フィラデルフィア計画の不思議な実験「レインボープロジェクト」とは?

第二次大戦中、アメリカ海軍が行なったとされる「フィラデルフィア計画」。実験により戦艦はフィラデルフィアから消失し、遠く離れたノーフォーク沖に出現!?その艦内では人体発火・凍結・消失の阿鼻叫喚!そしてその計画は、密かにモントーク空軍基地で実験が続行されていた?

フィラデルフィア計画の不思議な実験「レインボープロジェクト」とは?のイメージ

目次

  1. 1フィラデルフィア計画実験『レインボープロジェクト』とは?
  2. 2フィラデルフィア計画実験の時代背景
  3. 3フィラデルフィア計画実験の経緯
  4. 4フィラデルフィア計画実験を主導したニコラ・テスラとは
  5. 5フィラデルフィア計画実験を引き継いだフォン・ノイマン
  6. 6フィラデルフィア計画実験の”被験者”駆逐艦エルドリッジ号
  7. 7フィラデルフィア計画実験の舞台となったフィラデルフィア海軍工廠
  8. 8フィラデルフィア計画実験の開始
  9. 9フィラデルフィア計画実験中のエルドリッジ、その狂乱の艦内
  10. 10計画実験中、瞬間移動した駆逐艦エルドリッジ号
  11. 11フィラデルフィア計画実験終了、事件は軍事機密として封印
  12. 12フィラデルフィア計画実験の露見
  13. 13フィラデルフィア計画を調査していたジェサップ博士の不審死
  14. 14ニコラ・テスラの謎の死
  15. 15モントーク空軍基地での実験プロジェクト
  16. 16モントーク空軍基地でのタイムトラベル事件
  17. 17フィラデルフィア計画実験最初の通告者、アレンデのその後
  18. 18海軍が明らかにした駆逐艦エルドリッジ号の真相
  19. 19フィラデルフィア計画実験の真相に迫る
  20. 20当時のフィラデルフィア海軍工廠には3人のSF作家がいた
  21. 21フィラデルフィア計画実験を描く映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』
  22. 22フィラデルフィア計画は本当になかったのか?

フィラデルフィア計画実験『レインボープロジェクト』とは?

出典: https://www.ufoinsight.com

フィラデルフィア計画実験:事件の真相は一体?

その実験で一体何が起こったのか?

フィラデルフィア計画『レインボープロジェクト』とは、アメリカ海軍が第二次世界大戦時に行なったとされる、軍事実験のことです。その実験は、強力な磁場で艦船を覆うことでレーダーから見えなくする「不可視化」が目的だったといわれています。

出典: https://www.ufoinsight.com

磁場に包まれるエルドリッジ号

実験は成功したのか。

フィラデルフィア海軍工廠での実験開始後、駆逐艦エルドリッジ号は緑色の霧の半球に包まれ、やがてレーダーから姿を消しました。実験成功かと思われたその時、事件は次々に起こりました。乗組員の突然の発狂、果ては人体発火・消失など不可解な惨事の末、なんと駆逐艦エルドリッジ号は実体すら消え、遠く離れたノーフォーク沖に瞬間移動したのです。

戦後、このフィラデルフィア計画実験の事件を語る人物が現れると、話題は一気に全米に広がりました。この計画と事件を海軍は全面的に否定しましたが、疑惑と真相の究明の熱は事あるごとに再燃し、1983年にはこの実験とモントーク空軍基地でのタイムトラベル事件を元にした映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』が公開されるなど、人々の記憶に残り続けています。

フィラデルフィア計画実験の時代背景

出典: http://history365days.blog.fc2.com

カサブランカ会談

フィラデルフィア計画が行われた1943年は、2年前に勃発した第二次世界大戦の末期。枢軸国は各地で敗退を余儀なくされ、連合国はいよいよ最後の大攻勢を図っていた頃でした。

1943年1月には、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相ウィンストン・チャーチルによる「カサブランカ会談」が行われました。この会談では枢軸国の無条件降伏を要求することを確認し合うなど、いよいよ連合国は大戦の終結を見据え始めます。

