アイヌ民族の現在とは?純血アイヌ人は今もいるのか?

誰もが1度はアイヌ民族という言葉を耳にした事があるでしょう。しかしアイヌ民族の文化や歴史について詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか。 ここでは当時から現在に至るまでのアイヌ民族の歴史や文化について、また現在のアイヌ人の生活などを紹介していきます。

アイヌ民族の現在とは?純血アイヌ人は今もいるのか?のイメージ

目次

  1. 1アイヌ民族とは?
  2. 2アイヌ民族の文化とは?
  3. 3アイヌ民族の暮らしとは?
  4. 4アイヌ人のルーツは?
  5. 5アイヌ人と沖縄人の共通点は?
  6. 6アイヌ民族は現在もいるの?
  7. 7現在北海道にいるアイヌ人口はどれくらい?
  8. 8アイヌ民族はどうして差別されていたの?
  9. 9アイヌ人は現在も差別されているの?
  10. 10現在ロシアにアイヌ人はいるの?
  11. 11現在ロシアにいるアイヌ人口はどれくらい?
  12. 12純血なアイヌ民族は今もいるの?
  13. 13アイヌ民族文化の現在は?
  14. 14現在でもアイヌ民族の文化や歴史を体感できるおすすめスポットを紹介!
  15. 15まとめ:現在にも受け継がれるアイヌ民族の文化や歴史

アイヌ民族とは?

アイヌの民族衣装

アイヌ文様「ウサタ」

アイヌとは主に北海道・樺太・千島列島に居住する先住民で、狩猟や漁業・農業に従事し大陸との交易を行っていました。文字は持たず言語はアイヌ語で、独自の文化や生活様式を有していました。

19世紀に日本の中央政府により「同化政策」が行われ、明治時代には蝦夷地と呼ばれたアイヌ民族が暮らしていた土地が明治政府により併合されたことによってアイヌ独自の文化や言語が失われていき、その数も減少していきました。

アイヌ民族の文化とは?

漁で捕った魚を食すアイヌ人

アイヌ織
アイヌ民族は自然や物など全ての物に魂が宿っていると考え、それらを人と区別してカムイ(神)として崇めました。
アイヌ民族の生活の基盤は狩猟や漁業で、捕った獲物の肉は食料に皮は毛皮として自分達で使用したり物々交換に使用していました。

また山菜取りや農耕も行い、アワ・ひえ・きび・麦・蕎麦やトウモロコシなどの穀類や、大豆・小豆などの豆類の栽培も行っていました。

アイヌ民族は文字を持たない民族で、女性たちは幼少の頃より文字を習う代わりに文様の描き方やかごの編み方などを習いました。それらは現在では工芸品お土産品として広く知られる人気商品です。

アイヌ民族の暮らしとは?

自然に囲まれたアイヌの暮らし 

住まい

アイヌ民族の住居「チセ」
アイヌ民族は、コタンと呼ばれる集落を形成して暮らしていました。コタンは、食料が得やすく災害に遇いにくい川沿いや海沿い、湖畔に作られました。1つのコタンは数軒から数十軒から構成され、狩猟や漁業・植物採取などを行って生活していました。

コタンに建てられたアイヌ人たちの住居はチセと呼ばれ、チセを作る時はコタンのアイヌ人総出で協力し合って作りました。チセの周囲には、儀礼を行う際檀や食糧庫、トイレや物干しなどを建てていました。

食生活

アイヌの狩猟の獲物 ヒグマ

アイヌ伝統「鮭の寒干し」
アイヌ人は主に狩猟と漁業をしており、狩猟ではヒグマや蝦夷シカなどの大型動物からうさぎやタヌキなどの小動物まで捕り、肉は汁に入れたり焼いて食べたりしました。また、狩猟が出来ない時期の為に肉を乾燥させて保存食としました。

漁業ではサケ・マス・イワナ・フナ・ドジョウなどを海や川で捕り、これらも焼いたり汁に入れたりして食しました。
樺太などの海沿いの地域では海の漁が盛んで、カレイやメカジキ・クジラやアザラシ・オットセイなどを獲り、肉は食料にして毛皮は衣類にしました。

日常食は主に汁物とおかゆで、汁物には狩猟や漁業で獲った肉や魚に野菜なども入れて食していました。

アイヌ人のルーツは?

