【テッド・バンディ】全米女性が熱狂したイケメン殺人鬼の全て!名言も!
1989年アメリカにおいて元祖シリアルキラー、テッド・バンディが処刑されました。テッド・バンディはいわゆるイケメンで高学歴という異色のセックスキラーで、映画化までされました。セックスキラーテッド・バンディの犯行や名言、死刑に至るまでなどをご紹介いたします。
目次
- 1イケメンサイコパス【テッド・バンディ】が起こした事件の概要
- 2イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の生い立ち
- 3イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の父親とは?
- 4イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の学歴
- 5イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の恋
- 6イケメンサイコパス【テッド・バンディ】はセックスキラー
- 7イケメンサイコパス【テッド・バンディ】が逮捕されたきっかけとは?
- 8イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の裁判と逃亡劇
- 9好青年の仮面を脱いだイケメンサイコパス【テッド・バンディ】
- 10イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の判決と死刑執行
- 11イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の名言
- 12映画化されたイケメンサイコパス【テッド・バンディ】
- 13出典
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】が起こした事件の概要
※テッド・バンディに関する記事です。暴力的な表現が使われていますので、閲覧の際はご注意ください。
1974年から1978年の間、アメリカにおいて多くの女性がアナルセックスを含める性的暴行を受けたあと、殺害されるという事件が起こりました。犯人はテッド・バンディという、ハンサムでスマートで、女性が色めきたつような、容姿端麗で高学歴の男性でした。
彼の起こした事件は、後に数々の映画が排出されるほど有名となっております。
それこそ映画にでも出てきそうなほど容姿端麗で高学歴、セックスの相手にも困らなさそうな男性が女性に暴力をふるい、性的暴行を加えて殺害し、遺体を切断したり屍姦(遺体を犯すこと)をしたりするセックスキラーであったことに、当時の裁判に関わった人々が大変驚いたそうです。
テッド・バンディは逮捕後の裁判において、死刑を宣告され、42歳のときに死刑執行されています。
また現在でも使用されるシリアルキラーという言葉は、彼を表現するためにFBI捜査官によって作られた言葉だと言われています。
元祖シリアルキラーのテッド・バンディ。彼はサイコパスであったとも言われています。そして女性に大変人気がある死刑囚でしたので、彼の残した名言も有名となっています。
彼がなぜそのような事件を起こしたのか、生い立ちから死刑執行まで、彼の名言や彼を題材にした映画も含めて、テッド・バンディの全てを紐解いていきたいと思います。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の生い立ち
テッド・バンディとは?
テッド・バンディは、1946年11月24日に、アメリカバーモント州でセオドア・ロバート・コーウェル(Theodore Robert Cowell)という名前の、父親のいない私生児として生を受けました。テッドという名前は、おそらく愛称なのでしょう。また、当時の苗字はコーウェルですが、以降も有名である「テッド・バンディ」という呼称で統一したいと思います。
テッド・バンディの母であるルイーズは未婚の母として彼を出産しました。父親は現在も不明のままです。
なお、現在も使用されているシリアルキラーとは、彼を言い表すために作られた言葉だとされており、元祖シリアルキラーと言えばテッド・バンディということは有名です。また、アメリカにおけるポルノ規制に関する法案の「バンディ法案」とは、彼の名前からつけられているそうです。
テッド・バンディの家族
テッド・バンディは9歳になるまで、フィラデルフィアにある祖父母の家で、母親の弟として育ちました。彼の祖父はとても厳格で、娘であるルイーズが父親のわからない子供を産むことは許しませんでした。しかし父親(テッド・バンディの祖父)は敬虔なキリスト教のメソディスト派であったため、中絶も叶わなかったので、祖父母が親としてテッド・バンディを育てたと言います。
父親(テッド・バンディの祖父)による家庭内暴力があったと言いますが、テッド・バンディには手をあげなかったそうです。祖父は父親としてテッド・バンディを大変溺愛し、またテッド・バンディも祖父を父親と信じて疑わず、父親を慕っていたそうです。
祖父が父親でないことを、テッド・バンディは10歳くらいになるまで知りませんでした。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の父親とは?
