【宇宙開発】スペースシャトル事故まとめ。宇宙船が爆発→飛行士の遺体は?

宇宙開発で起きたスペースシャトルの爆発事故をまとめました。宇宙開発の悲惨なスペースシャトル爆発事故ですが、その歴史を見てみ興味深いことがわかります。宇宙に興味のある方は、一度はこれらの事故について知っておいたほうが良いでしょう。

【宇宙開発】スペースシャトル事故まとめ。宇宙船が爆発→飛行士の遺体は?のイメージ

目次

  1. 1そもそもスペースシャトルと宇宙船の違いとは?
  2. 2宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 宇宙開発の歴史
  3. 3宇宙開発の歴史 ツィオルコフスキーとゴダード
  4. 4宇宙開発の歴史 ソ連の人工衛星
  5. 5宇宙開発の歴史 人類初の宇宙飛行士 ガガーリン
  6. 6宇宙開発の歴史 アポロ計画
  7. 7宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 宇宙飛行初の死亡事故 ソユーズ1号炎上事故
  8. 8宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 ソユーズ1号の写真資料等
  9. 9宇宙開発の裏側 スペースシャトル「ソユーズ11号」窒息死事故
  10. 10宇宙開発の裏側 スペースシャトル「ソユーズ11号」の写真資料等
  11. 11スペースシャトルが空中分解 宇宙開発での事故チャレンジャー号爆発事故
  12. 12スペースシャトルが空中で爆発 宇宙開発での事故チャレンジャー号の写真資料等
  13. 13宇宙開発中のスペースシャトル事故 コロンビア号空中分解事故
  14. 14宇宙開発中のスペースシャトル事故 コロンビア号の空中分解事故の写真等
  15. 15宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 遺体について

そもそもスペースシャトルと宇宙船の違いとは?

出典: http://tamiya.com
 

出典: https://www.cnn.co.jp

スペースシャトルとは、宇宙船とは違い再利用可能なものを言います。
宇宙船は一回ごとに使い捨てですが、スペースシャトルは宇宙に行って、地球に帰ってきて、さらにその後も何度も繰り返し往復ができるものです。
スペースシャトルの動力はロケットエンジンです。スペースシャトルはロケットエンジンで宇宙へ行き、飛行機のように着陸して地球に帰ってきます。原理は飛行機と同じようなものなのです。

このスペースシャトルの試験機がエンタープライズ号です。続いてコロンビア号が有人飛行に成功し、チャレンジャー号、ディスカバリー号と実用化されていくことになります。

しかし、二度にわたる大事故によって、安全管理のためのコストがどんどん増えていくことになります。
一度目はチャレンジャー号の爆発事故、二度目はコロンビア号の空中分解事故です。

それまで30年以上も飛行を続けてきたスペースシャトルですが、結局はコストがかさばりすぎるとの理由で引退することになります。

宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 宇宙開発の歴史

スペースシャトルは登場から引退まで30年もの歴史があります。その歴史を振り返ってみましょう。
 

宇宙開発の歴史 ツィオルコフスキーとゴダード

出典: http://www17.plala.or.jp

ツィオルコフスキーは、ロケット(宇宙船)で宇宙に行けるということを科学的に証明した人です。このことから、彼は宇宙開発の父とも呼ばれます。
彼の提唱した式はこのようなものです。
「V=cln(Wi/Wf)」
V=ロケット(宇宙船)の最終速度
Wi=点火時のロケットの重さ
Wf=燃焼後のロケット(宇宙船)の重さ
c=噴射速度

1897年にこの式を発表した後、1920年に多段式ロケット(宇宙船)やジェットエンジンの理論を完成させ、宇宙ステーションの概念をも考案しました。

出典: http://www17.plala.or.jp

ゴダードは世界で初めて液体燃料ロケットの打ち上げに成功した人物です。彼はロケット開発の父と呼ばれています。
ロケット開発に生涯をささげた彼は1926年にマサチューセッツ州オーバーンの農場で、世界初の液体燃料ロケとの打ち上げに成功します。その際に飛ばしたロケットは人間の腕くらいの大きさで、飛行時間は2.5秒、到達水平距離は56メートル、平均時速は100キロだったといいます。

彼のこの実験は注目を浴びましたが、ロケットが落下時に地面に当たり壊れてしまったことから、実験は成功したものの「失敗」との烙印を押されて報道されてしまいました。さらに、そのことからマサチューセッツ州でのロケット発射実験を禁止されてしまうのです。

