ロシアの「怪僧ラスプーチン」って何者?ホルマリン漬けになった巨根…

ラスプーチンはロシアの寒村に生まれ、修行僧時代にロマノフ王朝のロシア皇帝の皇太子の病を癒したことから、皇后に信頼され内政にも干渉するようになっていき怪僧ラスプーチンと呼ばれるようになりました。 今回は、怪僧ラスプーチンの生い立ちからその末路までを紹介します。

ロシアの「怪僧ラスプーチン」って何者?ホルマリン漬けになった巨根…のイメージ

目次

  1. 1怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! その生い立ち
  2. 2怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 巡礼に出る
  3. 3怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 神秘主義に傾倒!
  4. 4怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 皇太子を治療!
  5. 5怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 皇太子快方に向かう!
  6. 6怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! ロシア皇帝の信頼を得る!
  7. 7怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 宮廷に入り込む!
  8. 8怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 貴族たちが反発!
  9. 9怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! ロシア内政は傀儡政治!
  10. 10怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 暗殺決行!
  11. 11怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 遺体発見!
  12. 12怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 暗殺主犯のその後!
  13. 13怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 自分の死を予言する!
  14. 14ラスプーチンに関連する映画
  15. 15ラスプーチンに関連する漫画
  16. 16ボニーMが唄って大ヒットした”Rasputin” (ラスプーチン)
  17. 17まとめ

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! その生い立ち


怪僧グレゴリー・ラスプーチン
 


出典: http://www.fokuzz.com
 


グレゴリー・ラスプーチンは、帝政ロシア末期にシベリアの寒村に生れましたがその村には学校が無く、村の大半の子供と同じようにラスプーチンも読み書きができなかったとされています。
1887年にラスプーチンは結婚しますが、5年後、野良仕事をしているとき「生神女マリヤ」の啓示を受けたといわれ、唐突に父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して村を出て行きます。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 巡礼に出る


左から修行僧時代のラスプーチン(左側)
 


出典: https://ja.wikipedia.org
 


ラスプーチンは巡礼の途中で修道院で数か月過ごしていく内に次第に熱心な修行僧になっていきました。
彼は十分な教育を受けていなかった為に、独自の解釈で聖書を理解しており、その熱心な姿勢が人々に好感を与え、サンクトペテルブルクに行ったラスプーチンは、人々に神の教えや病気治療を施して信者を増やし「神の人」と称されるようになっていきました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 神秘主義に傾倒!


ロシア皇帝ニコライ2世の四皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とラスプーチン(1908年)
 


出典: https://ja.wikipedia.org
 


ロマノフ王朝の最後の子孫
4皇女と皇太子
 


出典: http://aioi.blog6.fc2.com
 


ラスプーチンは、丁度その頃神秘主義に傾倒するロシア皇帝ニコライ2世の皇女ミリツァとアナスタシアの姉妹から信頼を得るようになり、この姉妹の紹介で300年続いたロマノフ王朝の子孫にあたる皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラに謁見しました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 皇太子を治療!


ラスプーチンはロマノフ王朝の子孫ロシア皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラに謁見し、皇帝、皇后から血友病患者であった長男の皇太子アレクセイの治癒を依頼されました。
血友病とは「皮膚の内外に係らず出血すると止まりにくくなる病気」で、現在でも完治するのは難しい病気の一つとなっています。
当時のロシアでは「血友病」は正体不明の不治の病として恐れら、皇帝夫妻は世継ぎとしての皇太子が無事成長できず子孫を残せないのではと悩んでいたのです。
 


ロマノフ王朝の最後の子孫ロシア皇帝一家
ニコライ2世と皇后アレクサンドラ(中央後ろ)、4人の皇女、皇太子アレクセイ(右2人目)
 


出典: http://pataniscassatanicas.blogspot.co.nz
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 皇太子快方に向かう!


皇帝の依頼を受けて、ラスプーチンが皇太子の治療にあたり祈祷を捧げると、翌日にはアレクセイの発作が治まって症状が改善していきました。
ラスプーチンは血友病の皇太子アレクセイを治療し快方に向かわせたことで、皇帝夫妻から絶大な信頼を得て、「我らの友」とか「聖なる男」と呼ばれるようになリました。
 


ロマノフ王朝の最後の子孫
皇太子アレクセイ
 


出典: http://blog.goo.ne.jp
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! ロシア皇帝の信頼を得る!


しかし皇帝を取り巻く側近など多くの人々はラスプーチンをイカサマ師とかペテン師だと考えていました。
皇帝一家の侍医などは、ラスプーチンの治療は催眠術を使ったものだと信じており彼を皇帝一家から遠ざけようとしました。
またラスプーチンが薬草チベット・ハーブで皇太子アレクセイを薬漬けにしているという噂が広まりました。
ただ、当時ラスプーチンは催眠術などに興味を抱いておらず、また、チベット・ハーブで薬漬けにしたという話も確たる証拠がある訳でも無く、実際にどのように治療したのかは不明のままですが、この当時流通していたアスピリンを投与しての鎮痛治療ではないかと推測されています。
ただ実際には皇太子の症状は好転し、皇帝夫妻から信頼を得たという事実だけが残っています。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 宮廷に入り込む!


