緒方純子と松永太の子供がテレビで語った悲惨すぎる人生~人殺しの息子と呼ばれて~

松永太と緒方純子の歪んだ躾により蔑まれてきた子供の悲惨すぎる人生。子供には罪がないのに、松永太と緒方純子という犯罪者の息子と言うだけでレッテルを貼られ。人殺しの息子と呼ばれて暮らす生活は悲惨そのもの。両親を反面教師として、立派な大人になってくれるよう祈ります。

緒方純子と松永太の子供がテレビで語った悲惨すぎる人生~人殺しの息子と呼ばれて~のイメージ

目次

  1. 1緒方純子と松永太の子供がテレビで語った過去とは?
  2. 2緒方純子と松永太の子供がテレビに出ることになった理由
  3. 3緒方純子と松永太の子供がテレビ取材を承諾した理由
  4. 4松永太と緒方純子の息子の生い立ち
  5. 5息子達は、どんな生活を送っていた?
  6. 6松永太と入るのが嫌だったお風呂
  7. 7学校に行かせてもらえない息子達
  8. 8犯行を見ていた子供達
  9. 9子供達が両親に感じていた気持ちのギャップ
  10. 10母親の緒方純子に対する憎しみがあった
  11. 11松永太と緒方純子が逮捕されたその後
  12. 12念願の学校に行くことが出来た子供でしたが…
  13. 13松永太と緒方純子の子供の生い立ちは悲惨な物だった
  14. 14子供からの脱却!苦悩の末の結婚のその後は…
  15. 15緒方純子から自分の子供に送った手紙とは?
  16. 16まとめ:人殺しの息子と呼ばれて

緒方純子と松永太の子供がテレビで語った過去とは?

出典: http://jazzytokyo106.blogspot.jp

松永太死刑囚の息子は…

テレビ番組「ザ・ノンフィクション」という番組があるのですが、そこで死刑囚である松永太と共犯者とも言える緒方純子の子供が、その悲惨すぎる過去を語りました。

松永太と緒方順子についての生い立ちは、これまでもテレビなどで知られていましたが、その子供が報道されるということで、テレビは高視聴率を達成したそうです。
夫婦二人には、2人の息子がいるそうですが、そのうちの一人の息子が生い立ちを告白しました。

今現在は、長男の方は20代後半で、今回テレビで告白したのは長男の方です。

テレビ番組「ザ・ノンフィクション」はドキュメンタリー番組で、今回報道されたのは、松永太と緒方順子の息子の生い立ちなどを紹介したものとなりました。

殺人を犯した犯罪者を両親に持った息子の悲しい過去が語られましたが、今現在でも迫害やいじめなどは続いている様子です。
息子として生まれる両親を選ぶことは出来ないのに。と思うこともあるかもしれません。

以下に、テレビで語られた松永太と緒方順子の息子の生い立ちなどをご紹介していきます。

緒方純子と松永太の子供がテレビに出ることになった理由

出典: http://yawakata-labo.com

息子がテレビに応じた理由とは?

2019年6月9日に、テレビで放送された「追跡・平成女の大事件」という番組で、ある殺人事件「北九州一家監禁殺人事件(北九州監禁事件)」が取り上げられたのをご存じでしょうか?

松永太と緒方純子の息子がテレビに登場しようと思ったのは、この放送を見たからでした。
多分内容が食い違っていたか、事実と違うことに、抗議の電話を入れたのだと思っていましたが、息子が抗議を入れたのは、「いつまでもこんな事件を取りあつかうな!」という物でした。
息子がネット上で、批判にさらされていることを受け、テレビ局にも抗議を入れたみたいなんですね。

この抗議の電話は、7日間以上続き、それならばとテレビ局の方から「あなたの生い立ちが知りたい」とオファーがあったそうなんですね。
これを受け、息子さんは顔や名前を公表しないことを条件に、テレビ局のオファーを承諾したそうです。

ただ、声の加工はされていなかったみたいで、その理由は生の声を報道したいというテレビ局の思惑があったようです。
報道したことによる問題が出ることを考えたら、両方とも思いきった決断をしたものですね。

久々に見応えのあるノンフィクション番組。
松永太の息子さん、あの劣悪すぎる家庭環境で育っていながら語彙が豊富。話がとても上手い。サイコパスの代表格と言われている男が父親で、いろいろ複雑だろうなあ。#ザ・ノンフィクション
— 三島 こうこ (@yo_tanktan) December 15, 2017

緒方純子と松永太の子供がテレビ取材を承諾した理由

出典: http://ponyochan.com

死刑囚として今現在も服役中?

