ロッキード事件とは?概要をわかりやすく簡単に解説!陰謀説の真相
1976年を舞台とした、ロッキード事件。日米両政府、司法、マスコミ、東欧諸国まで巻き込み、日本全土を震撼させた歴史上類を見ない事件。黒幕は一体誰か!?田中角栄の司法戦争。冤罪、不審死、陰謀説まで飛び交った、いびつな疑惑の裏に秘めるロッキード事件の真相に迫る!
目次
- 1今となっても不可解な、あの、ロッキード事件の"真相"とは。
- 2ロッキード事件の真相は、未だに謎に包まれている。
- 3ロッキード事件の舞台は、日本が邁進した1976年。
- 4ロッキード事件を、わかりやすく解説しよう。
- 5ロッキード事件の、裏にある陰謀、黒幕とは。
- 6ロッキード事件はなぜ、発覚し、明るみに出たのか?
- 7ロッキード事件の3つのルートとは。
- 8ロッキード事件の中心人物とされる田中角栄元首相。
- 9ロッキード事件。田中角栄、遂に逮捕へ。
- 10ロッキード事件での逮捕者、起訴者合計。
- 11ロッキード事件に関する相次ぐ不審死、陰謀説とは。
- 12ロッキード事件、その後の判決。
- 13田中角栄は一貫して無罪を主張。
- 14田中角栄の冤罪(えんざい)説とは。
- 15ロッキード事件のまとめ。
- 16補足: ロッキード事件を象徴する流行語とは。
今となっても不可解な、あの、ロッキード事件の"真相"とは。
必ず一度は耳にしたことがあろう、あの有名な、ロッキード事件。アメリカ合衆国の航空メーカー、ロッキード社が発端となった事件。戦後最大級の疑獄事件としては有名であるが、田中角栄をはじめ。日本国内の主要政治家が次々と逮捕されることとなり、この事件を契機として、民間人の間での政治不信が沸き起こり、その感情は現在まで続く事になる。
田中角栄など、日本を超えた各国の首脳クラスを巻き込んだ、その”衝撃”は、後世まで語られることとなるが、その真相に、わかりやすく迫ってみたい。
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ロッキード事件の真相は、未だに謎に包まれている。
このロッキード事件の真相を暴くには、そう簡単ではない。
事件は、一旦解決した様な印象はあるのだが、現在まで、闇に隠された、不可解な点、陰謀説や、不審死など謎は多く存在する。果たして、ロッキード事件の真相とは。今になって、初めて明るみにされつつある、その"真相"情報を客観的に、わかりやすく分析したい。
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ロッキード事件の舞台は、日本が邁進した1976年。
舞台は1976年。まさに日本が世界に存在感を示した時代であり、団塊世代にとっては、懐かしい時代でもある。この年には、モントリオールオリンピックが開催されたり、アントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技戦が行われたのも、まだ記憶に残っている中高年も多いのではないだろか。
巷では、"およげたいやきくん"が流れ、"ビューティフル・サンデー"や、山口百恵の"横須賀ストーリー"などが流行った時代である。余談ではあるが、「東急ハンズ」や、「ほっかほか亭」、「クロネコヤマトの宅急便」が開始されたのも、この年である。
まさに、日本国民が、日本全盛期に向け、期待と夢が膨らみ、国全体が、前に前にと突き進んでいく、黄金の時代とも言える年とも言える。
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ロッキード事件を、わかりやすく解説しよう。
そんな、1976年の2月に発覚した、このロッキード事件をわかりやすく説明したい。
事件の名前の如く、アメリカ合衆国のロッキード社が絡む、この歴史的な事件。事件が明るみになったのは、このロッキード社の不正取引に関する、極秘資料が、アメリカ上院外交委員会、多国籍企業活動調査小委員会に誤配されてしまったのである。
何故、この様な重大情報が外部に誤配されてしまったかは、さておき、巷がこの情報で騒がしくなり始めた当初、ロッキード社の副会長、アーチボルド・C.コーチャン氏(Archibold C.Kotchia) がアメリカ上院の公聴会の証言で、なんとその事実、真相を暴露してしまったのである。
その内容とは、ロッキード社が、航空機を売り込みのため、日本を含めた、各国の政府高官に贈賄した。との内容。半ば各国の主要高官に強引に発注させた訳ではあるが、その真相に触れた、アーチボルド・C.コーチャン氏。もちろん、この事件に関連した人物は、この後、判決としては、受託収賄、贈賄の罪に科せらのである。
