2021年05月20日公開
2021年05月20日更新
江戸幕末~明治時代のカラー写真集。美人女性や街並みなどの古写真が蘇る!
江戸幕末から明治に残されたモノクロ写真をカラーに美しく復元した風景や人物達、その色彩が物語る200年前の時代の写真と幕末からの生活を彩ったのはどれほど美しいカラーだったのでしょうか。江戸の幕末と明治時代を中心に見てみたいと思います。
目次
カラー写真で見える江戸と明治の高嶺の花、蘇る花魁美人
江戸幕末から明治時代にかけて遊郭の中で数々の男性と出会い、咲き誇る花魁達、艶やかな彼女達の色彩をにカラー写真で蘇らせてみましょう
江戸の華は喧嘩と火事…と言いますが、それだけが華ではないのが江戸時代です。昔だからこそ男社会と言われますが勿論女性にも女性の社会が有るのです、それで浮かぶのは大奥や遊郭でしょう。しかし一般の生活の中で人々の目に写り、華々しく見られていた1つが花魁ではないでしょうか。
しかし花魁はただ美人で華を売るだけではなく、遊女にも序列が有って教養も必要なのはご存知の方もいらっしゃるでしょう。実を言うと、花魁…と言いますが遊郭では高位に居る女性を表されていてその下には、呼出しや座敷持ち等様々な位が有りました。ですが花魁と言う呼称そのものは宝暦以来に作られた呼び名ですので、太夫や格子とはまた違った物だそうです。
男性側も彼女達と会うために大金を積んだりお店へ融通を利かすなどして、遊女たちと共に過ごすので文字通り花魁美人は「安い女」ではない事がカラー写真からひしひしと伝わってきます。
出典: http://www.huffingtonpost.jp
食事をとる遊女達
食事とお茶の用意をする遊女たち、お客さんの相手の中で忙しい花魁も居ますが折角の美人を台無しにしない為にもやはり栄養はしっかり取らなければならないようですね。
出典: http://www.sanctio.jp
客引きをする遊女達
本来なら花魁は一目あう事すら難しい遊女なのですが、それを目指す為に下位の遊女たちがお客さんに気に入られるように外で客引きをしている光景です。芸や人気によっては位も上がるので夢見る女性達も少なからず板のではないでしょうか
出典: https://www.youtube.com
女性を選定する男性
遊郭は男性に気に入られて高嶺の花で居るからこそ成り立つ商売であるが故に、見初められる事が彼女達にとってどれだけ大事なのかが解りますね。今で言うキャバクラや風俗に近い物に思えますが、システムは明治時代と現代ではやはり相違はある様です
出典: http://mag.japaaan.com
客を待つ女性達
男性の目を引く華として何時でも美しく静かに待たなければお客様はやってきません、しかし遊郭としての風景として彼女達は艶やかに見せてくれていたことには間違いないでしょう
出典: http://mag.japaaan.com
艶やかな衣装をまとった遊女達
芸の稽古や着付けなど、毎日の修行に上も下も無く彼女達は必死の努力を続けていたそうです。今で言うならスタイルを保つために美容に良い事の他にもお客様のトークなど…今も昔も華やかならではの裏があるみたいですね
江戸幕末から明治時代への街並み
江戸幕末から明治時代から現代までまだ200年も経ってないですが、今では東京と改名されて技術も街並みも大きく変わってしまいました。しかし当時の生活感を残したカラー写真として残さている風景は現代でもたくさん残されているのです
今や江戸の後と言われる東京もコンクリートのビル群がそびえ立ち、様変わりしている中で幕末から明治にかけてどんな街並みや風景だったのでしょうか、所謂日常的な風景として毎日の営みに欠かせなかった街を写真として残す人は今も昔も変わらずにいると言う事は、何時の時代でも居たと考えても良いかもしれません。
先程書いた美人や女性ばかりでなく老若男女が生活し、毎日に活気を与えるにはそれぞれ違った人物が居ると言う日常風景が有る事は至極当然と言う事が出来ます。
モノクロ写真では黒っぽいか白っぽいかでしか見えなくとも、カラー写真として復元されればまるで当時生きていた人物達の表情や生活感を更に生き生きと表されている様な…そんな気になるのではないでしょうか。時代が時代なら、もしかしたら現代みたいに日常風景を撮った写真集などそう言った物が売り出されていたのかも知れません。
当時は写真を撮る事そのものが高価で、写真集を出すほどとなると非常に高値になる可能性が有りますし街並みや風景、人物は当時の人達にとっては有り触れた物ばかりを撮るように見えてしまうかもしれないでしょう。
