2021年07月21日公開
2021年07月21日更新
実在した11の首狩り族~なぜ彼らは首狩りをしたのか?~
首狩り族が首狩りを行っていたのには、色々な理由があったんですね。それを野蛮な行為と言えるかどうか難しい所ですが、いくら意味があったからと言っても、死者の冒涜の感じがします。実在した首狩り族は、昔の風習をどう思っているのかが気になります。
目次
インドネシアには、今も首狩り族が実在?!
出典: https://blogs.yahoo.co.jp
インドネシアには、ダヤック族と言う首狩り族が…?
部族その1:インドネシアの首狩り族「ダヤック族」とは?
インドネシアのカリマンタン島には、21世紀の今でも、昔からの伝統を受け継ぐ「ダヤック族」という首狩り族がいます。
インドネシアには、他にも部族は多くいますが、その中でもダヤック族は凶暴と言われていて、幼い頃から戦士として育てられるダヤック族は、未だに首狩りの伝統を受け継いでいると言われます。
またダヤック族では、子供に何らかの障害(ダウン症や無頭児など)が出て産まれた場合には、「悪魔の仕業」と呼び、生きたまま子供を土の中に埋めるなんていう伝統もあります。
ダヤック族は、2001年にも首狩りを実行したとも言われ、首狩り族の伝統は決して消えることはありません。
他にも、わずか一ヶ月の間に、千人以上のマドゥラ族などが首狩り族「ダヤック族」の犠牲になったこともあるそう。
ダヤック族は、その際、犠牲者の首を故意に見せびらかしたり、心臓を食していたりなどしています。
首狩り族の中でも「ダヤック族」は、かなり危険な部族と言えそうです。
ただ、そんな首狩り族のダヤック族の生み出す美術品や工芸品は、世界的に見ても優れているとされ、工芸品の伝統もまた、受け継いでると言います。
ダヤック族は、首狩り族ではありますが、決して無闇に首を狩ったりはしません。
ただ、ダヤック族の伝統として、首狩りの儀式があるというだけなんですね。
以下に、他にも存在していたと言われる、首狩り族を10個ほどご紹介していきます。
ダヤック族のお面
ディズニーシーのアトラクション「タワー・オブ・テラー」に出てくる"呪いの仮面"のモデルにもなったらしい
なんかすごい pic.twitter.com/v4dfPnPkTX
— ソリール (@hudofity) September 4, 2015
首狩りの風習があった部族:その2:マオリ族
出典: https://gorilla.clinic
画像でもわかる刺青
元首狩り族:マオリ族には、刺青の文化もある?!
ポリネシアから移住した民族「マオリ族」は、独自の文化を作りあげた中で、ポリネシアの伝統も受け継いでいった、元首狩り族です。
マオリ族もまた、ダヤック族のように、戦士の育成に力を注ぎました。
マオリ族は、敵を倒した後首狩りをし、頭蓋骨を煙でいぶし、貴重な物として保存していたと言います。
何故、頭部を保存したかと言うと、頭部には入れ墨や顔などの特徴が残ったままになるので、戦利品として保存していたそうです。
今のマオリ族とは違い、昔のマオリ族は、元首狩り&食人の部族として、もしかしたら一番有名な部族かも知れません。
ただ、最近では、マオリ族の象徴でもある刺青のせいで、日本で温泉に入れてもらえなかったということがあったそうです。
人種差別だとの声もあったそうですが、日本に来る以上、文化の違いは認識されるべきだと思います。
日本では、刺青の文化はヤクザなどにありますので、外国人で違う文化を持っていたとしても、他のお客さんの事を考えれば、この処置は仕方なかったと思えます。
マオリ語でKia oraは、こんにちはを意味するんですよ。
— ボーンカービング/マオリ族アクセサリー (@onlineshop_nz) October 13, 2017
首狩りの風習があった部族:その3:スンバ族
出典: http://www.idee-online.com
工芸品も数多くあるそうです。
元首狩り族:スンバ族とは?