その後日本・ドイツ・イタリアのいわゆる枢軸国は各地で敗走、ついにはイタリアが9月8日に無条件降伏します。フィラデルフィア計画が行われるおよそ一ヶ月半前でした。

終結を早める、さらなる強力な軍事手段が欲しいアメリカ合衆国は、前年にロバート・オッペンハイマー博士が主導する『マンハッタン計画』、すなわち原子爆弾の研究開発に着手していました。また、この『マンハッタン計画』の研究者の中には、のちに『レインボープロジェクト』をニコラ・テスラから引き継いだとされるジョン・フォン・ノイマンも含まれていました。

フィラデルフィア計画実験の経緯

出典: http://www.instructables.com

テスラコイル

このテスラコイルの原理がフィラデルフィア計画の実験に用いられたという。

当時、トーマスエジソンと並ぶ発明家と称されたニコラ・テスラは、「船体の磁気をテスラコイル(高周波・高電圧を発生させる変圧器)で消滅させればレーダーには反応しなくなる」と考えました。その考えを元に1931年に設立したのが『レインボープロジェクト』です。

出典: https://www.nrl.navy.mil

戦艦のレーダー

実験が成功すればレーダーから船影を消失させることができる。

そのアイディアに目をつけた軍部が、その一環として1943年に着手したのが『フィラデルフィア計画』です。前年アメリカが勝利したガダルカナル海戦は、レーダーの優劣が勝敗を分けたともいわれます。レーダーから船影を完全に消すことができれば、戦局に俄然有利な立場に立つことができるのです。

フィラデルフィア計画実験を主導したニコラ・テスラとは

出典: http://madamsteam.com

ニコラ・テスラ

20世紀を代表する天才発明家。彼がレインボープロジェクトの実験を立案したという。

1856年7月9日オーストリア帝国に生まれたニコラ・テスラは幼少から数学の才能を発揮し、グラーツ工科大学在学中に、交流発電機と交流モーターの原理を考案します。その後、誘導モーターの開発に成功した2年後の1884年には渡米し、エジソンのエジソン電灯会社に採用されます。

しかし直流による電力事業を進めたいエジソンと対立、独立したテスラは交流による電力事業を進めるテスラ電灯社を設立します。これによってさらに深まった対立は、「電流戦争」と呼ばれるほど熾烈を極めました。しかしながら、テスラの推進した交流方式は今や世界的なスタンダードになっています。

出典: http://madamsteam.com

書物を読むテスラ

多岐にわたる研究と実験によって、数多くの発明を生み出した。

彼が発明したものは交流電気方式の他にも、無線操縦、蛍光灯やテスラコイルなど多数にわたり、8ヶ国語を解し音楽・哲学にも精通するなど、比類なき才能を持つ人物でした。

しかし1943年1月7日、自身の発案による「レインボープロジェクト』のさなか、テスラは帰らぬ人となりました。

フィラデルフィア計画実験を引き継いだフォン・ノイマン

出典: http://occult.xxxblog.jp

ジョン・フォン・ノイマン

その才能はあのアインシュタインも認めたという。

指導者であるテスラの死後、『レインボープロジェクト』を引き継いだのはジョン・フォイ・ノイマンといわれています。

1903年ハンガリーでユダヤ系ドイツ人として生まれたノイマン・ヤノーシュもまた、幼くして数学や語学などあらゆる科目で才能を発揮しました。1930年ごろにナチス政権を避け、家族でアメリカ合衆国に移住すると、名を「ジョン・フォン・ノイマン」とアメリカ風に改めました。

アメリカに移住してまもなく、世界でもっとも優れた学術研究機関であるプリンストン高等研究所に招かれました。当時そこにはアルベルト・アインシュタインとヘルマン・ワイルという、20世紀を代表する物理学者と数学者がいました。

出典: http://uchu2ch.blog.fc2.com

ノイマンとノイマン型コンピュータ

ノイマンは1943年の実験から3年後、ノイマン型コンピュータを提案した。

彼の功績は数学・物理学、気象学や経済学など多岐にわたり、特に有名なものの一つに現代のコンピュータの祖とされる『ノイマン型コンピュータ』の考案があります。

また、ノイマンは『マンハッタン計画』における原子爆弾開発にも深く関わりました。戦後、主導者であるオッペンハイマーの擁護やその他の言動から、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』に登場するマッドサイエンティストのモデルになったともいわれています。