緒方純子と松永太の子供がネット上で、自身のツイッターなどに「その息子はまともではない」のような書き込みを見つけたことで、自分が悪いわけではないのに、なぜ悪く言われないといけないのか?と疑問に思い、息子さんは納得できなかったようですね。

それなら、自分から本当のことを語ろうと思ったのが、自分が抗議していたというテレビ局の取材を承諾したきかっけだったと言います。
そのテレビ番組の取材は、およそ10時間にも渡り、息子さんはテレビ局の取材に淡々と応じたと言います。

一部では、死刑囚である松永太(父親)と共犯者とも言われる緒方純子(母親)の息子というだけで、悪口を書かれ、「サイコパスの息子」なんて書き込みも目にしますね。

生まれてきた子供に罪はないけれど、社会はそうは見てくれません。
取材に応じたのは、そんな偏見を少しでもなくそうと思ったからかも知れませんね。

松永太と緒方純子の息子の生い立ち

出典: https://jyouhou-depot.com

殺人を犯した犯罪者の子供というだけで…

当時3つのアジトを転々としていた松永太死刑囚と緒方純子ですが、北九州内で生活をしていたようです。

3つのアパートのうち、1つを松永太死刑囚と息子二人が住んでいたそうで、身を隠していた両親のせいで、出生届も出してもらえず、息子は二人ともかなり悲惨な暮らしをしていたみたいですね。

家庭内では、松永太が良く言えば頑固おやじ、悪く言えば亭主関白みたいな所があり、松永太の言葉は絶対だったとも言われます。

テレビで息子さんが語った内容では、松永太が支配していた子分などは、まるで動物を躾けるかのように、人間として見られない躾け方をされていたそう。
当然息子にとっても、それは例外ではなく、松永太とそれに従順な緒方純子の生活に巻きこまれた形で、悲惨な生い立ちを経験することになります。

息子達は、どんな生活を送っていた?

松永太と緒方純子の息子だったばかりに…

出典: http://jasmineyoko.com

事件が起こるまでの生活も悲惨だった…

息子の二人は、食事においても、用意された分以外の食糧は与えられることがなく、犬のように躾けられていたと言います。

一方松永太と緒方純子はと言うと、息子達二人と一緒に生活をすることはなく、定期的に送られてくる食材を使い、二人で自炊をしていたそうです。
母親の手料理を食べられないこともそうですが、食事だけ与えれば、両親の資格があるかと言うとそうではないと思います。
二人の息子は、居てもいなくても変わりない程度にしか思われていなかったのでしょうか?

ただ、ここでも亭主関白のゆえか、松永太の食事だけが豪華で、時にはステーキなどが出ていたそうです。
子供には質素な食事を与え、自分は豪華な食事を楽しみ、しかもお腹をすかせた子供達の前で、美味しそうに食べるとか、その観点が良くわかりません。
サイコパスと呼ばれるのは、そこの理由もあるのかも知れませんね。

松永太と入るのが嫌だったお風呂

緒方純子は我関せず…

出典: https://sirabee.com

お風呂に入るのが苦痛だったんだとか。

息子二人に対する異常とも呼べる躾の方法は、お風呂の入浴でも明らかになりました。

お風呂に入る時も、湯沸かしの使い方が子供にはわからず、両親もまた教えてくれず、いつも水風呂だったそうで、暑い日ならともかく、冬場とかは地獄だったでしょうね。
夏の暑い時でも、水風呂に入ると、体が冷えて温まる所じゃありません。

子供の二人が父親の松永太と一緒にお風呂に入ることもあったそうですが、それが息子さんには何より苦痛だったと言います。
具体的に言うと、一緒にお風呂に入る時には、必ずと言って良いほど風呂桶に顔を沈められ、沈めた当の本人=松永太は、それもまた笑いのネタにしていたそうです。
とんでもない父親ですよね?

