稀代の変態『アルバート・フィッシュ』の性癖&殺人事件まとめ【閲覧注意】

「満月の狂人」や「ブルックリンの吸血鬼」という異名で知られる食人鬼アルバート・フィッシュ。彼が起こした事件について、生い立ちから犯人逮捕、事件の詳細などを詳しく解説していきます。稀代の変態アルバート・フィッシュの全貌を明らかにしたいと思います。

稀代の変態『アルバート・フィッシュ』の性癖&殺人事件まとめ【閲覧注意】のイメージ

目次

  1. 1稀代の変態【アルバート・フィッシュ】が食人鬼と呼ばれた事件とは
  2. 2稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の生い立ち
  3. 3稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の少年期
  4. 4稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の結婚と離婚
  5. 5 稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の自慰行為
  6. 6稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の食人行為
  7. 7稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の同性愛
  8. 8稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の手紙
  9. 9稀代の変態【アルバート・フィッシュ】が逮捕された経緯とは
  10. 10稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の裁判と処刑

稀代の変態【アルバート・フィッシュ】が食人鬼と呼ばれた事件とは

※この記事には猟奇的で衝撃を受ける表現が使われています。閲覧の際は十分お気をつけくださるようお願いいたします。

img src=”murder.jpg” alt=”殺人”/

1934年、被害者となるグレースという少女の母が、ハワードという老人から手紙を受け取ります。その内容とは、1928年にパーティへ連れていくと言って預かった被害者少女を殺害して食べた、というものでした。
これをきっかけにして、事件犯人アルバート・フィッシュが逮捕され、供述により400人以上の子供達が殺害されたことが判明します。犯人アルバート・フィッシュの供述の真偽のほどは定かではありませんが、少なくとも15人は殺害していることは間違いないと言われています。

被害者少女を殺害した犯人アルバート・フィッシュが起こした一連の事件を、彼の生い立ちからサディスティック・マゾヒスティックな性癖や、食人や同性愛についてなどを含めて解説したいと思います。

img src=”mailbox.jpg” alt=”郵便箱”/

稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の生い立ち

アルバート・フィッシュは1870年、アメリカはワシントン州に生を受けました。アルバート・フィッシュの家系は、代々精神疾患の患者が多かったと言います。そのため母親は幻覚を見たり、兄は精神疾患患者、そして叔父までもが躁病だったそうです。

アルバート・フィッシュが生まれたとき、父親は75歳、母親は32歳でしたので、彼が5歳のときには父親は亡くなってしまいました。
父親が亡くなったことにより、アルバート・フィッシュは孤児院に預けられました。孤児院では、鞭による教育が行われており、アルバート・フィッシュは尻を叩かれるたびに勃起し、快感を得たそうです。この孤児院にて、サディスティックでマゾヒスティックな性癖が作られたのではないか、と言われています。

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稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の少年期

アルバート・フィッシュは生き別れた元海軍兵士の兄から、食人の話を聞かされたことがあるそうです。
また、12歳のときには年上の男性と性的関係にあったと言います。男性はアルバート・フィッシュに、サディズムやスカトロジーなどを教え込んだそうです。この男性との性行為は性的虐待に近いものがあったそうですが、アルバート・フィッシュはマゾヒストでしたので、何年もこの男性と性行為に及びました。

この頃から同性愛に目覚めたと言われています。20歳のときには少年を強姦したり、男娼として働いていたりもしていたそうです。

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稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の結婚と離婚

1898年、アルバート・フィッシュ28歳のとき、9歳下の女性と結婚します。6人の子供に恵まれ、幸せな日々を過ごしました。アルバート・フィッシュによる肉体的な虐待はありませんでしたが、彼はたびたび子供たちに自分を叩かせて射精する姿を見せたりしていました。

なお、妻とは後に離婚しています。妻が近所の精神疾患を持つ男性と浮気をし、一度は許したものの、その後も二人はこっそり交際を続けていました。それどころか、妻は男性と共にアルバート・フィッシュの家のものを奪って逃走資金にしてしまったため、アルバート・フィッシュは精神的に追い込まれてしまいました

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稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の自慰行為

アルバート・フィッシュの自慰行為は、自傷行為と言っていいほど自虐的なものでした。
体中、特に性器周辺に針を打つのが好きで、彼の性器に29本もの針が刺さっているレントゲン写真があるそうです。

妻との離婚後から、アルバート・フィッシュの変態的行為が異常になってきました。
前述した自分を叩かせて射精する姿を見せつける行為は、妻との離婚後に行っていたそうです。

アルバート・フィッシュの中には、サディズムとマゾヒズムの両方が強烈に同居しているとは、有名な精神科医の見解です。
針金を深く刺すほうが快感が増すとのことですので、引き抜けないほど深く刺したものが体内に残ったのでしょう。

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稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の食人行為

犯人であるアルバート・フィッシュが食人行為を始めたのも、妻と離婚してからだそうです。23州を、殺人及び食人をしながら渡り歩いたと言われています。

少年たちを食べ物やお金で釣って監禁して、自身の自慰行為と同じように性器周辺に針を刺したり、焼いたりなどをして少年たちに虐待を繰り返しました。
痛みに泣いて苦しむ少年たちに興奮して、射精をしたそうです。最後には少年たちを強姦して、殺害したあとは遺体を食べるという食人行為をしています。

