姥捨て山って実在したの?伝説のあらすじと真実について
姥捨て山という昔話を知っている人は少なくないのではないでしょうか。しかし、あの姥捨て山。実在していたと知っていますか?本当に姥捨て山は実在していたのか。その場所はどこなのか。なぜ姥捨て山伝説はあるのか。気になる真実をご紹介します。
目次
姥捨て山ってどんな山?
姥捨て山とは
姥捨て山とはどんな山なのかご存知でしょうか。
小さいころ、姥捨て山伝説の昔話を聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか。
しかし、姥捨て山とは、本当に伝説の中だけのものなのでしょうか。
実は姥捨て山とは、実在した山とも言われているのです。
なぜ姥捨て山が実在していたのでしょうか。
姥捨て山の意味とは?
今回は、気になる姥捨て山とはどんな山なのかについてご紹介していきます。
本当に伝説だけの話なのか、それとも、姥捨て山とは本当に実在したのか?
姥捨て山伝説 ~あらすじ~
姥捨て山のあらすじとは
姥捨て山のあらすじとは、どんなあらすじだったのか覚えているでしょうか。
確か、自分の親を山に捨てに行くようなあらすじだったな、という程度にしか覚えていないという人も少なくないでしょう。
そんな人のために、姥捨て山とはどんなあらすじなのか、ご紹介しましょう。
姥捨て山伝説とは
年老いた老人は、役に立たない。
だから山に捨ててくる。
そんなお触れが出されていた地域があります。
姥捨て山と言われている山に、年老いた母を背負って息子は捨てに行くのです。
自分が姥捨て山に捨てられることをわかっている母。
しかし、母は息子のことを案じて、帰り道の目印にと枝を切って落としていくのです。
そんな母の愛に涙する息子は、姥捨て山に母を捨てることが出来ず、連れて帰ってしますのでした。
母を連れて帰った息子
伝説では、姥捨て山に母を捨てることが出来ずに連れて帰ってしまった息子。
あらすじでは、連れて帰った母を床下に隠すのです。
その後、殿様から出される難題を母の力を借りて解く息子。
そのことにより、殿様も年を取った老人に意味はないという考えを改め、年寄を大事にするようになった、というのが姥捨て山伝説のあらすじです。
いかがですか?
伝説とはいえ、母が息子を思う気持ちには、涙が出てきますね。
検証!姥捨て山は実在したのか?
姥捨て山は実話なのか?
しかし、姥捨て山伝説は実話なのでしょうか。
実話だとしたら悲しいですよね。
いったい、姥捨て山にどういった意味があるというのでしょうか。
本当に姥捨て山が実話なのかどうか、少し検証してみましょう。
子供は姥捨て山に捨てに行けるのか?
検証1:親を子供が捨てられるのか
もしも姥捨て山が実話だとしたら、子供が親を捨てに行くということになります。
本当にそんなことできるでしょうか。
姥捨て山伝説で言われている老人は、60歳以上。
しかし、60歳といえば、まだまだ元気な人たちが多いです。
現在では、孫の世話などで活躍している人たちがもっとも多い年代。
そんな年代の親を、本当に背負って捨てに行くことができるのでしょうか。
そもそも、自分の親です。
姥捨て山に捨てるということは、死なせに行くということ。
そんなことを子供が真実したいと望むでしょうか。
たとえお触れが出されていても、どうにかして親を助けたい。
そう思うのではないでしょうか。
姥捨て山から帰ってくる可能性
検証2:帰ってこれるのではないか?
姥捨て山の場所がどこであれ、親を連れて行く息子たちは、行って帰ってこれるのです。
それも、歩いて。
ということは、そんなに大変な場所ではないということ。
それであれば、親たちは自分で捨てられた場所から、自分の足で歩いて帰ってこれるのではないでしょうか。
たとえ、戻ると捨てられると思ったのなら、元の場所ではなく、新たな場所で生活することも可能なのではないでしょうか。
老人の抵抗の可能性
検証3:老人の抵抗
60歳といえば、まだまだ元気の年齢。
そんな年齢の老人を姥捨て山に捨てに行こうとしたとき、抵抗されることはないのでしょうか。
また、姥捨て山に集まった老人たちが、協力しあって捨てにくる若者に暴力をふるうことはないのでしょうか。
実話だとすれば、さまざまな疑問がわいて出ますね。
では、姥捨て山は実話ではないのでしょうか・・・?
姥捨て山の意味 ~口減らし~
姥捨て山の意味は口減らし?
