2021年07月14日公開
2021年07月14日更新
大阪あいりん地区で続く『西成暴動』の歴史と理由とは?【第24次動画付き】
1961年から現在まで続いている西成暴動について、過去の歴史や西成暴動が起きた理由などを詳しくご紹介します。さらに、現在のあいりん地区の情報もあわせてご紹介します。日本で唯一暴動が起きる町として知られるあいりん地区について分かりますので、是非ご一読ください。
目次
『西成暴動』が起きているあいりん地区とは?
出典: http://girlschannel.net
あいりん地区とは旧称釜ヶ崎。大阪市西成区北東部のこと
第2次世界大戦後から続く、通称「ドヤ街」と呼ばれる、路上生活者や日雇い労働者、簡易宿泊所が集まっている地域のことです。
出典: https://www.youtube.com
あいりん地区は日本有数のスラム街として知られています
日雇い労働者や路上生活者であふれているあいりん地区は、日本有数のスラム街として知られ、日本で通用する常識とは違った特殊性のある常識が通る地域です。
出典: https://plaza.rakuten.co.jp
釜ヶ崎解放会館は、一時期4000人以上が住民登録に使っていた所
あいりん地区の日雇い労働者、路上生活者は、住所登録地としてあいりん地区にある釜ヶ崎解放会館を使用していることが多く、一時期は4000人以上が釜ヶ崎解放会館に住所登録をしていました。また、大阪市西成区役所にも実体のない住所登録が黙認されているような地域です。
出典: http://shitte.info
日本で唯一暴動が起きる町
あいりん地区は1961年に起きた「第1次釜ヶ崎暴動」を発端として、現在までに24回の暴動が起きている地域です。あいりん地区で起きた暴動は「西成暴動」と呼ばれ、日本全体に周知されています。
あいりん地区で起きている『西成暴動』とは?
出典: http://showa.mainichi.jp
1961年にはじめて起きた 釜ヶ崎暴動の写真
労働者が車にはねられ死亡した事件で、被害者の遺体をそのままにした状態で現場検証を行なった警察に対し「警察の事故処理がまずい」として、日雇い労働者や失業者が約4,000人集結しパトカーに放火、窓ガラスを割るなどの事件を起こし暴動になりました。
1961年に起きた「第1次釜ヶ崎暴動」事件を発端として、2017年現在までに24回の暴動があいりん地区でおきています。
暴動が起きるごとに数千人の警官が動員されて、地域の住民との間で暴動の鎮圧、放火事件、襲撃事件、略奪事件等の事件の鎮圧が繰り広げられています。
過去に起きた13回の西成暴動事件は1970年代前半に集中していて、日本の新左翼による暴動の扇動などによる暴動事件が主になっています。
平成に入ってからも、3回の西成暴動事件が起きています。最近に起きた第24次『西成暴動』は、日本で起きた暴動として世界中で報道されて、今でもイタリアで報道された西成暴動事件の動画を見ることができます。
あいりん地区で2008年に起きた第24次『西成暴動』とは?
出典: https://ameblo.jp
飲食店店員と日雇い労働者間で起きた支払いトラブルが原因
支払いトラブルが原因で逮捕された日雇い労働者が、警察署内で暴行や恫喝を受けて自供を強制させられたという証言から発展した暴動です。写真のように大変大きな暴動になりました。
出典: https://ameblo.jp
警察官8人、労働者1人が軽いけがを負う結果になり、10人が現行犯逮捕
約300人の住民が空き瓶を投げるなどの騒ぎを起こし、公務執行妨害の容疑で10人が逮捕されました。写真のように地域は混雑し、約250人ほどが西成警察署に詰めかけ抗議する暴動事件に発展しています。
2008年の第24次西成暴動事件は、警察署内で受けた不当な捜査方法が原因となっていますが、この情報をビラに印刷して周囲に撒いたことによって、暴動が斡旋される結果となりました。
釜ヶ崎地域合同労働組合が資金を出して撒いたビラが原因となって起きた暴動は、代表の稲垣浩氏が道路交通法違反で逮捕されることによって急速的に鎮圧化に向かいました。
地域住民の蓄積された鬱憤が原因と言うよりも、暴動斡旋者による暴動と言う色が強い暴動事件です。
あいりん地区で起きた『西成暴動』動画一覧
2008年に大阪市西成区で起きた『西成暴動』第24次暴動の様子を写した動画です。
2008年に大阪市西成区で起きた『西成暴動』は、平成に入ってからも続く日本の暴動事件として世界で報道されました。上記の動画は、イタリアの報道機関が第24次『西成暴動』を報道している動画です。
今でも残っている『西成暴動』の動画として、第22次釜ヶ崎暴動の様子です。警察の不祥事が原因となった暴動でとても大規模、激しい抗争の様子が見て取れます。
あいりん地区で起きている『西成暴動』の理由
出典: http://xn--go-jb4asdqa7zrkmbxkw992bfztashm8g5c.com
日雇い労働者の労働条件は最悪で、暴力団などによる給料ピンはねも日常的
