なんで?成田空港の「東峰神社」は100%職質されるスポットで有名!
皆さんは成田空港の近くに一つの神社があることをご存知ですか?名前は「東峰神社」と言いその場所や経緯など小さいながらも空港と因縁の深い神社となっています。 今回はそんな「東峰神社」について神社の成り立ちや職質される理由、行き方までチェックしてみたいと思います。
目次
「東峰神社」は100%職質されるって本当?
東峰神社
皆さんは成田空港の中に神社が存在していることをご存知でしょうか?
その神社の名前は「東峰神社」といい、この神社を訪れる人はかならず職務質問を受けるといいます。
ではなぜ東峰神社では職務質問を受けるのでしょうか? そしてなぜ来る人全員を職務質問するのでしょうか?
その理由は東峰神社の成り立ちや成田空港建設時に起きた問題が原因だと言われています。
今回はそんな東峰神社について詳しくご紹介したいと思います。
東峰神社とは
伊藤音次郎氏
東峰神社は成田空港のB滑走路の南側の先端部分に近いところに存在します。しかし、敷地が成田空港なわけではなく、周囲を成田空港の敷地で覆われており、いわゆる飛び地のような状況で存在しています。元々は航空機の設計やパイロットの育成に尽力したことで知られる伊藤音次郎という現在の民間航空のパイオニアが現在の千葉県習志野市に作った伊藤飛行機製作所という工場の敷地内に航空事故などで亡くなった方を祭った神社を作ったことが始まりでした。
「航空神社」から「東峰神社」へ!
その神社は最初「航空神社」という名前で建てられたのですが、戦後になって伊藤音次郎が成田市の東峰という地域に移動し農場の主となったことに合わせてこの神社も移され、場所の名に因んで「東峰神社」という名前に変えられました。
また元の「航空神社」の名前は、今の東峰神社にも記録として残されているそうです。
成田市の東峰という地域は戦後に農地を開拓した土地で、神社が元々なかったこともあり開拓した土地の産土神社となり、東峰地区の住民たちから信仰を集めるようになったそうです。
以前は神社の中に神様が祀られていましたが、現在の神社には、ご神体は祀られていないそうです。
成田空港問題のシンボルとなった東峰神社
成田空港では、東峰神社の他にも、未買収となっている土地がいくつか点々と存在しています。
これらの土地の所有権は、以前成田空港の土地に住んでいた住民たちが共有で所有しているものでしたが、2001年には成田空港を運営している成田国際空港株式会社という会社に所有権が移っています。
そのため、神社を取り壊すこと自体は法律的には可能なのですが、元々この東峰神社は地域住民の信仰を集めていたことに加え、成田空港が建設される際に近隣住民からの反対運動が起こった所謂成田空港問題において住民たちの象徴的な存在であったため取り壊されずに現在も残されているのです。
現在の成田空港のB滑走路は、本来であれば神社を取り壊して滑走路を伸ばす計画があったのだそうですが、成田空港問題により取り壊しを断念し、反対側の北側の滑走路を延長させたのだそうです。
成田空港問題とは
では成田空港問題とはどんな問題だったのでしょうか?
成田空港は1978年に開港されているのですが、この成田空港を建設する計画の中で空港の候補地が出始めた1960年ごろに、開港をすぐにでも始めたい政府側の思惑と、成田空港の建設地となった土地に住む地域住民の考え方が、対立して衝突したことによって、土地の権利を巡って起こった闘争のことを指します。
高度経済成長により新しい空港が必要に
当初、空港の候補地に上がった富里市。
写真はガス供給所
1960年頃、高度経済成長に伴い航空需要が高まったことから羽田空港を拡張する計画が持ち上がりましたが、様々な要因からこれが断念されました。
そして、新しい国際空港の建設の話が持ち上がり、その候補地の調査が始まりました。
候補地として、成田市や千葉県浦安市、冨里市、茨城県の霞ケ浦市なども候補に挙がりましたが、最終的には冨里市に決定されました。
規模縮小に伴い建設地を成田市に変更
写真は成田市役所
しかし新国際空港の建設地として決定された富里市は大きな反対運動を展開、反対運動が長引く中で当時の運輸大臣は水面下で調整を進め、最終的に土地の買収などを容易にできると考えて、規模を大幅に縮小して成田市に建設地を変更され、そのまま閣議決定されました。
しかし成田市においても、もちろん土地や騒音問題で住民が猛反対して、反対運動を展開させました。
新左翼団体の介入
政府はその反対運動に対して、住民に納得のいく説明を行わないまま、機動隊などの力で運動を制圧しようとしたため、運動は更に過激化する事態となりました。
