2021年10月05日公開
2021年10月05日更新
トリノの聖骸布とは?キリストの遺体を包んだ聖遺物は本物だったのか?
イタリアのトリノの大聖堂には、キリスト教の聖遺物とされる「聖骸布」という布が保管されています。 これは十字架に架けられたキリストの遺骸を覆った布とされ、長い間本物か否かという議論が続いています。 今回はトリノの大聖堂にあるこの聖骸布の謎に迫ります!
目次
- 1トリノの聖骸布(せいがいふ)とは?
- 2トリノの聖骸布とは? キリストの遺体を包んだ布!
- 3トリノの聖骸布の謎とは? その材質は?
- 4トリノの聖骸布の謎とは? 浮き出ている像!
- 5トリノの聖骸布の謎とは? ネガ状の画像を撮影してみると!
- 6トリノの聖骸布の謎とは? 残された血痕の跡!
- 7トリノの聖骸布の謎とは? 本物か、偽物か?
- 8トリノの聖骸布の謎とは? 年代測定装置による調査!
- 9トリノの聖骸布の像は、ジャック・ド・モレ―!?
- 10トリノの聖骸布の謎とは? 炭素年代測定法を無効とする意見(1)!
- 11トリノの聖骸布の謎とは? 炭素年代測定法を無効とする意見(2)!
- 12トリノの聖骸布の謎とは? 本物と裏付ける新説(1)!
- 13トリノの聖骸布の謎とは?本物と裏付ける新説(2)!
- 14トリノの聖骸布の謎:まとめ
トリノの聖骸布(せいがいふ)とは?
トリノの聖ヨハネ大聖堂
皆さんは、イタリアのトリノにあるキリスト教の有名な聖ヨハネ大聖堂の内部に厳重に保管し管理されている「聖骸布」という布の存在をご存知でしょうか?
この布は「トリノの聖骸布」と呼ばれ、キリスト教における聖遺物の一つとされ、十字架上に磔り付けになって処刑されたイエス・キリストを地面に降ろした後に、その遺骸を包んだ布であると言われています。
トリノの聖骸布とは? キリストの遺体を包んだ布!
十字架から降ろされたキリストの遺骸
左の絵画は、十字架上に磔り付けになって処刑されたイエス・キリストの遺体を、弟子たちが地面に降ろした後に布で包んでいる所を描いています。
周囲には、イエス・キリストの死を嘆き悲しむ女性達も描かれています
トリノの聖骸布の謎とは? その材質は?
左が聖骸布の画像です!
トリノの大聖堂にある聖骸布は、普段は一般公開されておらずキリスト教の聖遺物として箱に入れて厳重に保管されています。
この聖骸布は、キリスト教における主イエス・キリストを讃える特別な記念日や、式典の時に公開されています。
最近になって公開されたのは、丁度キリスト教の大聖年とされた2000年に一般公開され、その後2010年と2015年にも一般公開されました。
公開された際には、キリスト教の信者を始め多くの人々が、この聖遺物である聖骸布を見ようとトリノ大聖堂を訪れています。
これが実際の聖遺物と言われている、「聖骸布」の画像です。
この聖骸布の大きさは、縦が4.41mで、横幅が1.13mとなっており、材質は亜麻布・リンネルで薄く、象牙色をしています。
トリノの聖骸布の謎とは? 浮き出ている像!
上の画像は少し小さいので、聖骸布の左半分を拡大したのが左の画像です。
よーく見ると、画像の中央に頭を右にした人物の像が浮き出ているのが見えるでしょうか?
この像は正面から見た痩せた男性の全身像のようで、身長は180cm位あります。
この像が、磔で処刑されたキリストを十字架から降ろし、この布で包んだ時に付いたキリストの像と言われているのです。
そしてこの像は白黒が反転されたネガのようにも見えます。
この聖骸布は、元々フランスのリレのシャルニー家が所有しているところを発見されました。
その後、何人かの所有者、保管場所の変遷などを経て、1450年頃に教会に寄贈され保管されていました。
この聖骸布の表面の所々に残る長3角形のような模様がありますが、この模様が意味するところは1532年にフランス・シャンベリの教会に折り畳んで銀の箱に入れて保管されていた際に火災に遭い、その時に銀の箱が溶けて聖骸布の一部の角が燃えて損傷した跡と言われています。
そしてその後、1530年代に聖クララ修道会によって修復されました。
そしてその後1570年頃にトリノの大聖堂へと移され保管されたのです。
トリノの聖骸布の謎とは? ネガ状の画像を撮影してみると!
