栃木リンチ殺人事件の概要とその後は?最凶の少年犯罪の真実に迫る!

栃木リンチ殺人事件は4人の少年たちが犯した凶悪な犯罪。被害少年は19歳で無残にも絶命。この事件は凄惨なリンチの実態や、被害者の両親の度重なる捜査依頼を無視し続けた警察の不手際が世間の注目を集めました。こちらの記事では、栃木リンチ殺人事件について述べていきます。

栃木リンチ殺人事件の概要とその後は?最凶の少年犯罪の真実に迫る!のイメージ

目次

  1. 1栃木リンチ殺人事件の概要
  2. 2栃木リンチ殺人事件の詳細
  3. 3栃木リンチ殺人事件はなぜ起こったのか?
  4. 4栃木リンチ殺人事件の犯人たち
  5. 5栃木リンチ殺人事件の被害者
  6. 6栃木リンチ殺人事件での警察の不手際とは?
  7. 7栃木リンチ殺人事件の発覚
  8. 8栃木リンチ殺人事件の判決
  9. 9栃木リンチ殺人事件の犯人の現在
  10. 10栃木リンチ殺人事件の遺族の現在
  11. 11栃木リンチ殺人事件は凶悪な少年犯罪

栃木リンチ殺人事件の概要

※この記事の内容には猟奇的な内容が含まれておりますので、閲覧にはご注意ください。

森

1999年12月、栃木県のある山林で絞殺された男性の遺体が発見されました。見つかった遺体は、表皮の約80%がやけどによって損傷しているというあまりにもむごたらしい姿でした。

警察の捜査の結果、被害者は某自動車会社に勤務していた当時19歳の須藤正和(スドウマサカズ)さんであることが判明しました。4人の犯人のうち3人は須藤さんと同じ年の少年たちでした。犯人たちは、「真面目そうでおとなしそうだったから」という理由だけで須藤さんをターゲットに選び、須藤さんを拉致、監禁し、多額の金銭を奪い、壮絶なリンチを続けて最終的には殺害に及んだという、最凶の少年犯罪事件です。

犯人たちは、逮捕後、彼らの行ったリンチの様子を口々に語り、その実態は裁判やマスコミの報道によって公になりました。判決では3人の犯人達には実刑判決が下され、そして1人は当時まだ16歳だったこと、また彼の自供によって他の犯人達の逮捕に至ったという経緯を鑑み、少年院に送還、保護観察処分となりました。

また須藤さんの両親は、栃木県警が行った怠惰な捜査が事件をここまでに悪化させたとして、栃木県に対して損害賠償を請求する民事訴訟を起こしました。判決では栃木県警の捜査ミスは認めたものの、「殺害を阻止できたとは認められず、究明の可能性は3割程度」だったとして、支払い請求額の1割程度の賠償金の支払いを命じるに留まりました。

栃木リンチ殺人事件の詳細

恐怖

栃木リンチ殺人事件は、犯人達が16歳から19歳という少年たちであったこと、そして被害者の須藤さんの受けたあまりにも残虐なリンチの実態、そして怠慢だった警察の捜査のあり方があまりにも杜撰であったことなどから、世論に衝撃を与えました。

須藤正和さんとこの事件の犯人の一人、梅沢昭博(ウメザワアキヒロ)は中学の同級生で、また某自動車会社で働く同僚でした。当時梅沢は、この事件の主犯の萩原克彦(オギワラカツヒコ)から金を要求され、消費者金融から借金をして萩原に渡していました。再三の萩原の要求に疲弊した梅沢が「もう勘弁してください」と萩原に泣きついたところ、荻原から「金の借りられそうな奴を探してこい」と要求され、梅沢が目をつけたのが同期入社の須藤さんでした。