それでは、何故、ロッキード社はそれ程までして、当社の航空機を売りさばく必要があったのであろうか。わかりやすく言うと、その背景には、やはり大きな勢力、黒幕の存在があったとされ、その後は、冤罪、不審死、陰謀説まで囁かれることとなった。
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ロッキード事件の、裏にある陰謀、黒幕とは。
その背景にある、"大きな黒幕"とは、わかりやすく言うと、アメリカ政府とも言える。元々、ケネディ政権より、政府と民間企業の繋がりは強くなりつつ、アメリカ政府は国の兵器輸出に関し、民間企業を援助、促進を続けていたのである。更に、その後任のニクソン政権によって、その流れは加速され、特にベトナム戦争などの兵器輸出の需要が加速され、まさに官民一体となった販路拡大で、アメリカも着実に国家成長を遂げていた。
この様な流れで、ニクソン政権と、ロッキード社も、既に強い結びつきのあったのが、黒幕の発端にもなる。
ロッキード社は、ニクソン政権を窓口とした、売り込み、多額の工作資金を活用し、販路拡大を行っていたのである。ところが、1972年に起きた、これもまた有名な、"ウォーターゲート事件"。
わかりやすく言うと、それは、ウェーターゲートビルにある、民主党本部に盗聴器の設置未遂事件。その事件で、数名が逮捕されており、その裁判の過程においても、検事より、証拠隠滅、もみ消し工作が指摘されている、結果的には、ニクソンは辞任したが、当時はニクソン政権も批判の渦中となり、支持率も大きく下落していたのである。
更に、ベトナム戦争が、終焉に近づき、(1975年4月終焉)輸出需要がピーク時より徐々に下落し、アメリカ政府、民間企業共に、対策を講じる必要が出てきたのである。
そこで、ロッキード社は、ベトナム戦争終結に伴う、政府需要の減少を、輸出によって補おうとし、会社からの贈賄とニクソン政府を通じた売込みとを組み合わせて,航空機等を、日本を含めた各国に、半ば強引にも発注させる方策をとったのである。
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ロッキード事件はなぜ、発覚し、明るみに出たのか?
調査の引き金となったのは、やはり、上記の通り、ウォーターゲートビル事件とも言える。ニクソン批判が強まる中、ニクソン政権での活動に、検事によりメスが入れられた。
ロッキード社の政権と連携した販路拡大路線も、政府援助の資金の不正使用との疑惑が生まれ、ロッキード社に対しても、検事による調査が開始されたのである。その後、上述の通り、ロッキード社の不正取引に関する、極秘資料が、アメリカ上院外交委員会、多国籍企業活動調査小委員会に誤配され、それが直接的な発覚の要因に繫がるのである。
わかりやすく言うと、ロッキード社の副会長、アーチボルド・C.コーチャン氏(Archibold C.Kotchia) がアメリカ上院の公聴会の証言で、その不正取引を暴露したのである。
この暴露を契機として、一気に日本政府高官も含めて、検事が動く形となり、事件の陰謀、黒幕に対して、強制捜査のメスが入るのである。
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ロッキード事件の3つのルートとは。
ロッキード社が日本に向けた、航空機の売り込みには、わかりやすく言うと、3つのルートが存在する。
商社丸紅と、全日空、そして、児玉誉士夫氏(こだまよしお)が検事に目を付けられた。
児玉誉士夫氏は政界の黒幕人物であるが、ロッキード社の日本における代理人という位置づけでもある。更に、代理店の位置づけとして、商社である丸紅と、機種の受け入れ先である全日空に対して、総額30億円以上の多額の工作資金を贈賄したとされている。大型旅客機である、エアバスL-1011トライスター、戦闘機F15.対潜哨戒機P3C、合計3機の導入に関する売り込みである。
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ロッキード事件の中心人物とされる田中角栄元首相。
上記の3ルート以外にも、多くの自民党国会議員や政府高官への買収行為として浮上したのである。その中心人物とされたのが、当時の内閣総理大臣、田中角栄氏である。
田中角栄自身も1972年、ニクソンとのハワイでの会談で、3機種の導入に関して同意をしており、その報酬として5億円を収賄された疑いに掛けられた。それ以降、田中角栄が、日本側でのロッキード事件の中心と位置付ける人物となり、検事による捜査が始まる。また、報酬の事をピーナッツと呼ぶようになったのも、この時期からである。
