『狭山事件』の真相と謎。石川一雄の現在や真犯人とは?

今回は、現在も真相が解明されてない1963年に埼玉県狭山市で起きた女子高生誘拐殺人事件、通称狭山事件の概要から犯人石川一雄の生い立ちと現在、石川一雄の冤罪について、狭山事件の真犯人と事件の真相を様々な視点から考察し、まとめたいと思います。

『狭山事件』の真相と謎。石川一雄の現在や真犯人とは?のイメージ

目次

  1. 1狭山事件概要
  2. 2狭山事件の起きた場所
  3. 3狭山事件犯人石川一雄の逮捕
  4. 4石川一雄の狭山事件当日のアリバイ
  5. 5狭山事件三大物証と犯人石川一雄の冤罪
  6. 6狭山事件犯人石川一雄の識字能力
  7. 7狭山事件裁判と石川一雄
  8. 8狭山事件犯人石川一雄の人物像
  9. 9狭山事件犯人石川一雄の現在
  10. 10狭山事件被害者家族 中田家
  11. 11狭山事件と怪死
  12. 12狭山事件真犯人1 中田家長兄
  13. 13狭山事件真犯人2 奥富玄二
  14. 14狭山事件真犯人の動機
  15. 15狭山事件の謎
  16. 16狭山事件の真相と真犯人

狭山事件概要

狭山事件とは?


被害者の中田善枝さん
 

出典: https://matome.naver.jp/m/odai/2136782885376089801

狭山事件の概要

昭和38年(1963年)5月1日埼玉県狭山市で、農家の四女で県立川越高校入間川分校在学の中田善枝さん(当時16歳)が午後3時23分に目撃されたのを最後に行方不明となる                                
                                                       午後7時40分に長兄が発見した玄関のガラス戸に挟んであった白い封筒には、身代金を要求する内容の手紙と四女の生徒手帳が入っていた。                     
                                                       午後7時50分に長兄が堀兼駐在所に失踪届けを提出する。誘拐事件と断定され、狭山警察署に届けられる。 
                                                       午後23時45分に次姉(当時23歳)が紙幣に見せかけた偽造紙幣20万円を手に指定された狭山市大字堀兼の佐野屋の入口で待つが24時を過ぎても犯人は指定場所に現れなかった。
                                                       2日の23時55分に改めて次姉が指定場所に待機した。茶畑や植木には、刑事が40人が張り込んでいた。
                                                       3日0時過ぎに犯人が現れ、次女と12分間会話をするが張り込んでいた刑事2人に気付き、立ち去る。
                                                       4日の午前10時半ごろに狭山市大字入間川の農道で少女の遺体が発見される。死因は絞殺で生前に強姦されていた。死亡推定時刻は1日の4時20分とされている。


ガラス戸に挟まっていた脅迫状
 

出典: https://matome.naver.jp/m/odai/2136782885376089801

被害者の遺体写真
両腕は手拭いで縛られており、ズロースは下げられていた。

出典: http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/223

狭山事件の起きた場所


白いX印の場所に脅迫状が挟まれていた。
 

出典: http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/2291


次姉が犯人と会う事になっていた約束の場所で、身代金の取引の話がされた場所。
 

出典: http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/203

狭山事件犯人石川一雄の逮捕

犯人石川一雄の逮捕から起訴


1963年5月23日に石川一雄(当時24歳)が逮捕され、強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂・窃盗・森林窃盗・傷害・暴行・横領の罪で起訴され、一審では、石川一雄は罪を全面的に認めた。しかし、石川一雄は一審で死刑判決が出た後に、一転し冤罪を主張する。後に、石川一雄に無期懲役が確定し服役する。石川一雄は1994年に仮釈放された。
 

出典: http://nagariyadani.seesaa.net/article/235554577.html

なぜ石川一雄は自白したのか?
石川一雄は警察から証拠として地下足袋が石川家の長兄石川六造のものであると脅迫された。長兄の六造が逮捕されると一族が食べていけなくなると信じた石川一雄は自白をはじめ、一審で死刑判決を言い渡される。しかし、長兄には、アリバイがあると弁護士から聞かされ、石川一雄は自供を一変、無実を訴えています。