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稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の同性愛

少年たちを殺害し、食人行為をしていた犯人アルバート・フィッシュは、同性愛者と見てよいかと思います。結婚する前は年上の男性と性的関係にありました。また、犯人のアルバート・フィッシュが狙いを定めるのは、常に少年でした。

しかし、同性愛者であろうアルバート・フィッシュが最後の事件の被害者に選んだのは、グレース・バットという少女でした。
きっかけは、グレースの兄が、家計を助けるために出した求職広告でした。犯人のアルバート・フィッシュがその広告を目にし、ハワードという偽名を使って被害者少女の家族へと接触します。

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アルバート・フィッシュは少年たちを殺害するような犯人には見えない容姿をしていたため、高額な給料を提示したことに多少いぶかしんだ被害者少女の家族も、すぐに信用してしまいました。
1928年の6月2日、犯人のアルバート・フィッシュは妹の孫の誕生パーティーへグレースを招待したい、と被害者少女グレースの両親へ打診しました。被害者の少女はそれを喜び、両親も快諾してくれたので、アルバート・フィッシュはグレースを連れ出しました。

そしてそれが、グレースの両親が最後に見た娘の姿となってしまいました。警察に通報したのですが、ハワードは偽名、教えられた住所も存在しない。ですので、結局グレースの行方は全くわからなくなってしまいました。

img src=”girl.jpg” alt=”女の子”/

稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の手紙

被害者少女のグレースが犯人のアルバート・フィッシュによって連れ去られてからも、アルバート・フィッシュは犯行を続けました。被害者少女グレースを殺害後に6度も逮捕されていたのですが、どれも軽犯罪での逮捕でしたので、殺人罪として裁判にかけられることはなく釈放されています。

1933年から34年の間は、犯人アルバート・フィッシュが多くの子供たちを殺害しています。「ブルックリンの吸血鬼」という異名は、この頃につけられたと言われています。
そしてこの1934年11月、被害者少女グレースが行方をくらましてから6年後、バット家に一通の手紙が届きます。

img src=”letter.jpg” alt=”手紙”/


「私は全裸になって、花を摘んで帰ってくるお嬢さんを部屋で待ちました。お嬢さんは全裸の私を見て泣いてママに言いつけると言いましたので、裸にして首を絞めて殺しました。そして肉を細かく刻んで、オーブンで焼いて食べました。その尻の肉はなんと柔らかく、おいしかったことでしょうか。お宅のお嬢さんは食べるととてもおいしいことをご存知でしたか?」

と言った内容でした。詳細に、被害者少女のグレースが9日間かけて、犯人のアルバート・フィッシュによって食べられたことが書かれていました。

そしてまるで善意かのように「安心してください。私はお嬢さんを犯しはしませんでした。お嬢さんは純潔のまま天に召されました」とまで書かれていたのです。
殺害後に6年もたっているので、真実のほどはわかりません。しかし、被害者少女のグレースが殺害されてしまったのは事実です。

img src=”stove.jpg” alt=”ストウブ”/

稀代の変態【アルバート・フィッシュ】が逮捕された経緯とは

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犯人のアルバート・フィッシュが逮捕されたのは、もちろんバット家からの通報でした。消印から、犯人アルバート・フィッシュの出したものと判明しました。

事件の犯人逮捕のため警察がアルバート・フィッシュの自宅を訪れると、犯人は紅茶を飲んでいたそうです。おおよそ殺人を犯すような人物には見えない老年の紳士は、任意同行を求められて素直に従ったフリをし、ほんのわずかに身じろぎをしたように見せました。
そのときの警察官は、さっと身をかわしたそうです。犯人はかみそりで警察官の頚動脈をかき切るつもりだったようで、警察官は身をかわしつつ犯人アルバート・フィッシュを取り押さえてかみそりを取り上げました。

アルバート・フィッシュの自供により、グレースの白骨化した遺体は発見されました。

img src=”skull.jpg” alt=”骨”/

稀代の変態【アルバート・フィッシュ】の裁判と処刑

逮捕された事件の犯人の取調べでは、実に多くの少年少女らが殺害され、食べられてしまったことがわかりました。1927年に殺されてしまった4歳の子供に至っては、生きたまま切り刻まれ、食べられてしまったのだとか。

子供の頃に受けた虐待による心神喪失を訴えましたが、陪審員には精神疾患と認められず、事件の犯人アルバート・フィッシュは有罪となりました。
1936年、殺人と食人の犯人アルバート・フィッシュは、65歳の年齢で電気椅子にて死刑に処されました。最期の食事にはTボーンステーキが出され、犯人のアルバート・フィッシュはこれを完食しました。
 

img src=”stake.jpg” alt=”ステーキ”/

彼の処刑についてはいくつかの逸話があります。

  • 自分の足を縛り付けるのを手伝った
  • 体内にある針のせいで電極がショートしてしまった
  • 体内にある針のせいで多量の電流が流れたために目から青い花火がでた
などです。どれもデマらしいのですが、犯人アルバート・フィッシュは電気椅子にてこの世を去りました。

最期の言葉は「なぜ私はこのようなところにいるのだろう」だったということです。
 

img src=”Punishment.jpg” alt=”処刑”/
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この記事のライター
Neroli
まるでダメなオタクです。最近は子供と一緒にプリキュアにハマっています。

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