この田中角栄を中心として、アメリカ政府、日本政府、弁護士、裁判官、検事、更にマスコミまでが、高度経済成長を遂げた日本での歴史的な不正疑惑事件へと発展するのである。
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ロッキード事件。田中角栄、遂に逮捕へ。
戦後最大の疑獄事件とされる、このロッキード事件。
1976年当時の内閣総理大臣、三木武夫(みきたけお)はこのロッキード事件を徹底的に真相を究明すると約束し、それに基づき、証人喚問などが行われた。
取り調べは日米司法共助の方針に基づき、アーチボルド・C.コーチャン氏(Archibold C.Kotchia) の尋問調書入手により、強制的に検事による捜査が進められた。その後7月27日、田中角栄は外為法違反、受託収賄罪で逮捕されるのである。その後は、冤罪説も浮上してくるのである。
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ロッキード事件での逮捕者、起訴者合計。
結果的に、10月15日の国会での中間報告によれば、逮捕された者は合計18人、起訴された者は16人に及ぶとされている。
その内の一人、田中角栄も7月27日に外為法違反、贈賄容疑での逮捕された。
また、丸紅ルートの中心人物である、丸紅の檜山広元社長も、田中角栄への5億円資金提供に関与したとして逮捕され、同様に他幹部3人も逮捕された。
丸紅は、今回の事件に関して、アーチボルド・コーチャンと接触を持ち、国産の機種を手配できたのではあるが、
それをP3C発注への流れと促し、5億円の贈賄の話は、その額が基準であると、丸紅側から提示されたとしている。
丸紅とすれば、国産機では仲介料が発生しないため、P3Cとなれば、巨額の口銭が入るため、丸紅の大久保専務をはじめ、幹部クラスは、ロッキード社に働きかけていたともされている。
ロッキード社としても、日本での最大のマーケットである丸紅を抑えるのは、賢明な選択であり、逆に丸紅と取引が成立しない場合は大きな痛手を被ると予測されていた。
この丸紅の大久保専務から、このクラスの取引であれば、5億円は必要だと。コーチャンは尋問に答えている。
その後の内閣総理大臣、中曽根康弘(なかそねやすひろ)も黒幕の一部とされる疑惑を持たれ、検事らによって、事情聴取に至ったが、結局は真相は解明されず、今に至っている。
なお、当時の国会証人喚問の際、田中角栄がロッキード事件の言い逃れとして放った言葉が、”記憶にございません”。また、"ピーナッツ"という言葉も賄賂の隠語として使われていた。これらの、ピーナッツなどの言葉は後世になっても、鮮明に人々の記憶に焼き付いている。
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ロッキード事件に関する相次ぐ不審死、陰謀説とは。
ロッキード事件との関連性は未だに謎ではあるが、今回の事件での舞台裏での人物が不審死となっていることが、様々な憶測を呼んでいる。
不審死と疑われた人物としては、事件前が発覚する以前には、丸紅の輸送副部長であった、松井直。事件の1976年、事件を追っていた、日本経済新聞社の高松康雄記者。高松氏は、アメリカ政府が黒幕であり、彼らの陰謀説であろう。との仮説の上、取材を開始していた時期でもあった。また、上記児玉誉士夫の元通訳であった、福田太郎。田中角栄元首相の運転手であった笠原正則。これらが不審死の疑惑が持たれている。
この件は、不審死の時期も重なったこともあり、証拠隠滅の為、抹殺されたのではないかとの説が当時飛び交っていたが、もちろん、偶然的に時期が合致した単なる病死等の可能性もある。本当に不審死なのか、それても不審死とは全く関係がないのか。この不審死疑惑に関する、真相は未だに謎である。
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ロッキード事件、その後の判決。
10月12日、1審の東京地方裁判所は、論点とされていた、内閣総理大臣在任中に5億円の受託収賄(俗に言う、ピーナッツ)を認定し、田中角栄被告に対して、懲役4年、追徴5億円の実刑判決を言い渡した。この判決に対して、田中角栄は、直ちに冤罪であり、控訴する姿勢を示し、徹底的に争い、戦い抜く決意を表している。
その後、2審の東京高等裁判所でも、1審の判決は正当性があるとし、田中角栄の控訴を棄却している。最高裁判所に上告されたが、その後、1993年に田中角栄の死去に伴い、公訴棄却という判決結果となっている。