石川一雄の狭山事件当日のアリバイ

逮捕後の犯人石川一雄の供述


石川一雄の当日のアリバイ
 


朝8時 兄と共に近所で仕事を開始 
                   
16時 仕事を終え帰宅。外出はせず。
                                            
21時 夕飯を済ませた後就寝
                                           
しかし、この申し立ては家族、友人たちで口裏合わせた嘘であることが露見し却下された。
 

自白後の犯人石川一雄の供述

犯人とされた石川一雄の供述
入間川駅(現狭山駅)

出典: http://blog.goo.ne.jp/k31929/e/1fcf9afe90cd9bf7343278377b74284e

14時 入間川駅(現在の狭山駅)で下車

15時 狭山市入間川で自転車で帰宅途中であった被害者と遭遇

16時 強姦と殺人を実行

17時 死体の置場所を思案し、被害者の死体を芋穴のそばに運ぶ

18時~19時 被害者の自転車で被害者宅に向かい、脅迫状をガラス戸に挟む。さらに、養豚場でスコップを盗む

20時 盗んだスコップで穴を掘り、死体を埋める

21時 着替えを済ませ就寝

狭山事件三大物証と犯人石川一雄の冤罪

証拠1 鞄
石川一雄が被害者の鞄を捨てたとされる場所から発見された鞄は、革製の鞄であった。しかし、被害者の鞄は革製の鞄ではなかったとされています。

証拠2 万年筆
石川一雄は被害者の万年筆を自宅の鴨居に隠したと自供する。発見された万年筆はブルーブラックの新品であった。しかし、被害者の万年筆は、ライトブルーでかなり使い込まれたものでした。

証拠3 腕時計
狭山事件の証拠として発見された腕時計はシチズンヘッドである。しかし、被害者の腕時計はシチズンコニ-である。

狭山事件犯人石川一雄の識字能力

石川一雄の筆跡が裁判に影響


石川一雄は教育を受けていないため字を書くことが出来ず、石川一雄は脅迫状を書くことができないと主張しました。しかし、勤務していた養豚場で提出した早退届や、友人に宛てた手紙が発見されたため、石川一雄は識字能力はあったとされています。
 

狭山事件裁判と石川一雄

狭山差別裁判


狭山事件で犯人とされた石川一雄が被差別部落出身であったことと、捜査の過程での問題の指摘があったことにより、部落解放同盟、部落解放同盟全国連合会の団体や、中核派、革労協、社青同解派などの政治政党は、狭山差別裁判と呼ばれています。
 

狭山事件犯人石川一雄の人物像

石川一雄は、昭和14年(1939年)1月14日、埼玉県狭山市の被差別部落の貧農の出身でした。
石川一雄の最終学歴は、小学校5年修了。小学校の指導要項には、他人との協調性に欠けており、責任感、正義感は皆無と書かれていました。

石川一雄は農家の仕事、子守奉公、革靴屋の店員、工場などの仕事を転々としており、少女の遺体が発見された場所からほど近い養豚場に勤務した後、逮捕時は鳶職の手伝いをしていました。
同時に、石川一雄は競馬や競輪などのギャンブルにのめり込み給料の大半をつぎ込んでいました。また、石川一雄は金に困ると新宿まで足を伸ばし、一度に通常の2倍ほどの売血をし、得た金で競輪をしていたといいます。

狭山事件犯人石川一雄の現在

仮釈放とは、死刑を除く刑が確定している服役者に対して、刑期の3分の1以上を過ぎると残りの刑期を一般社会の中で監視下のもと過ごさせる制度で、石川一雄氏のような無期懲役刑の者に対して適用されたのは、稀です。

現在、石川一雄は地元狭山市に8階建てのマンションを建て家賃収入で生計を立てており、1996年にはかつてからの支援者であり、同じ被差別部落出身の石川早智子さんと結婚。

