エキスポランド事故の概要と現在!目撃者のその後は?【風神雷神線】
1970年に開催された大阪万博のアミューズメント施設で、「エキスポランド事故」として大きく報道されました。目撃者の証言に数々の噂が流れ、鮮明でない写真が出た事でネット上でも話題になりました。この「エキスポランド事故」は何が原因で起きたのでしょうか。
目次
事故が発生したエキスポランドとは?
当時の大阪市吹田市にあった巨大テーマパーク「エキスポランド」においてテーマパークの中でも上位に入るような痛ましい事故が発生しました。一体何が起こったのでしょう。
エキスポランド事故の概要
2007年5月5日、こどもの日というゴールデンウイークの中で、ジェットコースター「風神雷神Ⅱ」の脱輪によって来園者が亡くなるという事故が起きました。
原因は、風神側の車体とレールを固定している金具が、金属疲労を起こし破損して落下した結果、2両目の片輪が外れ内側に傾いて、1人の女性がメンテナンス作業用の通路の手すりにて頭部を挟まれて亡くなり、21名が負傷しています。
エキスポランドとは
1970年の大阪万博を盛り上げる施設の一つとして作られたのが大型遊園地の「エキスポランド」になります。万博終了後は一時閉園されましたが、2年後の1972年に営業を再開しました。2007年のジェットコースターの事故が起こるまではさまざまなアトラクションで多くの来園者で賑わっていました。
事故後は、客足が減少し企業経営も赤字になり、約16億円の負債を負う事になりました。2008年に民事再生手続きを行うも見通しがつかず、2009年に破産手続きに移行する事になります。
エキスポランドに設置されていた主なアトラクション
エキスポランドを象徴するアトラクションとして全長85メートルで当時では世界最大の観覧車「テクノスター」が知られています。「風神雷神Ⅱ」の事故が起き、他のアトラクションが無くなっていく中、最後まで残りました。
「風神雷神Ⅱ」の他にぶら下がり式ジェットコースターの「オロチ」、「ダイダラザウルス」と呼ばれるジェットコースターで、万博当時は特徴が異なる5つのコースがあったが、万博終了後の再営業の際にはコースに変更され、2000年には1つに統合され当時では最長の全長2,340mのジェットコースターになりました。
他には、遊覧列車の「ピスタライナー」にスクリュー式宙返りジェットコースターの「スペースザラマンダー」、「アラビアンメリー」と呼ばれるメリーゴーランドといったアトラクションがありました。
ジェットコースター【風神雷神Ⅱ】とは
1990年大阪市鶴見区で開催された国際花と緑の博覧会の会場で運行していたスタンディング型ジェットコースターの「風神雷神」がモデルになっています。初代は風神と雷神が別々に稼働し、交互にレールを走るタイプですが、「風神雷神Ⅱ」は1編成のみとなっていました。
全長は985メートルで定員は1両4人乗りで6両編成の為、最大で24人が乗車でき最高時速は毎時75キロで約2分20秒で1周します。
テーマパーク最大の不祥事【エキスポランド事故】
年々、着実に来園者数を伸ばしていたエキスポランドが、なぜこのような大惨事になるような事故を起こしてしまったのでしょうか。要因は何だったのでしょう。
エキスポランド事故の詳細
2007年5月5日12時48分頃に、「風神雷神Ⅱ」の風神の2両目の車体からレールと左の車輪をつなぐ車軸(長さ40センチ)が金属疲労にて折れ、ナットが落下した状態で走行を続けてバランスを失ったときに脱線し、左側のメンテナンス用の従業員通路に倒れました。
倒れた際に2両目左側前方に乗っていた小河原良乃さんが被害を受けました。通路には格子型の手すりが設置されていましたが、左側に倒れた小河原さんはジェットコースターが停止するまで手すりに顔面を何度もぶつけて最後は、手すりと固定していた座席の間に挟まれるような形になっていたという事です。
エキスポランド事故の被害者【小河原良乃さん】
当時、滋賀県東近江市に住んでいた小河原さんは、同じ玩具メーカーに勤めている同僚5人とエキスポランドを訪れており、大人気の「風神雷神Ⅱ」に乗るために順番待ちをしていた。
自分達の順番が来た時に、後方に父親と娘2人の親子3人がいる事に気づき、乗車する車両が分かれる事に気を遣い、親子3人が先頭車両に乗れるように席を譲っています。
エキスポランド事故の負傷者・目撃者
「風神雷神Ⅱ」の事故で、被害者である小河原さんは手すりと車体に挟まれて頭が割れている状態であったとあります。この事故で「風神雷神Ⅱ」に同乗していた人や事故現場や周辺にいた人が、凄惨な事故を目撃した事で気分が悪くなり病院に運ばれました。
事故を目撃し病院に運ばれた人が、その時の状態を受け入れる事ができず、脳の処理能力を超え、恐怖で満たされてしまう事でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になった可能性もあるため、直接関係していなくても負傷者として対応がなされました。
エキスポランド事故の目撃者の証言とその後
実際、その場に居合わせて惨状を目の当たりにした時、どんな衝撃を受けたのでしょうか。そして、どのような報道がされたのでしょうか。
被害者女性の首が切断された?