出典: https://yokohamapostcardclub.blogspot.jp
植木を売る少年
まだまだ現代と比べてアナログな方が主流だった明治時代初期に撮影された植木売りの少年です、肩に担いで重たい鉢を持ち歩いては街を練り歩いて居た事が容易に想像できます。
出典: http://netasite.net
商店の軒先
昔には今で言うコンビニみたいに万屋が有るように、店毎に売っている物を工夫しながら生活していた物も少なくないようです。生活用品や装飾品など当時には当時の需要が合ったようですね。
出典: http://mag.japaaan.com
カラー写真を用いた絵葉書
街並みから洋風建築など、今では近いようですが当時では遠い日本の風景を鮮やかに着色されたものが此方になります、汽車が現役で走っていた頃を考えれば絵葉書で旅の知らせを書きたくなる理由もうかがえますね
出典: http://kosyasin.web.fc2.com
おもちゃ屋さんの店先
子供達が母親に玩具をねだる姿は何時の時代になっても変わらないみたいですね、沢山のおもちゃが陳列されています。
出典: http://www.huffingtonpost.jp
魚屋さんの写真
軒先に吊るされた魚を売る男性とお客さん達の情景が映し出されてます。桶に入った品物で活気がついているようです。
出典: http://japan.digitaldj-network.com
明治時代の浅草橋
人力車や様々な建物の写真で、沢山の人が行きかっているようです。赤茶色の建物が軒を連ねて活気ついているような元気の出る風景です
出典: http://japan.digitaldj-network.com
水辺のある街並み
今では滅多に見られない街並みの写真も残されているようです、渡し船が浮かんでいたのでしょうか?とても風流な一枚です
出典: http://girlschannel.net
露店の写真
街の中でも露店が開かれていて、今では露店禁止など様々な条例や制約を受ける事が有りますが明治時代はまだ大らかだったのか店を開いても普通にお客さんが寄ってきて買い物をするなんて日常茶飯事だったようです
カラー写真でも魅せる江戸幕末から明治時代でもモテたイケメン達
美人が居るなら美男子も居る、150年前でもこの法則はもちろん適応されています。アンニュイなイケメンも渋いおじ様も、モノクロからカラーにしたらもっとセクシーに魅せられるのではないでしょうか
美人女性が居るならばイケメン男性が居る、どこの時代でもそれはお決まりでしょう、勿論この時代にも男前な人物は居ます。あまりにも人気が出てしまえば写真をたくさん残してまるでアイドルの写真集さながらな扱いを受ける事もままあるのではないでしょうか。
当時は和装から洋装に移行し始めた時代でもあるので、和装のイケメン男子やら洋装のイケメン男子など今よりもバリエーションは豊かになっているかもしれません。今で言う西洋化した街並みの方へ行けば洋装を身に纏った男性が居て、ダンスをするなど俗に言う文明開化の時には着飾る機会も増えたのでそれこそ今で言うクラブでイケメンが街並みに合わせた服装をして女性に写真を撮られると言う事が増えたり、今の時代でもイケメンと言われる人達を集めれば写真集だって作ることは可能でしょう。
きっと、当時でも現代みたいに容易く写真が摂れて現像できる技術が有ったとしたら美女写真集だけでなくイケメン写真集もたくさん発行されて買って行く人も少なからず居るのではないでしょうか、それほどまでに端正な人も居るのです。
出典: http://thailog.net
渋い雰囲気の武士
凛々しい面持の幕末武士の写真です、今時珍しい雰囲気の男性ですね。明治時代になれば廃刀令が出てしまいますが、当時だからこそみられるイケメンではないでしょうか
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ちょっとレトロな和装男子
渋い男性とは打って変わって儚げな雰囲気を醸し出している男性ですね、昔の文学や舞台の男性キャラクターの様な…そんな感じが似合います
出典: https://syukatsulabo.jp
帯刀した男性の写真
渋くてかっこいい武士…とはまた違って優しげなイメージを醸し出している男性ですね、今で言う萌え要素と近い何かでしょうか?それにしても日本で見る美男子系は何処か壊れそうな人もちらほら出てきてる気がします
