戦国時代の武士たちはどんな食事を食べていたの?
戦国時代の武士達は、色々な物を食事として食べていたんですね。戦国時代の武士達の食事は、縄まで食べていたというから驚きです。現代の食生活がどれだけ恵まれているのか、調べてみると良くわかりますね。兵糧丸など自作して、戦国時代に思いを馳せるのも面白いかも。
目次
戦国時代の武士が取っていた食事とは?
武士の食生活とは?
戦国時代の武士は、今の日本の食事と違い、どんな食事を取っていたのでしょうか?
「武士は食わねど高楊枝」なんてことわざもありますが、戦国時代の武士は食事を取っていなかったの?と思いがちですが、実際には食べなければ、戦も出来ないわけですから、食事は取っていたみたいです。
三国志などの漫画にも、兵糧攻めなんて言葉があるように、武士に取って、食事は大切な物でした。
兵糧丸なんて、言葉を聞いたことがある人は、もしかしたら漫画の「NARUTO」のファンかも知れないですね。
現代風に言うと、戦国時代の食事は「ミリメシ」ですね。
我が家では、妹達が自衛隊にいたので、ミリメシは知っていますが、戦後時代のミリメシこそが、兵糧丸に代表される食事だったんですね。
以下に、戦国時代の武士がどんな食生活を送っていたのか、まとめてみました。
朝夕の食事は、うまからずとも褒めて食うべし
— ひすいこたろうBOT (@hisuikotarouBOT) October 20, 2017
伊達政宗(戦国時代末期の武将)
一日三食の食事の風習は、江戸時代から
庶民にも一日三食が習慣となりました。
戦国時代の武士の食事は?
戦国時代武士たちは、非常食を食べますが、戦とは言う物の、日本では戦そのものよりも、むしろ城の建築などに時間やお金をかけていたと言います。
戦で戦うよりも、築城などに重きを置いていたんですね。
攻めることよりも、守ることに重点を置いていたのでは?と思います。
武士の標準的な食事は、一日に朝と夕方の二食でした。
ただし、重労働の武士については、一日三食の食事が割り当てられました。
基本的には、この武士たちの食生活が江戸時代にも取り入れられ、武士の食生活にとなじんでいきます。
同時に庶民もまた、一日三食の風習が現れるのも、江戸時代だったんですね。
今の日本では当たり前の一日三食の食事は、江戸時代にすでに確立されていたんですね。
とは言え、内容はやはり、今の私達との食事とは比べ物にならないくらい、質素な食事だったそうで、それが逆に健康の秘訣だったとも言えます。
大河ドラマじゃなくてもいいから、戦国時代の焼き味噌とか乾飯とか当時の食事を紹介してくれると面白いがな。
— Sz73 (@Sz73B) August 11, 2017
戦国時代の武士の食事の基本は?
非常食ももちろんですが、食生活は質素でした。
戦国時代の武士達は、いつ戦が始まるかわからないので、早朝になると、朝と夕方の分のお米を一気に炊いていたそうです。
というのも、戦は日中に起こることが多く(夜襲など一部例外もありますが)、夕方の食事の準備をする暇がなかったんですね。
夜襲が頻繁に起こることなどから、夜にはちゃんと食事の用意をして、お腹を満たしてから眠りにつくと言うのが日常だったみたいですね。
当時の武士の食生活は、朝に温かいご飯を食べ、昼にはお弁当(非常食とはまた違いますが、兵糧丸やおにぎりなど)を食べ、夕飯も温かい物を食べると言う、今と余り変わらない食生活のスタイルだったようです。
現代の食生活の原点は、戦国時代のミリメシにルーツがあったというわけですね。
食事を面倒くさがって食べないでいると人間って一日どれくらい食事をとるんだかなんかよく分かんなくなってくる。何でこんなにお腹減るんだって思ったんだけど、戦国時代だって一日二食だもんな。
— サクサク分度器パレード🍞 (@amasaka_azu) August 8, 2017
戦国時代の武士の食事でもあった非常食とは?
