佐世保事件の概要!犯人・辻菜摘のその後と現在は?

2004年6月1日に小6の女子児童が同じ小6の女子児童の首をカッターで掻き切り殺害した佐世保事件。児童数の多い時間帯に校内で殺人が行われたことで速報が流れた時には日本中が騒然となりました。今回は佐世保事件の概要や加害者と被害者の関係・その後などをお話しします。

佐世保事件の概要!犯人・辻菜摘のその後と現在は?のイメージ

目次

  1. 1佐世保事件とは?辻菜摘が起こした事件の概要
  2. 2佐世保事件の加害者【辻菜摘】とは?
  3. 3佐世保事件の被害者女児御手洗怜美さんについて
  4. 4佐世保事件における【辻菜摘】の犯行
  5. 5佐世保事件における【辻菜摘】が逮捕されるまで
  6. 6佐世保事件における【辻菜摘】の逮捕後
  7. 7佐世保事件の加害者【辻菜摘】の現在
  8. 8佐世保事件の加害者【辻菜摘】の両親の現在
  9. 9佐世保事件の被害女児の遺族の現在
  10. 10佐世保事件の影響

佐世保事件とは?辻菜摘が起こした事件の概要

カッター

※この記事には猟奇的な内容や、画像が含まれていますので閲覧には十分ご注意ください※

佐世保事件とは2004年6月1日に長崎県佐世保市にある佐世保市立大久保小学校で、小学6年生の御手洗怜美さんが同級生の辻菜摘さんにカッターで喉と左手を切りつけられ多量出血により死亡するという、日本中を驚愕させた殺人事件です。被害者である御手洗怜美さんの首の傷は深さ約10cmあり、左手の甲の傷は骨が見えている状態でとても小6の女子児童がやったとは思えない状態でした。このことから辻菜摘さんはサイコパスとも言われています。

この事件はまだ児童数が多い時間帯に校内で行われた殺人事件であり、加害者と被害者が両方とも小6のまだ自我や自己が完全に確立していない女生徒だったことでこの事件が速報で流れたときは日本中が騒然としました。また文部科学省はこの事件の事件名を【長崎県佐世保市女子児童殺害事件】としています。

それではこの佐世保事件の加害者の辻菜摘さんのことや被害者の御手洗怜美さんのこと、この佐世保事件はどうして起きてしまったのか、また被害者家族や辻菜摘さんのその後や現在などを詳しくお話ししていきたいと思います。

屋上の女の霊

佐世保事件の加害者【辻菜摘】とは?

サイコパスと言われている加害者の辻菜摘さんは佐世保事件の当時小6。クラスの子と仲は良かったが些細なことで怒ることも多いし、自己中心的だったため親友と呼べる子はいなかったそうです。5年生の終わりくらいに成績が下がり気味になりずっとやっていたバスケットボールのクラブ活動を母親に辞めさせられ、その後精神的に不安定になり授業に集中できなくなったり居眠りをすることもあったそうです。また他人と会話をする際目を合わせなくなったりそわそわして落ち着かない様子も時折見られ、ちょっとしたことでキレて刃物を振り回したこともあるようです。それまでは自己主張も弱く騒ぎ立てることもなかった辻菜摘さんですが、この頃から自己主張が強くなりクラスの男子を追い掛け回して小突いたり時には罵声を浴びせるなど暴力的になっていたそうです。

体は向こうを向いて顔だけこっちを向いている女性

後述しますがこのクラブ活動を辞めさせられた事によりもともとあり今まで自己制御できていた発達障害の二次障害を発症してしまい、自己制御が出来なくなりサイコパスが起こすような事件を起こしてしまったのではないかと言われています。

同級生の児童に数人のクラスメイトと集団いじめをしたこともあり、小6になってからはしばしば暴力的な表現や行動をするようになってしまったそうですが、一方では遅刻や度重なる休校などはなく授業ではわからないことはわかるまで質問するなどまじめな面も多い生徒でした。