フィラデルフィア計画実験の”被験者”駆逐艦エルドリッジ号

出典: http://shipssailors6.blogspot.jp

USS Eldridge

フィラデルフィア計画の実験に使われたとされる、駆逐艦エルドリッジ号は、アメリカ海軍のキャノン級護衛駆逐艦。

1943年2月22日にニュージャージー州ニューアークの連邦造船&乾ドック社で起工。1943年7月25日、進水。艦名はジョン・エルドリッジ・ジュニア少佐(1942年11月2日, ソロモン諸島にて死亡)にちなみ、その未亡人によって名付けられました。同年8月27日、C・R・ハミルトン中尉を艦長として就役しました。

出典: https://www.pinterest.jp

エルドリッジの乗組員

性能諸元 排水量: 1,240トン(基準)1,520トン(満載) 全長: 93.27m 全幅: 11.2m 吃水: 3.5 m(満載時) 機関: GM式16-278A型ディーゼル機関4基 電動機4基 6,000馬力 2軸 最大速: 21ノット 航続距離: 10,000海里(12ノット) 乗員: 士官15名 下士官兵201名 兵装: 7.6cm50口径単装両用砲(MK21)3門/53.3cm3連装魚雷発射管1基/4連装28mm機銃1基/20mm単装機銃6基/ヘッジホッグ1基/爆雷投下軌条2基/爆雷投射機8基(爆雷120個)

フィラデルフィア計画実験の舞台となったフィラデルフィア海軍工廠

駆逐艦エルドリッジ号を建造したフィラデルフィア海軍工廠(Philadelphia Navy Yard)は、アメリカ海軍最初の造船所です。1801年以来、アメリカ海軍最初の戦艦インディアナ、最後の戦艦とされるウィスコンシンなど、数多くの艦船を建造した歴史ある造船所です。

第二次世界大戦には、40,000人の工員が53隻の艦を建造し、574隻を修理したということです。戦後は需要の減少を受けてその規模も徐々に縮小させていましたが、冷戦の終了直後の1995年、7000人を解雇して閉鎖されました。

出典: https://hello-renovation.jp

現在のフィラデルフィア海軍工廠

現在多くの企業がオフィスとして利用している。

ちなみに、その跡地は「The Navy Yard Philadelphia」という商業施設に生まれ変わり、現在に至っています。

The Navy Yard | Philadelphia, PA
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フィラデルフィア計画実験の開始

出典: http://horrornews.net

光に包まれるエルドリッジ号

映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』より。

1943年10月28日、フィラデルフィア海軍工廠においてレインボープロジェクト『フィラデルフィア計画』が開始されました。

関係者が固唾を飲んで見守る中、発生させた強力な磁場は、やがて緑色の霧となり駆逐艦エルドリッジ号の巨躯を覆い始めました。霧はやがて半球状のドーム型となり、駆逐艦エルドリッジ号を完全に包み込むと、レーダーからその船影が消えました。成功だ!誰もがそう確信しました。

出典: http://forgottenflix.com

エルドリッジ号を見守る海軍関係者たち

映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』より。

やがて霧が晴れると、観察者たちの誰もが我が目を疑いました。そこに駆逐艦エルドリッジ号の姿はなかったのです。

駆逐艦エルドリッジ号はレーダー上のみならず、実体すら忽然と姿を消し去っていたのでした。

フィラデルフィア計画実験中のエルドリッジ、その狂乱の艦内

出典: http://kellyskrazynews.blogspot.jp

壁と同化した乗組員

映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』より。実験のさなか、信じられない事件が相次ぐ。

駆逐艦エルドリッジ号の実験の成功で上げた人々の歓声が、どよめきに変わるまでのあいだ、信じられないような恐怖と混乱が艦内を覆い尽くしていました。

乗組員のほとんどは強い不快感と体調の異変を感じ、その場から動けなくなりました。やがて精神に異常をきたす者が次々にあらわれ、艦内は嗚咽と悲鳴で溢れかえりました。まもなく、さらに異常な現象が起こり始めます。

