが残されています。
そして現在、地図上に上九一色村の名前はありません。
平成の大合併により、上九一色村の名前は消えてしまったのです。
【まとめ】サティアンと上九一色村
いかがでしたか?
今回はオウム真理教の施設サティアンと上九一色村についてご紹介してきました。
日本で最初に化学兵器テロを行った宗教と、巻き込まれた上九一色村。
村は最後までネガティブなイメージがついたままでした。
名前が消えたのは、もしかしたらよかったことなのかもしれませんね。