また辻菜摘さんは事件を起こす前より以前からホラー小説の「ボイス」や「バトル・ロワイアル」が大好きでよく読んでいたそうです。殺害方法が「バトル・ロワイアル」に酷似していることから「この数々の猟奇的な小説と些細なきっかけが彼女の今まで眠っていたサイコパスとしての本能を目覚めさせたのではないか」と言われています。

小説

事件を起こす数ヶ月前には同級生に「バトル・ロワイアル」を貸していて、その内容を友達と共有したかったようです。また辻菜摘さんは2003年に日本で公開されたホラー映画の「呪怨」の小説を欲しがっており、父親におねだりしていたそうです。

辻菜摘さんは将来小説家になりたいという夢があり、小6の時に自身でウェブサイトを開設し「バトル・ロワイアル」の同人小説を発表しています。その内容は自身が小6の頃に在籍したクラスの人数と同じ38人がクラス内で殺し合いをするという小6の女子児童が書いたとは思えないような猟奇的な内容で、登場人物のキャラや名前が現実のクラスメイトと似通った点が多い作品となっており被害者の御手洗怜美さんと同姓の人物も登場し、作品内で殺害されていました。なお現在はそのウェブサイトは閉鎖されています。

包丁を隠し持った女

【辻菜摘】の家庭

辻菜摘さんの家族は祖母・父親・母親・姉・辻菜摘さんの5人家族。実家は佐世保市でも山の上のほうに位置し、自然の多い場所にあり学校に登校する際はバスを利用していたそうです。辻菜摘さんの父親は会社勤めをしていました。しかし脳梗塞で倒れしばらく寝たきりとなりますが、その後自宅でリハビリをしながら保険業やおしぼりの配達などをして生計を立てます。母親はそんな父親と生計を支えるために大手ショッピングセンターで仕事をしています。姉は頭の良い生徒が多い商業高校に通う高校生でしたが事件が起こったその後に中退しています。

この手の事件を起こすサイコパスのほとんどは生まれ育った家庭環境が複雑なことや小さな頃から猟奇的だったり自己中心的だったりすることが多いのですが、報道では辻菜摘さんの家庭は至って普通の家庭だったと言われています。

辻菜摘さんの家にはパソコンが3台ありそのうち1台を辻菜摘さん専用として使用しており、バスケットボールを辞め、山の上で暇を持て余した辻菜摘さんはパソコンでR15指定の映画を観たりして時間を潰していました。映画をレンタルする際の会員カードは姉のを使っていたそうです。

パソコン

【辻菜摘】と被害者の関係

加害者の辻菜摘さんと被害者の御手洗怜美さんは同じ学校で小6の時のクラスメイトでした。二人は仲も良く現在は閉鎖されているカフェスタと言うコミュニティーサイトで多い時には日に何時間もチャットしたりお互いの電子掲示板に多い時には日に数回書き込みをしたりする仲でした。またクラスメイト数人と一緒に交換日記をしたりもしていました。仲が良かった二人ですが小6のある日あることをきっかけに二人の中にが出来てしまいます。

休み時間に複数人で遊んでいた時に御手洗怜美さんが辻菜摘さんをおんぶした際「重い!」と発言したのです。辻菜摘さんはそれに怒りを覚え「失礼しちゃうわ!」と言いました。その後御手洗怜美さんが自身のウェブサイトに「言い方がぶりっこだ」と書き込みをしているのを見つけた辻菜摘さんはその後御手洗怜美さんのパスワードでログインし、その書き込みを勝手に削除するという自己中心的な行動を起こします

しかしまたすぐに同じ書き込みがされており、辻菜摘さんは御手洗怜美さんに激しい怒りを覚えます。また御手洗怜美さんは勝手に書き込みを消されたことを掲示板に「荒らしにあったんだ。まぁ大体誰がやってるかわかるけど」と書き込んでおり、それを見た辻菜摘さんは御手洗怜美さんのアバターを削除します。それが事件4日前の出来事で辻菜摘さんはこの時に殺害を計画したそうです。その後ウェブサイトは閉鎖されましたが速報で流出したウェブサイトへの書き込みが現在も流れています。今現在のこの時代、速報でなんでも流出しちゃうから怖いですね。

