疲労がポンと取れる「ヒロポン」は覚醒剤だった…!サザエさんも登場⁉

疲労がポンと取れるから「ヒロポン」は覚醒剤だった…! 今でこそ覚醒剤は劇薬として法律で厳しく取り締まられていますが、昭和時代は覚醒剤を取り締まる法律がないばかりか、国策として推奨されていました。あの「サザエさん」にも登場していた昭和のヒロポン、その背景とは?

疲労がポンと取れる「ヒロポン」は覚醒剤だった…!サザエさんも登場⁉のイメージ

目次

  1. 1ヒロポンとは?
  2. 2覚醒剤の原料? メタンフェタミンとはいったい
  3. 3昭和時代の覚醒剤事情、ヒロポンは合法だった?
  4. 4昭和の覚醒剤、ヒロポンの歴史を辿る
  5. 5覚醒剤の元となるエフェドリンは合法なのか?
  6. 6昭和初期、ヒロポンは危険な覚醒剤と知られていた?
  7. 7戦前、覚醒剤であるヒロポンは国策として用いられた
  8. 8昭和時代にヒロポンが流行った理由とは?
  9. 9昭和26年、覚醒剤にようやく規制が入る
  10. 10昭和の覚醒剤規制、しかし…
  11. 11覚醒剤、ヒロポンを服用していた昭和のスターたち
  12. 12昭和のアニメや漫画ではヒロポンを使うシーンが日常的だった?
  13. 13昭和の名作漫画、サザエさんでも覚醒剤を服用していた?
  14. 14『はだしのゲン』で描かれている昭和のヒロポン中毒者
  15. 15まとめ:覚醒剤はかつて身近にあった

ヒロポンとは?


出典: http://blog.livedoor.jp

ヒロポンとは、昭和初期に流行った覚醒剤の名前です。
疲労がポンと取れるからヒロポンなどと言われていたりもしますが、その語源はギリシア語の「労働を愛する(philoponus)」という言葉が元になっているようです。
塩酸メタンフェタミン製剤とも言われています。

覚醒剤の原料? メタンフェタミンとはいったい


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メタンフェタミンの分子

ヒロポンの原料となっているメタンフェタミンはエス、スピード、シャブなどと呼ばれる覚醒剤の原料となる化学薬品としても知られていて、個人間の売買や使用は法律で禁止されています。
中枢神経を高揚させる効果があり、除倦効果が期待され、爽快感が増したり眠気を払ったり、ハイになる覚醒剤にはこのメタンフェタミンが用いられています。

メタンフェタミンがもたらす副作用とは?


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しかし、このメタンフェタミンには重大な副作用があります。
それは依存症です。メタンフェタミンは1度服用すると、また服用したいという欲求が抑えられなくなります。
その結果、入手するために大金を払ったり犯罪に走る人が後を絶たないのです。

また、メタンフェタミンには幻覚や被害妄想という精神疾患が発生することもあります。
そのため、メタンフェタミンの製造や生産は現在法律によって禁止されています。

昭和時代の覚醒剤事情、ヒロポンは合法だった?


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ヒロポンの広告

現在では危険視され、使用が禁止されているヒロポンですが、昭和初期の頃は合法だったのです。
テレビでもヒロポンが使用され、芸能人にもヒロポンの使用を堂々と公言する人がいました。
「はだしのゲン」や「サザエさん」といった国民的アニメや漫画でもヒロポンを服用する描写があります。
薬局でも売られており、取り締まる法律ができるまでヒロポンは庶民にとって身近なものだったのです。

昭和は薬の宝庫?覚醒剤、アンテルミンチョコレートなど


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当時の紙面

覚醒剤をはじめ、昭和時代は様々な薬が史上に出回っていました。
当時、最も厄介な問題の1つに寄生虫問題がありました。現在ほど衛生環境の整っていない昭和の環境では、人の体内に寄生虫がいるケースは多かったのです。
そこで、アンテルミンチョコレートという虫下しの薬を使って、虫を体外へと出していました。
他にも睡眠薬やシンナーを子供でも買う事ができたのです。
そして、ヒロポンもその例外ではありませんでした。
ヒロポンの他にも、仕事用の疲労回復や集中力増加という名目でアゴチン錠というものも売り出されましたが、こちらもヒロポン同様に危険な薬品です。