出典: https://pinterest.com/pin/471541023467715113/?source_app=android


2006年5月23日には、支援者と石川一雄が東京高等裁判所に第三次の再審を請求し、石川一雄の無罪と事件の真相解明をを訴えています。
 

狭山事件被害者家族 中田家


狭山事件を報じた記事
 

出典: http://凶悪.blog.so-net.ne.jp/2013-10-09

中田家の次姉は後に自殺


以下は、中田家の次姉の遺書です。
 

「夫」宛 (次姉)は誰とも結婚できない女です。(「夫」)さん、どうか幸せになってください (「夫」)さん幸福に。私は美しい花を見ても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない                                                     長兄宛 (長兄)ちゃんとはもっと相談したかった                                                  父親宛 お父さん力強く生きてください。自分のクヨクヨした性格で、毎日毎日が、実にいやになりました。(次姉)の生活には発展もなければ何の信念も考えもない。動物にすぎない。死を考える親から、よい子など生まれません。五月一日、(被害者)の供養をしたとき、はじめて自分がわかった。二人でまっ黒になって働いたころが一番幸せだったと思う。先立つ(次姉)のわがままを許してください。

中田家の家族構成

父 栄作 1905年(明治38年)~1990(平成2年)

母 ミツ 1908年(明治41年)~1953年(昭和28年)脳腫瘍にて死去。

長姉 1934年(昭和9年)事件発生の9年ほど前から東京で働きに出ており、中田家とは絶縁状態であった。 

長兄 1937年(昭和12年)事件当日脅迫状を発見した人。現在もご存命。

次姉 1940年(昭和15年)~1964年(昭和39年)享年24歳。農薬を飲んで自殺。

三姉 1941年(昭和16年)~1943年(昭和18年)享年3歳。

次男 1944年(昭和19年)~1977年(昭和52年)享年33歳。自殺。

四女 1947年(昭和22年)5月1日~1963年(昭和38年)5月1日 享年16歳。狭山事件の被害者。

三男 1952年(昭和27年)狭山事件の後、他家へ養子へ出る。
 


さらに、母ミツは1953年に国立療養所精神科で脳腫瘍で亡くなるが、脳腫瘍であるのに無関係な精神科に入院させられていたことが不可解な点である。
 

狭山事件と怪死


この事件に関連する人達の、不可解な死!
 


1人目 5月6日に運送会社勤務の奥富玄二(31歳)が、農薬を飲んで井戸に飛び込んで自殺。
奥富は新居を構えたばかりで、翌日は結婚式の予定であることなど謎が多い。

2人目 不審な三人組を見たと通報した田中登(31歳)が、包丁を自らの胸に刺し自殺。
警察に情報提供したのに、犯人と疑われたことによりノイローゼになる。
                                                    
3人目 事件の翌年7月に、被害者の姉であり、身代金を渡しに行き唯一犯人と唯一接点のある中田富美恵さんが農薬を飲んで自殺。石川一雄に死刑判決が出た直後のことであった。       

4人目 事件から3年4ヶ月が過ぎた頃に、石田養豚場の経営者石田一義の兄である石田登利雄が鉄道で轢死体で発見された。警察は自殺と断定するが真相は謎である。

5人目 昭和52年に中田家の次男である中田喜代治が自殺。自身が経営した中華料理屋の経営不振が原因とされているが真相は謎。

6人目 同じく昭和52年に狭山事件を追っていたジャーナリストの片桐軍三が東京都豊島区の路上で何者かに襲われ死亡。真相は謎である。

 


現在の次兄が経営していた中華料理店の場所
 

出典: http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/178

狭山事件真犯人1 中田家長兄


中田家の事情
 


中田家は裕福な農家の一家であり、四女が殺害された狭山事件をきっかけに三男、四女が死亡または、中田家から出ているため長兄が財産確保のために、家族を整理していったのではないかという説がある。
                                                              