アイヌ人のルーツ「縄文人」
アイヌ人のルーツは縄文時代の縄文人と言われています。縄文人は旧モンゴロイドと言われ、弥生~古墳時代に朝鮮半島から新モンゴロイドが本州に渡ってきて、本州広域にわたって勢力を伸ばしたため、それまでの縄文人は一部は北へ一部は南へ追いやられ、それぞれアイヌ人と沖縄人になったと言われています。

アイヌ人と沖縄人の共通点は?

アイヌ人と沖縄人は容姿がとても似ているため祖先が同じなのではないかとよく言われますが、アイヌ民族に関する調査や研究で、縄文時代の旧モンゴロイド人が南北に分かれてアイヌ人と沖縄人になったという事が分かった他、DNA調査ではアイヌ人と沖縄人がもっとも似通ったDNAを持っているという結果が出ています。

他にも、アイヌと沖縄の女性の入れ墨の習慣からも、両者の源流が同じである事を示しています。
アイヌでは女性は結婚前の12~16歳の頃に刺青をする習慣があり、刺青をしていないと一人前の女性としてみなされず結婚する事も出来なかったそうですが、沖縄や琉球諸島でも女性は15歳になると「針突き」と呼ばれる刺青をする習慣がありました。

アイヌ人と沖縄人は刺青を入れる年齢も似ていますし、刺青の場所も指から手の甲にかけて同じような場所に入れられその文様もとても似ています。
また、沖縄では刺青を入れていない女性はあの世に行けないという信仰がありましたが、アイヌ人も同様の考えを持っていたとされます。

アイヌ民族は現在もいるの?

真冬の狩猟 タヌキ
アイヌ人はアイヌ民族としては現存していませんが、現在でも多くのアイヌの血を引く人達が北海道を始め日本各地で暮らしています。生活形態は一般の日本人と変わりませんが、北海道ではアイヌ民族の生活様式を復興しようという働きもあり、アイヌ民族資料館なども建てられて当時のアイヌの生活や服装住まいなどをより多くの人に知ってもらおうという活動が盛んになってきています。

現在北海道にいるアイヌ人口はどれくらい?

アイヌ民族の居住地 「蝦夷 北海道」
自らをアイヌ人と公表する事を否とする人もいるので確かなデータではありませんが、北海道庁の調べによると2006年時点では2万3千人ほどのアイヌ人が北海道に今もいるとされています。

アイヌ民族はどうして差別されていたの?

アイヌの女性イラスト
北海道は海を挟んで本州と離れていたため独自の文化が発展しやすく、言語、宗教、生活様式と全てにおいて本土の和人とは違っていたことがアイヌ民族に対する差別の理由でした。

アイヌ民族はどんな差別を受けていたのか

アイヌ人と本土の和人は度々戦いを繰り返してきましたが、アイヌが完全に敗北したシャクシャインの戦い以降、明治時代には明治政府の同化政策によりアイヌ人が暮らしていた蝦夷の土地開拓が進められ、多くの和人が侵入してきてアイヌ民族独特の生活様式を全て廃止しました。

また、1899年には「北海道旧土人保護法」が制定されアイヌ人にも土地が貸与されましたが、そのほとんどの土地が農耕など全く出来ない貧困な土地で、アイヌ人は食べ物を作ることさえできませんでした。

アイヌ人は現在も差別されているの?

国の行った調査によると「アイヌ人は現在も差別を受けているのか」という調査について、国民全体の回答では差別偏見はないと思うという回答が50.7%だったのに対し、あると思うと回答したアイヌ人は72・1%でそのうち実際に差別を受けている又は受けているのを見たという回答は51・3%と両者の間には大きな開きがありました。

アイヌ人が実際差別を受けた例として、「職場でアイヌ人という事だけで不当な扱いを受けた・嫌な思いをさせられた」「結婚相手の親にアイヌという事で反対された」といった回答がありました。このように少なからずまだアイヌ人に対する差別偏見は今もあるといえます。

現在ロシアにアイヌ人はいるの?

