銀ブラ事件など、「天皇陛下の和むエピソード・逸話」まとめ
今上天皇陛下と言えば、温厚な立ち振る舞いや国民に真摯に向き合い寄り添う姿などがよく報道されていますが、実は銀ブラ事件を始めとして、お茶目なエピソードや逸話なども多く残されてます。 そこで今回は銀ブラ事件など、今上天皇陛下のお茶目なエピソードをご紹介します!
目次
今上天皇陛下のお茶目なエピソードとは?【銀ブラ事件】
今上天皇陛下
今上天皇陛下と言えば、各行事に参加された際の温厚な立ち振る舞いや、特に被災地などで見せる国民と真摯に向き合う姿などがよく報道されています。
しかし、実は今生天皇陛下は有名な銀ブラ事件を始めとして、お茶目でかわいいエピソードや逸話も多く残しています。
そこで今回は、銀ブラ事件を始めとした今生天皇陛下のお茶目でかわいいエピソードや逸話についていくつかご紹介したいと思います!
なぜ陛下を今上天皇と呼ぶのか?
昭和天皇
「今上」天皇とは、現在在位されている天皇陛下を呼ぶ時の名前です。
この呼び方は古くからの習わしで、崩御された時にその時代の号を前に付け○○天皇と呼ぶようになります。
そのため、今上天皇の父である裕仁様は昭和天皇と呼ばれています。もしも今上天皇である明仁様が崩御された場合は平成天皇と呼ばれるようになります。
銀ブラ事件で有名な今上天皇陛下のプロフィールとは
皇太子明仁親王と正田美智子さん
お二人は、軽井沢のテニスコートでお会いになりました。
今上天皇陛下は日本の第125代目の天皇で、本名を明仁と言います。1933年の3月生まれで、現在83歳、因みに天皇に即位したのは1989年の1月7日です。昭和天皇の直系の第一皇男子で皇太子明仁親王と称され、母は香淳皇后様です。1952年、明仁様は18歳で成年となり(天皇・皇太子・皇太孫のみ、18歳で成年とする決まりがあるため)皇太子となられました。
結婚の儀
その後1959年に正田美智子さんとご結婚。
浩宮徳仁親王(現在の皇太子殿下)、礼宮文仁親王(現在の秋篠宮文仁親王)、紀宮清子内親王(現在の黒田清子さん)の二人の男の子と一人の女の子に恵まれました。
現在は83歳であり、一般的に考えれば既に仕事を辞めゆっくりとした老後生活を送る年齢ですが、今上天皇陛下は、現在でもご公務や宮中の行事や祭事などを精力的に行っており、天皇としての仕事に熱心で勤勉であると言われています。
有名なエピソード「銀ブラ事件」とは
今上天皇のご学友 橋本明氏
今上天皇陛下が学習院高等科3年生だった時、試験終了日に学友だった橋本明(故人:ジャーナリストで、元総理大臣橋本龍太郎の従兄弟)に「銀座に行きたい」という相談をしました。橋本さんはいつがいいかと聞くと天皇陛下は「今日がいい」と答えられて、もう一人連れて行こうと千家崇彦というもう一人の学友を誘いました。
コロンバンの店先
橋本さんは東宮の侍従に「陛下を目白へご案内したい」と嘘を言って寮を抜け出し、銀座をブラつくことに成功したのだそうです。
この時繰り出した銀座で慶応ボーイの4人組に遭遇し「陛下こんばんは」と挨拶されたそうです。その後3人は、「花馬車」という喫茶店で橋本さんの彼女と合流してコーヒーを飲み、「コロンバン」という洋菓子店でアップルパイを食べたり、紅茶を飲んだりしたそうです。
銀ブラ事件はすぐに発覚し、大目玉をくらった
コロンバンのプレミアムアップルパイ
しかし、事件はすぐに発覚し、大騒ぎになりました。
目的地や居所をすぐに突き止められた今上天皇陛下には20~30メートル間隔で警官が配置され、銀ブラどころではなくなってしまい散策は中止されてしまいました。
その後陛下を連れ出したご学友は警察や皇室の人々にこっぴどく叱られてしまったそうです。これが有名な銀ブラ事件と言われる今上陛下に残されているかわいい逸話です。
知られざる銀ブラ事件の真相とは?