左の画像の2枚の内、左は元の聖骸布の写真、そして右の写真は1898年にイタリアの弁護士でアマチュア写真家であったセコンド・ピア氏が、初めて左の聖骸布の写真を撮影した時の写真です。
白黒が反転したことにより、更にくっきりとした像が浮かび上がりました。まさにキリストと思える像ですね。
トリノの聖骸布の謎とは? 残された血痕の跡!
さらに頭の部分を拡大したのが、左の画像です。
この画像の白く見える部分は、キリストが磔で処刑される時に、いばらの冠を被せられ頭から出血し、額に流れているの血痕の跡と言われています。
そしてこの布を真中から二つ折りにして遺体を包んだと見られ、頭部の他にも、手首や足、脇腹部分、背中などに血痕が残っています。
手首や足に残る血痕は、磔になった時の手や足に打ち込まれた楔の跡のようで、脇腹の血痕は処刑の最後にローマ兵により、槍で突かれた跡と言われています。
背中の部分の血痕は、処刑前に鞭で打たれた傷から流れた血の跡のようです。
またこの血痕の血液型は、AB型と判定されました。
トリノの聖骸布の謎とは? 本物か、偽物か?
聖骸布は通常は箱に入れてトリノ大聖堂に厳重に保管されて一般公開はされていませんが、キリスト教の大聖年とされる2000年に一般公開され、その後2010年、2015年にも公開されました。
しかし公開される度に、この聖骸布が本当にイエス・キリストを包んだ本物の聖遺物であるのか、それともの偽物であるのか、常に議論を呼んできました。
トリノの聖骸布の謎とは? 年代測定装置による調査!
放射性炭素年代測定装置
この聖骸布に対して本物かどうか、1988年に大々的な調査が行われました。
調査に参加したのは、オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3研究機関で、キリスト教会の許可を得て、聖骸布から切りとったサンプルの布を三つに分けて、それぞれの研究機関による新テクノロジーを駆使した「放射性炭素年代測定法」による調査が行われました。
この炭素年代測定法測定法により、調査対象となる物質ができた年代が解るとされています。
そしてこの測定方法による調査の結果、この布自体は1260年から1390年の間の物であると推定されました。
すなわちこの調査結果が意味するところは、この布がキリスト生誕より1200年以上も後に作られたものと結論付けられたことです。
つまり、聖骸布が本物であるという事が否定されたのです。
トリノの聖骸布の像は、ジャック・ド・モレ―!?
上記の三研究機関による、聖骸布が本物か否かの調査の結果、聖骸布と言われて布片は1260年から1390年の間の物で今から約700年前の物であることが結論づけられました。
それでは、この聖骸布と言われる布に現れている像は一体誰なのか? 興味が湧くところです。
ジャック・ド・モレ―とは誰?
聖骸布とジャック・ド・モレ―
キリスト教が起こった約2000年近く前にキリストを包んだとされる聖骸布ですが、近代テクノロジーを駆使した「放射線炭素年代測定法」での調査の結果、聖骸布が織られた年代は2000年前ではなく、今から約700年前と判明し写っている像はキリストではないと結論づけられました。
では、この布に写っているのは一体誰なのでしょうか?
この700年前という年代と合致するのはフランスのテンプル騎士団最後の総長であるジャック・ド・モレ―ではないかと言われています。
この根拠になっているのが、聖骸布が発見された場所がフランスのテンプル騎士団の副総長だったシャルニー家だったことによります。
ジャック・ド・モレ―はテンプル騎士団
ジャック・ド・モレ―は騎士団総長
また聖骸布に表れている像の身長は約180cm位で、ジャック・ド・モレーの身長も同じ位と推定されることです。
さらに聖骸布に表れている顔も、どことなくジャック・ド・モレーに似ています。
そしてこの聖骸布はフランスのシャルニー家というフランスの代々の騎士の旧家で発見されたのです。
この家の主はテンプル騎士団副総長で、ジャック・ド・モレーを支えた騎士です。
これらのことが考慮されて、この聖骸布がジャック・ド・モレーのものと言われており、この画像こそテンプル騎士団の最後の騎士ジャック・ド・モレーのものであると言われているのです。
ジャック・ド・モレ―が総長を務めたテンプル騎士団は当時膨大な資産を保有していたのですが、これを嫉妬したフランス王により、ジャック・ド・モレ―は異端であるという無実の罪を着せられ、異端審問という宗教裁判位にかけられて有罪となり処刑されてしまいました。
トリノの聖骸布の謎とは? 炭素年代測定法を無効とする意見(1)!