兵糧は、干飯も多かったと言います。
「炒米」や「干飯」は、戦国時代の代表的な一種の非常食であったと言えます。
戦国時代の漫画では、干飯を川の水につけて、柔らかくしてから食べるなどのシーンもあります。
米などの主食になる穀物などを、一旦加熱してから、乾燥させるというオーソドックスな戦国時代の非常食でもあります。
そのままかじっても美味しく、お湯で煮ても美味しかったみたいで、実際にはお湯と一緒に食べて、口の中で柔らかくしてから食べるという方法が多く取られていたみたいですね。
干飯は、現代で言えば、「アルファ米」に近い位置づけです。
健康面から言えば、昔の人の方が健康食を食べていたとも言えますね。
戦国時代の「干飯(ほしいい)」という非常食。「飯」という言葉を見て食べてみたいと思い調べたら、予想通りずいぶん固い食べ物とのこと。じゃあどれくらい固いかさらに調べたら「仏壇に供えてる仏飯よりも固い」とのこと。食欲が失せた。仏飯という文字を見て食欲をかきたてられる人間はいない。
— プロブレム (@problem2357) September 21, 2017
戦国時代の武士の食事のお供:焼き味噌
非常食のお供にうってつけ?
兵糧と言えば、干飯が多いと書きましたが、そのままだとやはり味気なかったのか、一緒に焼き味噌なども持ち歩いていたそうです。
焼き味噌は、発酵食品で体にも良いですし、調味料としても使える上に、長持ちするとのことで、戦国時代の武士のマストアイテムでもあったそうです。
米や塩と同じく、兵糧の一つとして、大事な食品でもあったんですね。
ただ、塩は長持ちしますが、ただの味噌だと長持ちせずにカビてしまったりするので、焼いて保存性を上げていたんですね。
昔の人の知恵袋という感じです。
この焼き味噌をお湯に溶かせば、すぐに味噌汁が出来ますし、おかずの代わりにかじったりもしていたそう。
元々味噌自体は、中国から伝わったものですが、奈良時代には伝わっていたみたいで、戦国時代には、各地で秘蔵の味噌みたいなのがあったみたいです。
全国から武士が集まった関ヶ原の合戦などでも、お国自慢の一つとして使われていたかもと考えると、ちょっとユニークですよね?
戦国時代の湯漬けをやってみたくて土鍋で玄米炊いてわざわざ冷飯にして焼き味噌作ってやってみた。あっつあつのお湯をかけても冷飯って芯まではあったまらないしお湯も冷めるし味は美味しいけど現代人の舌には物足りない感じでした。やっぱ現代文明の力凄い
— 星丸 (@_hoshimaru) February 5, 2017
戦国時代の武士の食事のお供:梅干し
戦国時代の食べ物と言えば、梅干しも!
焼き味噌も人気でしたが、やはり日本人なら、戦国時代でも非常食として、梅干しを持ち歩いていたそうです。
何しろ、戦では激しく汗をかく武士達にとって、手軽に塩分補給が出来る梅干しは人気があったみたいですね。
確かに、おにぎりに入れても美味しいですし、長持ちしますし、食べ物としても非常食としても、うってつけの食材ですよね?
更には、栄養学的に言うと、梅干しに含まれるクエン酸や塩分が、武士達の疲れを取るのにも、威力を発揮していたようです。
食事は、戦国時代でも大切なのは、数々の歴史書が証明しています。
食事を取らないで戦をするとなると、まず武士などの間から不平や不満が出て、戦意が減ってしまいます。
兵糧攻めは、一番効果的な戦法と言われる理由も、何だか頷けますね。
ただ、梅干しはそのままでは持ち歩きにくいので、種を取って、糸で吊るして持ち運んだそう。
ここでも、生活の知恵が垣間見えますね。
おにぎりの具というと、歴史的にずっと梅干しだと思うので、鮭おにぎりってのは明治時代以降の最近できたものなのだろうな。鮭は戦国時代や江戸時代には大名が好物として食べたり贈ったりするもので、前近代には高級感のあるものだったんじゃないかと思う
— たまがー🍊/佐々原廠 (@Tamagawa_GHQ) June 20, 2017
戦国時代の武士は、縄も食べ物だった?!