その後、ミューメキシコのミズリー州で実験を重ねたものの、死ぬまで評価されることはありませんでした。
しかし、彼の死後アメリカ政府により、彼の214もの特許が買い上げられてアポロ計画に活かされることとなります。
 

宇宙開発の歴史 ソ連の人工衛星

世界初の人工衛星の打ち上げに成功したのは1957年10月4日、ソ連が誇るスプートニクでした。
 

出典: https://ja.wikipedia.org

ソ連はそこからたった1か月しか経っていない11月3日に宇宙船スプートニク2号の打ち上げにも成功しました。
このとき乗務員として宇宙船に乗っていたのが一匹の犬、ライカです。ライカの乗った宇宙船スプートニク2号は行きだけの宇宙旅行で、二度と帰っては来ませんでした。

生物を乗せた初めての宇宙飛行を行ったソ連は、1985年5月15日に重さ1.3トンの人工衛星の打ち上げに成功します。その後1960年8月19日には犬やウサギ、ラット、マウスといった生き物たちを乗せて発射、地球を周回した後、みごとに生きたままの帰還を果たしました。

このときアメリカは少々遅れて研究が進み、初めての人工衛星の打ち上げは1958年1月31日のエクスプローラーによってでした。
 

宇宙開発の歴史 人類初の宇宙飛行士 ガガーリン

出典: https://jp.sputniknews.com

人類初の有人飛行は、1961年4月12日のことでした。ソ連が打ち上げた宇宙船ボストークと、それに乗り込んだ宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンによって成功をおさめます。
彼はこのとき、有名な「地球は青かった」との言葉を残しています。

宇宙飛行士ガガーリンを乗せたボストーク1号は地球を周回後、ソ連の牧場に着陸しました。
さらに1962年には二人同時の宇宙飛行、1963年には女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワの宇宙飛行を成功させました。

宇宙開発の歴史 アポロ計画

常にソ連のあとを追う形だったアメリカが、挽回するときがやってきました。アポロ11号による月面着陸です。
1961年、ジョン・F・ケネディ大統領が「今後10年以内にアメリカ人を月に着陸させる」と宣言し、始まったのがアポロ計画です。
そしてその宣言通り、1969年7月16日、アポロ11号によって人類初の月面着陸が成し遂げられます。
人類で最初の月面歩行者である宇宙飛行士アームストロング船長は「これは一人の人間としては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」との金言を残します。
このアポロ11号の月面着陸は、六億人もの人々がリアルタイムで聞いていたと言われています。

しかし栄光もつかの間、やがて人々が関心を失うと、20号まで計画されていたアポロ計画も、1972年のアポロ17号を最後として中止に追い込まれます。

その後に話題となったのが宇宙ステーションやスペースシャトルなのです。

宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 宇宙飛行初の死亡事故 ソユーズ1号炎上事故

初めにご紹介するのが、ソ連のソユーズ1号の炎上事故です。1967年、コマロフ宇宙飛行士を乗せたソユーズ1号は、帰還時に開くはずのパラシュートがもつれたために地面に激突し、炎上しました。
これが宇宙飛行で史上初の死亡事故です。

このスペースシャトルソユーズ1号は、事故前から欠陥があることがわかっていました。初飛行で事故を起こしたことからもわかる通り、いたるところが粗悪な作りだったのです。
全長約7メートルの機体の中で、実に203箇所もの構造上の問題が見つかっていました。このことから、宇宙飛行士ガガーリンはこのソユーズ1号の初飛行は見送るべきだ、との進言をしていたのですが、それは許されませんでした。

そのことをわかっていながら、自分を犠牲にして仲間を守るように、コマロフ宇宙飛行士飛行士はソユーズ1号に乗り込んだのです。

このソユーズ1号の動作不良個所はパラシュートだけではなく、アンテナや電源がうまく機能せず、進路をとるのもままならない状態であったといいます。さらにエンジンやセンサー、太陽電池パネルまでもが正常通りに働かず、酷い有り様だったようです。

そのような状態になることがわかっていながら、なぜコマロフ宇宙飛行士はソユーズ1号に乗り込んだのでしょうか。それは、親友だった宇宙飛行士ガガーリンを守るためだと言われています。
彼は自身がソユーズ1号に乗り込む一か月前に、ガガーリン夫妻を食事に招待します。その時に、自分がおそらく宇宙から無事に帰還できないこと、自分が乗らなければバックアップの宇宙飛行士ガガーリンが乗る羽目になること、そしてガガーリンを生かすために自分が乗ろうとしていることを打ち明けます。
コマロフ氏の尊い犠牲によって、ガガーリンは生き延びることができたのです。
 

