白暁燕誘拐殺害事件を徹底解説!売れっ子女優を襲った猟奇事件に迫る!

1997年に起きた白暁燕誘拐殺害事件は、台湾女優白冰冰(パイピンピン)の娘が、原型を留めないほどに陵辱された上に惨殺された事件です。この事件の主犯は三人でしたが、何人もの人物が関わっています。この記事では白暁燕誘拐殺害事件を詳しくご紹介したいと思います。

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目次

  1. 1白暁燕誘拐殺害事件はどんな事件?
  2. 2白暁燕誘拐殺害事件の白暁燕はどんな人物?
  3. 3白暁燕誘拐殺害事件の経緯とは
  4. 4白暁燕誘拐殺害事件の主犯①高天民
  5. 5白暁燕誘拐殺害事件の主犯②陳進興
  6. 6白暁燕誘拐殺害事件の主犯③林春生
  7. 7白暁燕誘拐殺害事件の犯人関連人物
  8. 8白暁燕誘拐殺害事件の真相
  9. 9白暁燕誘拐殺害事件のその後
  10. 10白暁燕誘拐殺害事件で殺害された白暁燕の遺体の噂
  11. 11白暁燕誘拐殺害事件の遺族の現在

白暁燕誘拐殺害事件はどんな事件?

※この記事は大変残虐で猟奇的・暴力的な内容となっておりますので、閲覧の際は十分注意するようお願いいたします。

台湾

白暁燕誘拐殺害事件とは、1997年に台湾の人気女優である白冰冰(パイピンピン)の娘白暁燕が誘拐され、強姦の上殺害されたという凄惨な事件です。被害者の白暁燕は強姦だけでなく、筆舌に尽くしがたい残虐な方法で拷問を加えられていました。

犯人グループは台湾女優の白冰冰(パイピンピン)に身代金を要求し、その受け取りに失敗するやいなや白暁燕を強姦の上殺害しました。そして被害者の白暁燕が生きているように見せかけ、整形や二度の銃撃戦を経て、主犯の高天民と林春生は自殺、陳進興を逮捕という結末を迎えました。

この非常に凄惨な事件は、台湾史上最悪の誘拐殺害事件として、現在も語り継がれています。こちらの記事では、犯人グループの逮捕劇や、台湾女優の白冰冰(パイピンピン)の現在などを含めた、この白暁燕誘拐殺害事件の全貌を明らかにしたいと思います。

女優

白暁燕誘拐殺害事件の白暁燕はどんな人物?

白暁燕は誘拐殺害事件当時、まだ女子高校生でした。父親は日本の漫画家「梶原一騎」、母親は台湾女優の「白冰冰(パイピンピン)」です。梶原一騎といえば、あしたのジョーなどでも有名な漫画家ですが、来日していた白冰冰(パイピンピン)と知り合い、1979年に結婚しました。

しかし、梶原一騎の度重なる暴力により、白暁燕が生まれて一年後の1981年に離婚をし、白冰冰(パイピンピン)は白暁燕を連れて台湾へ帰ります。
 

女優

白暁燕誘拐殺害事件の経緯とは

誘拐から殺害まで

1997年4月14日に事件が始まります。犯人グループの主犯である、高天民、林春生、陳進興は、被害者となる台湾女優白冰冰(パイピンピン)の娘、白暁燕を待ち伏せし誘拐をしました。

登校中の白暁燕を車に無理矢理詰め込み、鼻だけ出して息ができるようにして、顔全体をバンドで覆いました。状況がわからないように、また声を出させないようにしたのだと思われます。

そして白暁燕誘拐殺害事件で使われていたアジトに着くと、被害者である白暁燕の左胸を露出させ、写真を撮影しました。次に白暁燕の小指を切断し、この二つを身代金要求の材料にします。
小指を切断された際に、白暁燕はあまりの痛さに泣いて暴れたそうですが、犯人グループは彼女に暴行を加えて大人しくさせました。そして主犯の三人は一度帰宅し、その日のうちに台湾女優白冰冰(パイピンピン)に電話をして、娘の白暁燕を誘拐したことを伝えました

犯人グループはとある霊園に来るよう指定し、そこへ被害者白暁燕の誘拐時の写真と切断した小指、身代金500万ドル(約5億)を要求したメモを置き、それを警察が発見しました。