アバター

また仲の良いクラスメイト数人で交換日記をしていた際、自分が書いて次の人に渡すときに「次は○○ちゃん」と書いて渡していたのですが小6という覚えた英語を使いたい時期だったので辻菜摘さんは日記を次の人に渡す際「NEXT○○ちゃん」と書きました。すると日記内でその「NEXT」が流行りみんな使いだしました。

すると自尊心の強い辻菜摘さんは自分が使いだした「NEXT」を他の人も使いだした事に腹を立て日記内に「NEXTの使用禁止!勝手にパクらないで!」と自己中心的なことを書いたのです。それから日記内で「NEXT」は使われなくなりましたがその日記を見た御手洗怜美さんが「NEXTは元からある英単語で別にあなたが作った訳じゃないんだからみんな使ってもいいと思うしパクリにはならないんじゃない?」と自己中心的な書き込みを否定するようなことを書いたことにより、二人の間に大きな亀裂が出来ていました。その後殺害される数日前に御手洗怜美さんは「日記をやめたい」ともらしていたそうです。

交換日記

ネット上での【辻菜摘】ネバダたん

辻菜摘さんのニュース速報が流れてからすぐに辻菜摘さんはインターネット上で「ネバダたん」と呼ばれもてはやされるようになります。そのきっかけは辻菜摘さんが美少女だったことと、インターネット上の速報ニュースで流れた写真の中で辻菜摘さんが「NEVADA」と書かれたパーカーを着ていたからです。その後カッターを持った血だらけのNEVADAのパーカーを着た辻菜摘さんのイラストまで速報で流れるなどネット上ではちょっとした騒ぎになりました。現在は落ち着いていますが当時はすごい人気だったようです。

この佐世保事件は別名「ネバダ事件」とも言われており、まるでアイドルのようにインターネット上で扱われました。またこの速報ニュースでは海外でも報道され、佐世保事件から3年後にはドイツでニューメタルバンド『NEVADA TAN』が結成されました。しかしこのバンドは数々の誹謗中傷を受けその後すぐに改名しています。この出来事も速報で流れました。

バンドのライブ

佐世保事件の被害者女児御手洗怜美さんについて

被害者の御手洗怜美さんは当時小6の12歳。御手洗怜美さんは明るく活発で笑顔の可愛い少女でした。クラスのリーダー的存在でもあり教師からの信頼もありました。そんな御手洗怜美さんの家族は毎日新聞佐世保支局の支局長をしていた父親と徳島の大学に進学していた兄と当時中3だった兄の4人家族でした。母親は数年前に病死しています。そんな御手洗怜美さんの自宅は毎日新聞佐世保支局の3階にあり、しょっちゅう父親の部下が仕事帰りに訪れては一緒に夕食を食べ、談笑するというアットホームな家庭でした。

御手洗怜美さんはジャガイモが大好きで給食にジャガイモが出ると「私、これさえあれば生きていける」と満面の笑みで言ってはクラスメイトを笑わせるという友達も多い面白い少女でした。

足と顔のない宙に浮いた女

御手洗怜美さんが殺害された日、父親が市役所で記者会見を開きましたがその時間は20時20分でした。これは司法解剖が終わった御手洗怜美さんの遺体が運ばれてくるのをマスコミに嗅ぎ付けられないようにあえてこの時間にしたそうです。またこの時、父親は各マスコミに御手洗怜美さんの写真を手渡しています。

それは報道する際に写真が必要だと今までの経験上知っていたからなのですが、報道する側の人間であれど自分の愛娘が自分とも面識のある友人に惨殺されたばかりなので葛藤もあったようです。しかし今までの立場上自己犠牲を余儀なくされました。あまりにも多いマスコミの数にめまいがしたそうです。この記者会見も速報で報道され、その後御手洗怜美さんは変わり果てた姿となって帰宅しました。