私服警官
上に紹介したのが、有名な銀ブラ事件ですが、この話にはオチがあります。
実は陛下が寮を抜け出して銀座へ行くことの重大さにおびえた学友が、事前に銀座へ行くことを侍従に相談をしていたそうで、銀座にいた通行人は私服警官だらけだったのだそうです。もちろん帰ってからも陛下はご学友と共にこってり叱られてしまったのだと、後にテレビに出演した学友が語ったのだそうです。
今上天皇陛下の平成(即位後)エピソード
銀ブラ事件後、平成でも今上天皇はお茶目
登山時のエピソード
平成(天皇に即位後)でも今上天皇陛下にはお茶目なエピソードが残されています。
ある時今上天皇が登山をされた際、取材として同行した新聞記者が天皇陛下を見失い、天皇陛下を探そうと思って、うっかり「おとうちゃん!」と呼んでしまったのだそうです。
その時、天皇陛下は新聞記者の後ろから「おとうちゃんはここにいますよ」と冗談を言いながら突然現れて周りの人を驚かせたというエピソードが残されています。
銀ブラ事件以外にも、今上天皇陛下の幼少期エピソード
母・香淳皇后に抱かれる明仁親王 1934年
今上天皇陛下である明仁様は、昭和天皇の5人目の子供であり、初めての男の子(親王)であったため、誕生した際非常に喜ばれたそうです。
しかし、明仁様が幼い頃は戦争のまっただ中であったため、疎開を余儀なくされ、小さい頃はほとんど両親に会えなかったそうです。
明仁様のかわいいエピソード
幼少期の今上天皇陛下
世界には昔から子供が健康に育つように男児を女装した姿で育てる風習がありましたが、宮中でもその習慣が多少あったようで、明仁様も慣例に従って女の子のような恰好で育てられていたそうです。
※画像はイメージです
しかし小学校に上がる際、おかっぱにしていた髪を断りなく刈られてしまったため、明仁様はショックを受けて数日間塞ぎ込んでしまったそうです。
そしてその後に「これからは、黙ってこんなことしないでね」と抗議をしたというかわいい逸話が残されています。
銀ブラ事件以外にも、今上天皇陛下の愛称に関するエピソード
愛称に関するエピソードも
蚊取り線香の香炉
今上天皇陛下が学習院の初等科にいた時、肌の色が浅黒かったことから、蚊取り線香を入れる素焼きの香炉から「チャブ」というかわいい愛称で親しまれており、初等科時代には、悪童たちと一緒によくいたずらもしたと伝えられています。
そのほかにも、「雨夜の品定め」をした(源氏物語に出てくる話の一つ、光の君が友人たちと宮中の女性の品評会をした)というエピソードや、トンボを捕まえて油で揚げて食べたという逸話、蚊取り線香の容器の形のスタンプを使っていたなどのかわいい逸話も残されています。
日々ハードワークをこなす今上天皇陛下
宮中祭祀の様子
天皇は日本の宗教である神道のトップであり、祭儀も多い
今上天皇陛下に限らず、天皇や皇族は税金で優雅に暮らしていると思われていることも多くありますが、実際は高齢にして非常にハードワークをこなしています。
年間で目を通している書類は約1000件、これら一つ一つに署名と捺印をし、それ以外にも公務として年間200もの行事に参加、また宮中では20もの祭儀を執り行っています(これらは平成23年の実務の内容)。
執務中の今上天皇
今上天皇が目を通される書類は主に法律や条例に関するものや大臣などに関する書類で、内閣や宮内庁から来るものを裁決しています。
勿論これらの書類は国の行方を左右する重要な書類ばかりであるため、おざなりに署名や捺印をすることはできません。
今上天皇陛下のデスクワークエピソード
また、書類の多くは当日の内に裁決しなければいけないものも多く、国会の様子によってはお仕事が深夜にまで渡ることもあり、たとえ体調が優れず病に伏せっていても行わなければいけない聞けば、80歳を過ぎた今上天皇陛下がどれだけのハードワークをこなしているかが分かるのではないでしょうか?
魚類学者としても世界的に有名な今上天皇陛下
ハゼ
今上天皇陛下はハゼの魚類学者としても世界的に有名で、有名な科学雑誌「Science」に論文が掲載されたこともあります。また、その業績を評価されロンドン・リンネ協会の名誉会員、ロンドン動物学会名誉会員、アルゼンチン自然科学研究所永久名誉会員などにも就任しています
Platygobiopsis akihito
今上天皇陛下は、長年のハゼの研究への貢献に対して、1992年(平成4年)に新種のハゼの学名がPlatygobiopsis akihito(明仁)になったり、2007年(平成19年)にはハゼの新しい属名がAkihito属(明仁)になったりといくつかの献名がされています。
民族学者の梅棹忠夫は、今上天皇陛下のその博識さについて「皇太子(当時は皇太子だった)は非常に植物学への造詣が深く、立派に東大や京大が務まるほど。帝としてはどうかは知らないが、学者としては一流だ。」という評価をしています。
【銀ブラ事件】今上天皇が残したエピソードまとめ
今上天皇について語ろうとすると、どうしても右翼、左翼の話になってしまいますが、純粋に日々の仕事への向き合い方などを見ると80歳を過ぎた人がそれだけの仕事をこなしているというだけでも今上天皇は尊敬できる方のように思います。
また、今回紹介した有名な銀ブラ事件やその他の逸話以外にも、幼少期から平成に至るまで、今上天皇陛下は様々なお茶目でかわいいエピソードが残されています。もし興味のある方は調べて見てはいかがでしょうか?