荻原、梅沢と一緒に須藤さんを殺害した村上博紀(ムラカミヒロキ)も梅沢と同じように萩原に恐喝される日々を送っていました。

しかし梅沢が須藤さんを萩原に紹介したことで、犯人達は一緒に悪行をする仲間へと関係は一転したのです。

犯人達は、およそ2カ月に渡って須藤さんを連れ回し、ホテルなどに監禁、「熱湯コマーシャル」と称して最高温度のシャワーを須藤さんに浴びせ、「火災放射器」と称して殺虫スプレーにライターで火をつけて須藤さんめがけて浴びせかけるなどのリンチを加えました。須藤さんの顔は腫れ上がり、肌は焼けただれていましたが、犯人達は何の治療も施さず、リンチの手を緩めることもありませんでした。

犯人達は、しまいには日常的に行っていた「熱湯コマーシャル」は更に激化し、90℃以上のポットの熱湯を須藤さんに浴びせるようになり、またそれに抵抗する須藤さんを殴り続けるなどの暴行も加えるようになっていきました。

また須藤さんにジュースに精子を混ぜたものを飲むように強要したり、口淫を強要するなど、須藤さんの人としての尊厳までもを脅かすようになりました。

そんな中、警察の不用意な発言で、犯人達は事件発覚を警戒して須藤さんの殺害を決めました。この頃には、当時現役高校生だった16歳の少年がグループに加わり、この少年の証言で須藤さんの遺体が発見されることとなりました。

犯人達は須藤さんをネクタイで絞殺、死体を穴に埋めた後コンクリートを流し込んで遺棄しました。死体遺棄に使ったスコップや砂利、コンクリートなどは須藤さんの最後の給料で購入したと証言しています。

須藤さんの遺体を遺棄した後、犯人達は「追悼花火大会」と称して花火で遊び、当時の殺人罪の公訴時効が15年だったことを受けて「15年間をなんとか逃げ切ろう」とビールで乾杯したといいます。

萩原に至っては、この蛮行の後にガールフレンドを家に招いて両親と食卓を囲んだと言います。少なくともこの荻原という少年には、尊い命を奪ったと言う罪悪感など微塵もなかったことが伺えます。

栃木リンチ殺人事件はなぜ起こったのか?

ATM

「犯行は計画的で凶悪。極めて自己中心的で酌量の余地は全くない」

これは事件の判決を担当した裁判官の言葉です。

犯人達は須藤さんから搾取したお金を全額自分たちの遊興費にあてたそうです。梅沢が主犯の萩原に須藤さんを紹介したその日に、萩原は須藤さんに7万円銀行から引き下ろすように命じ、村上も合流して、犯人達3人、そして無理矢理付き合わされた須藤さんでパチンコ店に行き、その後飲みに出かけ、その夜は同じホテルに宿泊したと言います。

そしてその後、須藤さんは出勤することも、当時須藤さんが暮らしていた社員寮に戻ることも許されませんでした。また犯人達は須藤さんの髪の毛と眉毛を剃り、繰り返し悲惨な暴行を加えるようになりました。

須藤さんは再三、犯人達に強要され消費者金融や友人など、ありとあらゆるところから借金をしていて、その額は1カ月足らずの間に300万円にも及んだそうです。そして後に、さらに消費者金融に借金の申し入れをしたが断られたため、その腹いせに、犯人達は須藤さんにますます凄惨なリンチを加えるようになりました。

栃木リンチ殺人事件の犯人たち

悪魔

このような凶悪犯罪を犯した犯人達は、どのような少年たちだったのでしょう。彼らの生い立ちや世間の評判などを考察します。

萩原克彦

悪いイメージ

萩原は幼稚園の頃から友達に無理やり草を食べさせたり、池に落としたりという悪行の目立つ園児だったそうです。

中学を卒業後、通信制の高校に入学したものの中退。地元の建設会社に入社したものの、早退や無断欠勤を繰り返すという勤務態度で雇用先も解雇を検討するほどだったそうです。