宮廷の女性たちの支持を受ける!
 


出典: http://karteria1.blogspot.co.nz
 


やがてラスプーチンは宮廷に容易に出入りできるようになっていきます。
そして皇后アレクサンドラはじめ宮廷の貴婦人や、宮廷貴族の子女からその「神秘主義」や「病気治療」の実績から、熱烈な信頼や信仰を得るようになっていきます。
一説では、彼が女性たちの絶対的な支持を得たのは、彼の巨根と超人的な精力によるという噂が広まっていました。
さらにこの時期には「ラスプーチンと皇女アレクサンドラが愛人関係にある」という噂も流れていました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 貴族たちが反発!


ラスプーチンは、貴族たちから反発を招く!
 


出典: http://all-that-is-interesting.com
 


この頃宮廷でロシア皇帝夫妻の信頼を得ていたラスプーチンは、信仰だけでなく国政へも口出しをするようになり、貴族たちは次第にラスプーチンに対して不信感と嫉妬心を抱くようになっていきました。
そして次第に「ラスプーチンを暗殺せよ!」という声が囁かれるようになっていきました。

1914年、生まれ故郷に帰っていたラスプーチンは自宅で黒い布で顔を覆った暴漢から短剣で腹部を刺されましたが家から飛び出し、付近にあった棒で反撃し、命を落とすことは無く、その後病院で7週間治療を受けました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! ロシア内政は傀儡政治!


ロシア皇帝夫妻をラスプーチンの傀儡(かいらい)として描いたポスター
 


出典: https://ok.ru
 


1914年、第一次世界大戦が始まると、皇帝ニコライ2世は7月にロシア軍総動員令を布告しドイツ軍との戦争へと突入していきます。
皇帝は兵士を鼓舞する為にペトログラードを離れ戦線に出向き、内政はアレクサンドラと相談役としてラスプーチンが担当することになり、ラスプーチンの国政への影響力は益々増大していきました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 暗殺決行!


暗殺を主導したロシア皇帝の縁戚フェリックス・ユスポフ
 


出典: https://rs-lat.sputniknews.com
 


1916年12月16日夜、暗殺を主導した皇帝の姻戚関係にあったユスポフ公は皇帝の従兄弟のドミトリー大公と共謀しラスプーチンを自宅に招き、青酸カリ入りの食事と紅茶を用意し、ラスプーチンは全て食べましたが青酸カリの効果が現れず、ユスポフは驚き拳銃で2発、ラスプーチンめがけて発射し、銃弾は心臓と肺を貫通し彼は床に倒れました。

しかし、死んだと思われたラスプーチンは起き上がり目を見開きユスポフに迫って来たので、彼は驚愕し中庭に逃れ、彼を追ってきたラスプーチンは他の暗殺仲間から拳銃で4発撃たれ絶命しました。
その後ラスプーチンの遺体は絨毯で簀巻きにされ、凍りついたネヴァ川の氷を割って開けた穴に投げ込まれました。
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 遺体発見!


ラスプーチンの遺体
 


出典: http://viola.bz
 


12月19日早朝、ラスプーチンの遺体はネヴァ川に架かる橋の傍の川岸で発見されました。
遺体の足はロープで縛られ、両腕は死後硬直で伸び切っていました。
ラスプーチンの遺体は教会に運ばれ、検死が行われ、死因は頭部を狙撃された為と結論付けられました。
また暗殺者たちに切り取られた「ラスプーチンの男根」とされる、約33センチの巨大なアルコール漬の標本が、サンクトペテルブルクの博物館に保存されています。
 


「ラスプーチンの男根」
 


出典: http://wadailog.com
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 暗殺主犯のその後!


暗殺を主導したのは皇帝の姻戚関係にあったユスポフ公や皇族のドミトリー大公であったため、警察は満足な捜査を行うことが出来ず、暗殺現場であるモイカ宮殿に立ち入ることすらユスポフに拒否され出来なかったとされています。
さらに、ソビエト連邦成立後に捜査資料の大半が破棄もしくは消失したためラスプーチン暗殺の詳細は不明な点が多く、様々な逸話が残り、その真相は深い闇の中に葬りさられています。
 


ラスプーチン暗殺を共謀した
皇帝の従兄弟のドミトリー大公
 


出典: http://blog.goo.ne.jp
 

怪僧グレゴリー・ラスプーチンの生涯! 自分の死を予言する!


