【玄倉川水難事故】DQN川流れの生存者・富士繁のその後は?

玄倉川水難事故(DQN川流れ)は、1999年8月13日に神奈川県の山奥のキャンプ地で発生した水難事故です。この水難事故では男女子供を含む合計13人もの方が亡くなりました。リアルタイムでテレビ中継もされ世間から大注目を浴びた水難事故を徹底解説します!

【玄倉川水難事故】DQN川流れの生存者・富士繁のその後は?のイメージ

目次

  1. 1玄倉川水難事故(DQN川流れ)の概要
  2. 2玄倉川水難事故はいつ起きた?事故当日の天候は?
  3. 318人はどういう団体だった?構成メンバーは?
  4. 4なぜ「DQN川流れ」と呼ばれているの?
  5. 5やっぱりDQN!玄倉川水難事故での実際の暴言集
  6. 6玄倉川水難事故(DQN川流れ)のその後
  7. 7玄倉川水難事故の陰で怪しい取引の音
  8. 8玄倉川水難事故が国や自治体の決まりを変えた
  9. 9自然は怖いということを再認識した玄倉川水難事故

玄倉川水難事故(DQN川流れ)の概要

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玄倉川水難事故(くろくらがわすいなんじこ)とは1999年8月14日に神奈川県の山奥のキャンプ地で発生した水難事故です。

大雨により濁流が迫る中、とある一団体の18名の行楽客が玄倉川の中州に取り残されてしまいます。そのうち生き残ったのはたったの5名という悲惨な結果になり、過去最大級の水難事故として知られています。

この事故の最中には取り残された18名が救助隊や地元の人々に対して暴言を吐いたり救助を拒んだりしたことがテレビでライブ中継され、世間では大バッシングを受けました。

このような18名の普通では考えられない行動にちなんで、玄倉川水難事故は後に「DQN川流れ」とも呼ばれるようになりました。

玄倉川水難事故はいつ起きた?事故当日の天候は?

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玄倉川水難事故は、1999年夏に、関西から関東にかけて日本列島の太平洋側を襲った熱帯低気圧が原因で発生しました。

18人もの行楽客が一斉に激しい濁流に飲まれ流された事故当日は、一体どんな天気だったのでしょうか?

玄倉川水難事故(DQN川流れ)の前日の天候

玄倉川水難事故(DQN川流れ)は1999年8月14日の早朝に発生しました。この日はお盆の土曜日。

当時は河川敷でのテント生活が流行っており、また深夜に美しく輝くペルセウス座流星群が観測できる時期でした。そのため、玄倉川のキャンプ地はお盆のひとときを楽しむ家族連れやカップルでとても賑わっていました。

ところが、そんなお盆の盛り上がりを見せている玄倉川に、事故前日8月13日の15時ごろから激しい雨が降り始めます。紀伊半島(関西南部)の南海上に猛烈な熱帯低気圧が発生していたためです。

雨は次第に強くなり13日19:00を過ぎたあたりから、玄倉川のダムは決壊寸前でした。20:20には玄倉川のダムは放流を開始し、果てしない量の濁流が玄倉川を襲います。

事故前日(8/13)の時刻出来事
19:00 10mm/hを超える雨が断続的に降る
19:45河川敷にいた客は、全員がテントを置いて避難する。
19:50 ダム管理事務所員が、中州のキャンプ客に再び警告する。
20:06 ダム管理事務所から警察に連絡する。
20:20 ダム放流開始。

玄倉川水難事故当日の天候は台風のような悪天候!


前日からの大雨は長時間に渡って続き、事故当日8月14日になります。
早朝5時35分、気象庁は玄倉川キャンプ地を含む神奈川県内全域に大雨洪水警報を発令しました。

増水が激しさを増した事故当日8時までの総雨量は114mm。救助が開始される10時には、1時間に38mmと激しい雨となっていました。事故当日の玄倉川が相当な大雨だったことが容易に想像できます。

そんな必然とも言える状況のなか、玄倉川水難事故は発生しました。
 

警告を一切聞かずに救助を拒む18人


気象庁からの警告を受けて、玄倉川の管理人や地元警察、さらには地元住民までもが玄倉川中州でキャンプをしていた行楽客一行に直接注意を促しました。

ほとんど全ての行楽客が前日13日時点で既に玄倉川から退避していました。しかし、グループ一行25人中、前日に日帰りで現場を離れた4名と素直に勧告を受け入れて避難した3名を除く18名が中州に取り残されました。

大雨が続きダムの放流も始まって警官が必死に退避を警告しているにも関わらず、グループ一行は地元住民に暴言を吐いたり警官の注意を鼻で笑ったりするなど、なんと一切警告を無視していたからです。
 