切断

4月14日に誘拐された白暁燕ですが、15日から17日までは動きがありませんでした。そして18日から19日にかけて身代金の受け渡しの場所を決めたのですが、犯人グループは姿を現さなかったそうです。なぜなら、台湾で売れっ子である女優の白冰冰(パイピンピン)の娘が誘拐されたというセンセーショナルな出来事を聞きつけ、身代金受け渡しの場所にマスコミが集まってしまったからです。

身代金の受け渡しは失敗しました。このことに激怒した犯人グループは、白暁燕を強姦します。また、更なる暴力を加え、死亡させました。

誘拐殺害事件

二度目の身代金受け渡しの失敗から遺体発見まで

被害者の白暁燕を殺害したあとも、犯人グループは被害者が生きているように見せかけ、二度目の身代金の受け渡し場所を決めますが、二度目も姿を現しませんでした。これが4月23日の出来事です。

その後25日には警察が犯人グループのアジトを突き止め、四人を逮捕しますが、主犯の三人は逮捕できませんでした。そして26日と27日にかけて、女優である白冰冰(パイピンピン)や犯人の身内がテレビで、人質の白暁燕を解放して自首するよう呼びかけ、それが台湾全土で放送されました。

翌28日、残念ながら被害者白暁燕の遺体が発見されました。遺体の状態はあまりにひどく、発見者は最初「豚の死骸」だと思ったくらいだそうです。警察は台湾全土に指名手配をし、犯人グループの逮捕に尽力しました。また、当時の大統領は発見次第問答無用で射殺せよとの命令を出しました。

指名手配

銃撃戦から犯人逮捕と裁判まで

被害者の白暁燕の遺体発見から時は流れ、6月に入ってから犯人達は動き出します。主犯の三人は県議員を誘拐して500万ドルを奪い、8月には会社経営者を誘拐してこちらも身代金を受け取っています。こちらの二人は身代金の受け取り後に無事解放されました。

そして8月19日、主犯の三人が発見され、台北市内でおよそ800人もの警官達と銃撃戦へと発展しました。この銃撃戦で1名が殉職、1名が負傷しています。そして主犯の一人林春生は自殺をします。

台湾ドル

さらに時は流れて10月23日、残った主犯の二人は台北市内の整形外科で整形をし、手術後に口封じのために医師夫妻と関わった看護師を殺害します。なお、看護師は陳進興に強姦されたあとに殺害されています。
11月17日になり、主犯の二人は二度目の銃撃戦を迎え、逃げ切れなかった高天民は所持していた銃で自殺をしました。

翌日の18日、残った陳進興は南アフリカ大使館邸に人質を取って立てこもり、翌19日に裁判で弁護を受ける約束をしたことにより、投降しました。白暁燕誘拐殺害事件より7ヶ月後に、ようやく犯人逮捕となりました。

台湾

白暁燕誘拐殺害事件の主犯①高天民

拳銃自殺をした高天民は、白暁燕誘拐殺害事件当日に、白暁燕を乗せた車を運転していました。台湾マフィアのメンバーだったようで、主犯の中でもリーダー格だったとのことです。

また、整形外科医を脅迫して整形させたのも、口封じのために医師夫妻と看護師を殺害したのも、高天民だったそうです。

マフィア

白暁燕誘拐殺害事件の主犯②陳進興

最後まで生き残り、逮捕されて裁判にかけられた陳進興ですが、白暁燕誘拐殺害事件当日は車に被害者を無理矢理乗せたそうです。また、整形外科医夫妻と看護師殺害の際は、看護師を強姦しています。そして南アフリカ大使館で人質を取って立てこもったあと投降し、逮捕されました。

真偽のほどは定かではありませんが、逃亡中も陳進興は強姦事件を起こしていたそうです。

判決は「誘拐・殺人・強盗で死刑5回、その他強姦を含める暴行罪で懲役合計59年9ヶ月」そして台湾女優の白冰冰(パイピンピン)に対しての損害賠償額は「1億7130万台湾元(約6億3000万円)」という、台湾史上最高額のものとなりました。

1998年10月6日、陳進興の死刑が執行され、陳進興はこの世を去りました。

死刑

白暁燕誘拐殺害事件の主犯③林春生

白暁燕誘拐殺害事件当日、主犯の一人である林春生は陳進興と共に被害者を車に無理矢理乗せたそうです。また、誘拐した白暁燕の小指を切ったのも、この林春生とされています。
最初の警察官たちとの銃撃戦で6発の銃弾を受け、自殺をしました。