縄まで食べ物に?!
食事に縄とか、今では考えられない!
驚くことに、戦国時代の武士は、縄さえ食べ物だったようです。
「芋茎縄(いもがらなわ)」と呼ばれるのがそれで、里芋の茎(ズイキ)を味噌汁で煮詰めた後乾燥させ、縄にしたものが食べ物として珍重されていたんです。
腰に巻き付けたものを、味噌汁などで戻しながら、食べていたんだそう。
兵糧丸なども有名ですが、縄まで食べ物にしてしまうなんて、驚きですね。
確かに、茎も食べられると言えば食べられるかも知れませんが、決して美味しくはなかったでしょうね。
戦国の兵糧飯は、干飯やいもがら縄などの乾燥食品と、焼き味噌や梅干しなどの発酵食品が多く、食生活は決して豊かとは言えませんが、それでも食べ物は大事にしていたということの表れだと思います。
いもがら縄は、味の想像がつきませんが、ちょっと一度くらいは試してみたいですね。
縄文時代の干し肉、戦国時代のいもがら縄、明治時代の牛なべ。ラケが個人的に食べたいと思う歴史上に登場する食べ物。ま、牛なべは今でも食べられてますけどね。
— ラケットコワスター@火薬庫 (@chinishihefuchi) October 18, 2015
戦国時代の陣中食:兵糧丸とは?
兵糧丸は陣中食だった?!
出典: https://serai.jp
戦国時代の武士は、いつでも好きな時に食事を食べることが出来なかったと言います。
そこで、用いられたのが「兵糧丸」と呼ばれる陣中食です。
というのも、おにぎりなどだと、もって三日くらいなので、保存に適していたとは言えなく、戦が起これば、何日も家に帰れないことがほとんどなので、陣中食が絶対に必要だったんですね。
兵糧丸は、現代で言えば、お団子の一種とも言えます。
材料も、小麦粉やそば粉、きな粉、すりごま、白玉粉などに、塩や砂糖、水などを加え、練り上げたものを陣中食として用意していたんですね。
セイロで蒸した後、天日干しをすることで、飛躍的に保存期間を伸ばした一品です。
材料も武士によって色々な材料が使われていて、上杉家では黒大豆を使っていたと言いますし、武田家では梅干しなどを加えていたと言います。
陣中食も武士によって様々な種類があったんですね。
今はレシピも公開されているようで、食べた人の感想では、食べやすくいくらでも食べれそうなのに、すぐにお腹が膨れるという、不思議な感覚だったそうです。
グリコの「1粒300M」ではありませんが、効果的には、似たような陣中食だったんですね。
陣中食は武士の階級によっても、違いはあると思いますが、兵糧丸は一番有名な陣中食だと思います。
私も今度レシピを見て、作ってみたいです。
とりあえず、今日作った兵糧丸。4個作ったので1個食べてみてるけど、予想に反してうまい。すり胡麻と梅干しがよく効いてる。 #戦国時代
— こーん (@kuma_kubo) March 8, 2017
戦国時代の武将達が好きだった食べ物は?
食事のマナーなどもあったみたいですね。
戦国時代の武将は、どんな食べ物が好きだったんでしょう?
武将ごとに、簡単にまとめてみますと。
●織田信長:塩辛く、田舎くさい料理が好き
大根の味噌漬けやネギ味噌などが大好物だった織田信長は、少しでも味が薄いと激怒したと言います。
織田信長は、肉体と精神をすぐに回復させる塩分を少しでも取ろうという考えだったみたいです。
●徳川家康:麦飯が大好物?