御手洗怜美さんの兄は佐世保事件が起き速報が流れた当時、中学校の授業中でした。後に兄は「授業中に呼び出され相談室に連れて行かれると校長や教頭、複数の教師がいて神妙な顔をしていた。そして座った自分に校長が紙に印刷された速報ニュースを渡してきて、それが自分の妹だというのはすぐにわかった」と語っています。

授業中

佐世保事件における【辻菜摘】の犯行

サイコパスと言われるほどの自己自尊心の高い辻菜摘さんはいったいどのようにして犯行に及んだのでしょうか。日記でもめインターネット上で口論し殺害を決意した辻菜摘さんは3通りの殺害方法を考えます。①紐や手を使い絞殺する ②アイスピックでめった刺しにする ③カッターで喉を掻き切る 最終的には一番最後の方法を選ぶのですがその方法を選んだ理由は、佐世保事件を起こす前日にテレビで放送された『ホステス探偵危機一髪』というドラマでカッターナイフを使い殺害するシーンがあり、そのドラマを見た辻菜摘さんは同じ方法で殺害しようと決めたと後の取調べで語っています。

佐世保事件が起こった当日、辻菜摘さんは給食の準備が始まった児童数の多い時間帯に御手洗怜美さんを学習ルームへ呼び出します。そしてカーテンを閉め椅子に御手洗怜美さんを座らせ後ろから手で目隠しをして一気にカッターナイフで頚動脈を掻き切ります。血が噴き出しその場に倒れた御手洗怜美さんを辻菜摘さんは15分間じっと見つめ爪先で踏みつけたり小突いたりして動かなくなったのを確認してから、血だらけのカッターナイフを握り締め血がついた服装のまま教室へと行きます。

教室に入った辻菜摘さんを見て担任は「どこか怪我したのか?」と聞きますが辻菜摘さんは「私の血じゃない。私じゃない!」と叫び担任を学習ルームへと連れて行きます。そこは一面血の海で変わり果てた姿の御手洗怜美さんが横たわっていました。そして辻菜摘さんは担任に言いました「御手洗怜美さんをたすけて!」と……。

死神

佐世保事件における【辻菜摘】が逮捕されるまで

学習ルームに到着し御手洗怜美さんの姿を見た担任教師はその場で「救急車!」と叫びました。その時学習ルームの近くにいた小3の担任がその叫び声に気付き、慌てて職員室へ行き「怪我をした子がいるようなので救急車を呼んでください」と報告し、12時43分に教頭が「子どもがカッターでちょっと首なんかを切られたようです」と救急へ連絡します。救急隊に状況を聞かれた教頭は「血がどろどろ出ています」と答え救急隊に「まずは止血してください。どうして切ったんですか?」と聞かれ「まだ現在は状況がわかりません」と答えています。

12時46分に救急車が出動しますが教頭は12時50分に再度救急へ到着はまだかと連絡します。その際に「状況をもっと聞かせてください」と言う救急隊に対しただ「危険です」と繰り返し「どの辺を切っていますか」と聞かれたことに「血まみれなのでどこかわかりません」と答えています。

鉈を持った少女

12時51分に救急車が到着し、救急隊員が1階にいた教師数名に「状況を説明できる人は?」と尋ねますが誰もわからず「けが人はどこですか?」と聞かれ一人の教師が「あそこです」と学習ルームのある上を指差しますが「あそこじゃわかりません」と言われ学習ルームまで案内します。しかしその教師は3階にある学習ルームまでは案内せず2階付近で「この上です」と救急隊員に伝え職員室へ戻ってしまいます。

12時52分に救急隊員が学習ルームへ到着しますが御手洗怜美さんの姿を見た救急隊員は「この子はもうすでに息を引き取っている」と確信したそうです。救急隊員が学習ルームにいた教師に「誰か状況を説明できる人はいませんか?」と尋ねると「一人います」と言って事務室へ案内されます。そこには血だらけの辻菜摘さんがいて「私がカッターで切りました」と話し始めたそうです。このとき教師は初めて辻菜摘さんが御手洗怜美さんを切りつけたと知りました。

