2021年07月21日公開
2021年07月21日更新
家紋とは何か?意味や由来、ルーツまとめ!祖先が戦国武将の家紋一覧【画像】
それぞれの家には固有の苗字があるように、それに対応した家紋がありますよね! 家紋の種類は一万近くあると言われ、その中で選ばれた家紋の由来とか、意味は何でしょうか? 今回は、戦国武将の家紋をメインにその由来や意味などについて、一緒にみていきましょう!
目次
家紋の種類は、驚くほど多い!
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皆さんの家には先祖代々伝わる家紋がありますよね。
家紋で思い出すのは、上の画像にある冠婚葬祭に着る紋付の着物でしょうか。
家紋を検索してみると一万種類近くあるとの結果が返ってきますが、この沢山の種類がある中で各家の家紋は、どの先祖の時にどの様に決まったのでしょうか?
戦国時代に群雄割拠していた武将達も、自分たちの家系の先祖化代々受け継いできた家紋を持っていました。
今回は、この武将達の家紋を中心にして、その由来や意味などを見ていきますが、もしかすると、皆さんの家の家紋で武将と同じものがあるかも知れませんよ!
戦国武将の家紋の由来について!
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武将の家紋
応仁の乱以後、日本の各地で豪族同士による戦乱が生じ、世は戦国時代へと突入していきました。
この時代の戦は、武士や兵士による刀や槍で戦う白兵戦が主であったので、同士討ちを避けたり、指揮統率の為に、夫々が属する家を表わす印が必要でした。
また、自身の手柄や、武勲を証明するための手段が必要となり、上の画像にあるような家紋を描いた旗印を背中に付けたり、本陣の陣幕や幟旗、馬標や刀の鞘など、ありとあらゆる物や場所に家紋が入れられました。
天下布武! 織田信長、その家紋の由来と意味!
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「木瓜紋」(もっこうもん)
織田家の家紋を検索してみると揚羽蝶(あげはちょう)永楽通宝(えいらくつうほう)、五三桐(ごさんのきり)などいくつかの種類の家紋が表示されますが、信長の代に入ってから、信長自身が気に入って、最も多く使用したのが「木瓜紋」(もっこうもん)でした。
この木瓜紋は、藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋などと合わせて五大紋と呼ばれ、最も多く使われている家紋のひとつです。
この木瓜紋の意味は、瓜を輪切りにした断面を上から見た様子や、鳥の巣を図案化したものに由来すると言われ、子孫繁栄を祈る信長が家紋として愛用したと言われています。
天下を取った後、本能寺まで信長の長くない一生を知る今となっては、信長が選んだこの家紋を考えると、人の命のはかなさを感じますね!
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信長の最後となった京都 本能寺
太閤 豊臣秀吉、その家紋の由来と意味!
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五七の桐
豊臣秀吉の家紋は「桐紋」と呼ばれていますが、この紋章は元来「菊紋章」とともに皇室のみが使っていた紋章でした。
元々桐は、古代中国で神話の出てくる鳳凰が棲むという、いわれのある尊い木とされ、後にその言い伝えが日本に伝わり、天皇家が使い始めたとされています。
時代が変わり、室町・戦国の世に、足利家が天皇家から恩賞に「桐紋」を下賜され、その後足利家から織田家へ「桐紋」を与え、戦国大名の間にも使用するようになっていき、皇室は「菊紋章」のみを用いるようになりました。
そして、秀吉も信長からこの「桐紋」を与えられ、使い始めました。
上の画像にある「五七桐」は、秀吉が天下統一した後使っていた家紋で、花序につく花の数が五-七-五弁で、それまでの花の数が三-五-三の「五三桐」の紋章とは区別して使っていました。
江戸幕府を興した徳川家康、その家紋の由来と意味!
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徳川葵
水戸黄門の助さん、格さんでお馴染みの、悪役に見せる印籠に描かれていたのが、この「究極の切り札!」徳川葵の紋所ですね!
この徳川家康の家紋である「葵紋」の由来はどこから来たのでしょう?
元々は、京都にある上賀茂神社の神紋である「双葉葵」を、徳川家の前身である松平家が使用していました。
この上賀茂神社の神官である賀茂氏と、当時の三河武士団が非常に親密な関係であったことが契機となり、松平家が葵紋を家紋に採用したという事です。
関ヶ原の勝利の後、家康が征夷大将軍となった後、次第に徳川家以外の三つ葉葵に限らず「葵紋」の使用が制限されるようになりました。
また天皇家は「桐紋」を徳川家にも与えようとしましたが、家康はこれを固辞した為かえって「葵紋」の権威が上がったと言われています。
そして、江戸幕府の長きに渡って、徳川の「葵紋」は絶大な権力の象徴となっていったのです!
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甲斐の勇将 武田信玄、その家紋の由来と意味!