今回の事件を通して、起訴された人数は16人。その内、田中角栄を含めた5人が公判中に死去の為、公訴棄却になっている。残りの11名は、ロッキード事件への関与により全員が有罪判決に至っている。
ロッキード社の、この様な資金工作疑惑は、検事での取り調べは、日本だけに留まらず、西ドイツ、オランダ、イタリアなど、欧米諸国でも日本同様、大きく疑獄が報道された。
田中角栄は一貫して無罪を主張。
田中角栄の逮捕劇に関して、冤罪であると唱える人物も現れていた。冤罪(えんざい)とは"濡れ衣(ぬれぎぬ)"の事であり、まさに"無実"の意味である。田中角栄は上記の通り、第一審の判決後も即、徹底的に戦い抜くことを宣言し、控訴する姿勢を示していた。
そして、その後の演説では、内閣総理大臣を経験した田中角栄は、この様な罪を受け入れる事は、全国民に対して見せる顔が無く、名誉に掛けてでも許す事は決して出来ないと、冤罪を主張。その、わかりやすく終始一貫した姿勢は、元内閣総理大臣だというプライドと、自分への冤罪、無実は自分自ら証明するという強い意思の表れであったのだろう。
田中角栄を冤罪だと唱える人物は、少なからず当時も存在していた。その説は、日米政府が、本来の黒幕であり、その陰謀であるとの主張である。
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田中角栄の冤罪(えんざい)説とは。
当時のアメリカ国務長官であった、キッシンジャーの名前も田中角栄の口から出てはいたが、当時のアメリカ政府は、日本はアメリカの思惑通り、常にコントロール出来るという自負があったのである。
ところが、田中角栄首相の就任後、田中角栄の政治力から田中派の派閥は益々強靭となり、日中国交正常化や資源外交など、田中角栄独自の路線を推し進めるやり方に、アメリカ政府は、日本政府を支配下に置き続ける構想から、徐々に危機感を感じていたのである。
それに嫌気を感じてたアメリカ政府、更に、ロッキード事件当時の三木武夫首相は、自らの政治基盤を確固たるものにすべく、この事件を利用して、田中角栄を完全に、政界から撤退させる事を望んでいたとの日本側の黒幕説もある。
それに連動されたのが、裁判所や、検事などの司法が、田中角栄を第一審、二審として上記の通り有罪判決に持ち込み、更に追い打ちをかけたのが、それらに歩調を合わされた、マスコミの存在が、田中角栄叩きに、追い込みをかけたのである。
これらの、冤罪説、陰謀説は、当時から存在していたが、形としては、ロッキード事件の上記判決によって一旦は終結に至った。
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ロッキード事件のまとめ。
1976年に起きた、ロッキード社と田中角栄を中心としたこの事件は、当時の世間に大いなる衝撃を与えた。結果的に、田中角栄は逮捕され、判決は有罪。最高裁判所への上告は、公訴棄却という形で、判決は終焉となったが、冤罪説、不審死や陰謀説、更に黒幕の存在など、マスコミとしてはロッキード事件をあたかも劇場の様に、煽る(あおる)ことで更なる事件の印象が強くなったのではないだろうか。
日米の政府レベルでの事件の為、裁判所や検事などの司法やマスコミまでが、歩調を合わした。という様々な、陰謀説、憶測が当時飛び交った。
ピーナッツなどの流行語を生み出し、高度経済成長期の終わりに起きたこの事件。その後日本は、更に勢いを増し、バブル期へと突入するのである。
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補足: ロッキード事件を象徴する流行語とは。
ちなみに、この年の1976年の流行語は、わかりやすく意味を言うと、"ピーナッツ"を含めて、以下の通りである。
・記憶にございません
田中角栄が放った、ロッキード事件国会証人喚問での言葉。
・フィクサー
アメリカでは、この言葉は、八百長、不正、更に黒幕の意味も含まれる。スポーツなどでも良く使われる言葉。
・ピーナッツ(100万円相当の賄賂のこと)
ロッキード事件で、事件の証人が良く使っていた言葉で、ピーナッツとは、賄賂受領の際に、領収書に記載された隠語のこと。1ピーナッツは100万円とされていた。今でもピーナッツを、この意味として使う名残は残っている。
これらの流行語が表す通り、如何に、ロッキード事件の衝撃が強かったかを物語っている。
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1976年の流行語の一つ、ピーナッツ。
ピーナッツとは、100万円相当の賄賂のことを言う隠語。