エキスポランド事故として、当時は多くのメディアがこの事故を報じてきました。目撃した人の中には、被害者である小河原さんの首が切断されていたとか顔がミンチ状になり原型が分からないという噂が広まりました。
また、事故が全国放送されたことでネット上でも被害者の首が切断されたという噂が拡散しました。2ちゃんねるでは、事故現場にいたように振る舞い、デマを流している人もいたようです。そして、フライデーの曖昧な写真が出た事でこの噂が膨れ上がり、独り歩きしていったという情報もあります。
多くの目撃談の中に、「被害者の人の首が切断されていた」や「生首が飛んできた」などの証言がありますが、実際、事故が起きる前に「風神雷神Ⅱ」に乗車していて事故を目撃した男性の話によると、「見るに堪えない凄惨な状態ではあったものの、首は飛んではいない」という証言をしていることから、噂はデマであり、警察からも切断されたという発表はありませんでした。
PTSDを発症した目撃者も
当時、事故現場付近を通りかかった方も損傷した車体と被害者女性の亡くなっている状態を見て、あまりの恐怖でPTSDを発症したのでしょう。
また、救護措置が取られるまで事故現場は多くの人たちの目に入っていたこともあり、自分達の目の前の光景にショックを受け、阿鼻叫喚な状態にあったといえます。その時の記憶がフラッシュバックを起こすことで発症した人もいるとのことです。
エキスポランド事故の原因とは
エキスポランドの人気アトラクション「風神雷神Ⅱ」でなぜあのような大惨事が起きたのでしょうか。そして、何が原因だったのでしょうか。
エキスポランドのずさんな管理体制
ジェットコースター「風神雷神Ⅱ」の事故の検証後に「エキスポランド」のずさんな管理体制が露呈しました。このようなアトラクションは常に風雨にさらされ毎日稼働する為、摩耗が激しく徹底した安全チェックが義務付けられています。
「エキスポランド」では、毎日点検すべき事を忙しさなどを理由に目視のみで行っていたようで、「探傷試験」すら実施されていないと言われています。
いつ事故が起きてもおかしくなかった風神雷神Ⅱ
今回、事故を起こした「風神雷神Ⅱ」車軸は毎日点検すべきところを15年間も行っていなかったのです。
過去に「風神雷神Ⅱ」に乗ったことのある人の証言によると「絶叫マシンではあるが、動きが激しいし、その振動によって安全バーに何度も顔が当たって痛い思いをした。」という事でいつか事故を起こすのではないかと危惧している人もいたようです。
経営難から検査の頻度を減らしていた
エキスポランドは開園当初から徐々に客足を伸ばしていったが、1996年の年間来場者数220万人をピークに減り始め、事故の起こった2007年には100万人まで落ち込んでしまい、赤字経営が続いていたため、支出を減らそうと検査の頻度を減らしていたことがずさんな管理に繋がっていたようです。
事故発生前に起きていた風神雷神Ⅱの異変
事故当日も発生前に乗車していた人や実際、事故車両に乗っていた人も不審な音を聞いたり、いつもとは違う事を身を持って体感した人もいたようです。「以前より横揺れが激しい」や「ガタガタと不自然な振動がする」などといった異変があったといいます。
幸いにも軽傷で済んだ乗客も「風神雷神Ⅱ」が走行中に「コースの中盤あたりから金属を引きずるような音や揺れが激しくなり、一部の部品の破片が飛んでいくのを見た」という証言をしています。
話題性のある絶叫マシンを追い求めた結果
ジェットコースターは、遊園地ではお客さんを多く呼び込むことができる花形のアトラクションです。最初はスリルのあるマシンでも、何回も乗っている内に慣れてきて新しいスリルを要求するようになります。こうなると運営側も合わせてアトラクションを増やしたり、改良する事でお客さんの満足を満たそうとします。
その結果、より長く、より速く、高低差を大きくしたり、乗り方を変えてみたりと試行錯誤した挙句、安全基準ギリギリのマシンが誕生してしまうのです。
その後も事故が多発し閉園へ
エキスポランドは、汚名返上するべく事故当日から約3ヶ月休園し、対策を講じ、2007年8月10日に営業を再開しましたが、追い打ちをかけるかの如く再開当日から小型ジェットコースターの「ワイルドマウス」が、緊急停止するという事故がありました。
さらに、こちらも人気のジェットコースター「オロチ」が、到着の際に停止位置から離れた場所に止まる事故や急流すべりのアトラクションでは、安全ベルトの異常により小学生男児が怪我をする事故も起きました。