姥捨て山は口減らしの意味があったと考えられています。
今とは違い、不作になるとそのことが死を意味することでもあった時代。
家族の人数が少ないほうが、生き残る可能性が高まるのです。
だからこそ、姥捨て山伝説のような話が真実として伝承されてきたのかもしれません。
間引き
姥捨て山とは違い、間引きと呼ばれる行為は真実日本であったことのようです。
多くは、幼い子供をその手にかけていたようです。
それは食べる口を減らそうというものよりも、このまま生かしていてもかわいそうだから、という意味があったようです。
しかし、いくらかわいそうだからと、真実我が子を手にかけることなどできるのでしょうか。
海外にある「姥捨て山」事例
実話:海外の姥捨て山
海外にも姥捨て山のように、親を置いていくという話があるようです。
しかし、それは死なせるというような意味ではなく、狩猟民族などでこの先、行動についていくことができないという老人たちをその場に残して去るというようなものだったようです。
そのときは、もちろん食料を残していきましたし、介護や世話を希望する若者がいれば、その若者を残していくこともしていたようです。
日本での姥捨て山とは、まったく意味合いが違っているものですね。
まだポジティブな別れと言えるのではないでしょうか。
世界でもいくつかの場所で、間引きのようなことや、親を置いていくようなことは、真実あったようです。
姥捨て山の場所は長野に
冠着山
実は姥捨て山は、日本に真実存在していました。
その山は長野県にあります。
長野県千曲市と東筑摩郡筑北村の間に存在する山なのだそう。
ちゃんと冠着山という名前があるにも関わらず、長野の人たちなどはこの山のことを「姥捨て山」と呼んでいるようです。
『大和物語』という物語には、この山に老人を捨てていた、いわゆる棄老伝説が残っていると言われています。
そのことから、ここ長野県の山が姥捨て山と知られているのかもしれません。
気になる人は長野へ。
長野県にある冠着山は、登山のできる山となっています。
さらに長野自然百選にも選ばれているのだそうです。
冠着山に上るときは、冠着駅から車で登山口に昔ましょう。
冠着駅は、長野県東筑摩郡筑北村坂井にある駅で、JRが通っています。
他県から来るときも、便利なのではないでしょうか。
岩手のデンデラ野は姥捨て山だった
デンデラ野
他にも日本には、姥捨て山伝説の残る場所がいくつかあります。
その中でも、岩手県にあるデンデラ野には、写真のように姥捨て山伝説の案内などもおいてあります。
このようなものを見ると、本当にこの場所で姥捨てが行われていたのかもしれない。
そんな風に感じますよね。
他にも姥捨て山を連想させるようなものが、いくつかあるようです。
やはり、昔は姥捨てが当然のように行われていたのかもしれませんね。
何かが起こりそうな場所
昔の風景が残るデンデラ野。
昔話にそのまま出てきそうな場所ですよね。
今もこの状態で残されているのでしょうか。
デンデラ野へのアクセス
デンデラ野へやJR釜石線遠野駅から行くことができます。
しかし、遠野駅からも10kmはあるという場所。
やはり姥捨て山ですから、なかなか行けない場所にあるのかもしれませんね。
遠野駅まで着いたら早池峰バス恩徳行きで42分、車中の人となります。
山口というバス停で降りたらおよそ15分でデンデラ野まで到着します。
姥捨て山 デンデラ野は心霊スポット?
デンデラ野は心霊現象も
デンデラ野は、姥捨て山の伝説があるからでしょうか。
このデンデラ野はあの世とこの世を結ぶ場所と言われているようです。
そのせいでしょうか。
誰かが亡くなる前には、誰のものとも知れないような泣き声や、鈴の音のようなものが聞こえてくると言われているようです。
心霊写真も
デンデラ野では心霊写真も撮れると言われています。
やはり、この場所では姥捨てが行われていたのかもしれませんね。
どんな心霊写真が撮れてしまうのでしょうか。
勇気のある人はぜひ遠野まで。
姥捨て山を扱った作品
柳田圀男著作 『遠野物語』
デンデラ野が登場
柳田国男の「遠野物語」。
この遠野物語には、デンデラ野が出てくるのだそうです。
本屋さんで購入することができますから、興味のある人はぜひ読んでみてくださいね。
深沢七郎作 『楢山節考』(ならやまぶしこう)
映画化も
姥捨て山をテーマに書かれた小説だそうです。
その後、映画化もされ、感動の涙を多くの人が流したのだとか。
映画は1983年に公開されています。
【まとめ】姥捨て山は実在したのか?
いかがでしたか?
今回は、姥捨て山が存在したのかどうかということをご紹介してきました。
口減らしや棄老伝説などさまざまな伝承が残されています。
いずれも不作など貧しさ故のこと。
現在では、そんな心配をすることもなく60歳過ぎても元気にはつらつと行動している人たちが多いです。
そんな人たちを私たちも敬い、頼り、信頼関係を築いて生活していきたいものですね。