調査結果を否定!
前述のとおり、聖骸布に対して本物かどうか、1988年に研究チームにより「放射性炭素年代測定法」を用いた調査が行われましたが、その結果、この布自体は1260年から1390年の間の物であると推定され、キリスト生誕より1200年以上も後に作られたものと結論付けられました。
「放射性炭素年代測定法」を用いた調査結果は無効!
しかし、この「放射性炭素年代測定法」を用いた調査結果に対して、 異議を唱える教授が現れるました。
その人は、テキサス大学のレオンシオ・ガルツァバルデス教授で、著作「イエスのDNA」などで知られる、イエス研究の第一人者です。
教授はこの調査結果を否定する理由として次のように述べています。
「私自身も調査に使用した聖骸布のサンプルの一部を入手しました。そして、このサンプル布は”バイオプラチック”という微生物の幕で覆われていることを突きとめたのです。それが意味するところは、この微生物の影響で、測定結果に大きな誤差が出ることが判明し、結果として、実際よりもっと新しい年代を算出してしまうことが分ったのです。従って、以前に行われて調査結果は信憑性が薄いという事になってしまいます。」
そして調査結果が信じるに値しないとなり、聖骸布の謎はまた振り出しに戻った形となりました。
トリノの聖骸布の謎とは? 炭素年代測定法を無効とする意見(2)!
さらに、この炭素年代測定法による調査結果に異議を唱えるロシアの科学者が現れました。
この科学者が調査結果を否定する理由として、以下の点を指摘しています。
「聖骸布は教会に保存されていた時に、一度火事に見舞われており、その時に付着した煤(すす)などにより炭素の量が変わっており、『放射性炭素年代測定法」による、検査方法が相応しくないこと。また調査機関より調査データが公開されていないこと」などを指摘しています。
そう言われると、煤には炭素も多く含まれていることから、この異議の意味するところもまともに聞こえます。
そして調査結果が信じるに値しないとなり、上記のテキサス大学の教授の説と合わせると、聖骸布が本物か否かの謎は増々深まってしまいました。
トリノの聖骸布の謎とは? 本物と裏付ける新説(1)!
その後イタリアの学者がこの聖骸布の立体映像の画像を調査している時に、この画像の顔の部分の右目の上と、左眉の上にに丸い形状の物があることを発見し、さらにこの部分を拡大してみると、「CAI」と読める文字を確認したのです。
そしてキリストが生きた時代のユダヤの埋葬方法は、死者の顔にコインを貼り付ける風習があったことが分りました。
さらに「CAI」と読める文字は、紀元29年位発行されたコインに刻まれている文字と判明されました。
すなわち、キリストの遺体を埋葬する時に顔に二つのコインを置き、それが聖骸布にも映ったのではないかと言う事を意味しています。
果たして、画像に写った丸い物の正体はコインでしょうか?
トリノの聖骸布の謎とは?本物と裏付ける新説(2)!
またある学者の研究によると、聖骸布に付着している花粉などを調べた結果、49種類の花粉を確認し、その内13種類はイエス・キリストが処刑された聖地エルサレム周辺だけに生えている植物であることが分かりました。
その内、2つの花粉は「グンデリアアザミ」と「ビーンケーパ」という植物で、これらは3-4月に咲き、丁度キリストが処刑された時期と一致することを意味しています。
聖骸布をめぐる調査結果や、それを否定する意見、また新たに唱えられた説など、聖骸布が本物であるか否かの議論は、諸説が多数ありそれぞれ意味深長で、まだどちらとも結論が出ていない状況です!
そんな状況の中、前のローマ法王のヨハネパウロ2世は、次の様な言葉で人々に語りかけました。
「聖骸布の信憑性は私たちにとって大きな問題ではない。聖骸布はいつの時代でも、潔白な人の苦難の象徴であり、その結果によって我々の信仰心が揺るぐことはない」
トリノの聖骸布の謎:まとめ
イタリアのトリノ大聖堂にある、キリスト教の聖遺物と言われる「聖骸布」本物なのか?
これまでにもその真偽を巡って様々な議論が展開されてきました。本物とする根拠や意味、それを否定する根拠もそれぞれ一理あり、どちらが本当なのかその真相は依然闇の中のようです。
そんな時に、前のローマ法王パウロ2世の言われた言葉の意味していることが思い出されますね。