インドネシアのスンバ島に住んでいると言われる「スンバ族」は、工芸品や手芸品などの才能にあふれた民族だと言われています。
島の東に住んでいたスンバ族も、西に住んでいたスンバ族もまた、両者とも首狩りの風習がありましたが、両者にはある差があったみたいです。
首狩りをした首を保存する所までは同じですが、インドネシアの東に住んでいるスンバ族は、首を頭部を木に吊り下げますが、インドネシアの西に住んでいるスンバ族は、頭を土に埋めていたという違いがあります。
また、インドネシアに住んでいるスンバ族は、首を家族に返すこともあったそうですが、一族の魔法の儀式に使うため、髪の毛だけは手元に置いていたと言います。
首狩り族の風習は、過去の物ですが、首を儀式の際に使うと言う点は、他の首狩り族とも似ています。
聖なる物として扱ったのか、はたまた悪魔の物として扱ったかは不明ですが、儀式には首が大事な物だったと推測されます。
文化の絣展。草文様の大島、グジャラートのパトラ、そしてやっぱりスンバ族。好きな絣ばかり。
— MITTAN (@mittan) November 4, 2011
首狩りの風習があった部族:その4:スキタイ族
出典: https://blogs.yahoo.co.jp
伝統のある首狩り族らしいです。
元首狩り族:スキタイ族とは?
イラン系ユーラシア人の遊牧民として暮らしていた、元首狩り族のスキタイ族は、クリミアと呼ばれる大国を作り上げた民族でもあります。
馬術に優れており、かのヘロドトスもその勇猛さを褒め称えたと言います。
当時ペルシャの支配者らは、このスキタイ族を何とか征服しようと試みましたが、スキタイ族は、その攻撃を耐え抜き、自分たちの領土を守ります。
馬上からでも弓を射ることが出来たのは、日本の流鏑馬にも似ていると言えますが、一旦仕留めた首については、女子供関係なく首を狩ったと言います。
首狩りをした頭蓋骨などは、コップなどに利用していたと言われており、かなり凶暴な民族であったことが伺えます。
今では、その片鱗を見ることは出来ませんが、画像を見る限りでは、大人しそうな部族にも見えますね。
伝統ある首狩り民族として、スキタイ族もまた有名な首狩り族であると言えます。
スキタイ族には「アンドロギュノス」と呼ばれる人たちがいたという。文字通り男女両性の特徴を具えたものの意味で、ヘロドトスは予言に長じていたと語っている。どうやって調べたのか分からないが、アリストテレスは乳房がそれぞれ男女のそれであったと言っている。これはプリニウスが伝える話。
— 西洋古典叢書編集者 (@Deipnosophistai) June 12, 2017
首狩りの風習があった部族:その5:ワ族
出典: https://ameblo.jp
東南アジアで生活する元首狩り族
元首狩り族:ワ族とは?
ミャンマー東部や中国雲南省で生活しているワ族は、いけにえの儀式を受け継ぐ元首狩り族です。
結婚式や葬式など、いわゆる冠婚葬祭の儀式には、血を供えるのが伝統で、鶏や豚、牛などを狩る風習もまた受け継いでいると言います。
動物だけでなく、人間の首を狩る風習もあったようで、春の豊作祈願のために、首狩りをしていたとされています。
首狩りの理由は、天神と交信するため、霊力を高めるためが一つと、農作物の成長を助けるために、首を狩って供えていたそうです。
木鼓クロックと呼ばれる神聖な楽器が有名ですが、災害・緊急時の伝達の時に使ったり、万物創造の主と崇める「モイック」との交信にも使われていたそうです。
ちなみに、狩られた首は、小屋に捧げられていたそう。
画像は子供ですが、元首狩り族であったとは、にわかに信じられません。
時代が時代なら、この子供達もまた、首狩りを行っていたんですよね。
戦利品としてではなく、豊作祈願のために使うというのは、首狩り族としては珍しかったのかも知れませんね。
当時はミャンマー側にワ族のゲリラ支配地区があってそこで作られるアヘンとヘロイン、ヤーバー(アンフェタミン系麻薬)も瑞麗を通って中国に入ってくるもんで瑞麗を訪ねてくる外国人は玉商人なんてほとんどおらず、大抵はジャンキーだった。
— Siontak (@siontak) July 1, 2017
首狩りの風習があった部族:その6:モンテネグロ人
出典: http://megyoshi.blog.fc2.com
熱心な首狩り族だった?!
元首狩り族:モンテネグロ人とは?
1912年になっても熱心に首狩りをおこなっていたのが、モンテネグロ人と言われています。
首狩りの理由は、犠牲者の魂を自分に乗り移させるためで、髪の毛を編んで持ち運んでいたとされてます。
モンテネグロ人は、ヨーロッパに住んでおり、もっぱら首狩りの相手は、オスマントルコ人だったそうです。
実は、首狩りの対象でもあったオスマントルコにもまた、首狩りの風習があったそうですが、モンテネグロ人に比べると、凶暴さは薄かったようですね。
とは言え、モンテネグロ人自体は好戦的という訳ではなく、どうしても避けられない時だけ戦いました。首狩りも頻繁に行われていた訳ではないようです。
戦利品として首を使っていた所は、他の首狩り族とも似ていますが、凶暴に見えて実は、身を守るため以外には戦いも首狩りも行わなかったそうです。
そう考えると、首狩りは必要最低限でしか行わなかった部族とも言えます。
セルビア人とモンテネグロ人どないして區別されてるのか不思議やったけど(モンテネグロの人口統計にセルビア人の比率が出てたりする)部族で分けてるのかな。
— 非セミ (@real_commons) September 15, 2017
首狩りの風習があった部族:その7: ナガ族
出典: http://chiangmai1989.blog8.fc2.com
ナガ族も有名ですね。
元首狩り族:ナガ族とは?