「長寿こそ勝ち残りの源である」と言い放っていた徳川家康は、食事を良く噛んで食べることに重きを置いていたと言います。
生涯において、麦飯を好んで食べていたとされています。
麦飯には、ビタミンやカルシウムが含まれているのですが、少々食べづらいので、良く噛むしかなかったみたい。
でもそれこそが、徳川家康が長寿だった秘訣。
ただ、鯛の天ぷらで命を落としたのでは?とささやかれる程の鯛の天ぷら好きとしても知られ、本当そうだとしたら、長寿の秘訣とは言えなさそうですね。
●豊臣秀吉:歳を取る毎に、食べ物も柔軟に変えていた?
豊臣秀吉の大好物は、味噌味の焼きだこだったそうです。
タコに含まれるタウリンが、秀吉の健康の秘訣でもあったみたいですね。
普通の武士ならともかく、武将ともなれば、食事のマナーにも気を付けないといけなかったでしょうね。
みっともないマナーをさらけ出しては、家来の手前格好がつきませんし。
でも、これと言ったマナーは、基本的に戦の最中ではなかったみたいで、マナー以前に勝つのが本目的でしたから。
いざ宮中や、城に戻ると、食事の時のマナーだけでなく、接見のマナーなど、色々あったでしょうね。
織田信長は、マナー嫌いで、ある意味とんでもないことで度肝を抜くのが好きだったみたいですが、それでも殿様としてのマナーは持っていたみたいです。
食事くらいマナーなしでも大丈夫なのでは?と思いますが、マナーを知らない殿様は、絶対に部下をけん引出来なかったでしょう。
作法やマナーは、この頃からしっかりと守られてきたように思います。
そうだった、腐の世界はいつの世も戦国時代じゃ……
個人が勝手に決めたマナーやルールとかの押し付け合いや殴り合いを何度見たことか……
なんだかなぁ……
— Umi (@hzr_0) May 25, 2017
戦国時代が終わり、江戸時代での庶民の食べ物は?
戦国時代が終わり、江戸時代になると、ようやく一日三食の食生活が庶民の間にも広まります。
では、庶民はどんな食事をしていたかと言いますと。
江戸時代には、現代のようなテーブルがありませんので、一人分ずつお盆に乗せて食事をしていたそうです。
盛り付けは、シンプルな一汁一菜の膳。
庶民の食事の基本は、一汁一菜だったんですね。
でもここで、そんな程度の食事で足りるの?と疑問が出るわけですが、江戸時代は今とちょっと様相が異なるようです。
その違いとは、庶民は一日にお米を5合以上食べていたんだとか。
ちなみに、一人で5合です。
家族で5合食べていたとかではなく、一人分の量なんです。
江戸っ子の間では、白米を食べられるというのが一種のステータスでもあり、庶民のカロリーの源は、ほぼ白米から得ていたんですね。
道理で、脚気などの病気にかかりやすいわけです。
江戸時代では、昼食が一番豪華で、朝食は、ご飯とみそ汁だけという家庭も多かったんだとか。
脚気が起きやすかったのには、食糧事情が影響していたんですね。
ちなみに、庶民だけでなく、武将でも江戸将軍のうち、10代、13代、14代の将軍が脚気で命を落としたとも言われています。
おはようございます☔️昨日は江戸時代の一般的な朝食の模型を見て(沢庵、米、豆腐のお吸い物、メザシ2匹)いかに現代人の食料事情が恵まれているか実感しました。平均寿命56歳、脚気に苦しむ人多数だったそう😞
— Yuming-METAL (@yumi_yuming) September 5, 2017
まとめ:戦国時代の武士の食事
戦国時代の武士の食事は、とにかくスタミナのつくものを食べていたんですね。
戦国時代が終わり、江戸時代になると、一日三食の習慣も根付いたようで、でも現代と比べると、食事は本当に質素だったんだとか。
今の私達が、どれだけ食生活で恵まれいるか良くわかりますね。
好き嫌いのある方は、一度戦国時代の食事をしてみれば、自分がどれだけ恵まれているかわかるかも知れません。