2021年03月30日公開
2021年03月30日更新
捜査四課「マル暴」見た目が怖すぎ…警察とヤクザの関係を刑事が明かす
警察のマル暴(組織犯罪対策部捜査四課)ってヤクザを相手にする専門部署なんですが、そこで働く警察の人も、もはや見た目は警官というよりはヤクザに近い感じでチョ~怖いイメージがあります。そんなマル暴とヤクザの関係について調べてみました。
目次
マル暴とは?【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
出典: http://3xir280y.blomaga.jp
「マル暴」刑事は見た目も怖い!
「マル暴」とは、「丸暴」とも書き、警察の中で暴力団対策の関係を専門で扱う部署名や担当者(刑事)のことを意味する言葉で、もともとは警察関係者内で使われていた専門用語(隠語)です。
出典: http://blog.livedoor.jp
もっとも、最近は「マル暴」といえば、上記のような対暴力団関係を担当する警察の部署や刑事を意味する、ということは結構たくさんの人が理解している感じがします。
その理由は、最近テレビなどで警察の活躍振りを紹介する番組が増えてますが、その番組の中などで「マル暴」が紹介される機会が増えているからかも知れないですね。またドラマや映画などでも「マル暴」といった言葉が使われるケースが多くなった気もします。
出典: http://3xir280y.blomaga.jp
それと、「マル暴」専門のデカ(刑事)の特徴の1つに、独特の見た目(外見)があります。
警官の制服を着て街中の交番や警察署にいる「おまわりさん」のイメージは誰でもすぐにわかると思いますが、制服ではなく、私服を着て事件を捜査する一般のデカ(刑事)と呼ばれる警察官がどんな格好してるのか、イマイチよく分かりません。
テレビの刑事ドラマで見るような、スーツ姿なんでしょうか?これは想像ですが、担当する事件にあわせて変装したりするケースもあるのかも知れませんね。
(いずれにしても、私服のデカ(刑事)がすぐに警官と判別がついたら仕事(捜査)の邪魔になったりする気もします。)
その一方で、「マル暴」専門のデカ(刑事)は、見る者がみればスグに「マル暴」と分かります。
それはなぜかというと、「見た目」が一般の私服のデカ(刑事)と違うからです。どんな見た目かと言えば、「まさにヤクザ風の格好」をしてるんです。
暴力団捜査の最前線に立つ「マル暴」の担当刑事になったら、「外見でなめられないようにする。」ことがまず求められる、とのことです。
(例えば、スキンヘッドに色付き眼鏡とか、パンチパーマとか…←実際にこんな感じの「マル暴」担当の刑事は存在します。)
捜査四課とは?【警察のマル暴とヤクザの関係】
「捜査四課」とは、警察の中で暴力団等の取り締まりを専門に扱う部署のことで、各都道府県に一つずつある「警察本部」に設置されています。
(ちなみに東京都の場合、警察本部に相当するのが「警視庁」です。警察庁とは別の組織ですので注意が必要です。)
捜査四課は、各都道府県にある「警察本部」の刑事部の中に設置されています。
刑事部は、一般的に刑法犯罪に対する捜査を扱う部門で、捜査四課の他にも、捜査一課、捜査二課などに分かれています。
刑事部とは?【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
刑事部は、各都道府県に設置されている「警察本部」の中の一部門で、テレビドラマなどで出てくる刑事(デカ)たちはこの刑事部に所属しています。
刑事部は、一般的に以下のような捜査組織に分かれています。(各都道府県の「警察本部」によって若干の違いはあるかも知れませんが、概ねこんな感じです。)
・捜査一課:殺人や強盗、暴行、傷害、誘拐、性犯罪…などの凶悪犯罪を扱う。
・捜査二課:詐欺や贈収賄、脱税、金融犯罪、経済犯罪、企業犯罪等…などの知能犯罪を扱う。他に、選挙違反や公務員職権濫用なども二課の担当。
・捜査三課:ひったくりやスリ、空き巣、万引き…などの窃盗事件を扱う。
・捜査四課:暴力団等の取り締まりを扱う。
※東京都の警視庁と福岡県の警察本部は特殊で、それぞれ「組織犯罪対策部」「暴力団対策部」として独立しています。(他の地域より暴力団関係の事件が多いのでしょうか?)