建設会社の仕事がきついとして退職した後は、地元の暴走族の構成員となり、宇都宮市内の暴力団と付き合うようになっていきました。

萩原は1997年に同い年の少年から100万円を脅し取り、傷害と窃盗の罪で検挙されていますが、萩原の父親の取り計らいで被害者との間に示談が成立し、保護観察処分を受けています。

萩原の父親は警察官で、事件が起きた当時は氏家警察署の交通課に勤務していました。次男の克彦が問題を起こすと、父親が相手に謝罪してまわったと言います。母親は克彦が起こしたトラブルが近所に知れ渡っても、一度としてそれを信用せず、息子を信じたそうです。

萩原は、事件の当日他の少年たちとともに殺害現場に向かい、「ちゃちゃっとやってこい」と須藤さんの殺害を指示しました。

萩原は裁判中にリンチの際の被害者の様子を見てどう思ったかという質問に対し、「楽しかった」と発言したり、「彼女と一緒に、須藤くんの分まで長生きしたいです」と発言するなどして、裁判の傍聴者たちを驚愕させました。

梅沢昭博

脅す

中学時代の同級生は梅沢昭博について、「明るくてニコニコしているが、気が強くて喧嘩っ早い」と彼の印象を語っています。

中学でも高校でも先輩にいじめられたり、カツアゲされて現金を脅し取られていたらしく、梅沢はいつしか暴走族に憧れを持つようになり、暴走族の仲間入りをしました。この頃からこの事件の共犯者である村上博紀と行動を共にするようになっていきました。

梅沢は逮捕後、検察官に「(須藤さんは)皮が剥がれてぼろぼろになっていた」「(須藤さんが)どうなってもいいと思った」そして須藤さんを苦しむ姿を見て「面白かった」と証言したと言われています。

村上博紀

過保護

村上は両親と弟の4人家族、そして母方の祖母が同敷地内に暮らしていました。父親は大手製薬会社に勤務していて、母親はピアノ教室を開いていました。村上は全国的に名の知れた高校に進学しましたが、暴走族のメンバーだったことが学校にバレて退学になりました。

そんな息子を立ち直らせたいと、母親は村上に車の免許を取得させ、200万円相当の車も買い与えました。その後村上は警備会社に就職しましたが、入社早々に「家族で海外旅行に行く」として休暇届を提出。表向きには勤務態度が理由とされましたが、実のところはこの一件が引き金となって、村上は解雇されたと言われています。

失業した村上は、萩原の紹介で萩原の当時の勤務先で働くことになりました。しかしそこでの勤務も長くは続かず、退社した後は、萩原と連れ立って土木会社でアルバイトをするようになりました。

村上は「甘やかされたお坊ちゃん」だったといいます。村上もまた、主犯の萩原から暴力団の影をちらつかせながら脅され、消費者金融から借金をして金を萩原に渡していたそうです。村上の母親は裁判でも息子は萩原の指示でグループに入らざるを得ず、リンチにも加担していないと、息子の情状酌量を訴えたといいます。

高校生D

高校生

この事件は、殺害現場にいた東京都港区在住の当時16歳の高校生が自首したことで発覚しました。この高校生Dの供述により、須藤さんの遺体が発見され、犯人らの逮捕に至りました。

当時現役高校生だったこの少年は、都内で萩原らと知り合い行動を共にするようになりました。この少年は梅沢と村上が須藤さん殺害の現場で地面に穴を掘っているのを須藤さんと一緒に車中から見ていたそうですが、しまいには手伝わされたと供述しています。

栃木リンチ殺人事件の被害者

悲しい

被害者の須藤さんは、理髪店を営む両親と3歳年上の姉、そして祖父母と6人で暮らしていました。就職先の某自動車会社の工場は同じ栃木県内でも、須藤さんの実家からはかなり離れていたので社員寮に入寮し、工場ではエンジン部品の製作を担当していたそうです。