昭和の覚醒剤、ヒロポンの歴史を辿る


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ヒロポン開発の歴史は、明治時代にまで遡ります。
明治18年、長井長義がエフェドリンという成分を発見します。
エフェドリンとは、ヒロポンの元になっているメタンフェタミンの前駆体として用いられる薬品です。
 


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長井長義の実際の写真

長井長義は、このエフェドリンの抽出、合成することに成功しました。
このエフェドリンは、様々な覚醒剤の元となっている薬ですが、現在でもスポーツ選手のドーピングなどに使われている、意欲促進や集中力向上の効果があることでも知られています。


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長井長義は日本薬学の父と呼ばれた

このエフェドリンを元に開発されたアンフェタミンが、当初は咳止めの薬としてドイツで発売されました。
ところがこの薬の研究を重ねていくと、疲労回復や眠気覚ましなど、別の効果があることがわかったのです。

覚醒剤の元となるエフェドリンは合法なのか?


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上述でも触れた通り、エフェドリンには様々なメリットもあります。
集中力の向上や身体能力の向上など、エフェドリンは20世紀には多くの人達がその効果を期待していました。

今でもエフェドリンは、ダイエットに用いられたりスポーツ選手が服用することもあり、一部のサプリメントの中にはエフェドリンが用いられています。

エフェドリンは一部の国では現在も合法のようですが、日本やアメリカでは販売が禁止されています。
他の薬と多用すると高血圧や脳卒中などを引き起こす危険性があるためです。

昭和初期、ヒロポンは危険な覚醒剤と知られていた?


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長井長義はメタンフェタミンという覚醒剤を合成することに成功しました。
このメタンフェタミンは、エフェドリンを原料としているのは同じですが、アンフェタミンの数倍の作用をもたらすことがわかりました。
しかしその副作用があまりに強く、当初は日本でも危険視されていたといいます。


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この薬が再び脚光を浴びる事になったのは、軍靴の足音が聞こえはじめた事がきっかけです。
メタンフェタミンは、人を興奮状態にさせて恐怖を和らげる事に向いていたのです。
この薬は、人間を兵士に変えてしまう効果があったのです。

戦前、覚醒剤であるヒロポンは国策として用いられた


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実際に売られていたヒロポン

日本は日清、日露戦争という2つの大きな戦いを通し、国民も疲弊していました。
連合軍との大きな戦いに向けて、国民の士気も低く、これはまずいと判断した政府が国策として覚醒剤を使うようになったのです。
戦前、そして戦時の日本は覚醒剤を使って、国民の士気を上げようとしていました。

昭和時代にヒロポンが流行った理由とは?


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戦争が終わってみると、ヒロポンは大量に余りました。
余ったヒロポンは民間へと出回っていったのです。
新聞社でも大きく取り上げられ、敗戦直後でマイナスムードの日本では、精神向上剤としてもヒロポンは嗜好品として流行します。これを飲むことで、昭和の日本人は沈んだ気分から一時的にですが解放されたのです。
また、作り方もむずかしくはなく、どんどんヒロポンは生産されて民間へと普及していきました。

昭和26年、覚醒剤にようやく規制が入る


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密造していた製造工場を摘発する係官

戦前、戦時中と嗜好品として出回ったヒロポンですが、後々になって強い副作用があることがわかったのです。
不安や興奮、頭痛や不眠症といった体の異常が起こったり、味覚障害、幻覚や錯乱といった重い症状につながるケースもありました。
何より問題なのは、重度の依存症があったということです。

社会問題となったヒロポンの普及率


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民間に安く出回ったヒロポンの乱用によって、薬物中毒者になる人が大量に生まれてしまったのです。
こうしたヒロポンの中毒者はポン中などとも呼ばれ、中毒者は一般人だけでなく芸能人や政治界にまで広まっていき、社会問題へと発展していきました。

そして昭和26年、ついに覚醒剤取締法が制定され、戦前から普及しつつあったヒロポンの使用にようやく規制が入ったのです。

昭和の覚醒剤規制、しかし…


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ヒロポン撲滅ポスター
ヒロポンは危険な薬として、一般にも認知されはじめた