・鑑識課:事件現場の指紋や足跡、血痕、毛髪、唾液、体液、衣服の繊維…などを照合する。
・機動捜査隊:覆面パトカーで警邏し、事件が起ると初動捜査を行う。初動捜査で解決出来ない場合に捜査一課などに引き継ぐ。
ちなみに、テレビでよく見る「科捜研(科学捜査研究所)」も「警察本部」の中の一部門で鑑識課で手に負えない鑑定は科捜研(科学捜査研究所)で行います。
さらに、科捜研でも鑑定が難しいケースは警察庁(都道府県ではなく国の組織)の科警研(科学警察研究所)で行います。
マル暴刑事の見た目が怖い理由【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
マル暴の担当刑事の見た目が怖い(暴力団員さながらのコワモテのイメージ)理由は、いくつかあります。
例えば、
・「外見でなめられないようにする。」←ナメられたらお終いなので、「マル暴」の担当刑事になったら真っ先に求められる。
・情報提供者への配慮。←ある広域指定暴力団では警官(マル暴)と接触してはいけないというルールがあり、バレルと処分されるので、もし見つかっても警官(マル暴)ではなく他の組の者と思わせるため。
・マル暴に限らず役所関係は対ヤクザ関係に見た目が怖い人をわざと置いている←競馬監督課も見た目枠でパンチパーマか威圧感がある人を配置している。
・元々、暴力団員と趣味が近いという噂もあったりします。
見た目は暴力団の刑事さん【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
「マル暴」刑事は、警察の内部でも
・最強の警察官、とか
・紙一重の差で暴力団に入り損なった者たちの集まり、
・「マル暴」は警察という代紋を背負ったヤクザ
・(警察官の制服は着てても)根がヤクザでなければマル暴なんて勤まらん
だとか言われていて、警察仲間からも一目置かれる存在なんです。
見た目は、怖い暴力団…の正体は、捜査四課「マル暴」の刑事さんの実例を紹介します。
ん~~怖い、怖すぎだと思います。(日々、お疲れ様です。)
見た目は暴力団の刑事さんの例【その1】
出典: http://blog.livedoor.jp
見た目は暴力団、じつは刑事さんの実例
見た目は暴力団、じつは刑事さんの実例写真です。怖い…けど頑張って下さい。
見た目は暴力団の刑事さんの例【その2】
出典: http://nyanmatome.blog.jp
見た目は暴力団の刑事さんの例【その2】
見た目は暴力団、じつは刑事さんの実例写真です。
刑事さんと言われないと、分らなくて怖い…
元マル暴刑事の告白1【警察のマル暴とヤクザの関係】
情報源は自力で見つける【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
警察という組織は、非常に上下の繋がりを重視する組織です。
そんな警察という組織の中で新しく「マル暴」に配属された担当者は、先輩から仕事(捜査方法)を教えて貰えるなんて期待しない方がいいらしいです。
それは、"情報源"との関係で"秘匿"が最優先されるからです。なので、新しく「マル暴」に配属された担当者は、一から自分だけで暴力団に繋がる情報源を探し出す必要があります。
※この話は昔はこうだったという告白話ですが、昔と状況が変化しているとはいえ、今でも似たような雰囲気は変わらないのでは、と思います。
なので、毎日、歓楽街に顔を出して暴力団に繋がる人間と親しくなる努力を重ねる、等の積み重ねが必要になります。
(新しく「マル暴」に配属された担当者は大変ですね。)
そんなことを繰り返しているうちに、顔見知りになったチンピラが、組から正式に「杯」を貰ってヤクザの構成員になるなどして、新米のマル暴刑事も一人前と認められるようになっていきます。
元マル暴刑事の告白2【警察のマル暴とヤクザの関係】
ガサ入れ(家宅捜査)でのパフォーマンス【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
テレビ局の取材が来ていた組事務所の「ガサ入れ(家宅捜査)」で、"情報源"の人間(ヤクザ)と鉢合わせになったことがあった。
思わず、相手をボコボコにしてやった…。そうせんと相手が警察(マル暴)に情報提供していると疑われるかも知れないので。
実際、そういう噂を別のヤクザから耳にしていたし…。
テレビ局の取材も来てたんで、派手にパフォーマンスを見せてやった。
ガサ入れでのパフォーマンスの真相【警察のマル暴四課とヤクザの関係】
この派手なパフォーマンスこそ、「警察のマル暴とヤクザの関係」を示すものだったと言えるかも知れません。
普通パフォーマンスと言えば、大勢の人に対し見せるものなので、この場合はテレビの視聴者に向けてのサービスと考えるのが一般的と思われますが、じつは、もっと深い理由が存在します。
ガサ入れ(家宅捜査)時に、メディアの前で警察官が大声を出すのは、暴力団に向けてのパフォーマンスだったんです。
どういうことかと言うと、
・相手をボコボコにして情報提供者ではないこと示すパフォーマンスであると同時に、
・ヤクザ連中に「こいつのバックは自分だ」と示す目的もある。(そうすれば組の中でも簡単にはやられない。)
ゼロから関係性を築き上げた情報源は、生きる世界は違っても同志と同じ、やっぱり畳の上で死んで貰いたいと思う…。
警察のマル暴とヤクザの関係には、こんな世界があったんですね。
まとめ
昔から存在して「必要悪」では(?)とも思える警察とヤクザの関係ですが、この両者の生きる世界を超えた繋がりは、「暴力団対策法」の施行以降はほとんど無くなってしまった、とのことです。
最近では、暴力団に代わって「半グレ」という、ある意味暴力団より始末に負えないグループが登場したりして、そんなことも言ってられない状況なんでしょうか?
本当に、日本のあらゆる社会から、いい意味での「余裕」が無くなっている気がしてなりません。