ナガ族というのは、元首狩り族ですが、インド北東・ミャンマー北西に暮らしている複数の部族のことです。
彼らは共同体を維持しながら暮らし、これらの中でも17の部族が同じ文化を受け継いでいると言います。
ナガ族が首狩りを行うのは、戦利品として使うためで、特にアッサム州に住んでいるナガ族は、その凶暴さから恐れられていたそうです。
アッサム地方のアッサムの名前の由来は、アーホーム語で「無双」の意味があり、猛者で知られるナガ族にはぴったりだったわけですね。
アッサム地方の他にも、元首狩り族は沢山住んでいたそうで、ブラマプトラ川の南部に住んでいた民族は、昔は首狩り族であったと言われています。
アッサムの首狩り族は、敵を倒す時にも特徴があり、名乗りを挙げて敵を倒すのではなく、奇襲を得意としていたそうで、暗闇の中で首を切られるなんて、考えただけでも怖いですね。
取った首の扱いについてはどうしたのか定かではないんですが、戦利品として使う場合、大抵は干し首にしますので、ナガ族もそうであったのでは?と思います。
本来ナガ族は、防衛のために丘の上に集落を築くことはあっても、他の部族とは積極的に交わろうとはしません。
1947年、イギリスによるインド統治体制が終わるまで、ナガ族もまた、統治外とされていたそうです。
ナガ族に受け入れられた唯一の人物は、キリスト教の宣教師だったと言います。
どうやって、ナガ族に信仰を伝えたのか気になる所ですが、ここからも、無暗に敵の首を取っていたわけではないことが伺えますね。
『あまねき調べ』は昨日観た中で一番印象に残っているかも。インドの国境近い山間部に住むナガ族の農耕歌。キリスト教とともにゴスペルに放逐されそうになったが、今も伝統を守っているらしい。とにかくリズミカルで面白い。曲も映画も。
— Tetsuya Shibutani (@Tshibutani) October 9, 2017
首狩りの風習があった部族:その8:秦の兵士
出典: http://www.1999.co.jp
もっとも古い首狩り族かも?
元首狩り族:秦の兵士とは?
もっとも古い首狩り族と言えるのは、秦の兵士ではないかと思います。
三国志などを読んでもわかるのですが、敵の首を狩る行為は、戦利品として当たり前のようなイメージが中国にはありますね。
三国志で、首領の首を干し首にしたり、塩漬けにしたりするシーンでは、流石にぎょっとしましたね。
これを残酷と言うかどうかには、人それぞれだと思いますが、首を戦利品にする行為は、結構昔からあったんだなぁと思いました。
首狩りの古い記録を見ても、秦の時代には、すでに兵士達の間で首狩りは行われていたそう。
何故秦の兵士が首を狩っていたかの理由には、秦の兵士は多くが奴隷で、敵の首を集めた報償として、自由を与えられたからだとも言われています。
首狩りをすることで、味方の士気は上がり、一方敵にとっては、首狩りが恐れられることで、士気を下げる効果もあったそうです。
当時の画像を見ると、昔も今も、案外変わらないのだなぁと感じることも多々あります。
首狩りと戦闘と、どちらがより残酷なのかは、言うまでもないですね。
ものすごい混んでる場所に: 混みすぎだろ!兵馬俑か! (秦始皇帝陵及び兵馬俑坑。6000体以上あり、実在した兵士や馬をかたどった陶器の人形。)
— あ (@UNESCOtsukkomi) October 1, 2017
首狩りの風習があった部族:その9:台湾原住民
出典: http://www.excite.co.jp
台湾に多かった首狩り族
元首狩り族:台湾原住民とは?