警告を無視し続け、救助も実らず13人が水死


取り残された18人の一行が警告を無視し続ける中、雨はどんどん強くなり、いよいよ濁流が18人を襲います。

事故現場にはテレビカメラが到着し、18人の一行が生き残りをかけて必死で踏ん張る姿と、救助に奮闘するレスキュー隊の姿が全国にリアルタイムで放映されます。

8月14日11時38分、そのテレビカメラの目前で、18人全員が一斉に、決死の救助活動の甲斐もむなしく濁流に飲まれ流されてしまいました。

流された18名のうち、幼児1名は一緒に流された大人により別のキャンパーへ向かって投げ出された後救出され、生き残りました。また、他の4名は運よく岸にたどり着くなどで生き残りました。

残りの13人は8月29日までに水死体として丹沢湖で収容されました。恋人同士・そして親子全員が死亡した家族もあるというとても痛ましい事件になりました。
 

18人はどういう団体だった?構成メンバーは?

玄倉川水難事故(DQN川流れ)で中州に取り残された18人は、前日は25人の1団体でした。

濁流に襲われそうになる中、救助を拒んだこの異常なグループは一体何者なのでしょうか?ここでは、人数の内訳や団体メンバーの勤務先、リーダー格の名前をご紹介します。

リーダーの加藤直樹は冨士繁(ふじしげ)に勤務


流された一団体のリーダーは加藤直樹 (31歳、事故当時)という男。3児の父でした。

また、リーダー加藤直樹を含む数名は、株式会社富士繁(ふじしげ)という産廃業者に勤務していました。

冨士繁は2016年時点でも104名の従業員と、合計8個の工場・ショッピングセンターを有しています。冨士繁は1950年に神奈川県内で創業した非常に歴史ある産廃業者とも言えます。
 

玄倉川水難事故(DQN川流れ)のメンバーの内訳

流された18人は、冨士繁の社員とその家族、子供、および社員の婚約者と女友達でした。

そのうち、冨士繁の社員5名とその妻2名、更に1歳から9歳の子供4名に加えて、社員が連れてきた女性2名の合計13名が死亡しました。

生存者は5名のうち大人が3名、子供が2名でした。しかも、なんと生き残った大人の一人はリーダー加藤直樹本人なのです!そして、生き残った子供二人も、実は加藤直樹の子供でした。

なぜ「DQN川流れ」と呼ばれているの?

玄倉川水難事故は、別名で「DQN川流れ(ドキュンかわながれ)」とも言われています。一体なぜ今回の事故は「DQN川流れ」と呼ばれているのでしょうか?

ここでは「DQNってどういう意味?何の略?なんて読むの?」というところから「一体どこがDQNだったのか?」というところまでわかりやすくまとめました。

DQN(ドキュン)ってどういう意味?


DQNは「ドキュン」と読みます。

DQNの意味ですが、簡単に言ってしまうと「ヤンキーのような」という意味をもつインターネット上のスラングです。DQNと書くと、「何か英語の略称なのかな?」と思ってしまいますが、実際はそうではないようです。
 

DQN(ドキュン)とは、日本語の文脈で使われるインターネットスラング・蔑称の一つである。
「DQN」とは軽率そうな者や実際にそうである者、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者かつ、非常識で知識や知能が乏しい者を指すときに用いる。

玄倉川水難事故はテレビでリアルタイム中継されました。そのため、インターネット上でもこの玄倉川水難事故への議論が活発に起こりました。

当時1999年はちょうどインターネット上でスラングが流行りだした時期なので、玄倉川水難事故を「DQN川流れ」と評し、それが広く定着したのでしょう。

結局、水難事故に遭遇したこのグループは警官や気象庁からの避難命令を無視し続けた挙句、13人もの人が水死するという大惨事に終わりました。

これらの普通では信じられない言動や行動は、まさに「DQN」と言えるかもしれません。

DQNについては以下の記事で特集しています。こちらも是非読んでみてくださいね!

DQN(ドキュン)とは|信じられない行動の特徴や仰天動画を紹介 - エンタメ情報ならShiritaGirl

やっぱりDQN!玄倉川水難事故での実際の暴言集

玄倉川水難事故(DQN川流れ)は、テレビでライブ中継された影響もあって、流された18人が実際に救助を拒む際の暴言などが映像・音声として記録されています。

救助活動が始まると、リーダー格とされる男性が救助隊に対して暴言を吐き捨てます。
お盆休みに、大雨という過酷な状況下で任務を行う救助隊の方々に対して、「異常」とも言える量の暴言でした。

水かさが増したことで自己感情が整理できないほどパニックになっていたのかもしれません。

ここでは現存する様々な記録ファイルから、「DQNならでは?」のDQN暴言を集めてきました!