狭山事件の被害者である四女を探しに学校に行った帰りの約10分後に脅迫状を発見し、届け出までが極めて短時間であることに自作自演の可能性が指摘できる。
さらに、長兄は、身代金の受け渡しの際に次女を指定された場所までの送迎役をしていたこともあり、その場所にいることが不自然ではない立場であったとされているからである   
 

狭山事件真犯人2 奥富玄二


第2の嫌疑をかけられた者。井戸に飛び込み自殺。
 


狭山事件の真犯人であるとされる奥富玄二は、中田家に住み込みで働いていたことがあり、被害者とも面識がある。さらに、被害者家族に送られてきた脅迫状の筆跡が奥富玄二の筆跡と類似しているという指摘がある。

事件から近い5月6日に井戸に飛び込み自殺するが、新居を構えたばかりであり、結婚式を前日に控えた幸せな時期に自殺する点も不可解である。
 

狭山事件真犯人の動機

犯人は目的は金銭?
狭山事件の犯人とされる石川一雄の逮捕当日の月収は2~3万円(現在の20~30万円)ほどであり、その半分を家に入れていた。さらに、石川一雄の長兄の月収は20~30万円(現在の200万~300万円)であったため、石川一雄が金銭に困っているとは考えにくく、身代金を持った次姉からすぐに身代金を受け取らず、次姉と約12分会話をするのは不自然です。

狭山事件の謎

狭山事件の謎1 胃の中のトマト
司法解剖では被害者の胃の中から、じゃがいも、玉ねぎ、ニンジン、ナス、菜っ葉、小豆、米、トマトが検出された。じゃがいもや玉ねぎは、事件当日に調理実習でカレーライスを作り、昼食として食べたからである。
しかし、カレーライスと付け合わせにはトマト使われておらず、何処でトマトを口にしたかは謎である。

狭山事件の謎2 被害者に抵抗の跡がない
狭山事件の裁判では、被害者は強姦された後、殺害されたとされているが被害者の身体には抵抗した跡がなく、ほとんど無抵抗に近い状態で首を絞められたことになります。この点から石川一雄被告の弁護人は、強姦ではなく和姦であったと指摘しています。

狭山事件の謎3 処女膜の亀裂
被害者の処女膜は、事件発生の少なくとも一週間以上前に亀裂があったことが判明したが、殺害される前に性交渉の体験の有無があったかは不明である。

狭山事件の謎4 被害者を取り巻く男性関係
被害者の少女は複数の男性と交際していたことが噂されている。
被害者の手記からは、交際相手の男子生徒への思いが書き残されており、ゴールデンウィークには交際相手と遊ぶため、ある程度まとまった金額を定期預金から引き出した経緯がありました。

狭山事件の真相と真犯人

石川一雄を真犯人だとする見解も根強い


【真犯人 石川一雄説】
冤罪として扱わることが多い石川一雄被告であるが、現在冤罪の認定はされていません。さらに、石川一雄はアリバイに虚偽の発言をしたりしていたことや、アリバイを証明できるのが家族しかいないため石川一雄を冤罪ではないとする意見もあります。

【真犯人 中田家長兄説】
事件当日の行動やその他姉弟の怪死からすると、中田家の財産など全て自分にくるように仕組んだと疑われても不思議ではない立場である。さらに、その他の姉弟が種違いであった場合、動機は十分であり、被害者とも接点を持ちやすい。長兄は現在もご存命であるため、狭山事件の真相を知る人物の一人。

【真犯人 奥谷玄二説】
中田家に住み込みで働いていたこともあり、家族間、家の内部をよく知る人物である。さらに、奥谷玄二の血液型がB型であることや、事件発覚から間もなく自殺している点から、真犯人は奥谷玄二である説が浮上した説。

【真犯人 犯人複数説】
怪しい3人組を見たという証言もり、被害者が複数の男性と交際していた噂があったため、浮上した説。しかしながら、証言した男性は間もなく自殺しているため、真相は謎のままです。
 

まとめ:真相は依然として謎のまま!


真相がはっきりしない狭山事件。石川一雄さんの冤罪がみとめられる日は来るのでしょうか
 

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