2021年07月01日公開
2021年07月01日更新
『卵が先か鶏が先か』の答えがついに出た。【ことわざの意味と使い方】
「卵が先か鶏が先か」という言葉を聞いたことがある方は、多いと思います。今回は、「卵が先か鶏が先か」という言葉の意味と使用方法を紹介しています。また、言葉より考え方が度々話題に上がっていましたが、「卵が先か鶏が先か」という問題に決着がついたという話も紹介します。
「卵が先か鶏が先か」の意味は?
言葉の意味を紹介しました。
どんどん使用してみてください。
「卵が先か鶏が先か」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。ことわざと思われがちですが、実はことわざではなく、矛盾や逆説を問う言葉になります。
どういうことかというと、鶏は卵から生まれますよね?一方、卵は鶏が生みます。
鶏と卵は、どちらが先にこの世に出現したのか?という問いに、鶏と答えると「卵がないと鶏は出現しない」と突っ込まれ、卵と答えると「鶏がいないと卵は出現しない」と突っ込まれるということになります。
つまり、堂々巡りになり、結論が出ないことを指した言葉になります。
「卵が先か鶏が先か」は矛盾や逆説を問う言葉です。
ちなみに、矛盾の意味は「二つの事柄のつじつまが合わないこと。」ですよ。
「卵が先か鶏が先か」の使い方
「卵が先か鶏が先か」という言葉の使い方ですが、基本的に結論が出ない時であれば使っていいと思います。
例えば、経済の話でも使用できます。
景気を良くするためには、消費を増やす必要がありますよね。しかし、景気が良くなって、給料などが増えなくては、中々消費は増えません。
このように、どちらが先なのかということや、場合によってはどちらも正しい時に引用する使い方になります。
どちらも正しいように感じるときや結論が出ない時に使用します!
出典: http://ccws.jp
「卵が先か鶏が先か」それぞれの言い分は?
「卵が先か鶏が先か」という言葉ですが、注目するべきは、ことわざ的な意味ではなく、考え方です。
卵が先なのか?鶏が先なのか?ということは、今まで多くの哲学者が頭を悩ませてきた問題です。
ここでは、卵が先という説と鶏が先という説について、それぞれ紹介していきます。
「卵が先か鶏が先か」という説を紹介します。
今回紹介する以外にも、多くの考え方や説が存在しますので、興味のある方は、調べてみても面白いと思いますよ。
ちなみに、調べれば調べるほど、どちらの言い分も正しいように思えてしまいます。
卵が先という説
卵が先という説を紹介!
卵が先という説は、遺伝子学的な考えを基に考えられているそうです。
遺伝子学的には、鶏の遺伝子を持っていない卵から、鶏のヒナである「ひよこ」は生まれてくることが無いと考えることができます。
しかし、鶏ではない生物が、遺伝子の突然変異によって、鶏の遺伝子を持った卵を産むことはあり得るという説です。
つまり、「鶏ではない生物→鶏の卵」は「〇」
「鶏の卵→鶏以外の生物」は「✖」
ということになり、卵が無ければ、鶏が生まれないということになるという感じです。
こんな感じの突然変異です。
鶏が先という説
鶏が先という説を紹介!
鶏が先という考え方は進化論からきているそうです。
生物の進化は、元々は単細胞生物が進化して、多細胞生物になりました。
また、環境の変化に適応するために、それぞれの種に枝分かれしていったそうです。
鶏も同様に、鶏の基になる生物が環境の変化に適応するために、鶏へと進化したと考えることができますよね。
つまり、鶏への進化が先で、鶏が生んだ卵が「鶏の卵」ということになるので、鶏が先という説です。
人類も進化してきましたよね。
鶏も一緒です!
「卵が先か鶏が先か」は鶏が先という説が優勢!
鶏が先ということ決着がつくのでしょうか?
現在は、鶏が先という説が優勢らしいです。
卵と鶏の卵巣に含まれるたんぱく質ovocledidin-17に着目した研究チームによれば、このたんぱく質は、卵の殻の形成を促進する働きがあるそうです。
また、同研究によって、ovocledidin-17(たんぱく質)が鶏の卵巣の中にないと、卵ができないことも判明したそうですよ。
「鶏がいない→ovocledidin-17(たんぱく質)がない→卵が作られない」ということになるので、鶏が先ではないかという話になるそうです。
どうやら「鶏が先」の説が優勢です。
しかし、研究を発表したフリーマン氏によれば、完全に決着がついたわけではないということです。
まとめ
「卵が先か鶏が先か」ということについてまとめてきました。
言葉の意味や使い方自体は、それほど難しくなく、結論の出ない時に使用できる言葉と思っていただければいいと思います。
また、技術の進歩によって、この問題にも決着がついてきています。このまま研究が進んでいけば、完全に決着がつく日も近いのかもしれません。
この言葉自体は、ことわざではないので、完全に決着がついたら、消えてしまうかもしれませんね。