身体から発火したかと思うと瞬く間に炎に包まれる者、反対に液体窒素を浴びたかのごとく凍結する者、まるで空気に溶け込むかのように消えた者もあれば、艦内の壁にめり込むように同化して動かなくなる者もありました。

実験機器のある部屋では厳重な隔壁に覆われていたことから、そこに配備されていた乗組員はかろうじて無事でした。しかし実験機器は完全に暴走しており、為す術はありませんでした。

計画実験中、瞬間移動した駆逐艦エルドリッジ号

出典: http://hamptonroadsnavalmuseum.blogspot.jp

ノーフォーク海軍基地

ヴァージニア州の南東に位置する都市、ノーフォーク。湾には世界最大の海軍基地ノーフォーク海軍基地があります。1943年10月28日、商船アンドリュー・フルセス号はノーフォークに停泊していました。

そのアンドリュー・フルセス号の乗員の眼前に突然大きな戦艦が現れたました。それは確かにフィラデルフィアから消えた、駆逐艦エルドリッジ号でした。フィラデルフィアでの消失し人々が呆然としている同時刻、遠く2500km離れたノーフォーク沖に突如として現れたのです。

出典: https://line-jin.jp

6時間もの間ノーフォークにとどまっていたエルドリッジ号は、新たな光に包まれるとエルドリッジ号はまたもやその場から消失、フィラデルフィアの元の場所に戻ってきました。しかし不思議なことに、フィラデルフィアでの証言によるとエルドリッジ号が消えていたのは数分間だったといいます。

ワープとは、何らかの科学的な力によって空間を歪曲させ、接近した2点間をを移動するものです。強力な磁力場の発生が、エルドリッジをフィラデルフィアからノーフォークへと運んだというのでしょうか。真相は未だ解明されていません。

フィラデルフィア計画実験終了、事件は軍事機密として封印

出典: http://blog.world-mysteries.com

実験は終了しました。

狙い通り船影はレーダーから消えたとはいえ、行方不明・死者16名、発狂者6名という結果に至った実験は、成功とは認めがたいものでした。

出典: http://www.vintag.es

真相は闇に葬られた

軍上層部は実験の内容、その関係資料を全て封印。かくしてレインボープロジェクト『フィラデルフィア計画』は、軍事機密として闇に葬られることになりました。

フィラデルフィア計画実験の露見

出典: https://rey55.wordpress.com

ジェサップとアレンデ

このレインボープロジェクト『フィラデルフィア計画』実験が明るみに出る最初のきっかけは、1955年のある一通の手紙でした。

物理学者であり、天文学で博士号を持つモーリス・K・ジェサップはUFO研究者でも知られ、『UFOについて』という著作もありました。その著作のファンであるとして手紙を寄せたことのある、カルロス・ミゲル・アレンデから一年ぶりに手紙を受け取ります。

その内容は海軍の実験で駆逐艦エルドリッジ号が消失したこと、遠く離れた地に瞬間移動して再び戻ってきたこと、乗組員への甚大な被害のことなどが詳細に述べられており、関連する新聞記事の切り抜きなども添えられていました。その新聞記事は、エルドリッジ号の元乗組員二人が衆目監視の中、忽然と消失したと伝えていました。

出典: http://outpostearth.blogspot.jp

ジェサップの著書

一方アレンデの密告を察知した軍部は、アレンデの捜索に乗り出しました。ジェサップ博士は海軍から、アレンデ捜索の手がかりとして、ある著書の書き込みの照会を求められました。その著書とは自著『UFOについて』であり、その不可解な書き込みの一部は、アレンデの手紙の筆跡と一致しました。

フィラデルフィア計画を調査していたジェサップ博士の不審死

出典: http://obscurantist.com

事件の真相に迫ったジェサップ

アレンデの密告、そしてそれにすぐさま反応した海軍の動きから、ジェサップ博士は確信しました。レインボープロジェクト、『フィラデルフィア計画』実験は事実に違いない。彼は本格的にその研究、真相の解明に乗り出します。

出典: http://www.pbase.com

1958年頃のデイド郡

しかしそんな矢先の1958年4月20日、フロリダ州デイド郡立公園の駐車場でジェサップ博士の死体が発見されました。死因は排気ガスによる一酸化炭素中毒。自殺と断定されました。しかし自殺の真相は今も明らかにはなっていません。