出典: https://s-media-cache-ak0.pinimg.com
紙タバコをたしなむ武士
西洋文明が入ってから嗜好品が増えてこんな光景も見られるようになりました。煙草の似合う渋いおじ様もとても素敵な一枚が見られるのも良いですね
出典: https://s-media-cache-ak0.pinimg.com
目鼻立ちがくっきりして居る美男子
マフラーをして和服を着ている男性で目鼻立ちがはっきりしているのが解ります、もしも現代風のファッションと身だしなみをしたらきっと今の時代でもイケメンと思ってしまう事でしょう。
カラー写真で露わになった江戸幕末から明治時代で行われた処刑システム
現代日本では基本的には逮捕の後に留置または懲役…と言った刑罰方法がスタンダードな法治国家として存在していますが、150年前の時代ではまたシステムが異なる為日常的に罪を犯した人物が処刑をされていると言った光景がまだ残っている場合があります。
例えば、強盗を行った人物が居た場合現代では5年以上の懲役から殺人が伴った場合は無期懲役となっていますが、当時の法では打ち首処刑の後に晒し首になる事もあるそうです。
よく時代劇でも聞く事が出来る処刑方法としての市中引き回しも明治時代にはまだ存在していて、写真としても残っています。ただし、市中引き回しの後の処刑は馬に紐を付けられて引きずられる…のではなく罪を犯した人物が縄で縛られて罪状が掛かれた板を首に下げて処刑場まで運ばれると言う見せしめとして行われていました。
具体的にはどんな罪で処刑されるのかを概ね言いますと地主の殺害や毒薬の密売、両親や兄姉の殺害など現代でも決して軽いとは言えない犯罪で当時としては死罪よりも重い罪の処刑として取り扱われていたそうです。
出典: http://congenitaldisease.tumblr.com
打ち首前の処刑人と罪人
彼が何の罪を犯した人物なのは解りませんが決して軽い罪ではなさそうですね
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処刑場
市民の見せしめのために晒し首は此処で行われるようです、江戸幕末または明治時代だからこそ出来た治安維持法なのかもしれません
よく日本史の教科書の写真で見られるフルベッキ群像写真達
タイトルだけを見てしまえばフルベッキ群像写真とはなにか?になりますが、フルベッキ群像写真は在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身の宣教師のグイド・フルベッキの子と上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称で、フルベッキ写真やフルベッキと塾生たちと呼ばれる事も有ります。
ちなみに、フルベッキの子と言われますが次女のエマ・フルベッキと言われていて西郷隆盛がよく映っているなど様々な俗説がある有名な写真でもあります。
出典: https://twitter.com
塾生の集合写真の有名な1枚
フルベッキ写真と言えばこれと言えるような1枚がこれになります、44人が一斉に取れるとなるとかなり大規模なスタジオだったのですね
出典: https://blogs.yahoo.co.jp
集合写真に写った人物の名前一覧
何処に誰が居てどの名前なのかを書くなんてとてもではありませんが手間がかかっているでしょう。歴史家としてはとてもありがたいことかもしれませんね
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違った方法で着色をすると…
青を中心に濃淡で別れてますね、袴の色もそれぞれに個性が細かく出ているようです
カラー写真で写る明治時代の水着はこんな感じだった
現代私達もよく夏の風物詩として海水浴…がありますが、当時の女性達の水着や今と楽しみ方が違うのかと其々に疑問点は多々あると思います。今ではビキニやらパラオ、ハイレグなど多種多様な種類が有りますが、当時は今に比べたら露出は低く今でいうならボディースーツの丈を少し短くしたもの或いはレオタードの食い込み部分を失くしたようなデザインが多かったそうです。
現代の感覚で言えば若干刺激としては物足りないように思われますが、当時の服装的には足や腕が見えているのはとても露出度が高く、ボディラインもくっきり見えているのでそう言った意味では当時の人からしたらセクシーな感じに見えていたのかも知れません