前述の通り、テッド・バンディには父親がおらず、母親のルイーズが未婚で彼を出産しました。祖父母は彼を養子にし、ルイーズがテッド・バンディの姉だとして育てられました。
厳格な父親(テッド・バンディの祖父)が、ルイーズが父親のいない子供を生むことに何も言わなかったのは、いささか不自然なのでは?という説があります。また、ルイーズは幼いテッド・バンディを連れて、両親(テッド・バンディの祖父母)の住んでいる場所から引越しをしています。
父親(テッド・バンディの祖父)からの暴力から逃げるためという説がありますが、その暴力が性的暴力で、本当にテッド・バンディの父親は祖父だったのではないか?という仮説があるそうです。
もちろん祖父がテッド・バンディの父親説は仮説ですので、本当の父親は判明していません。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の学歴
テッド・バンディの学歴①幼年期
テッド・バンディがまだ幼少の頃、母ルイーズはフィラデルフィアを出て、ワシントン州タコマという地に居を構えます。このタコマという場所に、ルイーズの叔父が住んでいたそうです。
そしてこの地でジョン・カルペパー・バンディという退役軍人の男性と知り合い、結婚をしてバンディ姓となります。テッド・バンディの父親となったこの男性は、あまり知能の高いほうではなかったそうで、テッド・バンディはこの父親が低学歴であることを疎んじていたと言われています。
テッド・バンディは幼い頃より異常性があったと見られるエピソードがあります。彼の叔母がベッドで横になっていると、そこに幼いテッド・バンディがナイフを持って笑みを浮かべながら立っていたというのです。
テッド・バンディの叔母の証言ではありますが、その当時テッド・バンディは3歳くらいであったというので、これが本当なら叔母は大変な恐怖を覚えたでしょう。
小学生の頃は成績優秀でしたが、先生からの評判は「暴力的である」という一点のためにあまりよくなかったと言います。
友人たちからの評判は、「普段は温和であるが、一度怒ると何をするかわからない人物」だったそうです。
テッド・バンディの学歴②高校時代
高校生の頃のテッド・バンディは、あまり目立たない生徒でしたが教会やボーイスカウトの活動をしている、とても優秀な生徒であったと言います。恋人もいたのですが、人とコミュニケーションをとる意味がわからないというようなことを後に語っているほど、内向的で他者との触れ合いは苦手だったようです。
また、覗きや万引きなどの犯罪もこの頃からしており、覗きをしては自慰行為をしていたり、性的なことにも大変興味があったそうです。
そして性的だけでなく加虐的な嗜好もあり、殺人が行われている映像を収録したスナッフフィルムなどにも興味を示していたと認めています。
テッド・バンディの学歴③大学生
テッド・バンディは、ピュージェットサウンド大学に在籍して、心理学を学んだそうです。そして誰の目にも「優秀でハンサムで素敵な男性」に映るよう努力をし、周りの人たちからの評判もその通りとなりました。
まるで映画にでも出てきそうなほどハンサムで、学歴も申し分ないスマートな男性。世の女性が憧れる男性像と言ってよいでしょう。
また精力的にワシントン州の共和党員として活動したり、州政府犯罪対策委員会やシアトル自殺救済電話相談室でも大変な活躍をしました。カウンセリングやボランティア活動もし、溺れた少年を助けて表彰されたりなどもしています。
このように彼の学生時代はとても華々しいものでした。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の恋
テッド・バンディが大学一年生のときに、運命の女性と出会います。彼女はステファニー・ブルックスといい、裕福な家庭の美しい女性でした。上流家庭の女性だったのでしょうか、立ち振る舞いや会話の仕方など、まさに完璧な女性だったそうです。
テッド・バンディはこの女性にかなりご執心だったようですが、彼女にとってテッド・バンディはたくさんいるボーイフレンドの一人だったとのことです。交際がどのくらい続いたのかはわかりませんが、その後テッド・バンディは「幼い」ということを理由に彼女から別れを告げられます。
失意の中テッド・バンディはアメリカを放浪して、心の傷を癒したそうです。そして前述した「優秀でハンサムで素敵な男性=テッド・バンディ」になる努力をしたと言われています。ステファニーと別れたことが原因で、より素敵な男性になることを目標としたのですね。
そしてその努力が実り、数年後にステファニーと再会したときには、テッド・バンディはステファニーが夢中になるくらいの男性だったそうです。再び交際を始め婚約を交わすのですが、婚約からたったの二週間でテッド・バンディはステファニーと別れます。