元々台湾の原住民は、いくつかの部族に分かれていましたが、その大半が首狩り族だったと言います。
凶暴な原住民と知られていて、外から侵入した部族や時には日本人なども、首狩りの標的になったと言われています。
首を狩る風習は、日本が統治していた時代にも盛んに行われていましたが、1930年代にようやく、政府によって首狩りの風習が禁じられ、首狩りの風習は途絶えました。
禁止されるまでは、葬式、結婚式などの冠婚葬祭の他、誕生日など、何かの祝い事などがあった時に、頻繁に首狩りが行われていたようです。
狩られた首は、煮沸した後乾燥させ、木などに吊るしていたそう。
干し首に似た感じで、というよりは、木に吊るしていたとしたら、自然と干し首になったでしょうね。
首自体も、幸運の象徴とされていて、首狩りを無事に終えた人が帰ってくると、それもまたお祝い事になったそうです。
今では信じられないですが、近くの台湾にも首狩りの風習があったことには驚きですね。
近代スポーツは植民地政策にしばしば利用されます。林によれば、日本占領下の台湾において台湾原住民は野蛮・未開の象徴とされましたが、そのイメージ改善に野球が使われました。つまり、野球が出来る=文明化している=日本人化したと見なされたのです。
— スポーツ人類学bot (@sp_anthropology) October 14, 2017
参考→『スポーツ人類學研究』第13号
首狩りの風習があった部族:その10:ケルト人
出典: http://new22nozawa.cocolog-nifty.com
ハロウィンの発祥で有名ですね。
元首狩り族:ケルト人とは?
ケルト人と言えば、ハロウィンの発祥の民族として有名ですね。
そんなケルト人の宗教がまた独特の民族で、首狩りもまた首狩りの儀式として重要だったそうです。
狩った首は、釘を使って家の壁に打ち付けたり、馬にぶら下げて干し首の状態でも持ち歩いたと言います。
ケルト人は、後にキリスト教に無理やり改宗されますが、首狩りの風習自体は、キリスト教改宗後にも行われていたそうです。
宗教弾圧を受けていながらも行われていた首狩りは、かなり重要な儀式であったことが、ここからも伺い知れますね。
そのうちに、首狩りには宗教的な意味合いは薄れていきますが、余計に戦利品としての価値が上がったと言います。
ちなみに、アイルランドでは、中世末期まで、首狩りの儀式は続いていたそうです。
ハロウィンてのは古代のケルト人が祖霊が帰ってくる時に一緒に悪霊もやって来るので魔除けの仮面やらを装備するってのが元々らしいですけど地獄の釜の蓋が開いて先祖と亡者と餓鬼がやって来るのでももう皆に色々施してあげようぜっていう我が国のお盆とまあ似てますわね
— 幣束 (@goshuinchou) October 11, 2017
首狩りの風習があった部族:その11:ヒバロ族
出典: http://amano-jack.jp
ヒバロ族は、干し首で有名らしいです。
元首狩り族:ヒバロ族とは?
南アメリカの少数民族でもあるヒバロ族は、今はアンデスの東部で暮らしています。
非常に戦闘的な民族で、他者の侵入を許さないことに誇りを持っている民族で、その特徴として、首狩りをした首を干し首にして保管するというのがあります。
知らない人がオレンジだと思って掴んだら、それが干し首だったなんて、笑い話にもならないですね。
部屋に普通に干し首がある感じなんでしょうね。
画像を見るとわかりますが、しっかりと干し首になってますね。
画像だからまだ直視できますが、本物を前にしたら、足がすくみそうなくらい怖い画像です。
敵の首は、頭蓋骨がまず取り除かれ、皮膚に熱い砂をまぶした状態で置いておくと、ちょうど良い干し首になるんだそうです。
これらの干し首は、超人のような力を与えてくれるとされ、復讐の手段としても使われていたみたいです。
今でこそ干し首の風習はありませんが、観光客用に、干し首のレプリカが作られているそうですから、ある意味観光客も怖い思いをしているのでしょうか?
#地球一周するなんて笑
— KINO @ ship1 (@tabibitoKINO) January 29, 2017
ヒバロ族って人間の生首を装飾品にする部族。
まとめ:
狩られた首は画像で見ても実感がわかないかも知れませんが、人間の首が部屋に吊るしてあったりしたら、怖いですよね!
でも首狩り族の風習は伝統的なものですし、部外者がどうこう言う理由は無いかも知れません。
首狩りの風習は、首が戦利品であったり、宗教的な儀式に使われたりしましたが、時代の変遷と共に廃れていき、忘れられた風習や慣習の一つと言えそうですね。
しかし今も首狩り族は存在しているといわれ、どこかの奥地ではまだまだ首狩りが行われているかも知れません。
首狩りを否定するわけではないですが、やはり野蛮な風習だなと思うのは、日本で暮らしているからかも知れませんね。