都市伝説 コマロフの会話について

出典: http://russia.iroirobest.com

コマロフの最期の会話について、次のような都市伝説があります。
コマロフは最期の会話で、死にたくない、なぜ死ななければならないんだ、と騒ぎ立てた。
このような会話についての都市伝説は、すべて誤りです。会話の前の彼の行動を知ればわかる通り、彼はガガーリンのために死を覚悟しています。そんな彼の最期の会話がそのようなものなはずがありません。
彼の最期の会話について聞いた人はだれもおらず、会話の内容も、会話があったかさえもすべて謎のままだ、というのが真実です。
衝突を待つ間、彼はいったいどのような会話をしていたのでしょうか。会話はあったのでしょうか。会話にまつわる謎はすべて闇の中です。
 

宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 ソユーズ1号の写真資料等

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沈下したソユーズ1号の写真です。写真を見てわかる通り、ほとんどがめちゃくちゃになっており、跡形もありません。
 

出典: http://news.ameba.jp

ソユーズ1号に残されたコマロフ宇宙飛行士の遺体です。炭化しており、写真ではどの部分なのか判別しがたいほどです。
 

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ソユーズ1号の本来の姿の写真です。これがあの写真のような悲惨な姿になってしまうのですから恐ろしいものです。
 

出典: http://russia.iroirobest.com

コマロフの葬儀の写真です。コマロフの遺影にキスをしている写真中央の女性がコマロフの妻であるヴァレンティナ・コマロフです。
 

出典: http://russia.iroirobest.com

ガガーリンとコマロフを映した一枚の写真です。彼らの仲の良さがうかがえます。
 

出典: http://www.origo.hu

宇宙開発の裏側 スペースシャトル「ソユーズ11号」窒息死事故

ソユーズ1号の事故からしばらくたち、ソユーズ11号の事故が起こります。
この事故はソユーズ1号の時とは異なり、一見して正常に帰還したように思えました。
しかし、蓋を開けてみれば三人の犠牲者を出すとんでもない失敗だったのです。
ソユーズ11号は軌道モジュールと推進モジュールを切り離し、帰還カプセルで地球へ帰還するだけになりました。大気圏に突入後、全自動で行われる操作に任せ、クルーたちは座って故郷を待つだけです。
そのはずでしたが、着陸後、救助隊がハッチを開けると、その中は空気のない気密室でした。バルブのゆるみが原因となり、飛行士たちは窒息死してしまっているのでした。

スペースシャトルは飛行機とは違います。飛行機もスペースシャトルも空を飛ぶものではありますが、大きな違いは宇宙へと飛び立つかそうでないかです。
飛行機は地球から出ることはありません。上空を優雅に飛ぶのが飛行機です。
そんな飛行機とは異なり、スペースシャトルははるか遠くの宇宙にまで飛んでいきます。宇宙には当然空気などなく、飛行機が宇宙に行けばあっというまにみんな死んでしまうことでしょう。
その飛行機と同じようなことが、スペースシャトルで起こってしまったのです。ちょっとしたミスがあっただけで、三人もの命が失われてしまう。
これも飛行機とスペースシャトルの違いでしょう。

また、かかる費用も段違いです。飛行機もスペースシャトルも同じように着陸して帰ってきます。しかし飛行機のほうがコストは圧倒的に安いのです。スペースシャトルは飛行機とは比べ物にならないくらい多額の費用を必要とします。
さらに、操縦士の育成コストもかさみます。飛行機の操縦士よりもスペースシャトルの操縦士のほうが育成に多額の費用を必要とするのです。

そのため、スペースシャトルは飛行機以上に失敗が許されないのです。
 

宇宙開発の裏側 スペースシャトル「ソユーズ11号」の写真資料等

出典: https://ja.wikipedia.org

出典: http://spacesite.biz

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スペースシャトルが空中分解 宇宙開発での事故チャレンジャー号爆発事故

チャレンジャー号の事故は1986年1月28日に起こった爆発事故です。
打ち上げから73秒後にチャレンジャー号は空中分解、乗員の7名が死亡しました。
ソ連の先を越そうと躍起になっていたアメリカの起こしてしまった空中分解事故でした。
この空中分解事故の原因はチャレンジャー号の固体燃料補助ロケットから高温のガスが漏れ出てしまったことにありました。

