「百姓一揆」とは?打ちこわしとの違いと原因【江戸時代の歴史】
社会の授業で勉強した百姓一揆。だけど、打ちこわしとはどう違うの?今更聞けない、だけど気になる百姓一揆と打ちこわしの違い。江戸時代の歴史について学びながら、百姓一揆と打ちこわしの違いについてご紹介していきます。百姓一揆と打ちこわしの原因はこれだった!
目次
百姓一揆の起こった時代
室町時代に起きたのは土一揆
江戸時代の歴史を勉強していると、必ず登場するのが「一揆」という言葉ですよね。
さまざまな一揆が歴史の教科書には出てきます。
土一揆、百姓一揆などなど。
根本的な原因は同じようですが、それぞれ発生した場所、時代、起こした人々などに違いがあるようです。
今回は、歴史の中でも重要な一揆である、百姓一揆と同じ時代に起きた打ちこわしの違いについてご紹介していきます。
土一揆という言葉も歴史の授業では出てきますが、この土一揆は室町時代に起きた一揆なので、今回は省きますね。
江戸時代に起きたのが百姓一揆
さて、百姓一揆の件ですがこれは、江戸時代に起きました。
農民や平民の立場がかなり弱かった江戸時代。
けれど、そんな中でも農民や平民たちはさまざまな武器を手に一揆を行います。
農民、平民たちが耐えかねて一揆をおこすことになった原因というのは、いったいどのようなものなのでしょうか。
普段、弱い立場にいる分。
爆発的な行動を起こすときは、強い意志を感じますよね。
武士のように刀を持たない農民、平民たちがそれでも立ち上がった原因についてご紹介しましょう。
百姓一揆の原因
領主へ対する不満が原因
なんと江戸時代に起きた一揆は3000件以上にもなるのだそうです。
3000件を超す一揆とは。
もっと件数が少ないと思っていたら、3000件以上にもなるんですね。
百姓一揆の原因というのは、主に領主への不満なのだとか。
政治に対する不満などが主な原因のようです。
ですから、百姓一揆は反領主闘争とも言われているようです。
江戸時代に農民が領主に向けて3000件以上も不満をぶつけていたというのは、驚きですね。
農民たちの切迫した気持ちが原因
一揆の原因は領主への不満ですが、件数が3000件を超えた原因としては、やはり何よりも年貢の問題があったのではないでしょうか。
重い年貢は、農民たちの生死にも関わってきます。
自分の、そして家族の命に係わる問題だからこそ、農民たちは3000件以上の件数の一揆をおこしたのかもしれません。
江戸時代、百姓は領主の言いなりと思っていた人も多いかもしれませんが、百姓たちは百姓たちで、ちゃんと自分たちの意思を一揆という形であらわしていたのですね。
しかし、その一揆は今の私たちが考えるものよりも、ずっと重い決意から来ていたのかもしれません。
打ちこわしの起こった時代
打ちこわしも江戸時代に?
実は打ちこわしが起きていた時代も、江戸時代なのです。
あれ?では違いは名前だけ?
ほかに違いはないの?
なんだか、百姓一揆と打ちこわしに違いはないように感じてしまいますね。
けれど、百姓一揆と打ちこわしには、明確な違いがあったのです。
最初の打ちこわしは長崎で
一番最初に起きた打ちこわしは、長崎で起こりました。
時は元禄16年。やはり江戸時代のことです。
なんだか、百姓一揆や打ちこわしは江戸でだけ起こったと思っていましたが、実はそうではないのですね。
この時の江戸幕府将軍は徳川綱吉でした。
そう。歴史的に有名ないわゆる犬将軍ですね。
なんだか、犬にばかりかまけていたから、百姓一揆や打ちこわしが起こったのではないの?と考えてしまいますね。
打ちこわしの原因
歴史によく出る打ちこわし
歴史の教科書でよく見かける百姓一揆や打ちこわし。
どちらも江戸時代に起きた歴史です。
打ちこわしの原因として、考えられているのがもともとは火山などの噴火による飢饉のようです。
飢饉が起きると、作物が育ちませんよね。
現代とは違い、江戸時代には海外からの輸出入も制限されていますし、作物を守る手段も今ほどありません。
火山や地震、日照りなどの天災は不作に直結していました。
そして、その不作は飢饉の原因にもなっていたのです。
そんなときに、百姓一揆や打ちこわしは起こっていたのです。
原因は買占め?
