ソ連が侵攻したアフガニスタン紛争って?気になる結果と現在
1979年で起こったソ連によるアフガニスタン侵攻、このアフガニスタン侵攻はなぜ起こってしまったのか?その原因となった歴史の背景には当時冷戦状態だったアメリカが関係していた?当時の紛争によって起こった現在の内戦や子供たちの問題、その解決策についてご紹介します!
目次
アフガニスタン侵攻はなぜ起こったのか?
1970年に起こった紛争、ソ連によるアフガニスタン侵攻はなぜ起こってしまったのでしょうか?その原因はソ連とアメリカの冷戦という歴史的背景が存在していました。また、このソ連によるアフガニスタン侵攻はその後アフガニスタンでの内戦を巻き起こし現在もなお多くの死者を生み出し子供たちに深刻な問題を起こしています。今回はソ連によるアフガニスタン侵攻が起こった原因となった歴史的な背景から、現在の内戦の様子や子供たちに起こっている問題とそれらの解決策についてご紹介していきたいと思います。
アフガニスタン侵攻とは
アフガニスタン侵攻とは、1970年に当時のソ連がアフガニスタン内のソ連に近い社会主義的政権を支援してソ連の軍隊をアフガニスタンに送ったことで起こった紛争を指します。ソ連軍はアフガニスタン内のイスラム系のゲリラ軍隊に苦しめられ、紛争は結果的に10年以上に及ぶほど泥沼と化し、ソ連軍は撤退を余儀なくされました。そして、このアフガニスタン侵攻の紛争が結果としてソ連の崩壊やアメリカの9.11テロ事件を招くことになりました。
そもそもアフガニスタンってどこ?
アフガニスタンとは日本や中国よりも西に位置している中央アジアの国の一つです。因みに「スタン」とついている国が多いのは、「スタン」という言葉に「国や地域」という意味があるからだそうです。アフガニスタンの歴史について軽くご紹介します。
アフガニスタンの歴史はまず、1919年にイギリスからの独立で始まります。その後王政による政治を1973年まで行っていましたが、革命が起こり共和国となります。この時初めての大統領が誕生しますが、その後の政党同士の衝突により歴史上でもう一度革命が起き、大統領は殺害されてしまいました。その後人民民主党が政権を握り、タラキーという人物が指導者となりましたが、タラキーが急死してしまいます。そして今回の歴史的な紛争となったアフガニスタン侵攻の原因となったアミーンという人物がトップに立つこととなりました。
なぜソ連はアフガニスタン侵攻を行ったのか?
その当時ソ連はアメリカと冷戦状態にありました。しかし、経済的な理由でソ連アメリカ共に軍事力が低下しており、デタントと呼ばれる冷戦の緊張が緩和された状態で様々な条約や協定が結ばれていました。そんな状態でなぜソ連は再びアメリカとの緊張を高めるようなアフガニスタン侵攻を行ってしまったのでしょうか?これにはソ連側の二つの理由が考えられると言います。
アフガニスタン侵攻理由①:共産政権の維持
その当時アメリカはイラン革命によりイランに干渉することができなくなっており、他の中央アジアの国で干渉できそうな国を探していました。その当時アフガニスタンの政権を取っていたのが、先ほども話したアミーンという人物でした。
アミーンは、昔アメリカに留学した経験を持ち、アメリカの要人の連絡先を持ち歩いているという噂もありました。さらにアミーンはそれまで友好的な関係にあったソ連と距離を置くような行動を見せ始めました。アフガニスタンという国は、実は軍事的にソ連にとって重要な場所であり、そのアフガニスタンがアメリカと友好的な関係を結ばれてしまうと、ソ連は危機的な状況に陥ってしまいます。そのため、ソ連はアミーンに政権を委ねることに危機意識を持ち、ソ連に近い人物に政権を与えるために、結果としてアフガニスタン侵攻を実行してしまいました。
アフガニスタン侵攻理由②:イスラム民族運動の抑圧
当時中央アジアはソ連が社会主義国として政権を握っていました。しかし、元々中央アジアはイスラム教徒系の民族が多く存在しており、アフガニスタン内でもイスラム教徒は多く存在しました。しかしアフガニスタンも当時はソ連から干渉され社会主義国であったために、宗教に対して厳しい制限を設けていました。もちろんイスラム教徒はこれに強い不満感を示していました。
加えて隣国であるイランではイラン革命が起こり、イスラム教を根底とした政権が誕生していました。そのため、このままアフガニスタンでもイスラム教の政権が生まれてしまうとその運動に触発されてソ連内に存在しているイスラム系の民族が独立運動を起こす恐れがありました。そのため、ソ連はアフガニスタン内で起こっているイスラム民族運動を抑圧する必要があったのです。