少々下世話な言い回しになりますが、当時の男性達も浜辺で戯れている女性達を見て魅惑的な思いを胸に抱いていたのでしょうか?いつの時代もその辺は不変なのかどうかも気になりどころでもあります
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傘をかぶったカメラ目線の女性
今で言うグラビア写真の感じがしますね、当時は明治時代で水着の感覚は違いますがウエストのピンクとちょっと恥じらいを込めた視線がとても色っぽいと思います
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セクシーポーズを見せる女性
手足を艶めかしく魅せる女性の写真で水着も何処となく派手な色彩をしているみたいですね、レトロなセクシーさとは何かと考えさせられる1枚でもあります
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今で言う双子コーデ?お揃いのデザインの水着
同じデザインとリボンで写る女性達、本当に姉妹だったのか親友なのか…どちらにしても仲睦まじくて見ていてよい写真ですね
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三人娘でセクシーポーズ
各々の思う姿のセクシーな姿で記念撮影をしているようですね、しかし流し目と言い体をくねらせてみると言い明治も今もあまり変わりがないみたいです。
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桶に座った女性と髪を解いた女性
桶に載って優雅に揺れる女性と髪を解いた女性達の写真です、個人的に思うのですがどの時代でも髪を解いた瞬間の女性って色っぽく見えると思うのです。時代を問わず
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海水浴ですまし顔
岩に抱きついて澄まし顔をしている女性と各々でカメラに映る3人の女性が写っているようです、やはり女の子である以上可愛く取られたいのは平成も明治も同じようですね
江戸幕末から明治の時に美しい建物と風景が写されたカラー写真達
今は文化遺産やら世界遺産に残されていますが、その概念がまだ薄かったこの時代にもありとあらゆる美しい建物が写真の中で残り現代の技術で復元されている資料もたくさんあります。
中には現存しない建物や風景も有りますが、当時の人が残してくれた写真を通じて150年後の私達でも見ることが出来る様な物が数多く残されています。
街並みとは少し違った神社など、大きな建物をメインに写真集を紹介していきたいと思います。
出典: http://netasite.net
雪と富士山
富士山…は今でも見る事は出来ますが、入江と森をバックに見ることが出来るなんて現代ではそうそうありません。まだ土地開発される前だからこそ見れる絶景かなと言えます
出典: http://netasite.net
お参りする人々
今では初詣や縁日などイベントの時にしか行かなくなった神社ですが、明治や幕末の人達には良く行く身近な場所だったのでしょうか
出典: http://netasite.net
違った自然の中の富士山
此方は違う角度から撮った写真のようです、木陰の中から悠然と写る富士山も絵になりますね。時代によっては富士山と言えば何かがついてくるのが違ったのでしょうか。
出典: https://www.pinterest.jp
満開の藤の花
水辺と満開の藤の花の迫力とそれに魅入られる人達の写真のようで、今も旬の花が来れば人が来て目を楽しむと言う風流も形は変われど楽しんでいる人は150年前も変わっていないみたいです
出典: https://yokohamapostcardclub.blogspot.jp
横浜港で忙しなく動く人達
積み荷から海外まで行く人まで行き交う人達の写真を絵葉書にしたのが此方のようです、横浜市歌でも歌われる「飾る宝も要りくる港」と言う様に千差万別の物が此方で入ってきた風景が見えてきそうです
出典: http://mag.japaaan.com
横浜で撮られた洋風建築写真
横浜と言えばレトロや洋館のイメージが強く出るでしょう、そしてこう言ったモダン系は洋服のみならず建築でも流行っていたので新しいもの好きな人には注目の的になっていたようです。やはり人はどんな時代でも流行には目を向けてしまうのでしょうか?