2021年08月02日公開
2021年08月02日更新
北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれた理由とは?北朝鮮へ移住した日本人たち
今話題の北朝鮮が、昔「地上の楽園」と呼ばれていて、帰還事業で日本人も北朝鮮へ移住しました。 「地上の楽園」と呼ばれたのは、韓国よりマシだと思われたからです。 朝鮮戦争が終わり、、帰還事業がはじまりました。 この帰還事業に便乗した日本人もいます。
目次
帰還事業における「地上の楽園」北朝鮮とは?
北朝鮮というと、皆さんは現在、核開発やミサイルといった独裁国家で、武力にお金をたくさん使い、経済的には裕福なイメージがないかもしれないですね。
そんな北朝鮮は、1950年代から「地上の楽園」と呼ばれ、北朝鮮は衣食住の心配も差別もないと言われてました。
1949年にはじまった朝鮮戦争が終わった後、韓国より復興が早い北朝鮮は「地上の楽園」との寺尾五郎氏や朝日新聞の報道によって国民が洗脳されたと思わざるを得ないです。
この洗脳により、北朝鮮へ帰国するという人々がたくさんいました。「地上の楽園」と騙されて北朝鮮へ帰国した人々の運命は・・・
北朝鮮帰還事業の「地上の楽園」とは?
「地上の楽園」とは、なんとあの北朝鮮の事です!
この「地上の楽園」と洗脳されていたのは、朝鮮人や韓国人だけでなく、日本人も「地上の楽園」と洗脳されてました。
北朝鮮は、衣食住にも困らず、差別もない「地上の楽園」と言われていたんです!
北朝鮮は韓国より、マシだというだけで、「地上の楽園」だと誇張され、在日朝鮮人は、韓国でなく、北朝鮮へ帰国したのです。これに、伴って、北朝鮮男性の奥さんである日本人も、一緒に北朝鮮へ帰国したのです。
この北朝鮮への帰国という帰還事業は、現在のマスコミ報道も考えさせられる一つかもしれませんね。
「地上の楽園」への帰還事業とは?
帰還事業とは、朝鮮人が北朝鮮に帰国する話しです。
この帰還事業の背景をには、大東亜戦争と朝鮮戦争があります。
大東亜戦争で日本がアメリカに戦争で負けたため、日本から朝鮮に行くのが難しくなりました。
そんな中1949年に始まった朝鮮戦争。これが終わって、まぁ落ち着いたよね?っていう事になり、日本にいた朝鮮人が北朝鮮に帰国する事が、この帰還事業です。
もう少し突っ込むと、日本にいた朝鮮人は韓国人が多く、北朝鮮に帰る帰還事業は、実際には母国に帰るのとまた違うかもしれませんね。
例えていうなら、北海道に住んでいて、外国行って、沖縄に帰ってくる感じでしょう。これが帰還事業です。
帰還事業「地上の楽園」への立役者、寺尾五郎とは?
寺尾五郎氏は、日本共産党の人で「38度線戦の北」という本を書きました。
北朝鮮へ行って、「北朝鮮は素晴らしい!」と、北朝鮮が「地上の楽園」と言われるきっかけを作った人の一人といっても過言ではありません。
寺尾五郎氏は、帰還事業で北朝鮮へ帰国した日本人に相当恨まれていたという話しもあります。
寺尾五郎氏が北朝鮮へ行った時に、「お前の本を信じたせいでえらい目にあっている!」と日本人に囲まれた事もあります。ただ、そこは北朝鮮の監視下。寺尾五郎氏に詰め寄った日本人がその後消息不明になった事も追記しておかねばなるまい。
北朝鮮へ帰国した人々の中には、今も寺尾五郎氏を恨んでいる人がいるのもしょうがない事です。
なぜ日本人が北朝鮮へ行ったのか?帰還事業「地上の楽園」北朝鮮へと騙されて行った?