ニコラ・テスラの謎の死

出典: https://www.funeralwise.com

レインボープロジェクトの半ばで更迭されたテスラ

レインボープロジェクト『フィラデルフィア計画』実験の噂が一気に流れると、計画の発案者である、ニコラ・テスラの死の真相に再び注目が集まりました。

テスラは当初、レインボープロジェクトを小規模な不可視化実験から始めていました。しかし遅々として進まない実験の進捗に焦った軍部は、人体実験をテスラに要求します。しかし人体実験は時期尚早と反発するテスラを、軍部は更迭します。引き継いだノイマンは軍部の指示に従い、人体実験を始めましたが、被験者たちは次々に不快感や体調不良を訴えたといいます。
 

出典: https://www.funeralwise.com

テスラの死亡を伝える記事

孤独の中、85歳でこの世を去った。

テスラは1943年1月7日、マンハッタンのニューヨーカーホテルで死亡していたのを発見されます。部屋に保管されていた数トンにも及ぶといわれる研究資料は、氏を聞きつけて現れた軍やFBIなどの政府関係者が全て没収して行きました。そこには有名な『世界システム』の研究資料や、もちろん『レインボープロジェクト』の関係資料も全て含まれていたといいます。

モントーク空軍基地での実験プロジェクト

出典: http://walyou.com

モントーク空軍基地

現在のモントーク空軍基地。

打ち切られたとばかり思われていたレインボープロジェクトは、場所を変え、密かに継続されていました。駆逐艦エルドリッジ号の瞬間移動現象を重要視した軍部は、モントーク空軍基地で引き続き研究を行うべく新たなプロジェクトを立ち上げたのです。

モントーク空軍基地で行われた研究は瞬間移動に止まらず、マインドコントロール・洗脳、果ては死者の復活や思考の物資化などの研究や実験が行われました。そしてモントーク空軍基地でそれらの研究を指示していたのは、あのジョン・ノイ・フォイマン博士だったといいます。

出典: http://www.27east.com

モントーク空軍基地の施設

モントーク空軍基地の巨大なレーダー設備。

モントーク空軍基地でのタイムトラベル事件

出典: http://reki.hatenablog.com

モントーク空軍基地のプロジェクトでは、タイムトラベルも盛んに行われたようです。そのきっかけは、あのフィラデルフィア計画に参加していたという、ダンカンとエドワーズのキャメロン兄弟のタイムスリップ体験にありました。

フィラデルフィアでの実験で、異常事態に陥った艦内から海へ飛び込んだ兄弟。その先はなんと1983年のモントーク空軍基地だったというのです。そこには老いたノイマン博士が待ち構えており、1943年に戻れと指示を受けます。しかしエドワーズだけは1983年のモントーク空軍基地にとどまることにしましたが、彼はその直後急激に老化が進んだということです。

出典: http://karapaia.com

フィラデルフィア計画実験最初の通告者、アレンデのその後

出典: http://www.natsume-books.com

チャールズ・バーリッツ著『謎のフィラデルフィア実験』

フィラデルフィア計画の実験とその事件の真相に迫る著作。

長い間、真相が謎に包まれていたフィラデルフィア計画での実験。その噂の最初のきっかけとなったカルロス・ミゲル・アレンデの消息を掴んだものが現れました。のちに『謎のフィラデルフィア実験』を上梓するチャールズ・バリッツでした。しかしいざアレンデにインタビューをしてみると、ことの真相については要領を得ない返答ばかりで、確信に迫ろうとするとはぐらかす始末でした。

出典: http://obscurantist.com

カルロス・ミゲル・アレンデ

フィラデルフィア計画実験の事件を最初にリークした人物。

そもそもアレンデは過去に一度、「フィラデルフィア計画の話はデタラメだった」と語っているにも関わらず、それを翻し、著名なUFO研究家ジャック・ヴァレに重要な情報の売却を持ちかけるなど、行動に一貫性がない人物でした。