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武田菱
この「武田菱」は、曲線で描かれている家紋が多い中では、直線的で角張った幾何学的な紋章で、武田家の強い武将をイメージする鋭い印象と合致していますね!
この「武田菱」の由来には諸説があり、一説には武田の「田」の字を元に模様にして、紋にしたと言われています。
現代ではさしずめ、デザイン・コンペで優秀賞を取ったデザインとも言えるでしょうか!
他説には、武田氏の祖であり清和源氏一族であった源義光が、住吉大社に武運長久を祈念した際に拝領した「楯無」の鎧の袖についていた「割菱」の文様を武田氏の定紋としたという説などがあります。
その他にも、菱型で検索するとこの紋の種類も多く、菱形を三つ合わせた三菱のマークは有名ですよね!
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三菱
越後の虎 上杉謙信、その家紋の由来と意味!
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竹に飛び雀
上杉氏の家紋は「竹に飛び雀」です。
元々は回りが五節の竹で囲まれていましたが、シンプル化されて画像のように黒い線で囲まれました。
上杉氏の先祖は藤原北家 勧修寺流(かんじゅじりゅう)の公家の家系で、勧修寺流の一門は「竹に雀(竹輪に飛び雀)」を家紋として用い、上杉氏もこの「竹に雀」を家紋としました。
関東管領職にあった山内上杉氏は、功のあった将や配下に賜紋をした為「竹に雀紋」が関東地方一円に広まりました。
また、仙台の伊達氏も同じ種類の「竹に飛び雀」の紋を使っていますが、これは上杉氏から譲られたものです。
戦国のキレ者 伊達政宗、その家紋の由来と意味!
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竹に雀
伊達者(ダテモノ)とは、派手好きで、洒落た身なりをした人などと言われますが伊達政宗から来たという説があります。
政宗は、独眼竜として今でも人気が高いですが、その冑などを見ても大きな三日月はあしらって一際目を引き、派手な様子でした。
さて、そんな伊達家の家紋は、「笹と雀」が組み合わさった模様になっており、意味は生命力の強い、竹と雀の組み合せで子孫繁栄の縁起が良いものとして知られています。
この家紋は一つ上の画像の上杉家の家紋と似ていますが、そうです、これは親類筋にあたる上杉家から与えられたものなのです。
伊達政宗は、当時優れた戦略家として、またカリスマ性を持ち合わせた武将でしたが、生まれてくる時代が少し遅かったと言われ、もう少し早い戦国の世に生まれていたら日本の歴史が少し変わっていたかもしれませんね!
戦国の知将 真田幸村、その家紋の由来と意味!
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六文銭
大河ドラマで人気の、真田幸村の家紋は、ご存知の「六文銭」です。
この六文銭とは、この時代の「三途の川の渡し賃」のことで、仏教では三途の川は現世と彼岸(ひがん・あの世)の境目にあり、死者が渡るとされています。
渡し船に乗せてもらうには、渡し賃として六紋銭が必要になるため、戦に行く兵士はみな六文銭を着物に縫い付けて戦に出たといわれます。
真田幸村の真田家では、この六文銭を家紋にして「武将として死んだ時の覚悟」を揺るぎないものにして戦場に向かったとされ、戦国武将として常に死ぬことを覚悟した壮絶な生きざまが見て取れますね!
関ケ原の西軍総大将 毛利輝元、その家紋の由来と意味!
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一文字三星
関ケ原の西軍の総大将であった毛利輝元の家紋は「一文字三星」です。
平安時代の先祖阿部親王が一番高位の品位「一品」をもらい、この一品という字をアレンジして、この家紋が生またとの説があります。
また、三つの黒丸はオリオンの三ツ星をデザインしたとも言われ、この星は当時将軍の星とも称され縁起の良い星とされており、星を取り込んだ仲々なオシャレな家紋ですよね!
善政で有名 北条氏康、その家紋の由来と意味!
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三つ鱗
北条氏康は小田原城を居城にして関東地方を治めた善政で有名な武将です。
氏康は自分が治めていた関東に対して「四公六民」という「税金のうち、六割を民のために使う」という民のことを最優先に考えた制度を取り入れたものでした。
この北条氏康の家紋は「三つ鱗」と呼ばれるもので、少しつぶれた三角が、三つ重なっている家紋です。
この家紋は北条家の先祖である早雲は使用しておらず、氏康の父の代から使い始め、その由来は鎌倉時代に大変な勢力を誇っていた北条家が使用していた家紋「三つ鱗」を引き継いだものです。
まとめ
いかがでしたか?
家紋の由来や意味を戦国武将の家紋をメインに纏めてみましたが、その家紋を検索してみると、一万近くもあるその種類の多さに驚かされます。
そんな中から、皆さんの家系の先祖を辿って家紋のルーツを見つけてください!