現代でも、地震のあとに大量の買占めが問題になりましたね。
トイレットペーパーの買占め、食料の買占めなど、歴史的に見てもやはり天災のあとは買占めが横行します。
それも、百姓など弱い立場の人間は買占めすることができません。
その時代、その時代でもっとも強い人たちが買占めをするのです。
強い立場の人たちに買い占められたら、百姓たちの手にするものがなくなってしまいます。
そんな買占めが原因で、江戸時代には打ちこわしが起こったのです。
グラフで見る!百姓一揆と打ちこわし
百姓一揆のグラフ
江戸時代に起きた百姓一揆のグラフを見てみましょう。
このグラフは歴史の授業で江戸時代を学ぶときに見かけるかもしれませんね。
江戸時代にはさまざまな出来事が起きました。
その江戸時代に起きた出来事と比例して、百姓一揆がおきていることがグラフを見るとわかりますね。
江戸時代に、大きな飢饉は3回起きていることがグラフでわかります。
江戸時代に起きた飢饉が大きければ大きいほど、百姓一揆の件数グラフが大きくなっています。
さらに、気になるのがグラフの後半。
もっともグラフの数値が高くなっています。
このころ、江戸時代の日本に何が起きたのでしょうか。
実はこのころ、八重山列島に地震が起き、津波が押し寄せています。
このことも関係して、江戸時代でもっとも百姓一揆のグラフが跳ね上がったのかもしれませんね。
打ちこわしのグラフ
こちらは、江戸時代に起きた百姓一揆と打ちこわしのグラフが重なってみることができます。
江戸時代に起きた事件と合わせると、江戸の歴史がよくわかりますね。
このグラフを見ると、江戸時代に起きた百姓一揆と打ちこわし。
グラフが跳ね上がるときは、百姓一揆も打ちこわしも同じように多くなっていることがわかります。
けれど、江戸の歴史で有名なのは打ちこわしよりも、百姓一揆だと思っていましたが、どうやら件数は百姓一揆よりも打ちこわしのほうが多かったようです。
百姓一揆と打ちこわしの違いとは
百姓一揆と打ちこわしの違い
百姓一揆と打ちこわし。
この2つには明確な違いがあるのです。
それが、発生した場所。
打ちこわしは都市部で起きた事件です。
立ち上がったのは、都市部で暮らす貧しい人たちでした。
飢饉などで米が手に入らない中、米を扱う商人たちが米を買占め、値段を吊り上げたので、彼らは米を手にすることができなかったのです。
そうして、飢饉で亡くなる人が増えました。
そのことにより、人々は立ち上がったのです。
百姓一揆は農村で。
実は百姓一揆は農村部で起こった出来事。
そして、打ちこわしは都市部で起こった出来事なのです。
百姓一揆はその名前の通り、百姓たちが起こす一揆のことでした。
そして、百姓一揆のターゲットになっていたのは、村の役人たちです。
役人への不満、税の軽減などを求めて、百姓たちは一揆をおこしました。
百姓一揆と打ちこわしの原因である飢饉とは
飢饉ってなに?
では、百姓一揆や打ちこわしの原因にもなっていた飢饉というのは、何なのでしょうか。
よく飢饉という言葉は聞きますよね。
けれど、現代社会の日本。
飢饉とは縁遠い生活を送っていることもあって、飢饉という言葉を聞いても「飢え死にしてしまうこと?」というくらいにしかわからないもの。
しかし、江戸時代の人々にとって飢饉というのはまさに、生きるか死ぬかの大問題でもあったのです。
天災が大きな原因
食料が不足してしまうことで起きる飢饉。
その飢饉になる原因をいくつかご紹介しましょう。
まずは火山の噴火。
これは大きな原因となりました。
そして、地震や台風に長雨。
これらは、東日本大震災などのときにも問題となりましたね。
津波が押し寄せたことで、塩害にあい、米がとれなかったということがありました。
現在は輸入や科学技術などで飢饉になるほどの被害には合わない日本ですが、現在も農業はお天道様のご機嫌次第なのです。
飢饉の原因はほかにも
実は、飢饉の原因はほかにもあるのです。
それが戦争。
戦争により、田畑が荒らされてしまうと飢饉となってしまいます。
せっかく育てた作物を、戦争によって荒らされてしまった百姓たちの苦悩はいかばかりかだったでしょうか。
百姓一揆、打ちこわしに対する政府の対策
代官への御触書
百姓一揆や打ちこわしに対して、幕府も対策を取っていました。
その一つが御触書です。
これは、贅沢をしてはいけませんよ!ということが書いてあったようです。
ちゃんと守られていたのでしょうか・・・?
税も軽く
他にも税を軽くするなど、基本的に百姓一揆や打ちこわしの求めは、応じられていたようです。
耐えに耐えかねた上での行動だからこそなのかもしれませんね。
殺さずがモットー
百姓一揆も、打ちこわしも誰かを傷つけたり、殺したりすることはなかったようです。
家などの建物を壊すことはありましたが、それでも略奪したり、放火したりすることは固く禁じていたのだそう。
江戸時代の放火は死罪とも言われるほどの重い罪。
木造の建物ばかりだった江戸時代ですから、放火は多くの人の命を奪う原因にもなりました。
だからこそ、厳しく決められていたのかもしれませんね。
百姓一揆、打ちこわしは現代でもあった?
現在でも百姓一揆が?
当時のように農機具を手に立ち上がるわけではありませんが、現在でも百姓一揆のようなことが行われています。
デモは現代の百姓一揆
それがデモ。
政府への不満を訴える。
誰かを傷つけることはしない。
まさにデモは現在の百姓一揆ですね。
【まとめ】百姓一揆と打ちこわしの違いとは
いかがでしたか?
今回は百姓一揆と打ちこわしの違いについてご紹介してきました。
乱暴なイメージがある、百姓一揆や打ちこわしですが、実は紳士的な行動であることがわかりました。
調べてみると私たちの知らない歴史がまだまだあるのかもしれませんよ。