このように度重なる事故が発生したため、来園者は急激に減り、再び休園し、再起をかけましたがやがて閉園へと追い込まれていきました。
エキスポランドのその後
「風神雷神Ⅱ」の事故以来、エキスポランドは苦境に立たされ、民事再生法の手続きを断念し、閉園を余儀なくされました。どういった形で跡地利用されたのでしょうか。
農業体験型公園【ファームエキスポ】へ
2007年12月9日に閉園したエキスポランドは、元遊園地の敷地の5分の1を利用した農業体験型公園「ファームエキスポ」として2010年3月下旬から2011年5月15日までの契約で営業を再開しました。
約1年2か月という期間ではありましたが、農業を中心にした施設にしたことで広大な土地を緑いっぱいにし、来園する人に癒しを与えていたようです。
人気複合施設【ららぽーとエキスポシティ】へ
「ファームエキスポ」の契約期限が切れた後、公募によって「三井不動産」が複合型施設「エキスポシティ」としてエキスポランドの跡地を利用することとなりました。
「エキスポシティ」では生きてるミュージアムとして7つのテーマに分かれたそれぞれの感性に触れるという意味の「ニフレル」という施設の他に海外の要素を取り入れたアトラクションやシンボルとして新たに「レッドホースオオサカホイール」という日本一・世界最大級の観覧車がお目見えしました。
利益も高水準を保っており、2018年8月末には来園者数が400万人を突破しています。
エキスポランド事故以外の遊園地の事故
特別、エキスポランドの事故が多いわけではありません。機械的な欠点や人的ミスによって事故が起こる事もあります。ほかにどのような事故があったのでしょうか。
東京ドームシティで発生したアトラクション事故
2011年1月30日に「東京ドームシティ」内にあるジェットコースター「舞姫」で乗客の落下事故が発生しました。当時、34歳の男性がアトラクションを利用中に高さ約7メートル付近から転落し死亡した事故で、安全バーが完全にロックされていない状態で発車し、回転する座席の遠心力に耐え切れず、転落したという内容でした。
以前にもこのジェットコースターでは事故があり、2002年の元日にブレーキ不良による追突や軽傷ではありましたが、部品落下の事故が起きています。現在は撤去され、バイキングゾーンになっています。
東京ディズニーリゾートで発生したアトラクション事故
誰もが知っている夢の国の「東京ディズニーリゾート」ですが、無事故で来ているようではないです。ウエスタンランド内にある「トムソーヤ島」で幼い子供が転落し、頭蓋骨を骨折するという開園して1か月以内の初めての事故になりました。
その他に人気アトラクションの「スペースマウンテン」での部品落下や注文間違いに気づかず部品を使用したり、乗車後に重体になりその後、亡くなるという事故も起こっています。
西武園で発生したアトラクション事故
2018年3月11日16:30頃、西武園ゆうえんちの大観覧車で事故が起きました。内容は小学生男児が乗車したゴンドラの扉が約20メートルの高さを通りかかった時点で自然に20㎝程開いてしまったという事です。
怖かったとは思いますが、男の子は下で待っている家族に連絡をした事で発覚し、自力で扉を閉め、無事降りる事ができました。事故の原因は係員が確認を怠ったことにあります。
軽井沢おもちゃ大国で発生したアトラクション事故
2012年6月17日11時頃、群馬県吾妻郡嬬恋村にある、軽井沢おもちゃ大国の「ドラゴンコースター」という比較的小さいコースターで児童が、落下し負傷する事故が起きました。
原因は余ったシートベルトを持ち上げるとロックが外れるという構造でした。しっかりと締めていてもアトラクションに夢中で無意識に触ってロックが外れ緩み、カーブの遠心力で外へ投げ出されたと考えられます。
ずさんな管理が引き起こした悲惨な事故【エキスポランド事故】
今回の事故は、経営難に苦しんだ「エキスポランド」を運営する人達がお客さんの事よりいかにこの巨大なテーマパークを維持していくかを考えてしまったことが原因の1つにあったように感じます。
事故後の調査でも「風神」だけではなく、色違いで同型車両の「雷神」にも同じような部品の亀裂や金属疲労による破損が確認されています。
人が作ったものだからこそ、しっかりと管理をし、お互いが楽しめるような場所にしていく事が重要になってくるでしょう。