余談ですが、テッド・バンディはこのとき同時交際している女性がいたそうです。
後にテッド・バンディの弟はこんな言葉を残したそうです。
「兄がステファニー・ブルックスに出会わなければ、殺人鬼になることはなかっただろう」と。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】はセックスキラー
セックスキラー【テッド・バンディ】の被害者女性
ステファニーとの別れからいくばくかの時が流れ、テッド・バンディはその本性を現し始めました。何人もの女性を強姦して殺害をするセックスキラーへと変貌を遂げます。
最初の被害者の女性は、障害が残りましたが命は取り留めました。テッド・バンディは女性の頭を金属の棒で殴ったあとに、その金属棒を使って女性をいたぶりました。脳への障害が見られたので、その女性が犯人について警察に語ることはできませんでした。
この女性を皮切りに、セックスキラーテッド・バンディは次々と女性を毒牙にかけます。テッド・バンディが最初に殺人を犯したのは、二番目に被害者となった女性でした。この女性を始め、行方不明となった女性の遺体は、1974年の9月になるまで発見されませんでした。
また彼が常に狙っている女性は「長いブルネットのストレートヘアをセンター分けした知的な10代後半から20代前半の白人女性」でした。
そしてテッド・バンディが以前交際していたステファニーも、またこの外見だったそうです。
1974年1月のこの犯行から4ヶ月の間に、6人もの女性が行方不明となりました。このようなハイペースで殺人を犯しておきながら、昼間は完璧な高学歴のイケメン男性として、恋人と過ごしたり日常生活を送っていました。
しかも交際していた女性は二人もいたとか。二人の女性とお付き合いをしながらも、1ヶ月に1人以上性的暴力を加えた上に殺害をしていたのです。
セックスキラー【テッド・バンディ】の手口
テッド・バンディが女性たちをおびきよせるときの手口は、決まって怪我をした男性を装うことでした。
手にギプスをはめて、車に荷物を運ぶのを手伝ってほしいと女性に頼み、油断した女性を手にかけるのです。「待ち合わせに間に合わなくなるから」と言ってテッド・バンディの魔の手から逃れた女性より、この手口が警察へと知られることになります。
そして驚くことに、テッド・バンディは女性たちに本名を堂々と名乗っていたのです。もちろん逃げた女性は「テッド」という名前を警察で証言していますが、偽名だと思われていたそうです。
警察がこの情報を公開すると、似ている男性を知っていると言う電話が殺到したそうです。件数にしておよそ3000件以上、その中にはテッド・バンディ本人の情報もあったそうです。加えて言えば、テッド・バンディ本人を通報したのは、彼の恋人からだったと言われています。
かくしてテッド・バンディは容疑者リストに名前を連ねることになるのですが、ボランティアや選挙などに精力的に活動をしている好青年という表の顔があったので、警察ではテッド・バンディが探している「テッド」であるとは思っていませんでした。
セックスキラー【テッド・バンディ】ユタ州へ渡る
1974年9月、シアトルの山腹にて3人分の白骨死体が発見されます。その後5ヶ月の間に、10名分の白骨遺体が見つかったそうです。その頃犯人であるテッド・バンディはユタ州にあるソルトレイクシティへと引っ越していました。
テッド・バンディは大学を卒業したあとに、ユタ州にある大学院に進学していました。学歴も申し分ないハンサムなテッド・バンディ。10月にはもう殺人を再開していたそうです。
アメリカの新学期は9月ですので、大学院に進学して1ヶ月で殺人を再開しているのです。かなりのハイペースと言えますね。
ユタ州での最初の被害者は17歳の女性でした。レイプしたあとにアナルセックスもし、絞殺しました。この1ヶ月で3人もの女性が行方不明となっています。
しかしユタ州ではすぐに遺体が見つかりました。白骨化する前に発見されたので、警察は多くの情報を得ることができたそうです。
女性たちは乱暴にセックスされ、最後には絞殺されていました。
1974年11月、18歳の女性に狙いを定めたテッド・バンディは、警察官の振りをして女性に声をかけたそうです。女性の車が「車上荒らしにあったため、車を確認したほうがよい」と。
車に異常はなかったのですが、警察署へ来て欲しいと彼女を自身の愛車のフォルクスワーゲンに乗せました。しかし彼女は何かを察知し、テッド・バンディが彼女に襲いかかろうとしたときに、どうにか逃れたのです。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】が逮捕されたきっかけとは?