あいりん地区の日雇い労働者の労働条件は良いものではなく、働いて得た給料も職業斡旋者や暴力団によってピンはねされています。そのため、普段からあいりん地区にいる日雇い労働者には鬱憤がたまっていて、些細な事件でも暴動に発展するような精神状態が蔓延しています。
出典: https://ameblo.jp
『西成暴動』とは、警察と日雇い労働者などの住民間の抗争
あいりん地区には路上生活者や日雇い労働者が集い、些細な事件や理由を元に、警察とのいざこざが絶えない地域です。日ごろの鬱憤が爆発するような理由が警察側にあった事件の場合、その理由を元にして周辺住民を巻き込む暴動に発展することがあります。
出典: https://www.mslifer.com
理由① 警察の怠慢による怒り
あいりん地区に住む住民を軽蔑するような警官の態度であったり、警官が通常行なうべき職務を行なってもらえなかったりしたことが原因となり、周辺住民の怒りが爆発して暴動事件に発展するということがあります。
出典: http://matsuho.com
理由② 求人募集がないことへの怒り
求人募集の少ないことが原因で地域住民の怒りが爆発して暴動になったケースがあります。1960年代初期の第2次暴動、第3次暴動や1970年代初期、第9次暴動、第10次暴動やその他、第14次暴動、第19次暴動、第20次暴動などが雇用条件を発端とする暴動です。
出典: http://datoukyoku.blog.jp
理由③ 地域住民との喧嘩
飲食店店員との支払いトラブルや、パチンコ屋店員とのいざこざが発端となって暴動に発展するケースがあります。第4次暴動、第6次暴動、第7次暴動、第8次暴動、第11次暴動、第12次暴動、第17次暴動、第18次暴動、第21次暴動などが地域住民とのトラブルが発展となった暴動のケースです。
出典: http://www.chigai.org
理由④ 新左翼活動家による暴動の扇動
1970年代からは日本の新左翼活動家が『西成暴動』を扇動する流れが多々ありました。第9次暴動、第10次暴動、第13次暴動、第15次暴動などは、新左翼活動家が暴動に介入することによって規模が大きくなった暴動です。
上記のように、『西成暴動』は毎回暴動まで発展する理由が異なっていますが、根底には低い労働条件や日々の鬱憤が貯まっていることが原因になっています。警察の横暴な態度や待遇の不慮などが住民の怒りとなって暴動に発展しています。
あいりん地区で起きた『西成暴動』 大きな話題になった第22次釜ヶ崎暴動とは?
出典: https://japaneseclass.jp
1990年10月2日に起きた第22次暴動の写真
過去に起きた西成暴動で印象的な、第22次暴動の写真です。5日間続いた暴動は、放火、商店を襲撃、略奪等で逮捕者は49人、負傷者は警察官114人を含む144人を出しました。
出典: http://jyouhouya3.net
暴動はあいりん地区外にも広がる
第22次暴動は断続的に続き、やがてはあいりん地区以外でも放火や略奪が起きる結果になりました。
芳賀勉巡査の警察不祥事から発端した第22次釜ヶ崎暴動は、あいりん地区外の周辺の地域にも広がり、放火や略奪が起きました。また、以前の暴動とは違い、暴走族などの不良少年も事件を聞きつけて暴動に参加するなど、大変大規模な暴動に発展しました。
『西成暴動』第22次釜ヶ崎暴動の原因 暴力団と警察との癒着
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暴力団は競馬場のノミ行為を見逃してもらうために芳賀勉巡査に賄賂を
芳賀勉巡査に渡っていた賄賂の総額は合計1,120万円、その他、腕時計、ゴルフ道具など約80万円ほどの物品とされています。
出典: http://www.irasutoya.com
逮捕の際に暴力団員が警察署がつかまらないようにすると約束したと発言
芳賀勉巡査の警察不祥事が発覚した際に、同時につかまった暴力団員が「警察の方が捕まえるようなことはさせぬと約束をしていた、約束にもとずいて金を渡していた、なんで俺を捕まえるのか」と発言しました。このことは、警察署が暴力団の不正行為を見逃しているという事実をあいりん地区の日雇い労働者全体に周知しました。
1990年10月2日に、大阪府警察西成警察署の芳賀勉巡査が暴力団から賄賂を受けとっていた警察不祥事が原因になり、第22次釜ヶ崎暴動が起きました。
なぜ、芳賀勉巡査の警察不祥事が暴動の発端になったかと言うと、芳賀勉巡査に賄賂を渡している暴力団は、あいりん地区を縄張りとしている暴力団で、様々な方法で日雇い労働者からピンはねしている団体です。
あいりん地区で働いている日雇い労働者は、自分たちから摂取されたお金が暴力団から芳賀勉巡査、警察署に渡っていることが許せず、暴動のきっかけとなりました。
その他、暴力団から金をもらって暴力団の犯罪は見逃す体質、その他の日雇い労働者については些細な問題もほじくり帰して攻め立てる体質、暴力団は許して我々は許されないことが不服と言う、心情が暴動のきっかけになりました。