須藤さんは両親も心配するほど、おとなしくて優しい性格だったといいます。学生時代はその優しさと冗談を言っては人を笑わせるというその人柄で人気者だったそうです。

須藤さんは、野球が大好きで職場の草野球チームにも所属していたそうです。須藤さんの友人たちが、須藤さんについて「人に頼まれると嫌と言えない性格だった」と証言しているように、気立ての良い、真面目な青年でした。

1999年9月、梅沢の呼び出しに応じた須藤さんは「ヤクザの車にぶつけてしまい修理代を要求されたから金を貸してくれ」という梅沢の嘘を信じ、預金をおろして現金を梅沢に渡しました。須藤さんは困っている梅沢を助けたかったのだろうと友人は言います。そして梅沢はそんな須藤さんを萩原に会わせ、その後2ヶ月半に渡って、萩原を主犯とする犯人たちから監禁され、消費者金融巡り、更には同僚や友人、両親からも借金をするよう須藤さんに強要し、720万円余りを搾取しました。同僚や知人は須藤さんの人柄を信用してお金を貸したと証言しているそうです。

そして須藤さんは監禁され、凄惨なリンチを受けるようになったのです。須藤さんは四六時中監視役に見張られていて、逃げることは叶わなかったといいます。また荻原から「逃げたらお前の家族は皆殺しだ」と脅されていたため、須藤さんは家族を思い、犯人達から逃げ出すことができなかったのではないかと言われています。

殺害実行の当日、萩原に指示された梅沢と村上は、須藤さんの亡骸を埋めるための穴を掘りました。その様を車中で見ていた須藤さんは「生きたまま埋めるのかな、残酷だな」と呟いたと、その場に一緒にいた高校生Dが証言しています。

須藤さんは会社で加入していた生命保険の受取人欄に「未来の妻子」と記していたそうです。須藤さんはどんな未来図を描いていたのでしょうか。

栃木リンチ殺人事件での警察の不手際とは?

警察

栃木リンチ殺人事件では、栃木県警の怠惰な捜査が暴かれ、大きな波紋を呼びました。

須藤さんの両親は、事件発覚までに栃木県警に対し9回もの捜査依頼を行っていますが、県警は捜査を行おうとはしませんでした。捜査怠慢の原因は、主犯の萩原の父親が当時栃木県警にの警部補(2007年に辞職)だったことから、「身内の不祥事を隠蔽しようとしたのではないか」と噂されています。

捜査を依頼した須藤さんの両親に対し、対応した栃木県警石橋警察署(元下野警察署)の担当官は、正和さん本人があたかも悪行をしているかのような発言を繰り返しました。

「お宅の息子さんが悪いんじゃないの」「仲間に金を分け与えて、面白おかしく遊んでいるんだろう」「麻薬でもやっているんじゃないの」

などと言い放ち、全く取り合ってはくれなかったとのことです。

その後、須藤さんの両親は、栃木県警本部をはじめ石橋署以外の3つの警察署に助けを求めましたが、その一切が拒否されました。そこで須藤さんの両親は自力で息子が監禁・暴行されている事実をつかみ、また梅沢と村上の二人がこの事件に関与していることも突き止め、その情報をもとに再度石橋警察署に捜査を依頼しましたが、それでもなお石橋署は全く動こうとはしなかったそうです。

そんな時、須藤さんが犯人らと共に銀行に金をおろしに来た姿が、銀行の防犯ビデオに写っていたことがわかりました。須藤さんの後ろに犯人とおぼしき複数の男達がついていたこと、須藤さんの外見が失踪前とかなり異なっていたことから、銀行の関係者も警察に通報するように須藤さんの両親に勧めました。須藤さんの両親が石橋署に銀行からそのビデオを取り寄せるよう依頼したところ、「裁判所の許可もないのにそんなことできない」と再び須藤さんの両親を突き放しました。

そしてこのやり取りを警察で行っているその時、父親の携帯に須藤さんから金の無心の電話がかかってきました。父親は担当官に事態の深刻さに気づいてもらおうと、「お父さんの友人がいるから」と友人に見立てて、担当官に携帯を渡しました。ところが担当官は「石橋署の警察官だ」と名乗ったために電話は不通となりました。この一言で犯人達は須藤さんの両親が警察に連絡をとっていることに気づき、須藤さんを殺害することを決めたと言われています。