銃

白暁燕誘拐殺害事件の犯人関連人物

白暁燕誘拐殺害事件は主犯三人でしたが、他に関わったメンバーが多数います。主犯以外に逮捕された者は、総勢18人いるそうです。
また、主犯の身内なども、白暁燕誘拐殺害事件に関わっていると見られています。主犯たちが台湾全土において指名手配されているにも関わらず、8月に入るまで全く見つからなかったのは、身内が匿っていたからではないかと言われているからです。

なお、6月に入ってからの犯行は、陳進興逮捕後に発覚した事件だそうです。

台湾

白暁燕誘拐殺害事件の真相

白暁燕誘拐殺害事件がなぜ起きたのか、真相の主な説は2つあるそうです。どちらもあくまで推測ですが、ここでご紹介いたします。
 

  • 台湾マフィアの撲滅運動を行っていた白冰冰(パイピンピン)への報復説
  • 白冰冰(パイピンピン)に借金をしていてその返済の催促を疎ましく思った経営者の男からの恨み説

前者は主犯の三人が台湾マフィアのメンバーだったことから推測された説だそうです。後者はどのようにして出た説かはわかりませんが、そのような経営者は存在しないという情報もあります。
主犯のうち二人は自殺し、残る陳進興も多くを語らずに死刑となってしまったようですので、真相は未だ闇の中となっています。

報復

白暁燕誘拐殺害事件のその後

この白暁燕誘拐殺害事件を受け、当時の台湾のマスコミは国民から大変な批判を受けました。というのも、身代金の受け渡しの場は二回も設けられたというのに、二回とも失敗しています。そもそも一度目の身代金受け渡し失敗の時点で白暁燕は殺害されていますが、その失敗も受け渡しの場にマスコミが殺到したことが原因となっているからだそうです。

このような誘拐事件が起きた場合は、報道規制が敷かれます。また、警察も情報が漏れないように厳戒態勢となるのですが、事件発生からすぐにマスコミに情報がリークされています。
各社の報道合戦が台湾の国民を怒らせたのです。

そして白暁燕の遺体が新聞に掲載されたことも大変な問題となりました。この二つのことから、白冰冰(パイピンピン)の自宅近くに「マスコミ有罪」という幕が掲げられたそうです。

マスコミ

白暁燕誘拐殺害事件で殺害された白暁燕の遺体の噂

白暁燕誘拐殺害事件で被害者の白暁燕は暴行を加えられ、非常に残忍な方法で殺害されました。その遺体写真が出回っており、筆者も見たことがあるくらい日本でも有名となっています。
真実のほどはわかりませんが、下記のような状態で発見されたと言われています。かなり衝撃を受ける内容ですので、ご注意ください。
 

  • 肋骨は全て折られて爪も全て剥がされていた
  • 髪の毛はむしられてまばらだった
  • 両耳に爆竹を詰められて爆破された
  • 膣に釘を48本入れられたあと、肛門と膣に鉄パイプを入られた
  • 直腸破裂、膣口破裂、眼球をくり抜かれていた
  • ワイヤーで首を絞められて絶命していた


壮絶な虐待を受けたと思われる状態ですが、遺体がこの状態であったというのはあくまで噂であり、このような事実は確認できないそうです。ただ、遺体はかなりひどい状態であったことは事実だということです。

白暁燕

白暁燕誘拐殺害事件の遺族の現在

白暁燕誘拐殺害事件後、1998年の2月に被害者の遺族である女優の白冰冰(パイピンピン)は手記を出しています。「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」というタイトルで、娘を失った悲しみを語っています。

また、彼女はまた子供をその手に抱きたくなり、人工授精を繰り返して妊娠活動をしますが、残念ながら全て成功せず、最終的にドクターストップがかかったそうです。

そして白冰冰(パイピンピン)は白暁燕誘拐殺害事件後から現在も、死刑存続運動を続けています。そのほか「白暁燕文教基金会」を設立して、死刑存続だけでなく法律制定のための運動を、事件の起きた4月14日に合わせて活動しているそうです。

なお父親である梶原一騎は、白暁燕誘拐殺害事件前の1987年に亡くなっており、この凄惨な事件を知ることはありませんでした。

燕

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この記事のライター
Neroli
まるでダメなオタクです。最近は子供と一緒にプリキュアにハマっています。

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