その後辻菜摘さんは長崎県警佐世保警察署により補導されます。ニュース速報が流れたのはその頃だと思われます。佐世保警察署は同日夕方に児童福祉法に基づき、佐世保児童相談所に通告。佐世保児童相談所の委託により当日は長崎県警が辻菜摘さんの身柄を一時保護します。

御手洗怜美さんの亡骸は長崎大学医学部に送られそこで司法解剖が行われ、死因を首の頚動脈を切られ大量出血したことによる失血死と断定しました。御手洗怜美さんの体からは血液のほとんどが流れ出ていたそうです。また首の傷跡は一箇所だけではなく何回も同じ場所を切られており、司法解剖を行った医師もあまりに多い傷跡に驚いたそうです。

また教師が誰一人として状況を説明出来ず、小6の女子児童に説明させた学校側の対応を不適切だとして批判する声も多いことから、保健福祉部長は「教師も何が起こったのか全くわからない状況でパニック下にあったことを理解して欲しい」と述べています。

手錠

佐世保事件における【辻菜摘】の逮捕後

長崎県警佐世保警察署にて一時保護となった辻菜摘さんは警察署内で被害者の御手洗怜美さんに対し「すまないことをした」「ごめんなさい」と何度も泣きながら繰り返しており反省する様子が伺えるものの、御手洗怜美さんを殺害した動機については話さなかったそうです。

今回の佐世保事件のような犯罪を犯した14歳の未成年(触法少年)は刑事責任を問われないため、補導はされますが逮捕はされない仕組みになっています。そのためこの佐世保事件のような事案が発生した場合は警察はまず児童福祉法に基づき、管轄の児童相談所に通告します。通告を受けた管轄の児童相談所は事件の関係者に話と聞いたり調査をしてその事実を元に訓戒(物事の善悪などを教えたり諭したりして戒めること)か、在宅による指導を行うか、厚生施設への入所措置を決めます。

殺人などの凶悪な事件の場合は家庭裁判所へ送致される場合もあります。今回の佐世保事件の加害者である辻菜摘さんはこれに当たります。家庭裁判所はこれを受けて審判を開始するか開始しないかを決め、審判を開始した場合は事件の内容や加害者の状況を踏まえ保護観察処分か、児童自立支援施設への入所措置や養護施設への送致での保護処分を決定するのです。

ソファーでうずくまる女

佐世保事件が起こった翌日の6月2日、捜査員が辻菜摘さんの自宅を訪問し家族と面談して事情を聞きます。その後佐世保児童相談所は佐世保警察署で佐世保児童相談所の職員が辻菜摘さん本人や家族と面談した内容を確認した上で、辻菜摘さんの処遇を決定するための会議を開始し、午後に長崎家庭裁判所佐世保支部へ送致することを決定しました。このこともニュース速報で流されています。

長崎家庭裁判所佐世保支部は辻菜摘さんと面談をし、質問や受け答えなどにより辻菜摘さんの性格や生活の仕方などを調査し、自己中心的な素振りを見せた辻菜摘さんにとってどの更正方法が一番適しているのかを見極めるために最長4週間少年鑑別所に収容するという観護措置をとりました。辻菜摘さんが今まで育ってきた環境や心理状態を十分に調査した上で審判を開始するかどうかを審議し、翌日の6月3日に2週間の観護措置と審議開始を決定しました。

6月14日、長崎家庭裁判所は第一回目の審判を通常の家庭裁判所ではなく辻菜摘さんが収容されている少年鑑別所で行いました。この審判の中で辻菜摘さんに対して精神鑑定を行うことが決定されました。翌日の15日には当日から8月14日までの61日間にわたり精神の鑑定をするために施設などに留置される「鑑定留置」を決定し、佐賀県の独立行政法人国立病院機構・肥前精神医療センターへ身柄を移されることとなりました。