海軍が明らかにした駆逐艦エルドリッジ号の真相

出典: http://shipssailors6.blogspot.jp

エルドリッジ号

海軍によれば、エルドリッジが関わった実験の事実も事件もなかったという。

そもそもエルドリッジ号はフィラデルフィアにいなかった。--アメリカ海軍の調査によれば、駆逐艦エルドリッジ号は8月27日の就役以来、1943年中には一度もフィラデルフィアに寄港していないとのことです。これは誰でも閲覧を請求できるマイクロフィルムでその真相を確認できるのだといいます。

出典: http://www.nww2m.com

ギリシャ軍に引き渡されるエルドリッジ号

また駆逐艦エルドリッジ号は1943年以降も現役で運用されており、1951年にギリシャ軍に払い下げられたということです。

フィラデルフィア計画実験の真相に迫る

出典: http://www.uapsg.com

UFO研究の大家ジャック・ヴァレ

アレンデから情報買収を断ったUFO研究家のジャック・ヴァレはその後も事件の真相のリサーチを進め、当時技術者として実験に参加していたエドワード・ダンジョンという男の証言を得ます。

出典: http://www.naval-technology.com

魚雷

実験の真相は魚雷に対する不可視化?

彼によると本当のフィラデルフィア実験というのは「艦体に付着した磁気を消し去る実験」であり、磁気魚雷の脅威から「不可視化」を目指した実験だった、ということでした。

当時のフィラデルフィア海軍工廠には3人のSF作家がいた

出典: http://granitegrok.com

海軍時代のハインライン

1943年のフィラデルフィア海軍工廠には、技術士官として『宇宙の戦士』『夏の扉』でのちに知られるSF作家、ロバート・A・ハインラインが働いていました。さらには、『闇よ落ちるなかれ』のL・スプレイグ・ディ・キャンプ、そして『われはロボット』『ファウンデーションシリーズ』で知られるアイザック・アシモフという、やはりSF界を代表することになる二人の作家と共に働いていたことがわかっています。

出典: https://steemit.com

ハインライン、ディ・キャンプとアシモフ

海軍工廠にて。1944年。

真相はわかりませんが、SFのアイディアに満ちたこの3人の会話に着想を得た誰かが、『フィラデルフィア計画』事件の物語を広めることになったのかもしれません。

フィラデルフィア計画実験を描く映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』

氷に閉ざされた南極基地での不審死、凍結した死体や焼死体など、まるで『フィラデルフィア計画』実験での事件のような、謎の真相を探る映画『遊星からの物体X』。その映画を監督したジョン・カーペンターが製作総指揮をした映画、それが『フィラデルフィア・エクスペリメント』です。

映画はまさにフィラデルフィア計画実験や事件の噂を元に描かれており、そこにモントーク空軍基地でのタイムスリップ事件を加えたようなストーリーとなっています。

映画の主演は同時期に出演した映画『ストリート・オブ・ファイヤー』で、一躍トップ映画スターとなったマイケル・パレ。そして、映画『キャリー』や映画『殺しのドレス』で人気を博していた、映画女優ナンシー・アレンがヒロインを務めました。

映画は1984年に公開され810万ドルの興行収入を稼ぐと、10年後には映画『フィラデルフィア・エクスペリメント2』を公開。続編映画はフィラデルフィアでの実験の生存者が主人公となってはいます。どちらかというとこの映画は、モントーク空軍基地計画で語られるようなタイムスリップを主軸にしています。

フィラデルフィア計画は本当になかったのか?

出典: http://forgottenflix.com

先述したように、そもそもエルドリッジ号は1943年10月28日にフィラデルフィアにいなかったという記録が残っています。加えてノーフォークでエルドリッジ号を目撃したといわれるアンドリューフルセス号も、記録によれば1943年10月25日にはノーフォークを出航しており、実験の日には地中海にいたとのことです。

以上の記録に加え、当時の海軍で実際に行われた消磁実験に、1950年代に駆逐艦ティンマーマンで行われた高周波の発電機を搭載する実験が合わさって生まれた都市伝説ではないかというのが、有力な見方とされています。

しかし煙のないところに火は立たず、と考える人もあるでしょう。なかったとすれば、なぜそんな噂が生まれたのでしょうか?これについては、『マンハッタン計画』という重要なプロジェクトを秘匿するために政府が流布した噂である、そんな説を唱える声もあります。

今も『フィラデルフィア計画』の本当の謎は明かされていないのかもしれません。

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