ダム管理職員・警察が浴びたDQN暴言


大雨の中必死に退避を促すダム管理職員と警察官に対し、団体のリーダー加藤直樹は鼻で笑いながら「早く失せろ、殴るぞ」や「放っておいて。楽しんでるんだよ!」などのDQN極まりない暴言を発しています。
 

次第に増えていった地元住民へのDQN暴言


リーダー格が警察に対し「放っておいて。楽しんでんだよ」と言い放つと、一同は高揚してしまったのでしょう。

身の安全を案じ、心配し声をかける地元住民には、「地元の人は臆病」「見張りを置くから平気」「田舎人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」などとのDQN暴言がどんどん浴びせられました。
 

命の恩人である救助隊にもDQN暴言は放たれる


中州が水没してから1時間後、ついにヘリコプターに乗った救助隊が到着します。

膝下まで浸水していた彼らにとって、救助隊はまさに命の恩人。それにも関わらず、救助中には、加藤直樹が「おい!こら!ヘリを呼べ」「もたもたすんな!」「仕事なんだから早く助けろ!」などのDQN暴言を連発。

決死の覚悟で救助するレスキュー隊に対して、極めて身勝手な加藤直樹のDQNな発言が目立ちました。とても3児の父とは思えません。
 

救助後も救助隊や地元住民に対してDQN暴言を連発

あんなにも暴言を吐きまくった加藤直樹に限って河岸から無事に救助されました。

地元住民は暴言をすでに何度も浴びせられているにも関わらず手作りのおにぎりを加藤直樹に差し入れます。しかし加藤直樹は「まずい」と発言し、そのおにぎりを地面に向かって叩きつけています。

生き残りとしては当然許される行為ではありません。

救助隊やおにぎりを差し入れた地元住民に対して、お礼やお詫びの言葉などは一切なく、暴言を発し、非礼な態度を取ったのです。これ以上のDQNもなかなか日本にはいないでしょう…。

玄倉川水難事故(DQN川流れ)のその後


当然、生き残りも冨士繁も大変な社会的バッシングを受けることになりました。また、現在でも生き残ったメンバーや冨士繁には事故を非難する声が寄せられています。
 

大人の生存者3人のその後


大人の生存者3名のうち、加藤直樹を除く2名も、会見を開いて実名を自ら公表することはありませんでした。会見によって謝罪の意を社会に対して表明しなかったことで、世間から非難を浴びています。
 

子供の生存者2人のその後


子供の生存者2名のうちの1人は加藤直樹の娘である加藤朝香(5歳、当時)さんです。

彼女は成長後、自身のブログを開設しています。もちろん自身の名前や事故の詳細は伏せてああったのですが、そのブログの内容は個人の名前と事故を特定するには十分でした。そのため、現在ではそのブログは閉鎖されています。

これはブログが閉鎖された今もなお残る、当時のブログのコピペです。
 

たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。 手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。ママに逢いたいです。小さい頃もずっとママが欲しかった。皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。あと優香にも戻ってきてほしいんだ。私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。けど私なりに頑張ってきた。毎日明るく生きてる… ーーー

加藤朝香さんが書いたとされるブログです。切ない気持ちになりますね。当時、朝香さん本人は無力な5歳児。幼稚園児では仕方のないことですね。

子供の生き残りのもう1人は加藤直樹の息子である加藤一樹(1歳、当時)さんです。こちらは詳細な現状は不明ですが、噂によると立派なDQNに成長されたとのこと...。

しかしこれに関しては何か根拠となる情報があるわけではないようなので噂程度に留めておきましょう!

富士繁に関するその後

リーダーの加藤直樹を含む5名が勤務していた株式会社 富士繁 は、現在でも営業を続けています。事件後も富士繁の社名を一切変更することなく事業拡大を続けてきました。

現在でも冨士繁のレビュー欄には当時の事件に関する様々なクレームが寄せられているようです。

近年では、冨士繁の有する戸塚工場が騒音問題を引き起こしているとか。何事においても管理が中途半端な会社なのかもしれません。

DQNの川流れの元凶たるブラック企業である。
反社会的組織。 
今年も川原でのキャンプはやりましたか?
再三の注意を無視して無謀なキャンプをして、最終的に救助してもらっておいて、もらったオニギリを「まずい」と言って投げ捨てる連中。
出典: https://www.google.co.jp/search?rlz=1C5CHFA_enJP805JP806&... |

 

玄倉川水難事故の陰で怪しい取引の音

絶えない噂...事故は生命保険金殺人だった!?