戦前から続くヒロポン普及の流れは覚醒剤取締法によってようやく流れを断ち切ることができたかに思えましたが、そう簡単にはいきませんでした。
戦前、戦時中と日本政府は国民の多くにヒロポンを服用することを呼びかけてきました。そのため、国民の多くがヒロポンの実態を知らないままだったのです。
また、依存症もある事からやめられない人も多く、ヒロポン中毒者は200万人を越えるとすら言われていました。

このようにヒロポンは、日本人の心に大きな爪痕を残していったのです。

覚醒剤、ヒロポンを服用していた昭和のスターたち


出典: http://womanlife.co.jp

ヒロポンは戦前から所持が禁止されるまで合法だったため、多くの芸能人や作家たちも服用していました。
そんな中でもヒロポンを打っていた事が公になっている有名人達を紹介します。

昭和の大俳優『藤田まこと』


出典: http://syakkinlabo.com


必殺仕事人より

「危ない刑事」や「必殺仕事人」で知られる藤田まことも、覚醒剤であるヒロポンを常用していたといいます。
彼は1933年生まれなので、ヒロポンが規制されたのは18歳の時です。
10代という若さに驚くかもしれませんが、日本の受験生が覚醒剤を使う事も普通だったため、当時としては特に珍しいことでもなかたようです。

昭和の大小説家『坂口安吾』


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坂口安吾の実際の写真

昭和の戦前、戦後にかけて活躍した小説家です。『堕落論』『青春論』をはじめとした風刺や評論から、『不連続殺人事件』などの推理小説まで日本で話題となる多くの小説を手がけました。
そんな彼も不規則な生活の中でヒロポンを大量に服用したため、幻覚や被害妄想といった症状が出始め、日常生活が困難になったといいます。
その後も薬物中毒の後遺症に悩まされ、ヒロポンは彼の人生に深い影を落とすことになったようです。

姉妹漫才トリオ『正司歌江』

姉妹音曲漫才トリオ「かしまし娘」として活躍した芸人の正司歌江さんも、かつてヒロポンを使用したことがある事を告白しています。
その年齢は12歳から20歳までという成長期です。次第に使用する量が増えていき、最後には幻覚症状も見え始めて死にかけた事をメディアで告白しています。

昭和のアニメや漫画ではヒロポンを使うシーンが日常的だった?


出典: http://1jinsei-game.ldblog.jp

昭和を舞台にした漫画『哲也-雀聖と呼ばれた男』
印南というキャラはヒロポンを買う金が欲しくて麻雀をしていた

漫画やアニメの中では、作られた時代を反映するものが多々あります。
第二次世界大戦の戦前に作られ、主人公が軍に入って活躍し出世していく「のらくろ」という漫画など、昭和の時代には昭和の暮らしが反映されている作品が多く出回ったのです。
では、昭和時代には庶民に当たり前のように普及していたヒロポンに関してはどうだったのでしょうか?

昭和の名作漫画、サザエさんでも覚醒剤を服用していた?


出典: http://legend-anime.com


昭和のサザエさん

サザエさんといえば、日曜日の夜に放送する日本の国民的アニメです。
そのサザエさんの中でも、覚醒剤ヒロポンを服用するシーンがあるのはご存じでしょうか?
サザエさんは1946年に長谷川町子によって連載された日本の漫画です。
ヒロポンが禁止される前ですので、ヒロポンを服用するようなシーンがあっても不思議ではありません。
実際にどうだったのかをこれから見ていきます。

まさにそのまま!題目『ヒロポン』と名付けられた回について

サザエさんの漫画の中で、4コマのタイトルにずばり「ヒロポン」と名付けられた回があるようです。
サザエさんが近所の母親と出かけるため、カツオとワカメがその母親の子供を預かるのですが、目を離している隙に預かった子供達がヒロポンを飲んでハイになってしまっている…といった内容です。

このサザエさんの絵ピーソードから、一般家庭にもヒロポンが普通にある事、子供が服用してしまったとしても大した問題にはならず、笑い話として済んでしまうという当時の風潮がわかると思います。

いささか先生はヒロポンの中毒者『ポン中』だった?