さらに新左翼と呼ばれる政府と対決姿勢を示す団体が「成田空港は新たに日本の軍事基地を作るようなものだ」などとして反対運動を支援することになり、新空港の建設は泥沼化の様相を呈していきました。
成田空港開港後も長引くゲリラ活動
反対運動はさらに激化し、行政執行の際に3人の警察官が殉職する事件も起こりました。
その後も反対派の1名、そして警察官がさらに1名殉職しています。
成田空港の開港直前や開港後にもゲリラ活動は続き、多くの襲撃事件が発生し、警察ではゲリラ対策部隊を立ち上げるまでとなりました。
ようやく終息をみせた成田空港問題
やがてテロやゲリラ活動が長引いていくと反対派の中でも内紛が起こるようになり、始めは同情的だったメディアも反対派を単なるテロリストととして扱うようになりました。
政府としては、新空港を強行で開港させた後も、二期工事を行うこともままならなかったために、遂に当時の内閣総理大臣がそれまでの強硬姿勢を謝罪し、強引に工事を進めることをやめると宣言しました。
これに理解を示した住民が一定数現れ、集団移住に応じたことで政府と住民の和解が成立しました。
成田空港問題反対派の現在
空港反対運動当時
政府側からの謝罪を受け、反対派は次第に運動から離脱の動きを見せ始め、やがて空港の関係者が成田市に住み始め定着が進んだことから、空港との共存が地域で受け入れられるようになりました。
しかし、一部の反対派は騒音問題なども残っていることから、現在でも頑なに反対姿勢を崩していないそうです。
東峰神社が職務質問される理由
東峰神社は、成田空港の中にあり地域住民から信仰されてきた経緯もあって現在でも成田空港問題の反対派のシンボルになっています。
そのため、空港に破壊行為をおこなったり不審人物が近づかないように現在でも東峰神社の周りを警察が巡回して、東峰神社を参拝する人に職務質問をすることになっているそうです。
東峰神社にはどうやって行くの?その行き方!
東峰神社の場所
では次に、現在の東峰神社がどうなっているのか、東峰神社への行き方や本当に職務質問されるのかをチェックしてみましょう。
行き方については、公共交通機関や車での行き方があります。
東峰神社への行き方
東峰神社の行き方は、成田空港からは、便が少ないですが栗源方面へのバスに乗っても行くことができます。
また、歩いて行く方法もあります。
行き方は、まず第二ターミナルからANNビルの案内に従ってゲートをくぐり、国道を通って県道44号を進みます。
東峰トンネルあたりから道がぐねぐねと曲がっています。
これは未買収の土地を避けるために道を作ったためなのだそうです。
東峰神社へ向かう道は厳戒態勢
道を進んでいくと「東峰神社この先行き止まり」という看板があります。
そこから道が一方通行になっており、周りを全て高いフェンスに囲まれた「東峰神社」がポツンと隔離された場所であります。
フェンスの上には監視カメラや人感センサーがいくつも設置されており、機密施設並みの厳戒態勢が敷かれています。
東峰神社内も監視されている
東峰神社の境内の周りも高いフェンスで覆われています。
更に、フェンスの所々がメッシュのような素材になっており、中から境内にいる人物が監視できるようになっています。
神社の境内には、時々飛行機が轟音を立てて真上を飛んでいったり、狛犬などはあるのですが、お賽銭箱のようなものもなく、ご神体も祀られていないため寂しい作りになっています。
東峰神社で職務質問をされると
※写真はイメージです
現在では職務質問されることは少なくなったそうなのですが、それでも神社に行くと、職務質問されることもあるらしいです。
車で2名の警察官がやってきて身分証明書の掲示を求められるそうです。
警察官は「東峰神社は過激派がよく来るので、空港側の警備で監視していて人が来ると通報が入り、一応身分証明の照会をしなければいけないことになっている」と説明するようです。
東峰神社に行く場合には、何かしらの身分証明書を持参していった方が良さそうです。
まとめ:東峰神社は深い因縁のある神社
成田空港の敷地の近くに存在する異様な雰囲気の神社、「東峰神社」は調べてみると成田空港の建設に関わるとても因縁の深い神社であることが分かりましたね。
成田空港の建設問題では政府の強硬姿勢により複数人の命が奪われています。
また、反対派は現在ではほとんどいなくなってはいますが、まだ一部の過激派が残っていることを考えれば、成田空港の建設問題のシンボルとなっていた東峰神社が、ある程度の警備態勢を取られるのも無理もないのかもしれません。
皆さんも、もし東峰神社に行く際には、身分証などを忘れないようにしてください。