ラスプーチンは暗殺される少し前にニコライ2世に謁見し、次のような予言ともとれる不気味な言葉を残しています。

ラスプーチンの予言の内容
「私は殺されます。その暇乞いに参りました。私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。もし、私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げ子孫を残せない事となりましょう。そしてロシアは長きにわたって多くの血が流されるでしょう」と予言。

ラスプーチンが皇帝の一族によって暗殺された後、ロシアでは革命が勃発し、300年続いたロマノフ王朝は崩壊し皇帝一家は一人残らず幽閉された後に惨殺され子孫を残すことができず、ラスプーチンの予言は的中します。

ただ、一説によると四女のアナスタシアだけは情けをかけられ殺害されず、逃げ延びて生存したという話が残っており、映画「追想」やアニメ「アナスタシア」の題材となっています。

そしてその後ロシアではソビエト連邦に至るまで、時の主導者により多くの血が流されることになっていき彼の予言通りになっていきました。
 


レーニン
ラスプーチンの予言通り多くの血が流されることに。
 


出典: http://www.telegraf.rs
 


スターリン
ラスプーチンの予言通り多くの血が流されることに。
 


出典: http://labaq.com
 

ラスプーチンに関連する映画


ラスプーチンに関して以下の映画が作られました。

①The Fall of the Romanoffs(英語版映画ー1917年)
②怪僧ラスプーチン(英語版映画ー1932年)
③怪僧ラスプーチン(フランス語版映画ー1954)
④追想 (映画原題: Anastasiaー1956年)
⑤白夜の陰獣(英語版映画ー1966年)
⑥ニコライとアレクサンドラ(英語版映画ー1971年)
⑦ロマノフ王朝の最期(英語版映画ー1981年)
⑧ラスプーチン(英語版映画ー1996年)
⑨アナスタシア(アニメ映画ー1997年)
 

ラスプーチンの映画:The Fall of the Romanoffs(英語版映画ー1917年)


The Fall of the Romanoffs(英語版映画ー1917年)
ポスター
 


出典: http://hivikiss.blog.jp
 

追想 (映画原題: Anastasiaー1956年)


追想 (映画原題: Anastasiaー1956年)
主演:イングリット・バーグマン
ユル・ブリンナー
 


出典: https://www.amazon.co.jp
 

ラスプーチンの映画:白夜の淫獣 1966年


白夜の陰獣(英語版映画ー1966年)
主演:クリストファー・リー
 


出典: https://blogs.yahoo.co.jp
 

ニコライとアレクサンドラ(英語版映画ー1971年)


ニコライとアレクサンドラ(英語版映画ー1971年)
 


出典: http://re940blog-79461419.at.webry.info
 

ラスプーチンの映画:ラスプーチン


ラスプーチン(英語版映画ー1996年)
主演:アラン・リックマン
 


出典: http://endroit0review.blog.fc2.com
 

アニメ映画「アナスタシア」


アナスタシア(アニメ映画ー1997年)
 


出典: http://variety.com
 

ラスプーチンに関連する漫画

漫画「憂国のラスプーチン」 原作:佐藤優(元外務省)


漫画「憂国のラスプーチン」
原作:佐藤優(元外務省)
 


出典: https://www.amazon.co.jp
 


漫画「憂国のラスプーチン」 原作:佐藤優

2010年8月発売の漫画雑誌『ビッグコミック』16号より2012年24号まで連載された漫画です。
佐藤優は外務省の外交官時代に、一緒に仕事をしていた鈴木宗男代議士から「外務省のラスプーチン」というあだ名を付けられ、この「憂国のラスプーチン」は自伝を漫画にしたとのことです。
この漫画は佐藤優の外務省での仕事や経験を通しての話や、鈴木宗男事件に絡む外務省での背任容疑で逮捕され、512日間の勾留の後に保釈された時の拘置所体験や取調べ検事とのやりとり、および外務省の外交官としてのロシアとの交渉・折衝などの体験が題材になっています。

漫画の登場人物は、外国人については実名で出てきますが、日本人については主人公の「憂木衛」(佐藤優本人)や歴代首相や外務省の職員も含め仮名となっています。

佐藤優のその他の著作
①「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」新潮社、2005年
②「ナショナリズムという迷宮-ラスプーチンかく語りき」魚住昭と佐藤優対談、朝日新聞社、2006年
③「テロルとクーデターの予感-ラスプーチンかく語りき2」魚住昭と佐藤優対談、朝日新聞社 2009年
など、他にも佐藤優名で著作多数
 

ボニーMが唄って大ヒットした”Rasputin” (ラスプーチン)


ボニーMはドイツのディスコバンドで、1970年代〜80年代に活動しました。ボニーMはドイツのバンドですがメンバーはすべて中南米やアフリカの出身で、歌詞も英語で唄っています。
ボニーMが1978年に発表した"Rasputin"(ラスプーチン)はボニーMの代表曲となり、イギリスでヒットチャート2位に入るなど、ボニーMの名前が地元ドイツだけでなく、広く世界に知られるようになったヒット曲でした。
 

まとめ


いかがでしたか?
怪僧ラスプーチンの生涯の数奇な運命を知れば知るほど興味が尽きませんね!
また時代も第一次大戦から、ロシア革命が起きる丁度端境期(はざかいき)で、世情も安定せず、人心も乱れていた頃で、このような人物が暗躍したのかも知れないですね!
 

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