更には、名前も本当の名前を言うことを禁じられ、三つの名前を使い分けるように躾けられていたと言います。
ですので、息子二人についても、ある意味虐待を受けていたと言えるかも知れません。

学校に行かせてもらえない息子達

松永太と緒方純子の異常な教育方針

出典: https://sweetritsuki.link

犯罪者の息子と言うだけで学校に行かせてもらえない

日本の三大義務と言えば、「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」がありますが、松永太と緒方純子の二人の息子は、出生届を出されていないため、悪く言えば「居ない者」として扱われ、当然幼稚園や小学校などに行くことも出来ませんでした。

今現在でも、幼稚園や保育園は自由に行くかどうかを決められますが、小学校や中学校は義務教育ですから、行かせないと言うのはおかしい話です。
でも、家庭内では父親の松永太の言うことは絶対で、行きたいという発言すら許されませんでした。

それでもたまに、父親の松永太の方から「小学校に行きたいのか?」と聞かれたそうですが、例えその場で「小学校に行きたい!」と言ったとしても、その後は何か起こるわけでもなく、不登校の児童の方がマシなのでは?と思えるような教育を受けていたようです。

こんな風に育てられた息子さん達がテレビ番組で、小学校の題材を扱っている番組を見て「こっちの方が普通なんだ。」と考えられただけでもすごいと思いますね。

平仮名や片仮名などについては、自宅で教えられたそうですが、それすら誰に教わったのかは、息子さん二人も覚えていないそう。

犯罪者の息子に生まれただけで、学校にも行かせてもらえない、そんな境遇に息子さん達は置かれていたんですね。

犯行を見ていた子供達

松永太と緒方純子の犯行を子供が見ていた?

出典: https://www.houdoukyoku.jp

事件が起こる前もその後も子供は見ていた

息子さんはテレビで事件を思い出すことで「ペットボトルと船と公園」が強烈に頭に焼きついていると言います。

北九州監禁殺人事件自体は、かなりショッキングな内容だったため、見ていた子供はそれをしっかりと覚えてるんだとか。
父親の松永太の機嫌を損ねることは許されなかったため、母親の緒方純子は仲間たちも皆、口をつぐみ、そのうちに嘘八百を並べ立てるようになったと言います。

通電と呼ばれる行為が家庭内で行われており、緒方純子は時々コンセントが繋がっていないにも関わらず、電気に打たれるという演技もしていたんだとか。
ただ、その緒方純子の行為を松永太に言おうものなら、怒りの矛先が子供にもおよび、通電などの虐待を受けることもあったそう。

ちなみに、通電とは、コンセントを使った虐待方法で、電気を体に通電させるという虐待方法。
通電を受けたくないがために、家族も仲間も松永太に逆らえなかったと言います。

事件を目撃していた子供達は、その後も記憶に鮮明に残ることになり、長く苦しんだと思われます。

子供達が両親に感じていた気持ちのギャップ

松永太と緒方純子への気持ちのギャップとは?

出典: http://contents.innolife.net

両親の特に母親が嫌いだった子供達

取材を受けて、松永太と緒方純子に対する気持ちを、テレビで暴露したわけですが、その時に父親と母親に対する気持ちの違いに、取材を行った記者は驚きの気持ちを隠せませんでした。

虐待をしていた父親である「松永太の方が大嫌い」と言うと思っていたら、返って来た言葉は「母親が大嫌い」という言葉で、両親への気持ちのギャップが明らかになりました。

母親である緒方純子に対して、子供が「大嫌い」と言った背景には、父親の松永太による通電などの虐待が行われていた時、必死になって子供を押さえつけていたのは、本来守ってくれるはずの母親の緒方純子の方がだったからです。
本来緒方純子の方が、子供達をかばうべきなのに、自分への報復を恐れて、緒方純子自体が子供の虐待に加担していたんだとか。

子供が包丁を背中に突き付けられたこともあったそう。

当然虐待を指示していたのは、父親の松永太の方なので、緒方純子はやるようにと命じられただけに過ぎません。
それなのに、子供は父親の松永太の言いなりになっている緒方純子を、憎むようになったと言います。

両親が選べないと言うのは、子供にとっても非常に辛いことですよね?
生い立ちが壮絶なのは、両親が子供に虐待をしていたからとも言えると思います。

母親の緒方純子に対する憎しみがあった

子供は松永太よりも緒方純子を憎んでいた?