テッド・バンディはある夜、不審車両として警察につかまりました。深夜であるにも関わらずライトを消し、警察官の運転する車を猛スピードで追い越したのです。
前述の女性が通報した車両でもあったので、車内を調べられると、手錠や拷問道具などが発見されました。さらに女性の毛髪まで見つかり、テッド・バンディは緊急逮捕されたのでした。
逃げた女性が呼ばれ、テッド・バンディを見ると、女性は先日警察官を装った人物だと証言しました。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の裁判と逃亡劇
テッド・バンディは誘拐の罪で、ユタ州にて1年から15年の禁錮刑を言い渡されました。彼は1976年、裁判の準備中にコロラド州の刑務所に移送されました。裁判所内の法律図書館に入室を許可されたのですが、2階の窓から飛び降りて逃走しました。
飛び降りた際に足首を怪我したので、1週間でつかまり刑務所へと戻されてしまいました。
しかし彼は諦めません。1977年12月30日、なぜか所持していた弓のこで独房の天井に穴をあけて脱出し、正々堂々正門から出て車を盗んで逃走しました。
フロリダ州までたどり着くと、「クリス・ヘイゲン」という偽名を使ってアパートを借ります。そして1978年1月15日の深夜、再び殺人を開始するのです。
好青年の仮面を脱いだイケメンサイコパス【テッド・バンディ】
犯行がおざなりに
フロリダでの被害者は、カイ・オメガ女子寮の女子生徒でした。2名を撲殺、2名は重傷でした。亡くなった2人の女性は、棍棒で頭をメッタ打ちにされ、体中はかみ千切られながらレイプされたそうです。
その夜は、別の場所でも女性に襲い掛かっています。被害者の女性はバレリーナで、同じように頭をメッタ打ちにされた影響で聴覚を失い、命は助かったのですが平衡感覚がなくなってしまったそうです。
このころになると、もう被害者は「長いブルネットのストレートヘアをセンター分けした知的な10代後半から20代前半の白人女性」ではなくなってきます。そして好青年の仮面を脱ぎ、足取りはおぼつかない、呂律もまわらない状態へとなってしまいました。
最後の被害者女性
テッド・バンディの犯行による最後の犠牲者は、12歳の少女だったそうです。彼女を陵辱したあとに顔に泥を塗って殺害しました。少女の遺体は小屋の下に隠されました。
最後の被害者の少女が殺害されてから6日後、テッド・バンディは車泥棒として逮捕されました。
しかし警察はテッド・バンディの身元を照合して驚きました。逃亡中のセックスキラーだったからです。その後はカイ・オメガ女子寮殺人事件の裁判をするため、マイアミへと移送されました。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の判決と死刑執行
自己弁護のパフォーマンス
裁判において弁護人を務めるテッド・バンディ
セックスキラーテッド・バンディの裁判は、後に有名となりました。なぜなら、彼は国選弁護人を断り、自らを弁護したのです。大学や大学院へ進学するほどの高学歴であり、心理学や法律に関する知識もあったので、自己弁護にかなり自信があったようです。
この自己弁護だけでなく、集まった彼のファンたちに笑顔で手を振ったり、公判中に婚約者と結婚したりなど、話題に事欠かない裁判だったそうです。
また、彼は死刑執行までにファンレターを数百枚ほど受け取っているそうです。彼に対する女性の熱狂ぶりが目に浮かびますね。
結局テッド・バンディの判決は死刑でした。IQ120以上であろうと言われた高学歴のテッド・バンディの頭脳を持ってしても、遺体に残された犯人の歯型とテッド・バンディの歯型が一致しては、弁護のしようもありませんでした。
以下は裁判官が判決の際に、高学歴のセックスキラーテッド・バンディへとかけた言葉だそうです。
(フロリダでの死刑執行は電気椅子で行われることから)貴下が電流によって死に至るまで座っているよう、貴下が死ぬまで電流が貴下の体内を通るよう、ここに命じるものである。体に気をつけなさい。(「Take care of yourself」。別れの時の慣用句で、日本語で表すなら「それではお元気で」、「お体に気を付けて」の意。「自制した人生を」とも解釈できる)。青年よ。これは真摯に言っているのだ。この法廷で私が経験したそのような人間性の浪費は、この裁判所にとって悲劇とも言える。貴下は聡明な青年だ。貴下は優秀な法律家になれたかも知れない。そして私は、法廷で貴下が活躍する姿に惚れ込んだかも知れない。私は、貴下に何ら敵意も持っていない。それは理解してほしい。しかしあなたは道を間違えた。体に気をつけなさい。