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8月5日には長崎家庭裁判所佐世保支部が辻菜摘さんの精神鑑定の期間を一ヶ月延長し、9月14日まで鑑定留置することを決定しました。9月6日に中断していた審判が再開され、9月14日に精神鑑定の結果コミュニケーション能力に遅れがある広汎性発達障害(自閉症やアスペルガー症候群などのコミュニケーション能力に遅延があったり社会性に問題のある発達障害の総称)の可能性があるものの、診断基準を満たすまでの顕著な症状は見られずどの精神疾患なのか特定する確定診断には至りませんでした。

9月15日、この精神鑑定の結果を踏まえ、長崎家庭裁判所佐世保支部は「コミュニケーション能力の低さや共感性の乏しさ」を指摘し辻菜摘さんを児童自立支援施設へ2年間送致することを決定しました。

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【辻菜摘】は発達障害だった?

辻菜摘さんは鑑定留置の際に行われた精神鑑定では「広汎性発達障害の可能性はあるが診断基準を満たすまでの顕著な症状は見られない」として診断は下りませんでしたが、後に収容された施設で生活していく中で「アスペルガー症候群」の診断が下りました。

アスペルガー症候群とは知的障害を伴わない自閉症であり、ジェスチャーや表情で表現することが難しく相手の気持ちや雰囲気を察したりすることが困難なためコミュニケーションを計りにくい、学習能力は高いが団体生活が苦手、こだわりが強く自分の中に譲れないルールがある、自分の好きなことに関してはとことん没頭する、自己自尊心が強くプライドが高いなどの特徴があります。

辻菜摘さんのこれまでの生活を見ていると「日記でNEXTを使われて怒った」「バトル・ロワイアルの同人小説をウェブで公開する・殺害方法もバトル・ロワイアルに酷似」などいくつか当てはまる節がありますよね。また辻菜摘さんの父親や母親の話しでは「小さい頃はおとなしく手のかからない子どもだった」とありますが、これもアスペルガー症候群の症例の一つにあります。

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この「こだわり」や「自分ルール」・「コミュニケーション能力」が引き金となり辻菜摘さんはこの事件を起こしてしまったのです。また辻菜摘さんはサイコパスと言われていますが、世界中で凶悪犯罪を起こした殺人犯達も発達障害や精神疾患を患っているサイコパスが多いのも事実です。ただここで注意して頂きたいのは確かにサイコパスには発達障害のある人も多いのですが、発達障害が犯罪に直結するのではなく様々な要因の一つに過ぎないと言うことです。

この佐世保事件の約1年ほど前に起きた事件の加害者が精神鑑定で発達障害と診断されたとニュース速報で流れた際に「発達障害だから事件を起こした」といった誤った情報が流れてしまい、全く無関係の発達障害の人がひどい目に遭ってしまうという悲しい出来事が起こったりしています。

「発達障害の人が事件を起こす」のではなく「事件が起きた様々な要因の中の一つに発達障害の影響もある」と言う事なのです。現在は発達障害に関する情報や知識もだいぶ溢れてきて、理解も深まってきているのでそういった誤った情報は流れないかもしれませんが、当時はあんまりメジャーではなかったのでそういった誤った情報が流れてしまったのでしょう。

インターネット

では辻菜摘さんは何故サイコパスと言われているのでしょうか?それはサイコパスの定義にある「人に対して極端に冷淡・共感が出来ない・自尊心が強く自己中心的」という部分が辻菜摘さんにもあることからではないでしょうか。またその殺害方法の残忍さが世界中でサイコパスが起こした殺人事件の方法と似ていたりサイコパスが好むような方法だったこともあり辻菜摘さんはサイコパスと言われるようになったようです。

サイコパスに関する詳しい記述が筆者が以前執筆した記事に記載されています。その記事のリンクを貼っておきますのでよろしかったらご覧になってみてください。

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【辻菜摘】国立きぬ川学院(児童自立支援施設)へ

9月15日の長崎家庭裁判所の決定を受け、辻菜摘さんは栃木県氏家町(現在はさくら市)にある児童自立支援施設『国立きぬ川学院』に収容されることとなりました。このきぬ川学院は女子専用の行動を強制的に制限することのできる鍵付きの個室がある児童自立支援施設で、集団生活をする寮もあります。定員数は100名で精神科医や専門員が常駐しており個別に指導してコミュニケーション能力や社会性が身につくように支援する施設です。