ロシア郊外の家
アイヌ人と言うと北海道に居住していた先住民と多くの人は考えるでしょう。しかしアイヌ民族が暮らしていたのは北海道だけではありませんでした。アイヌ民族は大きく分けて北海道アイヌ・千島アイヌ・樺太アイヌの3民族が存在していました。

千島アイヌ

千島アイヌは千島列島を移動して交易を行って暮らしていましたが、日本とロシアのシベリア進出によって千島アイヌの交易活動は両国に依存する様になっていきました。しかし、江戸幕府がエトロフ~ウルップ間のアイヌの移動を禁止したためウルップ島以北のアイヌ人は日本との交易が出来なくなり、ロシアの影響を強く受けるようになりました。

その後1854年の「日露和親条約」によって日本とロシアが南北を分断して統治する事になりましたが、1875年の「千島樺太交換条約」によって千島はすべて日本領となり、アイヌ人は日本国籍を得て残るかロシア国籍を得て去るかの選択を迫られ、ほとんどのアイヌ人が日本国籍を得ました。

日本政府は千島北端のシュムシュに残っていたアイヌ人を強制的に色丹に移住させ、農耕や牧畜に従事させましたが、長い間ずっと漁業に従事していた千島アイヌは新しい土地での生活と農業になじむことができずに、多くの者が健康を害したと言います。

そこで日本政府は1898年以降千島アイヌを再び千島に戻しましたが、人口は半減しており、第二次世界大戦での日本の敗戦によってロシアが千島北方領土を占領したことに伴い、千島アイヌと日本人住民は全て本土に強制移住させられました。そして今現在、千島アイヌを継承する者はいないと言われています。

樺太アイヌ

「樺太千島交換条約」に伴い樺太がロシア領になったことから、樺太南部で暮らしていた樺太アイヌは宗谷に移住し翌年には対雁(ついしかり)に移されましたが、生活環境の変化と当時流行ったコレラや天然痘により300名以上が亡くなったと言います。


1905年の日露戦争時の「ポーツマス条約」によって南樺太が日本領になると、樺太アイヌは再び故郷に戻ることができ、戸籍上樺太戸籍に入って樺太土人として扱われていました。しかし、1932年には樺太アイヌも戸籍上内地人として扱われるようになったことにより、第二次世界大戦後に樺太全土がロシア領になったことで樺太アイヌのほとんどが北海道へ強制送還されました。その時樺太に残ったアイヌ人が現在でも少なからず樺太で暮らしています。


このように戦争などにより日本とロシアに翻弄されてきたアイヌ人は、残念ながら千島アイヌは全滅して、現在は一人も残っていないと言われていますが、樺太アイヌの血を引くアイヌ人は今現在もロシアで暮らしています。

現在ロシアにいるアイヌ人口はどれくらい?

ロシアの民芸品「マトリョーシカ」
2010年の国勢調査によると、ロシア全土で109人のアイヌ人がいるとされています。しかし、サハリンで暮らしている数百名のアイヌ人が自分たちがアイヌ人てある事を否定するなど、アイヌ人またはアイヌの血を引く事を口外していない方もいると思われるので、実際にロシアに今もいるアイヌ人はもっと多いと推定されます。

純血なアイヌ民族は今もいるの?

モンゴル ロシア国境「フプスブル湖」北部
明治時代以降、アイヌ民族は差別や弾圧を受け独自の文化や生活様式、言語や宗教等全てを禁止されたことや日本とロシアの戦争の影響を受けてアイヌ人が離散してしまった事、また天然痘やコレラなどの疫病により多くのアイヌ人が亡くなった事などからアイヌの血を引く人達は今もいるものの、純血なアイヌ民族は現在はいないとされています。

また、アイヌ人同士の婚姻を禁止されていた事や、アイヌ人と言うだけで差別を受けて故郷を追われ全国に離散したアイヌ人が、純潔なアイヌ人の血を引く子孫を作らないようにしようと和人との婚姻を結ぶ人も少なくなかったという事からも純血なアイヌ人が今もいる可能性は低いでしょう。

ただ、アイヌを弾圧していた和人さえも全くの純血な和人なのかと考えると、長い年月の間には違う血が混ざった可能性が全くないとは言えないので、どこを取って純血とするかになりますが、同じ祖先のDNAを持つアイヌ人同士の婚姻による血の繋がりを純血なアイヌ人とするならば、本当に純血なアイヌ人が今もいる可能性は限りなく低いといえます。

しかし、多くのアイヌの人達が自分たちの暮らす土地を追われた以降も北海道に残っていたアイヌ人もいたと言われているので、そのアイヌ人達が代々民族間で婚姻を結んでいれば、純血なアイヌ人は今もいるかもしれません。

アイヌ民族文化の現在は?

