2021年03月30日公開
2021年09月29日更新
江戸時代の避妊方法がすごい…避妊具の歴史まとめ
今のようにコンドームやピルが無かった昔の遊女たちはは、どのような避妊具や方法で避妊していてのでしょうか?江戸時代の庶民と吉原遊郭で生きた花魁遊女、女郎との避妊に関する比較と江戸時代の避妊具の歴史、江戸時代の中絶の歴史を紹介したいと思います。
目次
江戸時代遊女の避妊具
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江戸時代の避妊具事情
吉原遊郭や女郎屋での花魁遊女の文化が花咲いた江戸時代。同時に、性におおらかであったとも言われている江戸時代その反面で、十分な避妊具がなく妊娠をコントロール出来ないため望まぬ妊娠もかなり多かった江戸時代では、遊女たちはどのような避妊具や方法で遊女たちは避妊していたのでしょう?
避妊具はあまり主流ではなかった
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江戸時代の避妊具事情
江戸時代は花魁遊女を除いては基本的に避妊具を用いた避妊をしなかったとも言われています。
妊娠のメカニズムが解明されていなく、コンドームやピルのような避妊具がなかった遥か昔江戸時代には、遊女たちは今では考えられないような方法や避妊具を用いて避妊、中絶が行われていた歴史があります。
江戸時代の遊女たち
吉原遊郭とは?
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吉原遊廓(よしわらゆうかく)とは、江戸幕府によって公認された遊廓である。始めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府(現在の静岡市葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。
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遊女のトップ:花魁
花魁は吉原遊郭での位の高い者。または、姉分の女郎、上位の遊女のことを指します。高給取りであったため外来品の避妊具や高価な避妊具を購入していたと思れます。
吉原遊郭で花魁と一夜を過ごすためには目当ての花魁の店で豪遊することが条件で、相場は400万~600万円ほどかかります。さらに吉原遊郭では花魁を身請けする場合には、大体1億円ほどかかったそうです。
豪商だろうが高級武士だろうが花魁が気に入られなければフラれてしまいます。吉原遊郭の花魁の前では、身分は関係なかったのです。
夜鷹と呼ばれる女郎
夜鷹とは下級の遊女であり、安い夜鷹だと一回の値段が蕎麦一杯分の値段と変わらないほどの値段で身を売っていたそうです。
身分の低い女郎であったために夜な夜な辻に立ち客を取っていました。昔は、性病に対する知識が人々にあまり無かったことや避妊具が一般的ではなかったため、夜鷹は性病をもつ者が非常に多かったそうです。夜鷹たちは河原などで手に持っているゴザを敷き事を行っており、年齢は10代~70代と幅広く全国にいました。
夜鷹は遊女のなかでも低所得であったため、避妊具や中絶にお金をかけることができない者もいました。なので妊娠したら冷たい河で身体を冷やして流産をさせるか、仮に出産したとしても間引きされてしまうかのどちらかでした。
江戸時代花魁遊女の避妊具
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避妊具がないという過酷さ
避妊具がないなかで色を売ることが生業である遊女たちは、妊娠する確率がほぼ100%近い環境のもとで働かなければなりません。
もとより妊娠することは遊女にとって恥でありました。さらに貧しい農村や漁村から吉原遊郭や女郎屋に遊女として売られてきた女性がほとんどであったため、妊娠されると借金の返済そして生活ができなってしまうので、遊女たちは必死に避妊具を用いて避妊をしていました。
妊娠しても生むことが許されない遊女たちの悲哀の歴史が垣間見えます。
昔の遊女たちの避妊具とは
コンドームのような避妊具が今ほど発達していない江戸時代の花魁遊女たちは、どのような避妊具や方法で避妊してたのでしょうか?遊女たちの避妊具の歴史を紹介いたします。
江戸時代遊女の避妊具:薬
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遊女の避妊具:朔日丸
江戸時代末期には朔日丸(ついたちがん)という薬が登場しました。朔日丸を毎月一日に服用することで避妊ができると謳われていましたが、避妊具としての効果はほとんどなかったそうで、値段も現在の7,000円と高価であったために庶民や女郎屋の下級遊女にはなかなか手に入るものではありませんでした。朔日丸は遊女のみならず、庶民たちの間でも避妊具として使われていました。
遊女の避妊具:天女丸
また江戸時代末期には天女丸(てんにょがん)という避妊に効果があるとされた薬のひとつです。天女丸は避妊と生理不順にも効く上、服用をやめればすぐに妊娠できると謳われていた避妊具です。効果はもちろん無かったのですが、昔はこのような詐欺紛いの避妊具が3,000円という高価な値段で売られていたことに驚きですね。これも高価なので所得の低い遊女には痛い出費です。