2006年6月30日、佐世保児童相談所は辻菜摘さんの行動の自由を強制的に制限できる「強制措置」を2006年9月15日から向こう2年間の間に最長で90日延長するよう長崎家庭裁判所佐世保支部に申請し、9月7日に審判を開き通算50日の強制措置の延長を決定しました。

2008年5月28日佐世保児童相談所は辻菜摘さんの更生状況や心身の成長具合などからこれ以上の強制措置は不要と判断し、この先は強制措置は延長しないと決定しました。辻菜摘さんは収容されている間、特に暴れたり問題を起こしたりと言うこともなく集団生活の中で人間関係を築けるよう精神科医による定期的なカウンセリングを受けたりなどの努力をしていました。辻菜摘さんは2008年の3月に国立きぬ川学院内にある中学校を卒業しています。

骸骨と女

佐世保事件の加害者【辻菜摘】の現在

佐世保事件が起こった当時辻菜摘さんはまだあどけなさの残る小6だったため、将来社会復帰する際に阻害されないよう一切の情報は明かされていないのできぬ川学院を卒業して以来、消息が掴めていませんが法務省関係の方と養子縁組をして改名したといわれています。

また現在では結婚しているというお話しもあり、多発性骨髄腫と言う病気になっているとの噂もありますが情報開示がないので真実かどうかはわかりません。たった小6と言う若さで殺人事件を犯してしまった辻菜摘さんがそのままの名前で生きていくのは難しかったのでしょうね。

セピアで目の周りが割れてる女

佐世保事件の加害者【辻菜摘】の両親の現在

佐世保事件が起きた当時、父親は自宅で仕事・母親はショッピングセンターの店員・姉は長崎県立佐世保商業高等学校に通う高校生でした。事件後母親は仕事を辞め姉は高校を中退し、辻菜摘さんが収容されていたきぬ川学院のある栃木県に引っ越したと言われています。

父親は母親と姉が出て行ってからもしばらく自宅にいたようですが、現在は消息不明となっています。父親と母親の婚姻関係は継続しているのかも不明で辻菜摘さんと連絡を取り合ったりしているのかもわかっていません。

包丁を持った手の切り絵

佐世保事件の被害女児の遺族の現在

被害者である御手洗怜美さんさんの父親は事件当時毎日新聞佐世保支局の支局長でした。事件発生の3年前に妻を病気で亡くし、男手一つで育ててきた娘が殺されるなんて夢にも思わなかったでしょう。学校から連絡が入った父親はすぐに学校に駆けつけます。その後すぐに警察が学校に到着し佐世保警察署に移動して被害者聴取を受けます。警察署に行くまでの間に会社に立ち寄り仲間に事件の内容を話し、自分は関係者だから指揮を取れないから応援を呼ぶように部下に伝え警察署へ向かいます。

当時中3だった兄は事件後5時間目の授業中に呼び出され、相談室へ行くと校長と教頭、他に数名の教師がおり神妙な表情で待っていたそうです。不思議に思いながら座ると校長が紙に印刷された速報ニュースを手渡し「これを読んで」と言ってきたそうです。読み進めていくうちに自分の妹が同級生に殺されたとわかり教師に「やったのは誰ですか?」と聞くと「そんなことは考えなくていい」と言われたそうです。

ニュース

それから夕方まで兄は相談室で数名の教師と静かに過ごし、迎えに来た父親を見た瞬間に「この人自殺するんじゃないか」と思ったそうです。それほど父親は憔悴していたのです。兄が「妹が死んだ」と実感したのは司法解剖が終わり棺に入れられ帰宅した遺体を見た時で、その時にはもう御手洗怜美さんには死に化粧が施されており「怜美綺麗だな。でもこの綺麗なままで大きくなってはくれないのか」と思ったそうです。