須藤さんの両親の訴えを無視し続けた警察官らは、後に懲戒処分となりました。しかし最も重罰に処されたものでも「停職14日間」という短いものでした。彼らが須藤さんの両親の話をもっと真摯に聞いてくれていたらと、悔やまれてなりません。

栃木リンチ殺人事件の発覚

反省

栃木リンチ殺人事件は、犯人グループに後から入った高校生Dが警視庁三田署に自首したことで発覚しました。

警察がこの事件を「元暴走族のケンカ」と発表したため、全国紙は当初警察報道を鵜呑みにして「暴走族仲間の権力闘争」のように報じ、世論の関心をほとんど引きませんでした。しかし産経新聞の記者が初公判を傍聴し、事件はこれまでの報道とは全く違うことに衝撃を受けて、初めて「リンチ事件」として取り上げ、栃木県警の不手際についても報じ、さらに写真週刊誌「FOCUS」にも同様の内容が報じられたため、他の報道機関でも取り上げられるようになり、ようやく世論にこの事件の真相が明かされました。

栃木リンチ殺人事件の判決

判決

裁判では、自分たちの起こした凄惨な事件の内容を犯人たちが次々に語り、犯人たちには次のような判決が言い渡されました。

萩原(主犯):無期懲役
梅沢:無期懲役
村上:5年から10年の不定期刑
高校生D:少年院送還(自白により情状酌量)

また遺族が栃木県などを相手取って起こした損害賠償訴訟では、栃木県警の捜査ミスは認めたものの、「殺害を阻止できたとは認められず、究明の可能性は3割程度」だったとして、支払い請求額の1割程度の賠償金の支払いを命じるに留まりました。

栃木リンチ殺人事件の犯人の現在

牢屋

犯人達は現在はどのように暮らしているのでしょうか。

萩原(主犯):無期懲役で服役中
梅沢:無期懲役で服役中
村上:5年から10年の不定期刑ーすでに釈放済みではないかという噂
高校生D:少年院送還(自白により情状酌量)ーすでに釈放済みと思われる

賠償金の支払いについては未だ支払われていないのではないかと囁かれています。また荻原の父にいたっては、事もあろうに須藤さんの両親宅に押しかけて値引き交渉をしたと言います。

栃木リンチ殺人事件の遺族の現在

悲しみ

では被害者の須藤さんのご家族は、現在どのように暮らしているのでしょうか。

須藤光男さん:理髪店経営
須藤洋子さん:2002年に脳出血で死亡
須藤さん長女:結婚
須藤さん祖父母:情報なし

須藤さんご夫妻は、2010年に、凶悪な犯罪の犠牲となった息子の思い出と、夫婦二人きりで戦った事件の日々を切々と描いた手記を出版されました。

損害賠償訴訟中には、光男さんは、「いつまで被害者を装って英雄気取りしてるんだ」などと嫌がらせの手紙を受け取ったといいます。

愛する我が子が惨殺されて、英雄気取りなどする親などいるのでしょうか。
 

栃木リンチ殺人事件は凶悪な少年犯罪

祈り

この惨たらしい事件の後も、未成年者による凶悪犯罪のニュースを度々耳にします。
この現実を受けて、18歳と19歳を少年法の保護の対象から外すことが妥当かどうかなどの議論が行われています。

重大な犯罪には厳しい厳罰が必要であることは確かである反面、少年法の保護の対象年齢を単純に引き下げても厳罰化になるとは言えないケースもあり、また18歳や19歳の精神的な成長の度合に個人差が大きいとされているので、法律の理念を踏まえて、事件の重大さや本人達にの成長に応じて様々な対応ができることが必要だと考えられています。
 

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この記事のライター
Hamanasunohana

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