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遊女の避妊具:越中反魂丹
現在の富山県で製造されていた越中反魂丹。魂が反り返るほど元気になる江戸時代の代表的な薬ですが、なんと避妊に効果があるとして避妊具として扱われていた事実が。しかしながら効果はほとんどありませんでした。遊女たちが使っているとは思いもよらずな代物です。
越中反魂丹は、遊女たちだけではなく、庶民の間でも使われていました。
江戸時代遊女の避妊具:洗滌
遊女たちの中では広く行われていた
洗滌(せんでき)と呼ばれる方法が江戸時代の遊女たちの間では主流な避妊方法でした。
吉原遊郭の女郎屋で働く遊女たちがもっぱら実践していたのが洗滌といって、膣の中を水で洗ったそうです。遊女用の浴室や便所には必ず洗滌が行える場所がありました。あらかじめ洗滌用のお湯を桶に汲んでおいて、性行を終えたら洗滌をして膣の中の精液を洗い流していたそうです。しかしながら精子は洗滌を行う前に子宮に到達してしまうため、洗滌を行っても避妊の効果はあまりありません。ですが1日に最大5人を相手にしなければならない吉原遊郭の遊女たちにとって洗滌は避妊具としてというよりも清潔を保つ役割の方が大きいかもしれません。
洗滌は吉原遊郭で働く遊女のみならず、夜鷹のような下流女郎たちの間でも主流で、事を終えると河で洗滌を行っていました。また庶民の間でも洗滌は一般的に行われていた避妊方法です。
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性が売り物の遊女たち、妊娠などということになっては仕事にならないので、避妊ということに関しては人一倍、気をつけていたでしょう。
江戸時代遊女の避妊具:和紙
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遊女の避妊具:御簾紙
上げ底と言われる避妊具で江戸時代の遊女たちは吉野和紙という高級和紙を唾で丸めて、膣の奥に詰め込み精液の侵入を防ぐという現代のペッサリーのような避妊具がありました。吉原遊郭で働く多くの遊女たちが上げ底と言われる避妊方法を取っており、事を終えると上げ底を取り出してから洗滌を行うという一連の流れを行っていたそうです。
江戸時代遊女の避妊具:お灸
遊女の避妊具:お灸
江戸時代には二月二日に臍の下にお灸を据えると避妊の効果があるというジンクスがあり、避妊具として使われていました。各地の女郎屋や吉原遊郭の花魁遊女たちは毎年この日にみんなでお灸を据えたとされて、避妊具として使われていたという歴史があります。
こちらも効果はほとんどなく、避妊具というよりも遊女たちの験担ぎの役目があったとされています。
江戸時代遊女の避妊具:跳び跳ねる
遊女の避妊具:避妊体操
避妊具が十分ではなかった江戸時代の遊女たちは事を終えると、跳び跳ねることによって避妊をしていたようです
避妊具が充実した今なら笑ってしまうような避妊方法ですが、昔の遊女たちは真面目に実践していたようです。
遊女としてのプライドも
遊女の避妊具事情
避妊具ではありませんが江戸時代の遊女たちの間では、遊女は性行中に感じてはならないという掟がありました。
避妊具が未発達であった江戸時代、女性が感じると妊娠するという江戸時代の迷信に乗っ取られたものであると考えられますが、避妊目的というよりは遊女としての自覚を持たせるための、戒め的な意味合いが強いと解釈されています。
江戸時代遊女の避妊具:ゴボウ
遊女の避妊具:ゴボウ
信じがたいですが江戸時代の遊女たち特に昔の下級女郎たちは妊娠すると、膣の奥にゴボウを入れ流産を促進させていたとか。
ゴボウを避妊具として用いた避妊は昔の遊女たちだけではなく江戸時代の庶民の間でも行われていた歴史もある避妊方法です。食用のゴボウも江戸時代には、避妊具として使われていたことに驚きです。
江戸時代遊女の避妊具:毒
遊女の避妊具:毒
江戸時代の遊女たちの避妊具には毒もありました。水銀や鬼灯のみならず、麦角菌(ばっかきん)という大麦などに含まれている菌を服用することで、遊女たちは流産を促進させていました。しかしながら、麦角菌の副作用で命を落としてしまう遊女もいました。
毒をも避妊具にしてしまう遊女たちはとても過酷な生活を強いられていた歴史がよく分かります。
江戸時代遊女の避妊具:魚の浮き袋
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遊女の避妊具:魚の浮き袋
江戸時代の遊女は魚の浮き袋を男性器に被せてコンドームのようにして避妊具として使われていました。
ゴム製品が無かった昔の人たちの工夫がよく分かります。しかしながら魚の浮き袋もまた、着用してもすぐに取れてしまったため、避妊具としての実用性はイマイチであったでしょう。
遊女の避妊具事情
魚の浮き袋をコンドームのように男性器に被せて使用する避妊具は、昔の遊女のみならず、庶民の間でも使用すされていました。
遊女たちにとって魚の浮き袋はコンドームに似ているので避妊具としての効果は期待できそうですが、匂いが少し気になるところではあります。
江戸時代遊女の避妊具:中絶を繰り返す
中絶は命掛けだった
遊女の避妊具:妊娠できない身体