この頃の兄は「このままじゃ父親も死んでしまう」と思い、妹の死を悲しむ余裕も無くただひたすら父親を支えるのに必死だったそうです。

落ち込む男性

御手洗怜美さんの家族は兄の高校進学と同時に父親の赴任が決まり福岡県へ引っ越します。友達と離れたくなかった兄は福岡に行くことを拒否しますが父親の「自分のために一緒についてきてくれ」と言う言葉に引越すことを決意したそうです。

しかし佐世保を離れ福岡で新聞記者として必死に働き普通の生活を取り戻していく父親に「もう自殺の心配とかはないだろう」と安心した頃、妹の事件を考えたくなくて打ち込んでいた受験勉強も終わり打ち込むことがなくなった兄は自分に目が行くようになり大きな悩みを抱えるようになります。

新聞記者

それは事件前に御手洗怜美さんより辻菜摘さんと日記のことで仲違いをしたことを相談されていたことです。解決する方法を聞かれた兄は「落ち着くまでは日記をやめたほうがいいんじゃないか?」とアドバイスをしたのですが、それ以降御手洗怜美さんから相談を受けることは無かったので仲直りしたと思っていたそうなのですが、あの事件が起きてしまい「自分のアドバイスはあれで良かったのだろうか?」という悩みを抱えるようになり、答えの出せない自問自答で自分を追い詰めてしまいます。

そのうち他の事が考えられなくなり、全く手をつけられないようになり学校へ行っても体調が悪くなり保健室通いになってしまいます。しかし父親に心配をかけたくない兄は打ち明けることが出来ず、出席日数が足りなくなりこのままでは留年になるという学校からの通知で父親はようやく兄の現状を知ることとなりました。

白い顔の女のアップ

その事態を重く見た父親は自分が息子の気持ちに気付いてやれなかったと反省すると同時に息子がカウンセリングを受けると言い出したのでそのための医者を二人で探し始めます。しかし兄は話したいことはあるのにそれをうまく言葉に出来ず、医者もうまく引き出してくれないため結局はこういう事件があったと言うことを話すだけで終わってしまったそうです。

しかし大学2年生のときに佐世保にいた頃によく家に遊びに来ていた記者で事件のルポルタージュの著者の男性が兄に「事件の話を聞かせて欲しい」と訊ねてきたことにより今まで溜め込んできた気持ちを吐き出せるようになったそうです。インタビューを受け、記者がそれを文字に起こしたのを見て初めて「自分はこれを言いたかったんだな」と自分の気持ちが理解できたそうです。

落ち込んでいる女

佐世保事件の影響

この悲惨な佐世保事件の影響は様々なところに現れました。辻菜摘さんが御手洗怜美さんを殺害する前日にテレビドラマの殺害シーンを見て殺害方法を決めたことで、テレビ局はしばらく殺害シーンのあるドラマの放送を自粛し、辻菜摘さんが好きでよく観ていたということから発売予定だった「バトル・ロワイアルⅡ【特別篇】REVENGE」の発売を延期することとなりました。

また学校の教員や関係者、被害者家族にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)や、悲惨な現場を目の当たりにした救急隊員には惨事ストレスの症状が現れるようになりました。

またこの事件と約1年前にある少年が起こした事件の影響を受け、それまでは少年院収容年齢が14歳以上となっていましたが少年法が改正され「おおむね12歳以上」とされました。この「おおむね」というのは12歳より1歳前後の幅があり小5の一部から小6も少年院送致になることとなりました。

黒魔術をする女

筆者が思ったこと

今回は2004年に起きた佐世保事件についてお話ししてきましたがいかがでしたか?筆者はこの速報を見たときに驚きと戸惑いを隠せませんでした。「まさか小学生がそんな方法で人を殺すなんて……。」それが率直な感想です。この事件のみならず犯罪を犯してしまうと被害者だけでなくその家族や加害者の家族にも想像することさえ困難なほどの苦痛を与えてしまうのだな、そして今現在もその傷が癒えることはないのかもしれないと執筆しながら思いました。

御手洗怜美さんの冥福を祈るとともにもう二度とこのような犯罪が起こらないことを筆者は切に願っています。

祈る手

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