日本人が北朝鮮へ帰国したのは、旦那さんについて行ったという話しです。
北朝鮮男性と結婚した奥さんや子供が、「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮へ、帰還事業でついて行って住む事になったんです。旦那さんの帰国に付き合ったんです。
ただ、北朝鮮が酷い状態だと知りつつ、北朝鮮へ帰国する人は少ないでしょう。
北朝鮮へ帰国するきっかけは、寺尾五郎氏や朝日新聞による情報操作もあったのです。
寺尾五郎氏は、共産党であり、社会主義国家北朝鮮を賛美する事で、日本における政党評価が上がると考えたのかもしれません。それゆえに、北朝鮮を「地上の楽園」と呼び、素晴らしい国であるという本を書いたのでしょう。これにより、北朝鮮へ帰国した人が増えました。
それに、輪をかけるように、朝日新聞の報道がありました。朝日新聞は、北朝鮮へ帰国した人々が「不安だったけど、差別もなく、衣食住に不自由ない北朝鮮の現状を見て安心した!」という事実無根の報道記事を書きました。この報道に騙されて、更に帰国した日本人もいるのです。
ゆえに、寺尾五郎氏も朝日新聞も、その後、帰国した日本人にバッシングされるのは仕方ない事ですね。
朝日新聞の影響力。北朝鮮への帰還事業のおいて「地上の楽園」と思わせた立役者
朝日新聞。
昨今は嘘記事、慰安婦問題やミサイル一回くらい日本に落ちるのは間違っただけかもしれない、という論調の記事書かれる新聞。
この朝日新聞は、この帰還事業「地上の楽園」と呼ばれた北朝鮮帰国誘導にも関わっています。
朝日新聞は、帰還事業で北朝鮮へ日本から帰国した人たちが、歓迎され、受け入れ態勢が完備、目覚ましい復興というような手紙を日本に送った人がいる、という記事を書いてました。
実際に帰国した日本人がいる北朝鮮世帯の生活は、差別と監視の生活だったにも関わらずです。
決して、朝日新聞を否定する訳ではないですが、時代やその場の雰囲気で、帰国させるために、こんな事を書いてしまうんですね。
ただ、帰国した日本人が、朝日新聞を責める事も否定できないです。
帰還事業で北朝鮮へ移住した日本人のその後
「地上の楽園」北朝鮮へ帰国し、移住した日本人のその後は・・・。
その後、帰国して北朝鮮の実情を知る事になる。実際には、脱北できた人の証言や手紙が限られているので、正確には言えない。
ただ、帰国した日本人に言わせれば、「地上の楽園」とは夢幻の如く。
北朝鮮に行く前は「衣食住に不自由なし、差別もない」が
北朝鮮に行ったその後「衣食住に不自由しかなし、差別しかない」という事を思い知る事になりました。
帰還事業で「地上の楽園」と呼ばれた北朝鮮が、その後、嘘八百だという事で、北朝鮮へ移住希望者が激減したのはいうまでもないでしょう。
今の北朝鮮は日本にとって「地上の楽園」ではなく、「カエルの楽園」として捉えられる一つかもしれませんね。
北朝鮮への帰国という事が、「地上の楽園」と思わせ続ける事で、北朝鮮が素晴らしい国だと洗脳していく。その洗脳で帰国した人々が、とんでもない所だと気づく時には、後の祭り。自分で考え、自分で行動しないといけないですね。
帰還事業で「地上の楽園」から帰国した日本人
「地上の楽園」と呼ばれた帰還事業で北朝鮮へ移り住んだ日本人。
寺尾五郎に騙された!と思いの日本人もいる中、なんとか北朝鮮の監視から逃れ、脱北した日本人は北朝鮮での生活を手紙に残したり、発言しました。
一言で言うと「北朝鮮は酷い!」という事。
寺尾五郎や朝日新聞等マスコミ、はたまた政党ぐるみで、北朝鮮を「地上の楽園」と作り話しをしていた。
帰国した日本人の中に「拉致と同じ」という発言が出るのも仕方なかったかもしれません。
北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれた理由とは?
北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれたきっかけは、朝鮮戦争です。
1949年に始まった朝鮮戦争が終わり、日本に住む朝鮮人の帰還事業が始まりました。
朝鮮戦争で北朝鮮と韓国、両方の国内は酷い状態でしたが、北朝鮮の方が韓国より早く立ち直ったために、「地上の楽園」と呼ばれるようになりました。
世界的に比べると、北朝鮮も韓国も酷い状態でしたが、2つの国を比べると、当時の北朝鮮の方が、まだマシだったというだけです。
北朝鮮へ移住した日本人たち
北朝鮮への帰還事業によって、北朝鮮へ移り住んだ日本人がいました。
日本に住む男性朝鮮人は日本人女性と結婚している人がいました。つまり、日本人である奥さんやその子供が北朝鮮へ、旦那である男性朝鮮人についていく形で、北朝鮮へ帰国しました。
北朝鮮へ帰国するきっかけは、メディア等報道により、北朝鮮の復興が素晴らしく、「地上の楽園」と褒めたたえたからでした。
ただ、その後、実際北朝鮮での日本人がいる世帯の生活は手紙で見る限り、差別と監視で酷かったようです。
しかも、日本に帰る事も難しかったようです。その後、2003年に脱北して日本に帰ってきた川崎栄子さんは、「国家的な詐欺であり、拉致である」と言う程でした。
「地上の楽園」と呼ばれた理由と、北朝鮮へ行った日本人の感想
北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれた理由は様々な理由がある事を知りました。
背景としては、当時戦争が続き、朝鮮人日本人ともに精神的にも身体的にも疲れていたのだと思います。
その中で、朝鮮戦争が終わって、同じ朝鮮半島の中で、韓国より北朝鮮の方が、マシだという事がありました。実際は戦争が終わって両国共にひどい状態でしたが、少しでも自分の国が素晴らしい!という、自分を鼓舞する事がはじまりだったのかもしれません。
それに、共産党である寺尾五郎氏が、帰還事業という中で、社会主義国家である北朝鮮を賛美して、それに同意する日本人が増えれば、日本の政党支持率が上がる。そう考えたのでしょう。
更に、そんな時代に乗っかって、悪ノリしたのが、朝日新聞です。嘘に嘘を上塗り、「北朝鮮へ帰国した人はとても喜んでいる」という所まで発展させたのです。
朝鮮人の奥さんになった日本人が、北朝鮮へ行き、実際は差別と監視の国の中で、生活する姿は想像を絶します。
なぜ、北朝鮮が「地上の楽園」であるという嘘に引っかかってしまったのか?それは、現状から何とかしたいという気持ちから、自分で自分を洗脳して、寺尾五郎氏や朝日新聞の嘘話しを信じよう!と思ってしまった人間の弱さもあるかもしれません。