アフガニスタン侵攻に対するムスリムのゲリラ組織の結成
ソ連がアフガニスタン侵攻を開始し、紛争が開始されるとソ連に抵抗するべくアフガニスタンのみならずイスラム教を信仰するアラブ人によってゲリラ組織が結成されました。イスラム教徒にとってこの戦いはジハード(聖戦)と呼ばれ自分たちをムジャーヒディーン(聖戦士)と呼んでいました。
アフガニスタン侵攻に対するアメリカなどの支援
自分たちの闘いを聖戦として戦っていたムジャーヒディーンは、結果的にソ連を10年もの間苦しめ、撤退させることに成功しました。しかし、この戦果はムジャーヒディーンたちだけで成功したわけではありませんでした。結果的にソ連を撤退させた原因はゲリラ組織に対するアメリカ、パキスタン、サウジアラビアからの支援にありました。
アメリカは先ほど述べたように当時イラク革命によりイラクに干渉することができなくなっていました。そのため、ソ連が東アジアや中央アジアで権力が拡大するのを防ぎ、さらに石油の輸出を円滑に行うため、アメリカはゲリラ組織に支援を行わなければいけませんでした。これによりソ連とアメリカは新冷戦という新しい対立関係となりました。
アフガニスタン侵攻の失敗と撤退
結果的にソ連はイスラムのゲリラ組織の強い抵抗により駐留が予想よりも長引き、多くの死者を出したこと財政支出がひっ迫したことなどでソ連軍は撤退を余儀なくされました。アフガニスタン侵攻によりソ連側で出た死者は1万4000人を超えています。ソ連が崩壊したのはこの二年後です。
ゲリラ組織側でも多くの犠牲者を出したアフガニスタン侵攻でしたが、支援を行ったアメリカは結果的にイスラムゲリラ組織から反感を買うこととなってしまい、これらが9.11の原因の一つになったとされています。
アフガニスタン侵攻後のアフガニスタン
アフガニスタン侵攻でソ連を苦しめ、撤退にまで追い込んだムジャーヒディーンは、カブールのナジブラ政権(ソ連に近い共産主義の政権)の打倒に成功しました。しかしその後今度はムジャーヒディーン同士で覇権を巡って争いとなり、国の全土を巻き込んだ内戦へと悪化しさらに多くの避難者や死者を出す事態になってしまいました。
その避難者や死者を多く出した内戦の中で94年にはタリバーンが勢力を増し、ムジャーヒディーン各派の中でも主流の派閥となり国土の95%を掌握するまでとなりました。その後タリバーンはイスラム政権の樹立を求めて政府承認を国際社会に求めましたが、認めた国はごくわずかであり、現在も内戦は続いている状況です。
現在のアフガニスタンで起こっている問題
アフガニスタンの子供たち
20年にも及ぶ紛争や内戦が続いている現在のアフガニスタンでは、アフガニスタン侵攻や内戦を原因とした多くの問題が発生しています。特にその影響を受けているのがアフガニスタンに住む子供たちです。現在のアフガニスタンでは内戦によって今も多くの兵士の死者が出ていますが、それ以上に女性や子供の死者が多く発生しています。
現在のアフガニスタンにいる子供たちの約50%が栄養不良と言われ、栄養不良の子供たちがはしかや麻疹にかかって亡くなっているそうです。アフガニスタンの子供はアフリカの子供たちの様に骨が見えるような命の危険のあるやせ方ではなく、慢性的に栄養が足りていないために、発育が悪く見た目が年齢よりも幼く見えるのだそうです。
アフガニスタンで起こっている問題の解決策は?
その他にも現在のアフガニスタンは治安の悪化や食料不足、人権問題、アフガニスタン全土に埋められている対人地雷、300万人に及ぶ避難民および国内避難民など問題が山積しています。ではこの問題の解決策とはどのようなものなのでしょうか?
難民の支援を行っている国連UNHCR協会は、アフガニスタンの問題の解決策として「恒久的で長期的な難民、特に若者が帰還できるような枠組み作りと、アフガニスタン内で持続可能な政権作りができるよう国内を再統合していく必要がある」と話しています。しかし、現在でも難民の多くは国に帰ることができておらず解決策を実行しようとしても内戦に阻まれるような状況です。
アフガニスタン侵攻まとめ
アフガニスタンの歴史からソ連によるアフガニスタン侵攻が起こった原因や経緯、現在のアフガニスタンの紛争の状況や解決策について見て来ましたが、ソ連によるアフガニスタン侵攻に端を発した紛争は現在もアフガニスタンで続き、女性や子供を含めた大勢の死者を出し、難民も帰国することができていません。解決策を講じようとしても内戦のせいでうまく実行できていないのが現状のようです。
一刻も早くこの内戦が終息し国が回復することを願いたいですね。