玄倉川水難事後(DQN川流れ)が発生した後、週刊誌によって様々な噂が掻き立てられ、世間に広まっていきました。なかでも最も世間を賑わせたのは、富士繁が会社として絡んだとされる生命保険金にまつわる噂です。

リーダー加藤直樹が流される直前になるまで執拗に退避命令を拒否するという不可解な行動から、事故後、玄倉川水難事故(DQN川流れ)は事故ではなく、意図的な事件だったのではないかという噂が広まりました。

その内容とは、加藤直樹が富士繁の経営状態が悪いことを知り、冨士繁の社員に生命保険金をかけたのちに水難事故に見せかけて殺した、というものです。

実際にはその噂は否定されているようですが、それくらい加藤直樹という男は不可解だという裏付けでしょう。

富士繁も産廃業者という小汚いイメージもあって、当時もあまり近所での評判は良くなかったとされています。そういう経緯もあって、事件後に事実とはかけ離れた噂が広まりやすかったのでしょう。
 

玄倉川水難事故(DQN川流れ)にまつわる裁判は?

自然災害などの場合、死亡者の遺族から、その自然災害が起きた現場の団体や公的機関に対して損害賠償を請求するなどの裁判が行われる場合があります。

しかし、玄倉川水難事故(DQN川流れ)に関する裁判が行われたという記録は無いようです。

当時の社会的なバッシングを考えると到底裁判などを起こす気になれなかったのでは無いでしょうか?裁判を起こすと名前や顔も世間に公開される可能性が高まることを考えると、裁判を起こさなかったのは理由がなんであれ賢明な判断だったと言えるのでは無いでしょうか?

捜査費など総額4800万円を地元の自治体が負担!


玄倉川水難事故(DQN川流れ)では、地元自治体が4800万円の公費を使いました。

自然災害であれだけ注意喚起までしたのに、無視された挙句、莫大な捜査費を請求される訳ですから自治体も溜まったものじゃないですよね(笑)

しかし、その4800万円も地元住民が汗水垂らして働いて納めた血税ですから、やはり地元住民にとったら笑い事ではないですよね。
 

玄倉川水難事故が国や自治体の決まりを変えた

事故後、世間では広く玄倉川水難事故(DQN川流れ)についての議論が取り上げられました。

なかでも、「キャンプ場や河川を安全に使うためにはどうしたら良いのか?」「ダムの放流の基準は間違っていないか?」「レスキューは予定通り行えたか?」など、玄倉川水難事故のような悲惨な水難事故がもう二度と起こってほしくないとの世論が高まりました。

国土交通省と各地方自治体では、河川の利用方法を再検討し、基準値を厳しくするなどの取り組みを行われました。

また、玄倉川水難事故が発生した神奈川県ではレスキューの見直しをするために消防組織の改編が行われました。東京都でも新たにウォーターレスキュー隊という新しい部署を設置。

玄倉川水難事故(DQN川流れ)によって水難事故に対する救助体制が大きく強化されました。この点については、玄倉川水難事故(DQN川流れ)が唯一世の中にもたらした良い点だったと言えるでしょう。

気象庁も台風の表現を改めた!


玄倉川水難事故(DQN川流れ)で大雨をもたらしたのは、熱帯低気圧と呼ばれる、いわば台風の子供のような暴風帯です。

気象庁はたとえ同じ台風の強さでも、今よりも「怖い」と感じられるような表現にするように、表現の改変を行いました。

2000年6月の改変によって、、「弱い熱帯低気圧」から「弱い」という表現を取り除いて「熱帯低気圧」と表現するようになりました。同時に、台風の強さを表す「弱い」「並みの強さ」という表現と、台風の大きさを表す「ごく小さい」「小型」「中型」という表現を廃止しました。

また、現在では、台風の強さを「強い」「非常に強い」「猛烈な」、大きさを「大型」「超大型」で表すことで、人々に「台風は怖い、大きい、強い」という印象を根付かせました。
 

自然は怖いということを再認識した玄倉川水難事故

玄倉川水難事故が発生するまで、先ほど記述したように気象庁や各地方の自治体も「水難事故」に対する認識が甘かったのです。

しかし、この水難事故によって、人々は水とは人を一気に殺す力を持っているということを強く認識することになりました。

幸いにもインターネットが普及し、テレビで水難事故がライブ中継されていたため、このような認識が世間で共有されやすかったという環境もあるかもしれません。

今でも川遊びやキャンプの際、あるいは台風の際に死者が出るという報道を目にすることは日常茶飯事です。

このような前代未聞な事件を「くだらない」で片付けるのではなく、「自然は怖い。水は怖い。自然の力には勝てない」という教訓を学ぶ場にすることで、未来の大切な命が守られて行くのではないでしょうか。

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