余談ですが、テッド・バンディは裁判の結果を覆そうとなのか、ある連続殺人事件の犯人のプロファイリングにも協力しています。その事件の名前は、グリーンリバー事件といい、ゲイリー・リッチウェイという犯人が起こした事件でした。
テッド・バンディのプロファイリングは的確なものでしたが、捜査員達は「犯人は必ず現場に確認に行くので、現場を張れば犯人が捕まえられる」という言葉の通りにせず、張り込みをすることはなかったそうです。
電気椅子による死刑執行
死刑執行の数日前まで、テッド・バンディは容疑を否認し、有罪判決を不服としていました。しかし、死刑執行の直前になって全てを話すと言ったそうです。しかし、全部話すと時間がかかるので、死刑を延期してほしいなどと要求したので、それは却下されました。
最後には罪を認めて、電気椅子での死刑が執行されました。
1989年1月24日午前7時6分、イケメンサイコパスの高学歴セックスキラーテッド・バンディは42歳でこの世を去りました。テッド・バンディが犯した殺人の立件は、36件でした。しかしテッド・バンディが殺害した女性は、実に100人以上に及ぶのではないかと考えられています。
テッド・バンディはやっていないと言っていますが、テッド・バンディ10代の頃に行方不明になった少女も、実はテッド・バンディが殺害したのではないかと言われています。
遺体写真はカラー掲載
翌日、テッド・バンディの死刑が執行されたことを信じない人が多くいたため、新聞に彼の遺体のカラー写真が掲載されたそうです。日本では考えられないことですよね。
「殺人鬼は微笑みを浮かべながら死んだ」というタイトルだったそうです。
イケメンサイコパス【テッド・バンディ】の名言
テッド・バンディは、イケメンの高学歴ながらサイコパスと言われていました。その彼が残した名言が大変有名で、現在でも語り継がれている名言です。
どのような名言かというと「俺には死刑こそが最もふさわしい。俺や俺みたいなやつから社会を守るには、それが当たり前のことだ」というものです。
サイコパスは知能が高く高学歴の者が多いといわれており、サイコパスの犯罪者の名言は数多く残されておいます。他の有名なサイコパス犯罪者の名言もここでご紹介したいと思います。
- ジェフリー・ダーマーの名言「バラバラになった彼らこそが、本当の仲間のように感じられた」
- アルバート・フィッシュの名言「特に生きることにも死ぬことにも興味がない」
- ヘンリー・リー・ルーカスの名言「殺人は息をするのと同じことだった」
- 宅間守の名言「幼稚園ならもっと殺せた」
映画化されたイケメンサイコパス【テッド・バンディ】
テッド・バンディは大変有名な犯罪者だからでしょうか、映画化がされています。テッド・バンディを題材にした映画を以下にご紹介したいと思います。
こちらはマイケル・ライリー・バーク主演の映画です。殺人シーンもあるので過激な内容かと思われますが、死刑執行まで映されている映画とのことです。
テッド・バンディ自身が映画に出てくる俳優さんのようにハンサムなので、映画が公開された当時は大変話題となったのではないでしょうか。
こちらの動画は、「Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile(エクストリーミリー・ウィキッド、ショッキングリー・イーヴィル・アンド・ヴァイル)」という映画の動画です。
残念ながら2017年10月に映画の撮影開始という情報以外、日本で上映されたのか、映画がDVD化されたのかもわかりませんでした。
新しい映画ですので、もっと情報が見つかると良いですね。
こちらは映画ではないのですが、テッド・バンディを題材にしたテレビドラマです。邦題は「ダブルフェイス」と言いますが、日本での商品は見つかりませんでした。
出典
本文中のテット・バンディ本人画像は、Wikipedia様よりお借りいたしました。