あいりん地区で起きている『西成暴動』の歴史
出典: http://www.sankei.com
1960年代の『西成暴動』は日雇い労働者に対する態度や偏見などが原因
1960年代の初期の西成暴動は、日雇い労働者に対する警察の態度や周辺住民の偏見が原因となり、暴動に発展しています。日雇い労働者は雇用条件の改善や地域店舗のサービス向上などを理由に暴徒化していました。写真は警察署に一斉に押しかける暴徒化した住民の写真です。
出典: https://twitter.com
1970年代には新左翼による暴動の扇動があった
最も西成暴動の回数が多い1970年代には、新左翼思想が関係しています。日雇い労働者の支持を得ようとしていた新左翼団体は、「越年闘争」(仕事がない年末年始の日雇い労働者に年末一時金を支給したり、慈善団体が炊き出しを行なう行為に政治闘争を交えた行為)を開始しました。以後の西成暴動には何らかの形で新左翼団体が関与する形に変わっています。
出典: http://mindful-leadership.jp
1980年代は一切なかった西成暴動が再発したのは、1990年代の警察不祥事が原因
1980年代は一切なかった西成暴動ですが、1990年10月2日に起きた、警察と暴力団の癒着による第22次暴動を発端に暴動が再発しました。1990年代には、第22次暴動の他にも大阪市が行っていた資金貸付が中止されたことに対する第23次暴動がおきています。
あいりん地区(釜ヶ崎)の歴史は、日本の暴動の歴史ともいえます。第二次世界大戦後から続くスラム街では、現在までに24回の暴動が起きています。2000年代に入ってからは、2008年に起きた第24次暴動のみになっていますが、現在の大阪府でも、第25次暴動を恐れ警戒している状態です。
あいりん地区で起きた『西成暴動』と芸能人 宮迫 博之
出典: https://news.biglobe.ne.jp
雨上がり決死隊の宮迫もデビュー当初、西成暴動でボコボコになったことがある
カンテレ(関西テレビ)の「雨上がり食楽部」という番組に出演している宮迫は、デビュー当初「西成暴動」に巻き込まれて、警察官にボコボコにされた過去があると発言しました。
出典: https://gigazine.net
宮迫は通りの向こうにある知人宅に行こうとした
宮迫がバイト仲間の知人宅に行こうとした際に、あいりん地区を歩いていたところ、ちらほら警官の姿が見えた、警官に「ここからは通ったらあかん」と注意されたが、通らなければ知人宅にいけないため、宮迫は警告を無視してこっそりと通ったところ、急に車が炎上したとのこと
出典: http://www.studiomu.org
急におじさんがブワーッと出てきて逃げたらボコボコにされた
身の危険を感じた宮迫は、日雇い労働者側から警察機動隊側に走って逃げたところ、周りからは「兄ちゃん、行けー!!」の掛け声、「違うんです、僕、(暴動側と)違うんです!」との叫びもむなしく、警察官にボッコボッコにされたと宮迫は述べている。
『西成暴動』が起きたあいりん地区の現在
現在のあいりん地区でも、長く続く暴動の歴史を感じられます。警察署や消防署は鉄格子で硬く封鎖されていますし、コンビニの便所には「注射器捨てるな」の張り紙があったりします。
路上に寝ているオッサンもそこらじゅうで見ることができて、路上では盗品が売買されているようです。
出典: http://metascope.seesaa.net
普通のタバコより安い闇タバコや1本売りのタバコなどが販売されている
あいりん地区では、その辺の露天で通常価格より安い闇タバコが簡単に購入できます。なかには、一本売りのタバコや吸殻を集めて再度巻きなおしたようなタバコも販売されているとのこと。やはり現在でも日本の常識が通用しない地域のようです。(写真はイメージです)
出典: http://matometanews.com
一方であいりん地区は外国人のバックパッカーに人気がある
一泊800円などの簡易宿泊所があるあいりん地区は、物価の高い日本に訪れる外国人バックパッカーなどに愛される地区に変わってきています。現在のあいりん地区は外国人の宿泊地域として生まれ変わろうとしている、という情報も複数見受けられます。
まとめ:あいりん地区で起きた『西成暴動』
第二次世界大戦後から続く、日本を代表する「ドヤ街」あいりん地区で起きた、『西成暴動』の歴史と理由をご紹介しました。
西成暴動は、ささいなトラブルをきっかけとして暴動になっているものが多いですが、なかにはシッカリとした理由のある、暴動化する原因となる理由も存在しています。
現在でもあいりん地区では、その他の日本で通用するよな常識は通用しません。そこら中に路上生活者がいて、日々の鬱憤が渦巻いている地域です。
あいりん地区の『西成暴動』の歴史を詳しくお伝えしています。皆様も、日本で唯一暴動が起きる町「あいりん地区」の過去と現在を体感できましたでしょうか?