アイヌの伝統楽器を演奏する女性
明治以降アイヌ人に対する差別や弾圧は強く、アイヌ独自の文化や生活様式言語等全てが禁止されアイヌ文化は衰退の道をたどりました。しかしその中でもアイヌ文化を継承していこうと働いていた人達はいて、今ではアイヌ独自の「クマの霊送り」などの儀礼も復興され、伝統舞踊では北海道各地で20の保存会が組織されて、現在アイヌ民族の伝統舞踊は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

さらに、平成9年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の復旧及び啓発に関する法律」の制定後は、アイヌ民族の文化伝承・保存活動は一層広がっています。

信仰などの精神文化・舞踊の文化に加え、生活文化の復興が北海道や本州各地で暮らしているアイヌ人たちによって行われ、今やアイヌ民族文化は北海道だけでなく日本全国に広がりを見せています。

現在でもアイヌ民族の文化や歴史を体感できるおすすめスポットを紹介!

「アイヌ人の銅像」 北海道
北海道にあるアイヌ民族の文化や歴史を体感できるスポットや、アイヌ人が使用したの民具や装飾品衣類などが展示されている場所など、当時のアイヌ民族の暮らしぶりを肌で感じる事ができるお薦めスポットを紹介します。
アイヌ民族の歴史に興味のある方は、ぜひ訪れてみてください。

白老ポロトコタン(アイヌ民族資料館)

アイヌの民芸品「木彫りのクマ」
白老町はアイヌ集落が多い地区で、アイヌ文化を紹介するスポットとして有名です。ここの特徴は、当時のアイヌ民族の集落の様子を再現して、アイヌ人の暮らした家などアイヌ民族の生活様式を屋外に展示している野外博物館です。アイヌの住居であったチセの中では、工芸品作りなどを見る事ができます。

他にも、北海道犬やクマを飼っていた場所やアイヌ人が食用としていた植物が栽培されている植物園などもあります。また、アイヌの血を引く人々によるイベントも常時開催されていて、当時のアイヌの暮らしぶりを体感できるようになっているスポットです。

阿寒湖アイヌコタン

「阿寒湖」 北海道
「阿寒湖」湖畔は、アイヌ文化体験スポットの定番コースにもなっている、当時のアイヌの文化に触れる事ができるスポットです。

歌と踊りで構成されるアイヌ舞踊を見ることの出来るシアターが併設されている他、アイヌ独特の儀式やたいまつ行進、マリモ祭りなどのイベントも開催されています。

二風谷(にぶたに)アイヌ文化博物館

「二風谷アイヌ文化博物館」外観
日高町の二風谷地区も多くのアイヌ集落がある事で有名です。
ここは4,000点ものアイヌの民具が中心に展示されていて、中には、国の有形眠族文化財の指定を受けている物もあります。また、当時のアイヌ独特の文様の入った衣類品も展示されています。

展示だけでなく体験コースもあり、アイヌ文様の入った刺繍や木彫りを体験することもできます。

北海道博物館

アイヌ文様の入った衣装
2015年に「北海道開拓記念館」と「道立アイヌ民族研究センター」が統合されてできた施設です。展示が中心になっていてアイヌの住居や生活用品アイヌ語を詳しく紹介する展示がされています。

まとめ:現在にも受け継がれるアイヌ民族の文化や歴史

独自の文化や言語生活様式を持っているというだけで長い間差別され弾圧されてきたアイヌ民族の歴史は、平たんな道ではありませんでした。しかし、1度は滅びる寸前までいったアイヌ民族の文化が現在再び復興し、アイヌの歴史を知ろうという活動も広がりを見せています。

現在、北海道を中心とした各地でアイヌに関するイベントが開催されたり、アイヌの文化や歴史に触れる事ができる博物館などもありますので、この記事を読んでアイヌ民族の文化や歴史に興味を持った方は、ぜひ足を運んでアイヌ民族に関してより理解を深めてみてはいかがでしょうか。

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