出典: http://diamond.jp

両親の虐待により、子供の心には憎しみが…

松永太と緒方純子の子供が、テレビのインタビューに答える時も「母親のことなんてどうでも良い」と口にするくらい、子供の心には母親の緒方純子に対する憎しみがあったようです。

では、松永太の方はと言うと、「大嫌いな父親」とか「どうでも良い」という言葉は聞かれませんでした。
ただ、父親の松永太について「あいつ」呼ばわりしていたことから、やはり憎しみの対象でしかなかったようです。
子供の頃に父親の松永太から受けた虐待のことを思えば、父親を「あいつ」呼ばわりするのは仕方ないかも知れないですね。

一方で、松永太自身が常に何かに恐怖を感じていたようで、聴診器を壁に当てて音を聞いていたとの証言も興味深いです。

母親の緒方純子には憎しみを抱いていた子供さんですが、同時に父親の松永太には一種の「憐み」の感情があったと言います。
どちらにしても、とんでもない両親であったことには間違いなく、子供の心には今も両親の殺人事件の様子や、その後の虐待の数々、その後の犯罪者の息子であるというレッテルを貼られたことに、少なくても感謝の気持ちはないようですね。

松永太と緒方純子が逮捕されたその後

殺人を犯した犯罪者のレッテルは子供にも

出典: http://moshikowa.blog.jp

今現在はどうしているのでしょう?

2002年3月7日には、ようやくというべきか、松永太と緒方純子は逮捕されることになります。
子供達は、閉じ込められていたアパートからようやく出ることが出来、児童相談所に保護されることに。

ただ、それで順風満帆に行ったかと言うとそんなことはなく、初めて触れる他の大人達に子供も困惑します。
それでも驚いたのは、食事の量が増え、いくらでも食べて良いと言われたことらしいです。

子供が保護されたことで、周りの大人はこぞって「もう大丈夫だよ。」と言ってくれたらしいですが、松永太や緒方純子と生活をしていた子供にとって、「何が大丈夫なの?」とこちらも困惑します。

児童の養護施設でも、腫れもの扱いをされた子供達は、その後も安心して暮らせるというわけにはいきませんでした。

殺人を犯した犯罪者の子供ということになれば、その後も悲惨な物になるということですね。
児童施設に入らなければいけない子供は、何らかのトラブルを抱えていることも多いですが、流石に殺人を犯した犯罪者の子供は珍しかったのかも知れません。

子供自身もまた、児童の養護施設で、「何かされるんじゃないか?」と怯えて暮らしていたと言います。

北九州連続監禁殺人事件の犯人、松永太が中学の時同級生だった父が「(松永は)確かに周りにいつも人がいる感じだった。俺はなんか嫌いだったから近寄らなかったけど」と言ってて野生の勘を目の当たりにしている。
— てばさき(崎本ささみ) (@parake2t) December 15, 2017

念願の学校に行くことが出来た子供でしたが…

松永太と緒方純子の陰に怯える暮らし

出典: https://feely.jp

過去の生い立ちが問題で、学校にも溶け込めず…

小学校3年生から、学校がスタートした子供達には、ようやく普通の生活が出来るようになり、笑顔を見せるようになります。
少なからず友達も出来たそうですが、遊び方を教わった覚えがないので、ドッジボールやバスケットボールでも、ルールが分からなかったため、全く楽しさを発見できなかったそうです。

特に、授業参観などの学校行事が嫌いだったらしく、運動会でも児童施設の子供同士で集まるようになり、他の同級生などから見ると、色々な意味で目立つことも多かったそう。

教師の言う格言も、全くと言って良いほど、子供には届かず、要らぬおせっかいと思っていたと息子さんは語ります。

ルールは覚えれば良いだけなのですが、それくらい何事にも関心がなかったんでしょうね。
そして、そんな風に育ってしまったのは、両親のせいでもあります。
生い立ちが悲惨なこと、殺人事件を起こした犯罪者が家族にいる、そして今現在も施設暮らしでは、人生に悲観したとしても責めることは出来ませんね。

松永太と緒方純子の子供の生い立ちは悲惨な物だった

出典: https://www.hamakei.com

殺人事件を犯した犯罪者の子供はいなかった?