これは「似たもの一家」というサザエさんと同じ長谷川町子先生が描いた漫画です。
この作品の主役は、サザエさんの隣に住んでいるいささか先生という小説家です。
似たもの一家はサザエさんの初期に発表された作品ですが、雑誌の都合で連載がすぐに終了してしまったそうです。

この作品の中で、サザエさんに登場するタラちゃんとワカメちゃんにそっくりの子供がヒロポンでハイになっているシーンがあります。つまり、いささか先生の家には普通にヒロポンが常備してあったのです。

昭和のアニメでヒロポンが出てくるのは普通?

戦前、戦後はヒロポンは取り締まられるまでは薬局などにも普通に売っていて、お酒と同じような価格で買う事ができたので、一般家庭にヒロポンがあっても不思議はありません。
ヒロポンは特に受験生や小説家が多く愛用していた薬でもありましたし、いささか先生がヒロポン中毒者だったとしても驚くことはありません。
 

『はだしのゲン』で描かれている昭和のヒロポン中毒者


出典: https://www.cmoa.jp


はだしのゲン1巻拍子


『はだしのゲン』は、作者である中沢啓治さんが自身の被爆体験を元に描いた漫画です。
戦争の悲惨さ、凄惨さや戦前の貧しい状況を知るための教材として、学校や市の図書館には高い確率で置かれています。

週刊少年ジャンプで10年ほど連載され、色々な出版社でその後再版される事となりました。

『はだしのゲン』は戦前の人々の暮らしから、広島に原爆が投下されたその時の広島市民の様子、その後の暮らしについて克明に描かれています。敗戦後、失望と戦争によってがれきの山と化した本土の中にトリ残された人々の様子を鮮明に描かれています。
そんな悲惨な状況下ではだしのゲンは主人公・中岡元の生きる様子を描いた漫画です。
ゲンを襲うのは、原爆による被害だけではありません。
はだしのゲンの中にはヒロポンに依存し、中毒者となるキャラクターも何人も登場し、ゲンと関わっていく事になります。

『はだしのゲン』のキャラ・ムスビはヒロポンで人生を狂わされる


出典: http://nanjhurue.blomaga.jp

はだしのゲンの主人公・中岡元の友人に「ムスビ」という男の子がいます。彼とゲンは何度も励まし合い、戦後というどん底の中で協力して生き抜いてきました。
しかし、はだしのゲンの作品の終盤で、ムスビはとあるバーでもめ事になった時にヒロポンを注射されてしまい、その事がきっかけで薬物中毒者になってしまうのです。
その後、ムスビの中毒は治るどころかさらに悪化していきました。
ムスビはゲン達の貯めていた貯金を使い込み、さらにはヒロポン欲しさにバーのマスターの自宅に押し入ったところを見つかってしまい、暴行を受けて悲惨な最期を遂げる事になってしまいました。

『はだしのゲン』ではヒロポン中毒者は悲惨に描かれている

はだしのゲンにおいて、ヒロポン中毒者の末路は悲惨です。
幻覚や妄想から始まって周囲の人に迷惑をかけるばかりか、ヒロポン欲しさに犯罪に手を染める様子が描かれています。
戦前にも、道ばたでヒロポン中毒者がゲン達に絡んでくる様子などが描かれていました。しかし戦後はさらに悲惨です。ヒロポンの販売が禁止されたため、ヒロポン中毒者たちはさらに高い値段で闇市からヒロポンを買う事になったからです。はだしのゲンではそういった当時の時代背景まで細かに描かれています。

まとめ:覚醒剤はかつて身近にあった

昭和時代、ヒロポンがいかに人々の身近にあったかおわかり頂けたでしょうか。あのサザエさんの中にさえ登場するのですから、どれほど人々の間に浸透していたかはうかがい知れると思います。
しかしその副作用が明るみになった現在は違法薬物として扱われており、処理も売買も重い厳罰が科せられます。
また昔ほどではないにせよ、覚醒剤の依存症で苦しんでいる人がいるのも事実です。
なるべく関わりのない平穏な人生を過ごすためにも、誘惑に負けない強い意志が必要ではないでしょうか。

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