コンドームのような確実に効果のある避妊具がない昔の遊女たちは、中絶や流産を繰り返すことによって二度と妊娠できない身体にすることが究極の避妊具であったようです。昔、江戸時代の中絶は今よりもリスクが高くヤブ医者も多く存在していたため、出血多量などで命を落とす遊女たちが後を絶たちませんでした。
江戸時代の避妊具の歴史
江戸時代の大人のおもちゃ:甲形
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遊女の避妊具事情:『閨中女悦笑道具』
江戸時代後期1857年(文政10年)に発刊された『閨中女悦笑道具』には、甲形(かぶとがた)と呼ばれる水牛の角、海亀の甲羅で作られた避妊具が紹介されています。
右にあるのが甲形で男性器の先端に着けて使用します。
左にあるのは鎧形(よろいがた)といい、甲形を陰径に着けて使用します。
甲形も鎧形も取れやすく避妊具としてというよりも甲形は遊女遊びなどで使う遊女向けの大人のおもちゃの感覚で使われていました。
実用性があまりない甲形
遊女の避妊具事情
甲形はコンドームに近い避妊具ですが、水牛の角で出来ている甲形もあり避妊具というよりも遊女遊びなどで使う、遊女向けの笑えるアダルトグッズとして甲形は扱われていたと考えられています。水牛の角で出来た甲形は想像しただけでも痛そうです。
江戸時代のコンドーム
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遊女の避妊具事情:オランダのコンドーム
江戸時代にオランダからやって来た、ルーデルサックと呼ばれる現在のコンドームに近い避妊具です。
素材は動物の皮で出来ており、使い心地はあまりよくなく避妊具としても効果はイマイチだったとか・・・・・・。
さらに昔のコンドームはオランダからの外来品であったために非常に高価で、江戸時代の庶民にはとても買えるものではありませんでした。ただ、遊女たちにとっても甲形のインパクトには勝てなかったと思いますが、遊女向けの大人のおもちゃとして使われていました。
ちなみに今主流となっている避妊具・コンドームは
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コンドームの誕生から普及まで
1874年(明治7年)ゴム製のコンドームが誕生
1909年(明治42年)国産コンドーム1号が誕生。避妊目的よりも遊び目的での使用が主で、品質も粗末でした。
1933年(昭和25年)優生保護法により受胎調整が推進される。
1981年(昭和56年)日本人エイズ1号が報告され、性病目的のコンドームの使用が広がります。
1986年(昭和61年)唯一のAIDS予防としてコンドームの需要が世界的に広まりました。
このようにコンドームそのものは、明治期からありましたがコンドームが普及したのは昭和の中頃とわりかし最近であることが分かります。また昭和の終わりにAIDSが出現したことにより、避妊だけはなく性病予防のためにもコンドームが重要であることが認知されました。
江戸時代遊女の避妊具:中絶
中条流と呼ばれた中絶方法
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『北里花雪白無垢』
中条流と呼ばれる中絶方法は、避妊具が未発達であった江戸時代の吉原遊郭や女郎屋の遊女の繁栄とともに台頭した流派です。江戸時代末期には中条といえば中絶と言われるぐらい、中条は中絶の代名詞になりました。
ある種の避妊具でもある鬼灯(ほおずき)を煎じた薬や水銀と米粉を合わせた毒を服用さたもの中絶しました。妊娠が疑われる遊女たちは、中絶手術を受けるためにこぞって中条流の医者に足を運んだそうです。
避妊具よりも中絶が主流
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江戸時代遊女の避妊具:鬼灯
ほおずきのヒスタミンという成分に子宮収縮の作用があり、避妊具が十分ではなかった江戸時代では遊女の中絶のためのひとつの方法として用いられました。鬼灯の毒は遊女たちだけではなく庶民も、避妊具または中絶するために使用していました。
命を落とす遊女も
江戸時代遊女の避妊具:中絶
避妊具が未発達であった江戸時代の中絶には、団子などで使われる串で無理矢理遊女の子宮を掻き出す方法などかなり乱暴な中絶手術がとられていました。確実に避妊できる避妊具がなかった遊女たちにとって中絶は、一番確実な方法だったそうです。
いかがでしたか?
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江戸時代の避妊具の歴史、とりわけ遊女の避妊具の歴史を紹介していきましたが、江戸時代の遊女の生活や避妊具は今の我々の想像を越えて過酷なものであったことが分かります。また江戸時代には貧しい家庭の女性が家族のために働くには、命をかけて身体を売ることしか方法がありませんでした。
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江戸時代の華やかで歴史ある吉原遊郭で働く花魁遊女たちは、もともとは貧しい農村や漁村から来た女の子たちでした。さらに多くの花魁遊女が吉原遊郭から出る前に、江戸時代の避妊具が未発達であったがゆえに梅毒などの強い性病にかかって若くして死んでしまった哀しい歴史があります。
自分はもちろん相手を守るためにもコンドームなどの避妊具はとても有難いものではないでしょうか?