松永太と緒方純子に育てられた子供二人は、児童施設に入ってからも、生い立ちが原因で辛い目にあったと言います。
そのせいか情緒不安定な所があり、例えばバレンタインにチョコをもらったこともあるそうですが、それが恋愛感情から来るものとはわからず、単にチョコを貰ったことに対する感謝の念を表しただけ。

児童施設の門限は17時となっており、友達が出来ても夜まで遊ぶなんてことは、全く出来ません。
その上、松永太と緒方純子の息子というだけで、言われの無い差別を受けたと言います。

小学校の頃に親のことで色々言われたらしいのですが、ある時、子供が思い切り椅子を投げ付けたことから、周囲の目が変わったと言います。

そもそも親のしたことが子供にとって、犯罪者予備群とされるのは不本意ですし、今現在置かれている状況自体も子供が原因ではありません。

松永太と緒方純子の息子として生まれたことで、当時は殺人事件の犯罪者扱いされ、かなり荒れた時期もあったということですが、その後どうなったのか?
テレビの取材で、児童施設の実態も明るみになりました。

子供からの脱却!苦悩の末の結婚のその後は…

松永太と緒方純子のようにはなりたくなかった…

出典: http://www.koibita.com

今現在は結婚しているそうです。

児童施設に入りながら、バイトをしながら、生計を立てていた息子さんは、偶然幼馴染の女性と再会します。

その幼馴染の女性は、母親が薬物違反で逮捕されており、女性が結婚するきっかけになったのは、女性の母親が保険が効くようにとの思いから、結婚を勧めたそう。

今現在は、妻と4万円の家賃の家で暮らしています。
子供は今現在もいないそうですが、そもそも松永太と緒方純子のケースを見ている息子にとって、子供を作る気にはなれなかったと言います。

松永太や緒方純子のように、自分自身を制御できなくなったらどうしよう?と思い悩みます。
結婚をしたことで、ようやく定職に就くことも出来るようになりましたが、息子さんにはトラウマがあり、隠れる場所のない明るい所は今現在でも、苦手だと言います。
その後も、まだトラウマを感じている息子さんにとって、子供に対する不安もあったんですね。

テレビの取材に応じたことで、その後のトラウマが軽減されれば、少しは救いが持てるかも知れないですね。

緒方純子から自分の子供に送った手紙とは?

子供は松永太と面会をしていた?

出典: https://matomake.com

手紙は一見緒方純子の愛が溢れているように見えますが…

息子の現在がテレビで報道され、緒方純子が息子=子供に送った手紙の内容も明らかになりました。

裁判の判決が出た翌年頃から、緒方純子から息子に手紙が送られてくるようになったそうです。
2012年のクリスマスにも、緒方純子(母親)からの手紙は送られ続けました。

一見する所では、緒方純子の愛が溢れた手紙にも見えますが、「楽しいクリスマスを」とか「病気しないでね。」と言われた所で、子供の頃に感じた憎しみは消えることはなく、手紙を送られても全くピンとこなかったそうです。

その後も緒方純子による手紙は頻繁に届くようになり、手紙にはサンタの絵が載っていたりもしましたが、この手紙もまた、子供の心には響くことはありませんでした。

更にこれは驚くことかもしれませんが、憎しみを抱いていた息子さんは、母親の緒方純子に対しても何度も面会をしているそう。
憎い相手に何か話すことがあったのでしょうか?
実はこれも、手紙と同様、息子さんを苛立たせることにしかなりませんでした。

息子さんは、回数は少ないものの、松永太被告とも面会をしていますが、数回の面会でも、昔の顔は笑っているように見えるのに、目が笑っていない感じの昔と変わらない姿だったと言います。

死刑が求刑されている松永太は、息子に「刑を軽くするために、嘆願署名を集めてくれ。」と言われることもあったそうで、息子さんは憤りを感じたでしょうね。

どこまでいっても自分のことしか考えない両親に、現在も憎しみを抱いていることでしょう。
凶悪な人殺し犯である両親を持ったことが、一番腑に落ちない出来ごとかも知れません。

まとめ:人殺しの息子と呼ばれて

ということで、松永太死刑囚とその妻緒方純子の子供が、人殺しの息子と呼ばれた経緯について、簡単にまとめてみました。

生い立ちを探っていくと、息子さん達もまた被害者であったと言うことが言えると思います。
殺人事件を目の当たりにして、子供がトラウマになるのは当然のことです。

殺人事件は、本当に書くのがおぞましいくらいの凄惨な事件でしたが、それに至るまでの、被告人の子供に対するしうちも、ほぼ虐待ですね。

子供が殺される前に、児童施設に保護されて、本当に良かったと思います。
手紙を送るくらいで、息子の見る目が変わるなんてのは、母親の幻想でしかないんです。

犯罪者の子供としてレッテルを貼られたことで、二度と子供にこんな目に合わせないぞと思うようになれば、少しは社会の見る目も変わって来るような気がします。

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