このチャレンジャー号は実に9回ものフライトを成功させており、記念すべきチャレンジャー号10回目の飛行で起こった悲しい空中分解事故です。
チャレンジャー号の様子はCNNでもライブ中継されており、多くの人々がこの空中分解事故を見守っていたといいます。

誰も予想していなかったこのチャレンジャー号の空中分解事故。チャレンジャー号は大西洋上に墜落し、このチャレンジャー号の惨事は一般に広く知られることとなります。
 

チャレンジャー号の爆発の原因

チャレンジャー号の固定燃料補助ロケットの不具合の原因は、Oリングという部品の不備が原因でした。
このOリングは固定燃料補助ロケットの接合部を密閉するためのパーツであり、これがうまく働かないと高温ガスが漏出し、炎にかわり、そして外部燃料タンクへと燃え移ります。

チャレンジャー号のOリングの不具合は設計段階の不良によるもので、低温によって機能不全となってしまうものでした。
 

爆発したチャレンジャー号 爆発の前までの功績

チャレンジャー号はそれまでに9回ものフライトを成功させており、様々な活躍をしてきました。
チャレンジャー号一回目のフライトではスペースシャトル計画における初となる宇宙遊泳を、四回目のフライトでは宇宙遊泳を命綱なしで行うことができました。
さらに、Spacelabを運搬したり、アメリカ人女性初の宇宙飛行士を誕生させたり、太陽観測衛星の修理にも貢献しました。
チャレンジャー号は事故前まで多くの活躍をしていたのです。
 

スペースシャトルが空中で爆発 宇宙開発での事故チャレンジャー号の写真資料等

出典: http://karapaia.com

出典: http://natgeotv.jp

出典: http://overdplanes.doorblog.jp

宇宙開発中のスペースシャトル事故 コロンビア号空中分解事故

コロンビア号の空中分解事故は21世紀に入ってから、2003年の出来事でした。実に28回目のミッションの終了が目前となったころ、コロンビア号は大気圏突入の最中に崩壊、空中分解を起こしてしまいます。
この事故でコロンビア号の乗員7名は全員亡くなってしまいました。

この事故の原因は、NASAの危機管理能力のなさによるものでした。
コロンビア号が打ち上げられる際、その衝撃で外部タンク表面から発砲断熱材が剥がれ落ちのですが、NASAはコロンビア号の損傷について解決策を提示しませんでした。コロンビア号が帰還するより前に、コロンビア号の乗組員何名かがその損傷に対して提言したのにもかかわらず、です。
このコロンビア号の事故はNASAに対しての批判を集めることとなります。

もともと、コロンビア号の設計要件定義においては、外部燃料タンクの発砲断熱材は剥がれ落ちてはならない、と定められていました。
そのため、本来であれば発射前に外部燃料タンクの発砲断熱材がはがれるような危険性は排除しなければならないはずですが、NASAはこれを仕方ないとして発射を許可していたのです。
それも、コロンビア号の事故が起こるまで何度も行っていたというのですから驚きです。
コロンビア号の事故の時も、NASAはコロンビア号の乗員に対して「コロンビア号の断熱材の剥離は意に介す必要はない」と宣言していました。
その結果、コロンビア号の悲劇を引き起こすことになったのです。

コロンビア号の事故はコロンビア号の乗組員たちに罪はなく、NASAの指示のせいだったと言えます。

宇宙開発中のスペースシャトル事故 コロンビア号の空中分解事故の写真等

出典: http://masaokato.jp

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出典: http://karapaia.com

宇宙開発でのスペースシャトル爆発事故 遺体について

チャレンジャー号爆発事故では、遺体が発見されました。しかし、その中には誰の遺体か識別できないほどに損傷を受けた遺体もありました。この遺体のうち判別できた者は、遺体の遺族のもとへ送られました。また、機長や大尉の遺体は個人墓地に安置され、空軍大佐の遺体は太平洋国立記念墓地に埋葬されたそうです。
遺体の中で判別不可能な遺体は、アーリントンのチャレンジャー号記念碑に共同埋葬されています。
 

スペースシャトル爆発事故では爆発に巻き込まれた遺体は残る?爆発に巻き込まれてなくなってしまう?

遺体は残るものもあれば残らないものもあります。
ソユーズ1号の事故では炎上し黒焦げになった遺体が残されていましたし、チャレンジャー号の事故でも遺体が残っているものもありました。
逆に残っていないものは、爆発や空中分解に巻き込まれてしまい、判別不可能となったものだと言えます。

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